第13話 王の才覚

西の離宮。

かつて、俺たちが住んでいた場所。


王妃は半年以上、ここに幽閉されている。


「えっ?お父様?王様、これは一体?」

王妃の言葉に、俺は違和感を覚える。

なんというか、少女のような無垢な表情を浮かべていたから。


実の兄を見て、父だと言った。

兄上を見て、息子ではなく王様と――。


「ルーズよ……可哀想に……」

元公爵はそう言って、王妃を抱きしめた。


「その声は、お兄様だわ。お父様が私をだきしめてくれるわけないもの……」

そう言いながら、泣き出してしまった王妃を、俺は眺めている。


「母はね、心が壊れてしまった――自分の事を嫁いで間もない頃だと思い込んでいるのだ」


そう言う兄上の目は憂いでいる。


かつて俺の母を追い込み、心も身体も壊した王妃が。

この西の離宮で心を壊したなんて、なんと皮肉なものか。


ひとしりに泣いた後、元公爵から王妃は身体を離し、俺を見つけた。


「ひっ!アーチェ!」

怯えるように俺を見つめる姿は、かつての威厳も尊厳も傲慢な態度も、そこにはない。

俺が1歩踏み出せば、泣き叫ぶように言葉を発する。


「ごめんなさい、ごめんなさい。私は王様を取られたくなかったの!貴女を憎んで憎んで追い詰めてしまった!もうあんな事しないから許して!」

そう言って、俺に足に縋る。


「止めないか、ルーズ。アーチェ様が戸惑っていらっしゃる……」

「はい、父上」


元公爵が王妃に手を伸ばし、抱き上げると王妃は嬉しそうに微笑む。

「ふふ」


無邪気に笑う姿に、俺は呆気に取られて見ていた。


「――ハリス殿下、ユーリス殿下。私が責任もってルーズを……」

「ああ、頼むよ。叔父上以外預けられる人、いないからね」

「もちろんでございます」

「行こう、ユーリス」


兄上が先を歩き、俺は連れらるように離宮から外へ出た。

扉が開く瞬間、王妃の嬉しそうな声が聞こえてきた。

「お父様が来てくれたなら、きっと先王様とお喜びになるわ」

と。


「多分、きっかけはルカンと、アーチェ様の死だ。影から何度か会っているのは報告を受けていたからね。恐らく、僕の秘密を知ってしまったから……」

兄上はそう言うと、寂しそうに微笑んだ。


「ミラ様には?」

「言えるわけないだろう!」

兄上は足を止めて声を荒げる。


自分の母が壊れていく様を見るのは辛い。

俺はまだ幼い頃だったけど、母が俺を他人のような目で見ることに寂しさと傷つけられたような痛みを伴って襲いかかるはずだ。


できれば見たくなかったはずだ、こんな姿は。

だけど、自分よりもグッティス元公爵に懐く姿は、兄上は傷つけられたのだと思った。


(感情を荒げるような事がない人だから。俺たちはそう育てられてる)


そしてミラ様に教えてない理由も、なんとなくだが分かる。

彼女に不安を与えない為だろう。

王族に嫁いだ女性の姿だと、捉えられるのを恐れている。

俺もセラには、教える気になれないから。


「父上は?」

「何も――一度も離宮へ会いに行こうともしない。父上の心はアーチェ様にずっとあるからな。母の事を憎んでいるだろうよ」

そう言い切る兄上の顔は暗い。

冷めていた夫婦関係だろうが、両親はずっと一生両親だ。


(だが本当に父上は訪れてないのだろうか?)


去り際に聞こえた、先王様が――父上な気がしてならない。

王家の影は、主人は父上だ。

兄上に秘密にしてる可能性が高い。


(何故兄上に秘密にしてるかは、分からないが……)


俺の知ってる父上は、感情が乏しい。

というか、感情を露わにしてるのを見たことがない。


穏やかに微笑んだりしてる時もあるが――基本何を考えているか他人に読まさないようにしていると思う。

国王だし、それも同然なのだが、家族としては少し寂しい。

セラの家族との差に、俺は愕然としたのはこのせいだ。


「実は母上がこなしていた執務が、滞っていてね――あんな母上だけど実務は出来たんだよ」

兄上は苦笑いを浮かべながらそう言うと、歩き出した。


ゆっくりと、兄上の後ろをついて歩く。

背中はどこか寂しそうで。


「兄上、俺がいる。兄上の家族は」


以前なら、こんな言葉かけてなかったと思う。


(兄上の秘密を打ち明けてもらえたからだろうか。それとも、俺が心底人を好きになったからだろうか)


