7.女神の加護 ~SARASA's side

 かこーん

 かこーん


 わたくしは、軽快かつ重厚なその音で目覚めました。そしてそれが、薪を割る音だと理解するのに、少し時間がかかりました。


 私の横の寝床には、未だエマルが寝ております。ルノも、ベビーベッドで寝息を立てておりました。

 窓の外の雰囲気から、今はちょうど日の出の時間だとわかりました。


「……まさか」

 私は、直ぐに修道女の服を着て、音の出所に向かいます。


 すると、教会裏の薪棚で、昨夜の導師様……いえ、アリエラ様が、薪を割っているではありませんか。


「アリエラ様!」

「さま、は無し!」

 ぶん! と、アリエラ様は斧を振り下ろし、カコン! と、薪は小気味良い音を立てて裂けました。


「客人にそんなことさせられません」

「一宿一飯の恩義ってやつ。お礼よ」

 額に輝く汗を拭いながら、アリエラ様は薪割りを続けられました。


 季節は夏に向かおうとしており、日は朝から照り付けます。

 アリエラさんは上着を脱ぎ、サラシのみで乳房を隠してました。


 冒険者たる証左か、彼女の体は引き締まり、付くところに筋肉がしっかり有る。スタイルは良く、異性から見ても魅力的な、健康的な体型でした。


 私は結局、アリエラさんの意図を汲み取りました。

 アリエラさんもエマルと同じく、意思を曲げない頑固な性格の方だと思ったためです。


 私は、洗顔用と朝食用の水を井戸から水を汲み終え、その後、別の大きめの桶を準備しました。冷えた水で満たし、縁には身体の清拭用の布を引っかけます。


「アリエラさん、体拭きに使ってください」

「あら、ありがとー!」

 額に汗かきながらも、振り向いた彼女の笑顔はまるで太陽のように眩しかったことを覚えています。濃い赤い髪色が、そう見せていたのかもしれません。



 ──単に髪の色が同じというだけです。

 彼女をあの殺人鬼レッドキャップなどと、誰が間違えますでしょうか。



 ***



 朝食は当番制で、わたしとノックス、そして最近は、エマルも手伝うようになっておりました。といっても、食せるものは質素なものばかりです。


 今日の当番はノックスでした。普段は、街で良くしてもらっているパン屋から頂いたパンと、具なしの塩スープですが、本日は客人を招いていることもあり、ノックスが腕によりをかけてくれました。


「りんごー!」

 小さな手が、テーブルに伸びます。

 この子の名前はルノ。エマルと同じく、この教会で預かっている孤児です。

 ルノの手はしかし、エマルによって阻止されました。


「だめ、ルノ。お祈りをしてからよ」

 ルノはちょうど3歳の誕生日を迎えたばかり。まだまだ一人では何もこなせません。

 エマルは、彼を献身的に見てくれています。まるで本当の弟のように。


「悪いわね、ご馳走になっちゃって」

 そこに、アリエラさんが現れました。薪割りを一段落し、汗を流して来たといったところでしょう。


「アリエラさん、サラサから聞きました。薪割りありがとうございます」

「いいのよ、じっとしてるのは性に合わないし、何より泊めてもらった恩もあるわ」


 昨夜は夜も更けており、また、アリエラさんの宿泊先が見つかっていないとのことから、私が教会での宿泊を提案いたしました。幸いにも部屋は多く空いております。

 この提案に、アリエラさんは二つ返事で了解し、今に至ります。


 私と、ノックス。ルノとエマル。そして、アリエラさん。

 全員が席に着き、そして、食事前の祈りを捧げました。

 アリエラさんは回復術師ヒーラー見習いの冒険者、と仰ってたけど、おいのりを唱える所作などは、非常に様になっておりました。


 しかし、彼女の頭には気になるものが。

 先ほど私が、体拭き用にと渡した布を、くるくると巻いておりました。


(──あ)


