第11話 呼び方一つで変わっていく関係

夕食をいただき、湯浴みもしてベットで横たわるけど――。


(眠れないわね……)


私は起き上がり、本棚を漁ることにした。

私室は片付けの為、今日は夫婦の寝室にいた。


(今日は色んな事がありすぎた)


あの様子だと、フルール様は激しく叱責されたことだろう。

仕方ないこととはいえ、何だか後味が悪い。


(私に何が出来ただろうか……)


殿下に気圧され、何も言えなかった。


(あれが本来の彼の姿なんだわ)


1つ本をとるけど、手から溢れ落ちる。


(フルール様にも幸せになって欲しいなんて、傲慢かもしれない)


彼女の好きな人を奪ったのは私だ。

そんな私が同情すべきではないことは分かってる。


(だけど――)


私は恋の苦さも知ってる。

だから何か出来たのではないか……。


(考えても仕方ないことなのはわかってるけど……)


考えずにはいられなかった。


コンコン。

扉をノックする音。

それも廊下に続く方ではなく、殿下の私室のほうから。


夫婦の部屋だから、私の私室へ行く扉もついているのと同じで、殿下の私室にも繋がっている扉がある。


私は薄着の夜着の上に1枚羽織り、扉を開けた。


「眠れない?」

殿下に優しく見つめられて、思わず私は俯く。


殿下も夜着に着替えており、引き締まった筋肉がよくわかる。


(こんな素敵な人、好きにならないわけはない)


「少し話しようか」

そう言うと、殿下はお酒の入ったボトルを持って、夫婦の部屋に入ってきた。


私はグラスを手に、ソファへ座る。

その隣に殿下も座った。


「フルールのこと、気にしてる?」


殿下の問いに、私は頷く。


「セラは優しいね」

殿下はそう言いながら、お酒をグラスに注ぐと、1つを私に手渡す。


「優しくなんか……ありません」

本当に優しいのであれば――殿下を譲る事を考えていたはず。


でも私は出来なかった。

この手を離すことが出来なかったのだ。


「ねえ、セラ。そろそろ殿下呼び止めない?」

「えっ」


昼間、チェスター様にも言われた事だ。


「俺は王子ではあるけど、1人の人間だよ」

「はい……」

「しかもセラは婚約者。それも公認の。なのに、いつまでも殿下呼びされると――俺自身も嫌だけど、周りが、ね」


踏ん切りがつかなかったのは、私自身だ。

必要以上に殿下に踏み込む事が、怖かったのかもしれない。


信じていたレミアムに裏切られて、苦しんで。

殿下は違うのに――。


「わかり、ました」

そう返事すると、殿下は私の頭を撫でた。


「ごめん。本当は、無理強いするつもりはなかったのだけど」

その言葉に、私は首を横に振る。


「私に覚悟が足りなかっただけです……」


殿下に自分を曝け出すことも。

そして曝け出される事も。


婚約をする時点では、レミアムとの婚約解消しか頭になかったから。

一気に縮まる距離に、私の覚悟が足りなかったのだ。


「セラなら、呼び捨てで構わないのだけど――母上はユーリと呼んでいたな」

「ユーリ様……」

繰り返すように呟くと、殿下の顔が一気に赤く染まった。


「何というか……本当は呼び捨てで良いのだけど、そう呼んでくれる?」

「はい……」


そう返事すると、殿下の腕の中にいた。

少しだけ香ってくる、お酒の匂い。

だけど、とても安心するいつもの匂いだ。


「これはヤバいな。こんな顔してたら、あいつらに何言われるか……」


しばらくそうしていただろうか。

ユーリはそっと私を離した。


「これ以上、ここにいたら――うん、ヤバいな」

そう言うと立ち上がった。


「向こうに戻るよ。セラはゆっくり休んで」

そう言うと名残惜しそうに手を握る。


(なんだか離れ難い……)


