9.アウラ紛争

「いやあ、やっとお昼寝してくれたわ。子守って大変ね」

 ルノは、いつもとは違う大人に相手をしてもらい、心底楽しんだのでしょう。疲れ果て、ぐっすり寝ておりました。子供の寝顔はまさに天使と形容できます。私もアリエラさんも、自然と頬が緩みます。


 しかし私は、アリエラさんの現状に驚きを隠せませんでした。

 どこをどう子守を行ったら、そこまでボロボロになるのだろうか。

 彼女の顔にはひっかき傷ができ、服は乱れ、外れたサラシを手に持っていました(流石に上着は着ております)。


(どこかつねられたみたいでしたけど……)

 抓られた場所は、見た目では分かりませんでした。服に隠されているのでしょうか。

 胸を隠していたサラシが外れたあとに、抓られたのだとしたら……などと、邪な考えが浮かんでしまい、私は頭を振り気持ちを落ち着かせました。


「ねえ、聞いていいかしら?」

「な、なんでしょう」

 私が変な妄想中であったことを、知ってか知らずか。急にアリエラさんが私に訪ねてきました。


 しかし、その内容は、そんな邪推の後には少し重たい内容でした。


「エマルちゃんは、紛争孤児、かしら」

「……はい。エマルは紛争の被害者です」

 唐突に出てきた、紛争という言葉に一瞬たじろぐも、私は、エマルの素性について素直にお答えいたしました。


 ──アウラ紛争──

 10年前に勃発した、大規模な紛争の名前です。終結に3年もの長い年月が費やされ、その間に多くの命が──戦争を行う兵士だけではなく、多くの民間人も──失われました。


「エマルちゃん、執拗に赤ずきんレッドキャップを嫌悪してるかさ」

「幼心に目に焼き付いたとのことです。ご両親はその、赤い髪の人物に命を奪われました」

「だから、よね」

 アリエラさんは自分の髪をつまみ、見ていました。赤く、真紅の髪の色。離れていても非常に目立つ、派手な色彩です。


「もういっこ、聞いていいかしら? ここの牧師様のことなんだけど」

「ノックスのことでしょうか? 実は彼、つい最近中央教会セントラルから派遣された新米で、彼もまだ『女神の加護』を享受しておらず……」

「あー、彼のことも気になるけど、そっちじゃなくって。『アークロン』って人のこと」

「えっ?」


 アークロン牧師の名前が出たことに、このとき私は心底驚きました。しかし話を伺ってみると、どうやら昨夜の会話の中で聞こえてきたとのこと。


「あのとき、彼の名前が出てきてびっくりしちゃった。アークロンって、もしかしたらあたしの探している人か知れないのよ」

「お話、詳しく伺います」


 お話を聞くに、本教会の牧師であるアークロンと、アリエラさんの育ての親だった人物が同一人物ではないか、とのことです。

 彼女は語りだしました。


「あたしさ、親に捨てられたのよね。エマルちゃんの年齢としになる頃にはもう、施設で働いてた」

「そう、だったのですね」

「その施設で、親代わりになってくれたのが、アークロンっておっさんだった。厳しい人だったけど、他の施設員に比べて、裏ではあたしたちを親身に見てくれてたわ」


 その後、アリエラさんはアークロン様について話し続けました。

 娯楽が少ない施設の中で、カード遊びを教えてくれた、だとか、読み書きを教えてくれた、だとか、護身術を享受したとか……。


 それらのお話を伺い、私は確信を持ちました。彼女の語るアークロンという人物と、私の知るアークロン牧師との容姿や特徴が合致したのです。


「どうやら、当たりっぽいわね」

「おそらく……是非、お会いになってください、ご案内します」


 私は、アリエラさんを連れて部屋を出ました。ご案内する場所は、アークロン様の書斎……ではなく、裏庭の方角です。



 ***



「うそん」

「嘘ではございません」

 そこには、お世辞にも豪華とは言い難い、石を積み上げただけのお墓がございました。


「私がお世話になった頃──7年前からすでに持病を患っていたと伺っています。それがつい先月に、急に悪化してしまい……」

「そう、だったのね」


 お墓を目前にして、アリエラさんは先程からずっとうつむいておりました。しかしながら、彼女は墓前でのお祈りは行わず、ただじっと、墓石を見ていました。

 私の見間違いでなければ、彼女は、涙も流さず、その墓石を睨みつけているようでした。


 私はその彼女の態度に、少し気を悪くしました。

 食事の前のお祈りはできていますので、彼女が死者への祈りの作法を知らないとは考えにくいです。なのに、育ての親である人のお墓の前で、手も合わせずにいる。


「……何か、遺していったものを、ご覧になりますか?」

 それでも私は、冷静な気持ちを保ちながら、彼女に持ちかけました。


 親代わりとなった人が亡くなったことには間違いございません。彼女も、なにか形になるものを持っていたいのでは。そう思い、提案した次第です。


「是非、お願いするわ」

 顔を上げた彼女は、笑顔でした。親しい人が亡くなったときの顔だとは、到底思えませんでした。

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