8.讃美歌の斉唱
「それでは」
私は女神様の像を背に、礼拝堂に立ちました。ノックスが指揮を取り、讃美歌の斉唱が始まります。
街からわざわざ丘の上に構える教会に来てくださるのは、信仰の厚さ故。空席が目立ちますが、それでも足繁く通っていただける方が居る限り、私は歌い続けるでしょう。
その私の歌声は、やっとエマルに届けられました。
こんなにも明るい表情を見せたのは何時ぶりでしょう。目を輝かせ、時折、参列者様と一緒に歌を口ずさんでいました。
いつもこの時間は、ルノの面倒をエマルにまかせっきりでありました。彼女がこんなにも讃美歌に興味を持ち、歌を聞いてみたかったということに、私は今の今まで全く気付いておりませんでした。
私はただただ、猛省しました。
***
斉唱が終わり、一部の参列者が粛々と教会を後にします。残られた方々へ、女神様が残したとされる聖典に記されたお言葉を、私とノックスが順々に紡ぎます。
これも、聖職者見習いの修行の一環です。
「──女神様は述べられます。求めるだけでは与えられぬ、勝ち取らん。開かれぬ門を叩くもの、新たな扉を開かん──」
女神の聖典には、説法的なものもあれば、人生の足掛かりになるようなお言葉、また、小さな物語まで、多岐にわたる内容が記載されております。私達は聖典の一部を抜粋し、参列者の耳に届けます。
熱心にメモを取りながら聞く方も居る中、多少、退屈される方もおります。静かに寝息をたてる方、大きなあくびをされる方。様々です。
例に漏れず、エマルは参列者に混ざり、静かに目を閉じておりました。どうやら、寝息を立てているようです。
子守の疲れもあったのかもと思うと、私の胸がまたしても締め付けられる思いです。
「──悲しみはいずれ慰められます。心を清く保ち──」
『……痛だだだだだだっ!!! 引っ掻かないで!!』
突然、礼拝堂に謎の声が響きました。
それは、礼拝堂の奥。私達の居住スペースから聞こえてきました。
唐突な叫び声に、夢うつつであった人も肩をビクつかせ覚醒し、全員が同じ方向に目を向けました。
「……えーと。こ、心を清く保ちなさい、さすれば女神は──」
私は、その絶叫を聞かなかったことにしました。なんとなく察しがついていたのと、大事には至らないだろうと思ったからです。
『ちょっと! おむつ臭っさ! うっわ! う○こ漏れてる!!』
アリエラさんが、どうやらルノの育児に振り回されているようです。彼女のよく通る声が礼拝堂にまで響きました。
参列者からは失笑の声が漏れます。エマルも目を覚まし、こちらは何が起こっているのかあたりをキョロキョロしていました。
「えーと、ど、どこまで読みましたっけ?」
私一人、なんとかこの状況を整えようと必死でした。ノックスのほうを見遣ると、なんと彼も顔を聖典で隠し肩を震わせているではありませんか。
『う○こ! 足にも付いてる! 駄目走らないで……あああああああっ!!!』
「こ、心を清く、清く保ちなさい、さすれば」
『い、いや! 服を引っ張らないで! ちょっと! サラシが外れた!』
「……女神様は手を差し伸べ」
『あんっ、そこ
バダンっ!!
私は堪えられず、開いていた聖典を勢いよく閉じました。非常に分厚い本であるため、強く閉じればそれ相応の音が生まれます。
「皆様、ちょっと失礼いたしますね」
私はできるだけ笑顔で……心を清く保ったつもりで、参拝者にお声掛けし、その場を後にしました。
キョトンとした皆様のお顔は、今でも忘れません。
後に伺ったお話ですが、その時の私の顔は、とてもとても引きつっていたとのことです。
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