だけど、今はまだこれ以上踏み込むことは――まだその覚悟は出来ていない。


2人で手を繋ぎながら、殿下の私室に続く扉の前まで来た。


「それじゃあ――」

そう言い手を離そうとした時、殿下の私室の扉がノックされた。


『フルールです』


「ユーリ様……」

扉の前の声に、私は思わずユーリの手を力強く握った。


ユーリ様は怖いくらい、強張った顔になると、

「大丈夫だ」

私の耳元でそう呟いた。


(ユーリ様は私を裏切らない……)


私は、頷いて手を離す。


(信じて良いのよね……)


ユーリ様は大きな声で返事した。


「何用だ」

『中に入れてもらえませんか?』

「こんな時間に、何を考えている」

『最後にお話だけでも――』

「明日会えばいいことだ。今日は帰れ」


だけどフルール様の啜り泣くような泣き声が聞こえてきて、殿下は溜息をついた。


「分かったよ……入って来い」


扉が開いて、フルール様が入ってくる。


身体の線がよくわかるような、薄い夜着。

彼女が何を思って、ここに尋ねてきたか分かってしまった。


(それ程までに、ユーリ様を……)


俯いたまま彼女は扉を閉めると、振り返って私達を見た。


「なんで……」

大粒の涙が、フルール様の頬を伝っている。


(私はここにいてはいけない)

そう思って夫婦の寝室に戻ろうとしたけど、ユーリ様の腕によって阻まれた。


「――ユーリ様……」

私の言葉に、フルール様の肩がビクッと揺れた。


「あはは、そうだったのね」

乾いた笑いの次の瞬間、フルール様は泣き顔から嫉妬に顔を歪めた表情に変わった。


「もう良いだろう。帰れ」

ユーリ様は冷たく突き放したように言う。


「くっくっく、あはははは!!」


狂ったように笑うフルール様から守るように、ユーリ様は私の前へ出た。


「セラフィーナ様――私のユーリスを返して?その為に、ここで死んで?」

フルール様は隠し持っていた短剣を、私めがけて振り下ろそうとした。


(せめてユーリ様を――!)


私は、ユーリ様を庇うように前へ出ようとした。


次の瞬間。キーンとした、剣と剣がぶつかる音が聞こえた。


「フルール!やめろ!」

扉が開いて、私達の前に瞬時にアーサー様が現れ、剣で短剣を凌いでいた。


「邪魔しないで、アーサーお兄様」

フルール様の目は、完全に闇に覆われている。

どす黒い嫉妬の目だ。


「やめるんだ!もう諦めろ!そんなことしても意味がない!」

「そんなもの、やってみなければわからないじゃない」


そう言うと、フルール様は後ろへ飛び、短剣を構え直す。


「――お前がセラを殺したら、私も後を追って死ぬ」

「ユーリ様……」


ユーリ様のその言葉に、フルール様はハッとしたように私達を見た。


「そんなに――私はずっとずっと、ユーリスの事が好きだった」

「好きになるのは早いもの勝ちとか、理屈じゃないだろう!フルール!」


アーサー様の悲痛な叫びが届いたのだろうか。

目を見開き、フルール様は短剣を落とした。

そのまま項垂れるように、膝から崩れ落ちる。


「フルール様……」

私はフルール様の元へ行こうとしたけど、ユーリ様によって止められた。


(だけど、ここでちゃんと伝えないと――フルール様は先に進めない)


私はユーリ様の手一度ぎゅっと握ってから解くと、フルール様の前へ立った。


アーサー様は短剣を拾い、まだフルール様に剣を向けている。


「――私、貴女の気持ちにはまだ追いつけてないかもしれないけど、ユーリ様の事、好きです」

「セラ……」


ユーリ様は私の後を追って、すぐ近くまで来ていたようで、そのまま肩を寄せられた。


「あんまり無茶しないでくれ――俺に心臓がもたない」

ユーリ様は、真っ赤になった顔を片手で覆う。


「ユーリス!フルールに変な事吹き込んだ使用人、捕まえたよ!」

チェスター様の元気な声が、部屋に響く。


「チェス、遅い……」

呟くように言った、ユーリ様の言葉になにが行われていたか察してしまった。


私は、ほっと安堵の溜息をついたのだった――。


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