(その後の『二人』)
国王の護衛騎士であるアラン・カサルニィの元へ、側室であったミラ=アンネ・ファルムド・ケラーリンが嫁いでから早二年が経過していた。
ミラが他の側室たちに対して嫌がらせをしていたということで下賜対象となったのを皮切りに、他の側室たちがしてきた行為も徐々に明るみに出て次々と下賜され、そしてとうとう一人の女性が後宮に残り国王の正妃として迎え入れられた。
それが約一年前のことであった。
その正妃となったのはかつて男爵令嬢という低い身分にあってほぼ平民と変わらぬ暮らしをしていた女性であり、国王との純愛を経て身分差にも負けずに結ばれたこの話は国民たちの間で大層喜ばれたものである。
ミラは、他の側室たちがどのように過ごしているのかは知らない。
アランならば知っていようが、彼女は特に聞きたいとも思わなかった。
それよりもミラは自分の現状の方が問題であった。
彼女は転生者としてミラが愛を失った瞬間記憶を取り戻し、それを『本来のミラの死』として受け入れ、第二の人生を文字通り生まれ変わったものとして生きると決めたのだ。
幸いにもアランは『愛さない』と宣言までしてくれたので、愛に戸惑っていたミラの傷がまだ癒えない自分ものんびりと暮らせるだろうとそう思っていたら何故かあちらからアプローチされるようになり、最近では拒むのにも疲れてしまった。
かといって彼を愛しているのか? と問われるとそれは『なんか違う』のである。
転生者としての感覚もあるのだが、少なくとも記憶を取り戻す前のミラはどこまでも国王一筋で彼以外目に入らないと言うほどの情熱を持っていた。
それが失われて『貴方を愛しています、ちゃんとした夫婦になりたいです』と言われても困惑しかない。
嫌な気分ではなかったので、記憶を取り戻す前のミラもアランのことは嫌いではなかったのだろう。眼中になかっただけかもしれないが。
「アラン、ミラ。よく来てくれた」
「陛下……」
アランの立場上、その妻としてミラが社交界に顔を出す必要はあまりない。
そのため例の男爵令嬢が正妃として迎え入れられ成婚の儀を執り行った際も夫は警備として、そしてミラは自宅でのんびりとチューリップに水やりをしていた。
そんな中で成婚一年目の記念パーティーのようなものを開きたいと王妃が言い出した……とのことで、何故かそれに夫婦揃って『客として』招かれてしまったからあら大変。
ミラは少しだけ動揺した。
元より愛されて
勿論、今のミラは国王に対して恋情など欠片も抱いていない。
だが今のミラはそうでも、前のミラは違うのだ。
どちらも同じミラである以上、気持ちが揺れないとは限らない。
「ミラ様! わたし、ずっと心配でしたの……!!」
とはいえ国王夫妻からの正式な招待状を断るなどできるはずもなく、最低限恥ずかしくないだけの仕度を調えて参加したところでまさか直接声をかけられるとは思わなかった。
だがそれ以上に、ミラは驚いた。
(……陛下に、何も思えなかった)
怒りも、憎しみも、恋心も。
それを懐かしむ気持ちさえも。
これっぽっちも浮かばなかったのだ。
(驚いたわ)
自分のことだけれど。
そう思わず心の中で呟いて、ミラは王妃を見た。
かつて後宮の中にいた彼女は側室としては立場が一番弱く、常に質素な格好をしていた。
だがそれが清楚な雰囲気を持つ彼女をとても美しく見せていて、誰よりも陛下がその姿を見るだけで目を和ませていたことに何度腹を立てたことか。
ところが今の彼女はどうしたことだろうか。
似合わないほど派手な化粧にゴテゴテとしたアクセサリー。
ドレスは流行のものなのだろうが、彼女には似合わないデザインだ。
(……誰も注意しなかったのかしら?)
そうミラは思ったが、すぐに考えを改めた。
国王が他の側室たちを
そうして王妃になった彼女に何かを言えば国王の不興を買うと誰もが恐れたのではなかろうか?
