第3話 市場 (前編)

 季節は廻り3歳の春が来た。この世界では『ニサン』と呼ばれる月だそうだ。暖かくなってきて村の人たちも活動的になり、少しずつ賑やかになってきた。


「えー、お父さん行けないのー?」

「ごめんな、アグリ。村長の都合で今日急に寄り合いをすることになってな」

「ずっと前から楽しみにしてたのにー」


 只今絶賛、駄々こねている俺。父は頭をかきながら必死でなだめようとしている。駄々をこねるなんて何年ぶりだろうか。これも子供の特権ってやつだ。がんばれ父よ。


「こーら、わがまま言わないの」


 仲裁に入ったのは言わずもがな母だった。俺を抱き上げ、優しく背中を撫でてくれた。


「大事なお仕事なんだから我慢しなさい」

「はーい」


 しぶしぶ了承したが、父は本当に申し訳なさそうに見えた。

 普段の買い物は隣町で済ませる事がほとんどだが、仕事が忙しくなる前に少し遠出して、綺麗な海や街を見せてやると言ったのは父だったのだ。言い出しっぺがドタキャンとは父のメンツも立たないだろう。

 父が机の引き出しから、きんちゃく袋を出して来た。カラカラと音を立てながら、中に指を伸ばす姿を無言で見つめる。すると父は手を出すようにと言ってきた。


「悪いなアグリ。詫びと言ってはなんだが、これで好きなものを買ってくると良い」


 手渡されたのは小さな硬貨五枚で、銅のような質感の硬貨には『10』の数字が打たれている。合計50カポのお小遣いを貰うことができた。母と買い物に行った時を思い返すと、約五百円程の価値だ。


「ありがとう」と大事に握りしめ、出掛ける準備を始めた。




 母お手製、端切れの小銭入れを首に掛ける。家の前で手を振っている父に、大きく手を振り返しながら馬車乗り場へと向かった。


 この世界での移動方法は専ら馬車だ。公共の移動用馬車でほとんどの人が町を行き来する。今日の馬車の中には、何人か顔の知る人も乗っていた。

 馬車が進み始め、景色が動く。ガタっと石を踏むたびお尻が跳ね上がる。


「お母さん、町まではどれくらいかかるの?」


 始めて足を踏み入れる場所だ、素直に気になったので母に尋ねてみた。顎に指を当てながら「そうね」と首を傾けると、何か思い付いたようにこちらを見た。


「アグリが住む街の名前は何だったかしら?」


 出た、何かを企んでいると思ったら、親が子供によく使うクイズ形式だ。何事もまずは自分で考えてみるという勉強だろうか。道のりは長い、付き合ってやろう。


「そのくらい知ってるよ、『ホルン』にあるツィスでしょ?」

「そうね、正解よ。じゃあ、いつも買い物に行く町はどう?」

「それも知ってる。『フルト』だね」


 良い子ね、と頭を撫でられる。子供の成長が見えて嬉しいのだろうか、母の撫でる手はなかなか止まらなかった。


「今向かっている港がある町は『クラリネ』という町よ。この国『トラン』の代表する町ね。そしてお隣の国『テヌート』の玄関口になってるのよ」


 得意げに話す母の言葉を相槌をうちながら聞いていた。正直言うと今の話は初耳だった。村の人が他の町について話すのを何度か聞いたが、隣町とか市場とか港と言うだけで名前までは聞けていなかった。たくさんあるわけではないので、わざわざ言わなくても分かるのだろう。『渋谷のハチ公前』ではなく『ハチ公前』だけで伝わるのと一緒な感じだろう。まぁ、行ったことないから知らんけど。


 俺は母の話をまとめるように話し始めた。


「僕たちが住んでいる『トラン』っていう国に、ツィスがある『ホルン』。その隣に『フルト』があって、その先に今向かってる『クラリネ』があるってことだね」

「その通り、賢いわね。でももう1つ町があるのよ? ホルンの海じゃない方にある山脈は……」

「ユーフォニー山脈! 」

「正解。そのユーフォニー山脈を越えた場所に『カタット』という町があるわ。トランはこの4つの町で成り立ってるのよ」


 新しい情報をたくさん知る事が出来た。地図があれば良いのだが今の所見た事がないので、こういう情報は非常に助かる。でもまぁ、それはとりあえず置いておいて……。


「それで、クラリネまでどのくらい時間がかかるの?」

「あー。そうね……」


 母よ、あなたも知らないのか。子供相手でも誤魔化しきれてないぞ。

 母は馬車の前の方に首を伸ばした。


「御者さん、クラリネまではどのくらいで?」

「今日は晴れてるし道もいい。順調に行けば後一時間ほどだろう」

「ありがとう。だってさ、アグリ」


 まだまだ先は長いみたいだ。そういえば、馬はどのくらいのスピードで進むのだろうか。それが分かれば、自ずと距離が分かるのだが。まぁ新しい世界だ、細かい事を気にしてちゃ生きていけないかと難しい事は振り払った。


 馬車の旅は快適……とは言いがたいものだ。椅子は硬いし道もガタガタ。前の世界がどれだけ暮らしやすかったか、今気づいたって遅い。せめて椅子だけは何とかならないものか……。手を太ももの下に入れてみたりお尻の下に敷いたり、少しだけ立ってみたりしたが、一時間は思ったよりほど遠い物だった。