 最初、その意図を感じ取れませんでしたが、エマルの目に真紅の髪色が入らないようにした、彼女なりの配慮だとわかりました。

 同時に、自分の不用心さを恥ずかしく思いました。


 アリエラさんが席を共にしたことで、いつも以上に食事中の会話に花が咲きます。その中で、ノックスが彼女の今後について質問しました。


「アリエラさんは、また冒険に出られるのですか?」

「まあね、ずっと御厄介になるのも変だし」

「ですが昨夜……『女神の加護』をお持ちでないと」

「うっ……なので、回復術師ヒーラーとして実践で会得を狙おうとしてまして」


 ──女神の加護──

 回復術を使う人物には、必須と言える技能スキルです。

 加護を受けた人の使う回復術は、癒え方が倍以上違います。

 特に聖職者は、すべからく習得しております。


 この技能の習得方法は二つ。

 ひとつは、産湯を聖水で浴びること。しかしこれには、一般の人は多額の寄付が必要です。教会関係者や上級貴族の方々の特権になります。


 もうひとつは、聖職者の見習いとして勤め上げる。もしくは、回復術を多くの方に使用し続けることです。

 そうすると、ある時を境に能力が開花します。女神に功績を認められ、加護を受けられるのです。


「アリエラさん、修道士としてお勤めしてはいかがでしょう。実は我々も目下、修行中の身でして」

「うーん……じっとしてるのは性に合わないわ。いろいろ見聞を広めたいし」

 アリエラさんはやんわりと、修道士としての勤めを断りました。もちろん人の都合もありますが、私は少し、残念に思いました。本音をいうと、私は寂しかったのかもしれません。


「後ろ髪引くことはありません。来る者は拒まず、去る者は追わず、です」

 ノックスがこの話を納め、それ以上、教会へのお誘いをすることはありませんでした。



 ***



 朝食の片付けもアリエラさんが率先して手伝ってくださいました。

 3歳になったばかりのルノから目を離すことは難しく、エマルが常につきっきりです。そのため、一人に家事を手伝ってもらえるだけで非常に助かります。


 そして本日は祝日です。

 当教会では祝日の昼過ぎから、讃美歌を歌う集いを行っています。


 不便な立地の教会であっても、街から人が集まる貴重なお時間です。この際に募れる寄付は、教会の大切な運用資金になります。


「彼女は美声だよ」

 ノックスが、食器を片付けながらアリエラに語りました。


「あら、なら聞いていこうかしら」

 濡れ布巾でテーブルを拭きながらアリエラが答えます。


「是非、聞いて行ってください」

 私は唐突にノックスに褒められたことに少し照れながらも、アリエラさんをお誘いしました。


「……むう」

 そんな会話が聞こえていたエマルが、何故か不貞腐れていました。

 このときの私は、エマルの性格を十分に理解できておらず、彼女の感情を読み取れてません。

 この不機嫌な顔の理由も、私にはわかりませんでした。


「……なるほどねぇ」

 そんなエマルの不満の感情に、アリエラさんは気がついたのでしょうか。何かを察したのかのような声を出しました。


「ねえ、シスター。讃美歌の間は、ルノはどうしてるの?」

「その間は、エマルに見てもらっています。一緒に絵本を読んだり、積み木をしてもらっていたり」

「ふむふむ」

 考えが確信に至ったのか、今度はエマルのほうに向きました。


「ねぇ、エマルちゃん」

「気安く呼ぶなっ!」

 エマルがアリエラさんに声を荒らげました。朝食の時間帯も、明らかにアリエラを避けていました。未だに『赤ずきんレッドキャップ』の疑いを捨てていないのでしょうか。


「讃美歌の時間、私がルノくんを見ておこうか?」

「えっ」

「えっ」

 最初に驚いた声を上げたのが、エマル。次に声を出したのが私でした。


 このとき私は初めて、エマルの思いに気がつきました。同時に、たった10歳の子供が、ひたむきに願望を抑え込み、隠し続けていたことに気づかなかった自分に腹立たしさを覚えたのでした。


「シスターの讃美歌、聞きたいんでしょ?」


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