本来ならば身分の高い女性が逆に低い立場の女性を、同じ妃として導く……など序列とはそういうものであったのだが、今回はまるで機能していない。
それは当然だ。
全員を同列の扱いにして競わせたせいで、機能しなかった。
そうしなければ男爵令嬢という立場だった彼女が正妃の座を勝ち取ることはできないから。
(……きっと苦労なさっているのね)
原作でも努力家であったことは示されていたが、本来高位貴族の令嬢が受ける教育に上乗せする形で王妃教育が足されるのだ。
それは下級貴族で平民と同じような暮らしをしていたという少女には厳しいものであるだろう。
逆にそこから開放されたミラは今自由を満喫しているのだが。
「わたし、ミラ様に謝りたかったんです」
「……謝りたい?」
嫌な予感がした。
ミラの記憶にあるあの『物語』はそうやって複数いた恋のライバルが一人ずつ消えていき、最後は『幸せな結婚をしました。めでたしめでたし』で終わったが、これは現実なのだ。
現実と言うことは続きがあって、続きは王妃として苦労する主人公、なんてことになっている。
パッと見ただけでわかる。
天真爛漫で可愛らしかった主人公は今や見る影もなく宮廷に毒されてしまっている。
国王の妻を見る目も、どこか引き気味だ。
「陛下の愛を、わたしが一身に受けてしまったせいで! あんなにも陛下のことを愛してくださっていたミラ様が追われることになってしまって……!!」
「妃殿下、それは」
「わたし、ずっと謝りたかったんです。許してくださいますか?」
にこにこと微笑んでいてもその目は笑っていない。
見下したくてたまらない、そういう目だ。
ミラには覚えがあった。他の側室たちの目だ。
(かつての自分もきっとそういう目をしていたのよね)
今となっては遠い昔の話だ。
ミラはただ「ありがたきお言葉にございます」で頭を下げるしかできない。
そのことに満足したのか、王妃はすぐに他の女性を見つけてそちらに行ってしまった。
残された国王は苦笑しながらそれを見送り、どこかホッとしているようだ。
「……妻がすまない」
「いえ」
「すっかり社交界から遠ざかっていたようだが、ミラ、その……元気だったか?」
「おかげさまをもちまして、夫によくしてもらっております」
「……そうか」
以前のミラであれば、国王からの言葉が自分に向けられただけでそれこそ天にも昇るような夢見心地な気分となったことだろう。
だがかつてのミラは死んだのだ。
今のミラには何も響くものはなかった。
「陛下」
護衛兵がなおもその場を動かない国王に声をかける。
他の客人にも挨拶に行かねばならない立場だ。
しかし国王の目はミラに注がれていた。
「……どうして」
(それを、貴方が言うのですか)
その『どうして』の意味がわからないほどミラは愚鈍ではなかった。
いくら転生したがゆえに性格やその他が変わろうと、培ってきた貴族令嬢としての矜持は胸にしっかりと刻まれている。
どうして変わったのか。
どうして自分を見ないのか。
あんなにも、愛してくれていたはずなのに。
そんなところだろうか?
アランに問われた時はまだ理解できた。不思議に思われても仕方ないと。
だがそれを国王が問うのは酷な話だとどうして気づいてくれないのだろう。
「……あの頃の私は、もういないのですわ」
「陛下。……護衛たちを困らせないでやっていただけませんか」
アランの言葉は取りようによっては酷く無礼であったが、それでもそれが許されるだけの関係を築いているため誰もそれを口にはしない。
今日のパーティーには他国の客人もいる。
そちらへ挨拶もせずにかつての側室であった女のところで足を止めているのは外聞がよくない。
「……ミラ」
国王は何かを言おうとして、口を噤みそのまま踵を返した。
かつてミラが愛した、誰にでも分け隔てない貼り付けたその笑みを浮かべて。
その背を見送って、アランがため息を吐く。
「悪かったな、ミラ」
「……いえ」
「陛下は今更になって後悔しているようだ。だからといってもう何も覆らない」
皮肉めいた笑みを浮かべながらアランは妻の手を取って、ダンスホールへと誘った。
アランは知っている。
あの正妃の選定によって奇跡のような真実の愛は実を結んだ。
だがその結果はどうだろうか。
たった数年で、王妃の教育を施しながら各国との対話。
側室を全て下賜してしまったがゆえに唯一となってしまったことからくる、跡取りをと望まれる重圧。
国王の愛を一身に受けるとされるがゆえに取られた距離と、取り入ろうとする小ずるい人々の甘言に踊らされる王妃。
彼女はもう、国王が愛した『素朴で天真爛漫な』少女ではなかった。
豪奢な暮らしを楽しみ、気に入らないことがあると癇癪を起こし、王妃の地位を振りかざす……最も国王が嫌う人種に変わってしまったのだ。
そして国王が、策を弄してまで望んだ妃であるがゆえに新たに側室を迎えることもできず悶々としている中で、唯一ただ愛を向けてくれていたミラを思い出している、なんて。
アランがミラに聞かせるはずがなかった。
「……そろそろ俺のことも意識してくれているか?」
「きちんと夫として認識はしております」
「愛するまでは遠いな」
「……私の愛は、一度枯れ果ててしまいましたから」
「そうだな」
くるりくるりと音楽に合わせて舞う妻は美しいと、アランはほうっと感嘆する。
愛を失い、そのことを『死んだ』とまで表現する彼女の愛は情熱的だった。
実際、彼女は枯れ果ててしまったのだろうと思う。
そんな彼女にかつての熱量と同じものを自分に向けてくれということがどれほどまでに傲慢で、酷いことかをアランは理解している。
だからこそ、新しい彼女の愛を望むのだ。
「いいさ、俺が愛を注ぐから」
「……アラン様」
「いつか、それが芽吹いてくれればいい」
愛の種はずっと大事にアランが持っていた。
使うことはないと懐にしまっていたが、共に育てる機会を得たのだ。
幸いにもミラはもう彼の『妻』なのだ。
誰かに横から攫われる心配もそうなく、社交界から遠ざかりたがる妻を腕の中に隠しても誰も咎めるものはいない。
唯一、国王だけが非難めいた目を今もアランに向けていたが、もはや知ったことではないのだ。
なにせ、唯一愛に生きていた彼女を手放した本人なのだ。文句を言う権利はない。
アランはそっと妻を国王の視線から遮るように抱き寄せた。
明日は嫌味が三杯マシかななんてアランは思うが、それでもミラを愛していくと決めたのだ。
「……でも、嫌いじゃありませんわ」
こっそりと、秘密を打ち明けるようにそうミラが告げる。
アランはその言葉にふっと笑って彼女の手を取ってパーティー会場を後にするのだった。
愛に死に、愛に生きる 玉響なつめ @tamayuranatsume
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