第20話 母、寝坊
「あぁぁ!」
夏が近づき、山も綺麗に色づいて来た頃、畑で一仕事終えた俺は冷たい水で喉を潤していた。この世界ではコーラなんか無くたって爽やかさを得られる、なんて思えてきてしまう。がやっぱり甘いジュースが恋しくなる。
「なんだかんだ幸せだな俺」
別にお金がたくさんある訳じゃないし、どっちかと言えば前の世界の方が便利だし、仕事もきつい。それでも俺の作った野菜を美味しいって言ってくれる人がいて、また食べたいって人が居るのも事実だ。そんな、人を喜ばせたいって思いながら仕事するのはとても幸せを感じるのだった。そう感じることができる俺は、自分の事が前よりも好きになれているのかもしれない。
「アグリー、野菜ある? 少し分けてほしいんだけど」
畑に来たのはジュリだ。いつもこうして必要になった分だけ取りに来る。
「あぁ、良いよ! 菜っ葉類もう少し食べられる? 暑くなる前に全部採りたいんだけど」
「分かったわ」
菜っ葉類は暑くなると焼けてしまったり硬くなり筋が口の中で残って美味しくなくなる。さらに花が咲いたりしてしまう事もあるため、春や秋にしか作らないようにしていた。
「冷蔵庫があればなぁ」
ジュリは何か言った?とこちらを見たが、首を振ると、慣れた手つきで収穫していった。最初は収穫のしかたも分からなかったが、教えるとすぐにやってのけた。ロットにやらせたこともあったが、ちぎれてしまう葉が多く傷んでしまい、ジュリからクビ宣告を受けた事がある。
「ありがとう、今日はこのくらいにしておくわ」
「うん、分かった、気を付けて帰って」
ジュリに手を振り、俺も畑に戻った。
「こんな日常がいつまでも続けばいいのにな」
なんて、らしくないことを呟いて自分でも笑ってしまった。
追肥をやってぐんぐん成長する玉ねぎを横目に、茎が伸びてきたジャガイモに土を寄せる。ジャガイモを植える時、あらかじめ場所を開けて植えたのはこのためだ。ジャガイモが倒れたりしないように両側から土を掛ける。この時に多少茎や葉に土がかかるが、また伸びるので問題はない。
この作業は二時間ほどで終わった。
それから明日の朝、ロズベルトさんに持っていく野菜を収穫し予定していた仕事は終わった。
「お母さん、明日朝起きてこなかったら起こして」
家に帰り晩御飯を食べている時、いつものお願いをした。ふだんは起きられるのだが、目覚まし時計がなく心配で、いつもそうしてもらっている。ルツがいる時は俺を起こすのはルツの仕事だったが、今はまた母に戻っているのだ。
「いつになったら一人で起きられるのかしらね」
「いつまででもお願いします」
大人になると母に起こされることなんてほとんどなくなる。せっかく子供になったのだから存分に甘えさせていただく所存だ。
「アグリはルツが学校に行ってからまた甘えん坊に戻ったな」
「そうね、それが原因ね」
父と母に笑われる。そう言われると返答できなかった。実は自覚ありだ。ルツが居るとしっかりしないといけない気がしていたのだ。
「でも良いんだ、アグリはずっと俺たちの大切な息子だからな」
「俺、この家族に生れて幸せだよ」
俺がそう言うと父は「そうか」と髪をガシガシと撫でられた。
充実した一日だった。そんなことを考えながら目を閉じた。昔はこんな気持ちで一日を終え、明日が楽しみに目を閉じる事なんて無かったのに。
「えっ、嘘……」
目を覚ますと、日は高く昇っていることに気付く。それと同時に冷や汗がドッと吹き出す。辺りは当たり前のように明るくなっていたのだ。
「うわ、まじか、寝坊だ!」
俺は飛び起きて部屋を出る。すると分かっていたかのように父が俺を止める。
「アグリ、しー!」
父は台所から出てきて、口に人差し指を当てている。
「心配しなくていい、アグリの分も朝、ロズベルトに渡しておいたよ」
「えっ、えっ、でも……、寝坊しちゃって……」
寝坊したことの焦りと、父が台所に立っている状況と、寝起きなのが重なって何がなんやら考えがまとまらなかった。それでも父は落ち着いて、笑みを浮かべながら言った。
「もうすぐ朝ごはんが出来るから食べよう」
「う、うん」
「とりあえず、着替えてきなさい」
何か事情がありそうな事を感じ、部屋に戻った。
「お母さん、どうしたの? 」
朝の支度をして部屋を出ると。父の手作り朝ごはんが机に並べられていた。ご飯、それと卵とほうれん草を一緒に炒めてあり、リンゴも切ってあった。コップにはミルクが注がれている。
「お母さん、少し疲れたみたいで、体調が良くないんだ。休ませてあげて」
「大丈夫なの?」
「少し様子を見て、辛そうだったら病院で見てもらうよ」
「そうなんだ」
危うく寝坊したのを母のせいにするところだったので反省した。自分がしっかりすればいいだけの話だ。
「アグリ、冷めないうちに食べようか」
「うん!」
父に感謝を伝え口に運んだ。
「お父さん、料理できたんだ」
「なんだ、知らなかったのか?」
「いつもお母さんだから」
「昔は良く作ったもんだ、でもへベルと結婚して毎日手料理を食べていると、それ無しじゃ生きていけなくなっちまった」
父と二人の食卓は案外楽しいものだった。大きくなったら酒でも飲みたいな。
「アグリ、今日の予定忙しいか?」
「んー、調整は出来るよ」
「そうか、父さん今日は母さんの事見いてやりたいから少し仕事頼めるか?」
「うん、もちろん」
そういうと父からいくつか仕事を頼まれた。メモを取り忘れないようにする。しかしそれほど難しい物でもなかった。
「出来る範囲で構わないからお願いする」
「分かった、任せて」
母が寝坊……か。いや、体調を崩して朝起きられないのは、俺の記憶だと初めてだ。いつもは俺やルツに心配かけまいと無理にでも働くのが母だった。それを思うととても心配で我慢できず母の部屋に向かった。
「お母さん、大丈夫?」
部屋に入ると母は体を起こしており、朝食をゆっくり食べていた。
「アグリ、今日は迷惑かけちゃったわね。ごめんなさい」
けして母が悪いわけではない。それでも子供に謝る謙遜な母……。心配かけまいと笑顔で接してくれている。
「俺がちゃんと一人で起きられなかっただけだよ。お父さんがしてくれたし大丈夫。それより身体はどうなの?」
「ありがとう、大丈夫よ。少し休んだら良くなるわ」
「それならゆっくり休んで、自分の事は自分でやるし、お父さんの仕事も俺がする。家のことはお父さんがしてくれるから心配しないで」
「ありがとう、じゃあこれ持って行ってくれる?」
母が朝食の食べ残しを渡してきた。食欲もあまりないみたいだ。
「もう食べられない?」
「今はこれだけで良いわ」
「分かった」
あまり長居しても身体に障るため部屋を出る。
「ゆっくり休んで良くなってね」
俺が病気になると母は寝る間も惜しんで世話してくれる姿をよく見ていた。俺も俺の出来る事をちゃんとやろう。そう決意し仕事の準備に取り掛かった。
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