第8話 覚悟を決める時

俺はセラを連れ立って、サロンに足早に移動した。


自分が預かり知らぬところで、事態が大きく動いているように思う。


(嫌な予感しかしない――)


柄にもなく震える手を、セラはしっかり握り返してくれている。


(焦っている俺に気づいてくれるのだな……)


サロンへ向かう道中、何も言わずについてきてくれるセラに感謝した。


兄上は昔から決して、王妃のように俺を侮辱した目でみることはなかった。

むしろ、可愛がってくれていたと思う。


だが母親の王妃も大事にし、穏やかで優しすぎる人でもある。

あまり波風を立てるような事を好まない人だ。


(そんな兄上が、こんな大胆な行動をするなんて、絶対何かある)


王妃は現在、西の離宮で軟禁されていると聞いている。


(譲位か……?)


先代であるお祖父様も生前譲位している。

父上がそれを倣って、同じように譲位する事はあり得ない話ではない。


父上は、あえて王太子を指名してこなかった。

意図は何か分からないが、何かの考えがあっての事だろうとは容易に考えつく。


(何を考えておられる……父上、兄上)


国王という孤道の存在である、父の考えは計り知れない。


(だけど、何か秘密がある)


俺が知らない何か。

それが全ての原動力になっていると思う。


(それが明かされる時なのかもしれないな)


俺にも聞く覚悟が必要だと思う。


(恐らく聞いてしまえば――後には引けないだろう)


何を告げられたとしても、俺達はもう巻き込まれている。 

その予感は扉を前に、さらに強くなった。


「――ユーリ様」

優しく、俺の名を呼ぶ愛しい存在。

手を力強く握り返され、しっかりと俺を見据えた。


「何があろうとも、私はユーリ様の味方です」

「セラ……」


このまま抱きしめてしまいたい。


(まったく、こういうところだ……俺は一生、彼女に恋し続けるだろう。多分、一生彼女には敵わない……)


俺は、気持ちを落ち着かせるために、息を吐いた。


「こんなところで、そんな可愛い事言わないで、セラ」

そう言ってセラの頬を触ると、憂いだ目で俺を見た。


(心配かけたのかもしれないな)


いつもの余裕ある態度はどこへやら。

ここに来るまで、俺は緊張してたから。


だけど、彼女のお陰で決意がついた。


(迷っていても仕方ない。もう走り出したのだから)


俺の預かり知らぬところで始まってしまったものを、俺は止める事は出来ないのだから。


「行こうか、セラ」


俺はサロンの扉を開けて、中へ入った。


******


「ユーリス」

兄上はいつもの穏やかな笑顔を浮かべている。


「ユーリス殿下、セラフィーナ様」

隣に座るミラ様も、優しい笑顔を浮かべている。


「お久しぶりです。ユーリス殿下、セラフィーナ嬢」

兄上の後ろに立っていたのは、側近であるチルディの姿だった。


俺はセラを伴って、兄上達の前へ座った。

握っている手は、お互いに離さない。


「――チルディア、少し4人で話がしたい。部屋の前で待っていてくれるか?」

「畏まりました……」


バタンと扉が閉まる音がし、兄上が口を開いた。


「さて、どこから話そうか」


「兄上もミラ様も、お痩せになられた。大丈夫なのですか?」

「――母上の仕事を3人で分けてやっているからね。通常業務も並行してやっているから。ミラにも迷惑をかけている」

「私は、そんな……」

そう言いながら俯くミラ様は、少し震えて見える。


「時間もあまりないからね、本題に入るよ」

兄上はそう言うと、懐から一通の手紙を出した。


封蝋は王家の紋章。

しかも赤い封蝋は、緊急であるが黒よりも秘密度は低い。


「君達宛だ」

兄上はそう言い、机の上に手紙を置いた。


俺は手紙を開け、中を見る。

「国王、退位……」


発表する日付は丁度、俺たちの結婚式の予定を立てていた日に近い。

俺の呟きに、隣に座るセラがびくっと身体が動いた。


「――退位なさるのですね」

「ああ、父上が生前譲位なさる。秘密裏に動いているのもあってね。中々骨が折れる――悪いが、君達の結婚式は延期してもらう他ない」

「――おめでとうございます」


全てを飲み込み、俺はそう返事した。

これで長年俺を苦しめてきた問題に、終止符が打たれる。

兄上が即位すれば、兄上の子が生まれるまでは、ただ単にスペアなだけだ。


「――そうじゃない。先を読め。次はお前だよ、ユーリス」

「えっ」

「――どういう事ですか」

セラの驚愕の声が聞こえ、俺達も手が震えているのがわかる。


それは決定事項。

覆すことは許さない、穏やかな兄上から発せられたとは思えない声だった。


「何故……」

「母や叔父上、従兄弟が起こした事件。僕は王にはなれない」

「それは……」

「関係ないわけじゃないんだ。特にルカンは俺の秘密を知っていて動いていたから」


そう言い、言葉を一度切ると、兄上は苦渋に満ちた顔をした。


「俺には子は出来ないんだ、ユーリス。その意味は――分かるだろう」


子が出来ない――。

ガツンと頭を殴られたような衝撃が、俺を襲った。


「10歳の頃、高熱を患ってね。ユーリスはその時もう王宮にはいなかったから、知らなかっただろう。そのときに医者から言われた。ある程度大人になってから検査されたけど、答えは同じだった」