「アグリ、見えてきたわよ」


 一時間以上の道のりは終わりを迎えようとしていた。母が指さす方向を見ると、大きな門があった。


「あの門をくぐると、クラリネよ」


 海に近づいたのか、鼻には懐かしい匂いが通る。まだ農業をしていなかった頃、父と一緒に花火を見に行ったっけ……。


「痛たた。お母さんお尻が割れそうだよ」

「ふふっ、少し歩けば治るわよ」


 馬車を降りる時、お約束のようなギャグを母は綺麗にかわし俺の手を取った。


「はぐれたら大変だから、しっかり握ってなさい? 離れちゃだめよ?」

「はーい」


 母と共に歩き出した俺は馬車から見えた門をくぐる。町の中まで馬車は連れて行ってはくれないみたいだ。

 目の前に広がったのはホルンとは真逆の都会的街並みだった。様々な国籍の人たちが歩いていて、色とりどりの建物にお店が並んでいる。確かに母とはぐれてしまったら大変だ。改めて母の手を握り直した。

 慣れた足取りで歩いて行く母に、俺は付いて行くのに必死だった。


「お母さん、最初はどこに行くの?」

「海を見ましょうか。アグリ、お腹すいたでしょ?」

「ぺこぺこだよ」

「じゃあ、ご飯も食べようね」


 しばらく歩き、少し開けた場所に出ると、青い世界が広がった。


「アグリ、海よ」

「おぉー!」


 少し高くなっている場所から見えるのは、広大で美しい海だ。潮の香りはどこの世界も同じのようで、風が心地よく波の音が耳に響く。海の広さに比べれば、自分の悩みなんて小さな物だ。なんて3歳の俺が言う事じゃないか!


「海はどうして青いの?」


 子供が親に聞いて困る質問トップ10に入るであろう事を尋ねてみる。


「どうしてでしょうね……。みんながそう望んだからかしらね」


 髪をかき上げながらそう母は言った。ちょっと良くわからないが、青色を青色と言い始めたのは人間だろう。もし、最初にこれは赤色だと誰かが言っていたら海は赤色だったって事だろうか……。良く分からん。

 でも悩みが吸い込んでくれる海は、どの世界でも青い方が良いと感じる。


「アグリ、あのお店で食べましょうか」


 十分海を堪能した後、母が向きを変えた。指さした方を見ると、海沿いに青い屋根の建物がある。ここからでも分かる。おしゃれなお店だ。

 母が手を引き、店に続く道を歩き出した。


「いらっしゃい、あら、へベルじゃないの」


 店に入ると元気なおばあちゃんの声が聞こえてきた。母と知り合いなのだろうか。嬉しそうに笑顔で近づいてくる。


「こんにちは、コバトさん。お久しぶりです」

「本当に久しぶりね。元気そうでなにより」

「ありがとうございます」

「さっ、座って座って」


 いわれるがまま席に着いた。メニュー表を見てみるとやはり魚を基調にした料理が多い。写真は無いが、どれも美味しそうだ。そもそも、海の近いお店が不味いなんて聞いたことない。

 俺は1つのメニューが気になり、それを注文してもらう。


「お母さん、これ食べてみたい」


 そう言ってメニューに指を指すと「分かったわ」と微笑みながらコバトさんに伝えるのだった。



「お待たせ」


 コバトさんが出来立ての料理を運んでくる。母はサンドイッチで魚のフライも入っているみたいだ。そして俺の前にも料理が置かれた。


「旗、立ってる……」


 そう、お子様ランチだ。何だか小恥ずかしいが、今しか食べられないので堪能しよう。

 俺は刺さっている旗を大切に抜き取り端に置いた。


「いただきます」


 母と共に食べ始める。


「アグリちゃん、何歳になったの?」

「3歳です」

「そう、もうそんなに。大きくなったわね」


 なんだか意味ありげにコバトさんは言い始めた。


「実はこのお店ね? あなたのお父さんがお母さんにプロポーズしたお店なのよ」

「ちょ、コバトさん」


 大きな声で笑うコバトさんに、カミングアウトされた母は珍しく照れていた。そういえば母の出身はクラリネだったっけ。だから道を間違うことなく歩けたのか。

 すると話を逸らすように母が言った。


「アグリ、美味しい?」

「う、うん! お魚美味しい」

「そう。良かった」




 何十年ぶりかのお子様ランチを食べ終わり、旗を持って「またいらっしゃいね」と手を振るコバトさんに背を向けて歩き出した。


「じゃあ、買い物に行きましょうか」

「うん」


 元気よく返事をし母についていくのだった。


 さっき食べたお子様ランチ。魚料理は本当に美味しかった。魚料理は。


 ただ、やはり米や野菜のレベルが相当低い。米は子供向けに味付きだったが、それでも感じる品質の悪さ。野菜のみずみずしさや、しゃきしゃき感も無いに等しい。運送が上手く機能してないのか、それにしてもな味だった。

 でもこれで理解した。この国全体が食のレベルが低い。これでは、何か大きな問題が生じた時、生きていけなくなってしまう可能性すらある。俺が農業をする以外で、食のレベルを上げる必要があると俺は心に決めた。


「アグリ、着いたわ。この町で一番大きな市場よ」

「すごい、広い! 人がたくさん!」


 考え事をしながら歩いていると、いつの間にか目の前に広がったのは、両側に店が立ち並ぶ大通りだった。

 母はここに来た目的を教えてくれる。


「先に、魔石を買いに行きましょう」

「うん」


 魔石、この世界で当たり前のように使われている物だ。また新しい事が分かるかもしれないと、はぐれないよう母の手をしっかり握った。

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