以前よりも、物の見方が変わってきた気がする。


俺の言葉に兄上は足を止め、俺の方を向いた。


「――ユーリス。ありがとう」

少しはにかんだ表情は、少年の頃の顔と同じに見えた。


俺を窮地から救おうとした姿に……。


「ユーリス」

「シリウス義兄」

俺がそう呼ぶと、義兄は少し照れたような顔をした。


「なんだか殿下にそう呼ばれると、恥ずかしいやら、何やら……」

「――シリウス、ユーリスに用があるのだろう?僕は先に戻る」

兄上がそう言うと、後ろ手に軽く手を振り去って行った。


「それで、どうした」

「ああ、陛下が呼んでる」

「父上が?」


王宮に戻って3日。

顔を合わせる事のなかった父上。


(何があるというのだ……)


「ユーリス、大丈夫だ。陛下はお前の父親だ」


いつでも父親である前に、国王だった父。

情などないものだと思っていた。


「ああ、そうだな」

そう答えると、俺たちは王宮へと足を向けた。


******


王宮内の父上の私室。

普段は決められた使用人と、チェスの父である宰相以外は出入りしていない部屋。


「本当にここで合ってるのか?」

「ああ――」


シリウスは足を止めると、扉の前に立った。


「俺はここで待ってる」


この先は1人で行けということだ。


「分かった」


実の父なのに、何故か緊張する。

1つ息を吸い込み吐くと、扉をノックした。


「ユーリスです。父上」

「――入れ」


扉を開けると、父上が軽装で立っていた。


「――よく来た」

中に促され、扉を閉めると、部屋を見渡す。


そして驚いた。

部屋の中で存在感があるのは、母上の若き日の姿の絵。


(この部屋は、父上の心なのかもしれない)


誰かれ構わず部屋に立ち入る事が許されない部屋。

まさに父上の心のようだと思った。


父上手ずからお茶を注ぎ、ソファに腰掛けるよう促された。

カップを2つ置き、父上は俺の前に座った。


「――益々アーチェに似てきたな、ユーリス」


母上の葬儀の時、顔を合わせたきり、だが私的な会話らしい会話はなかった。

事務的なことだけだった。


「――何故、兄上に王妃の元へ通っていると言わないのです?」

「――会ったか」

「はい、グッティス元公爵と共に」


父上は深く息を吐いた。


「――今更、どの面を下げて気にかけていると言える」

「それは……」

「わたしの至らないところが、ルーズを追い詰めたというのに」


父上は父上なりに、苦悩しているのだ。

王としての顔と、夫としての顔。

そして母上に向けてきた、男性としての顔。


「お前は、儂のように……ならぬか」

「なりません」


俺が言い切ると、父上は笑った。

あまり見たことのない表情に、俺が驚く。


「――儂は退位し、ラティスの宮殿へルーズ達を連れて行く。その後の事は聞いたな」

「はい、父上」

「お前には苦労をかけた。だが、父が自ら教育したお前に儂から言える事は何もない。お前は王に向いてる。ただ――」


父上は言葉を切ると、頭を下げた。

「今更こんな言葉、聞きたくないだろうが、儂なりにお前達親子を愛してた。だからすまなかった」


(この人は、不器用な人だったのだな……)


以前の俺なら、謝罪なんて突っぱねていただろう。

だけど――。


(こう思えるのはセラのおかげだな)


「謝罪は受け取ります。だから長生きして、俺を見てて下さい、父上」


俺の言葉に父上は顔を上げると、安堵したような柔らかな笑みを浮かべた。


「お前の変えたのは、サウスナ侯の娘だな」

「はい。何があっても、離しません」

「そうか――」


そう言うと、父上はお茶を飲む。

その表情は俺が見た中で、1番穏やかで、慈愛に満ちた表情だった――。


その後、父上の退位と俺が次期国王と発表されたのだった。

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