全てをすでに達観したような声。


「お、王妃は、この事は……」

知らずに俺の声が震えていた。

怒りなのか、何なのか俺にも分からない。


「知らない。知っているのは俺以外には、お祖父様と父上とその時の医者、そして俺に仕えてくれていた当時の従者、宰相、ミラ。今は父上の譲位の話で一部の高官だけは知っている」


(どうして、俺は――)


この事実を王妃が知ってしまえば、俺だけではなく、父上や王宮から追い出した母上さえも、もっと追い詰められていたのではないかと思う。


兄上が10歳の頃は、俺はもう王宮にはいない。

この事実を知らなくても当然だ。


だけど、王妃が知っていたら――。


(ここまで俺が、執拗に命を狙われる事はなかったのではないか?)


その疑念が頭を過る。


その才覚を隠しておけと、本来の姿を偽れと兄上に言われたのは、俺が王宮へ戻ってきてすぐだ。


(俺を生き延びさせる為だということは、分かってる)


兄上は俺にまで優しい。

偽りない心で、接してくれたのは事実だ。


だけど、この事を秘密にしたせいで犠牲になったと思わずにはいられない。


(そうでなければ、俺はもっと違う人生を歩んで来れたのではないか――)


「お前は強かった。お祖父様に鍛えられ育て上げられて。だから今まで隠してこれた。光が強いほど、他が霞んで見えるからね。だけど、ルカンに知られてしまった」


だから執拗に俺の命を狙ってきたのかと合点がいく。


(だとしても、俺は――)


そんな時。

震える手を握ってくれる、暖かい存在に気づいた。

自分自身も不安であるはずなのに。


(ああ、そうか。こんな俺でなければ、彼女と共にいることはなかった)


俺が別の道を歩いていたら、こうやって心を通わせる存在に出逢えなかったのかもしれない。

初恋の彼女に再び出会える事も。


俺があの下町で隠れ屋敷を持っていなければ。

偶然、セラを助ける事はなかっただろうと思う。


(起きた過去には、もう戻れない――)


それなら、これからの事を考える方が良い。

暗い暗闇に光が差し込むように、俺の心を包んでくれている存在に、真っ黒に染まりかけた思考が、冷静にクリアなっていくのを感じる。


「今は、まだ表に出ていない。知っている人間は最低限の人間だけだ。だが――ユーリス達には、直接言いたかった。今まですまなかった」

兄上とミラ様は、2人揃って頭を下げた。


「――2人ともおやめください」

俺の声は、もう震えていなかったと思う。


「僕の派閥はほぼ虫の息だ。グッテイス公爵家があのようになったからな。1年以内に父上は譲位する」

兄上は、強い決意を滲ます言葉を発した。


「1年……」

隣に座るセラが呟くように言う。


(短いな――)


それまでにこなせなければならないことは山積みだろう。

王宮の事だけでなく、この地の事も考えなければならない。


「だから覚悟を決めろ、ユーリス。お前が拒否すれば、この国はなくなる」


(逃れられない運命のようだな……)


絡みついて、俺から離れようとしない。


お祖父様からもずっと言われていた事だ。

『いつか王になれ』

と。


それが現実味を帯びてきて――。


(逃げる必要などない。俺の中で覚悟は出来ていたのだ。セラと共にいるのであれば、どんな道でも進むだけだ)


「――ここには僕が来るよ。ミラも気に入ってくれたみたいだし」

そう言って、ミラ様の方を向く兄上は優しく見つめていた。


だからこちらに来て、セラについて回り仕事を確認していのかと合点がいく。


「時間があまりない。だが、セラフィーナ嬢――もう家族だならセラちゃんで良いか。大丈夫だ。ほぼ王妃教育も終わっていそうだ」

「えっ」

「きっと、お祖父様に会った事があるのだろう?お祖父様大好きだったサウスナ侯が、君達兄妹を連れて会いに行っていただろう」

「――私、覚えてなくて……ただ先王の葬儀で人目を憚らずに父が泣いていた事だけは、覚えています」

セラはそう言うと目を伏せた。


「――お祖父様は未来を見通す力があったんじゃないかな?きっとかなり高度な教育を受けてきたはずだ。そうじゃなければ、1人でこの地を回す事なんて出来ないからね」


兄上はこの地でのセラの仕事ぶりに、そう感じたのだろう。


「準備が整い次第、王都へ戻れ。レミアムは仕込んでおいたから王宮でも仕事は回るだろう」

そう言うと、兄上とミラ様は立ち上がる。


「――ああ、そうだった。帰る時は俺も同行するよ。2、3寄りたいところがある。ルカンの居場所も掴んでいるからね」

「アイツはこの国に――」

「ああ、だが腑抜けのような状態らしい。ユーリス、何か仕掛けていただろう?」


兄上の問いに、俺は頷く。


「まったく、お前には敵わないよ」


兄上の笑顔は、とても晴れやかなもので。

全てを吹っ切って現実を受け入れていると、そう思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る