第6話 フルール様
フルール=エデフィス。
辺境伯家――王弟の子供4人兄妹の末っ子で、唯一の女の子であり、王弟自身にとても可愛がられている。
この地で産まれ、剣術の才もありながら、淑やかな美人。
(聞いてはいたけど――1つ下とは思えないほどの色気だわ)
鍛えられた四肢は、出るところは出、引っ込むところは引っ込んでいる。
しかも顔立ちも、ごついイメージの辺境伯とは似ても似つかない美形。
大きなエメラルドグリーンの瞳に、綺麗に手入れされた萌葱色の長い髪。
背も私より高く、長身の殿下に寄り添っている姿は絵になる。
今日も今日とて、殿下にまとわりつき、殿下が休憩しようにもとすると、どこから聞いてきたのか、お茶とお菓子を持って、本邸の執務室へやってくる。
(ここの使用人は、みんなフルール様の味方なんだわ)
使用人達も入れ替わることもあり引き継ぎなどで、本邸のどこにでもいる。
殿下が王都から連れてきた使用人よりも圧倒的に多いし、執務室の前に立つ兵士も皆、辺境の兵士達。
(殿下が連れてきた離宮の侍女さんたちや、うちの侯爵家から連れてきた侍女さんたちが私の周りにいるから、危害を加えられることはないけど……)
それにしても王命の婚約者がいる殿下に、距離感が近すぎる。
殿下が庭を散策しようとすれば、ついていき腕を絡ませ、さも自分が婚約者のように振る舞っているのだ。
そんな2人も姿を見ると、胸が痛い。
(思ってるよりも、ずっと殿下のことを好きになってる)
本当は側に寄り添いたいのは、私。
あの人の隣は、私の立ち位置なはずなのに。
嫉妬で心が真っ黒に塗りつぶされそうだ。
出来るだけ視界にいれたくてなくて、殿下の側から離れようとするけど。
私の姿を見つけると嬉しそうに微笑み、そして手を絡めとるように繋ぐ。
(こんな心がささくれている時に、お会いしたくないのだけど――)
殿下の温度に安心している、自分もいて。
繋がれた手を、安易に離せないでいる。
そんな私を射抜くような目線で見つめる、フルール様。
(フルール様は、本当に殿下がお好きなんだわ)
その真剣な眼差し、殿下にだけ見せる熱っぽい視線。
(アーサー様は、しきりに私に謝ってくれるけど……)
湖畔の一件で、私を敵視してしまったことを平謝りされた。
その思いが嘘だとは思えない。
だから、もうアーサー様のことは私は許しているし、気にしていないのだけど。
(殿下が許してくれる気配が、ないのよ)
今日も完全に執務室から締め出されている姿を見ると、可哀想な気もしてくる。
引き継ぎ期間は2週間。
事務的な引き継ぎを終えれば、次は現地に赴き、そして最終調整をする。
事務的なことは、もっぱら辺境伯の長男が行ってきたようだから口を出す事がないとしても――。
「お嬢様、少しお休みになられては?」
クレアはそう言うと、私に紅茶を差し出す。
「ありがとう」
読んでいた資料を一旦閉じ、私は紅茶を一口いただく。
(私の心の内が見えているようね)
リラックス効果の高い紅茶を選ぶあたりが、流石としか言いようがない。
「殿下も、もっと強く拒絶されても、いいと思いますのに……」
「幼馴染と聞いているわ。しかも従姉妹ですもの。仲違いする気はないと思うわ」
そう、殿下は至って普通に拒絶しているけど、掴まれた腕を無理に引き離そうとはしないのだ。
妹みたいな存在――殿下には、実際に妹はいらっしゃらないから、従姉妹でもそう思っていらっしゃるのだろうとは思う。
それにアーサー様、辺境伯様からフルール様に何かいうと、悪手にしかならないのだ。
それを聞いた使用人達が、さらにフルール様を応援しているように見えている。
「辺境の使用人達が、もっぱら噂してますわ。殿下の愛妾に収まるつもりだと」
「愛妾……」
侯爵家から連れてきた侍女の1人、メリアはそう言い憤慨している。
「こら、メリア。憶測で申し上げるのではありません」
「すいません、お嬢様」
「いえ、いいのよ」
辺境の使用人の達の話は、きっとうちの侍女からではないと聞くことが出来ないだろう。
だから教えてくれることを、咎める気はない。
だけど――。
(愛妾にされるおつもりだから、強く拒絶されないのかも)
先王も、今の国王も、側妃がいるのだ。
ユーリス殿下の母上も側妃だ。
だから正妃だけではなく、側妃も娶るおつもりで……。
王族の価値観は、一介の貴族でしかない私とは違う。
うちの父上には愛妾はいないけど、高位貴族で珍しい話でもない。
だけど私は――。
(私だけを愛してくれる人が良い)
我儘かもしれないけど、貴族女性としては失格かもしれないけど……。
でも価値観が違う殿下に、それを求めてはいけない気がする。
(我慢していくしか、ないのかしら)
年月が経てば、この感情に折り合いがつけるのなら。
(好きになりすぎてはいけない)
レミアムに対して抱いていた、穏やかな思いとは違う。
殿下に対しては、激しく熱い、ドロドロとした思いが渦巻いている。
まるで感情のコントロールが効かないみたいに。
レミアムとソニア嬢との噂が出回っていた時、私は冷静に対応していたと思う。
実際にこの目で見なければ、あそこまで苦しまなかったのではと思う。
だけどユーリス殿下に対しては――。
「お嬢様、ジュリアス様がおいでですが……」
私は、はっとしてクレアを見つめる。
どうやら紅茶が冷めてしまうほど、熟考していたようだ。
「もうそんな時間なのね。お通しして」
ジュリアス様とお兄様と話し合いをするため、ジュリアス様の休憩時間に部屋に来てもらうよう、お願いしていたのだ。
「おや、シリウスはまだでしたか。少し早すぎましたか?」
穏やかな微笑みを浮かべ、ジュリアス様は私の向かいに腰を下ろした。
「いえ。大丈夫ですわ」
「せっかくですから、少しお話しよろしいですか?」
「はい」
クレアはお茶をジュリアス様に差し出すと、他の侍女たちに目配せをして、自身は壁際にたつ。
いくらジュリアス様でも、男女2人きりにはさせない為だ。
「殿下――ユーリスは、異性との距離感があまり分かってないのですよ」
「えっ」
まさに私が今悩んでいたことが分かっていたかのように、ジュリアス様は口にした。
「フルール様は、殿下と幼馴染。アーサーとも幼馴染。この違いは殿下の中にはないのですよ」
「違いがない……」
ジュリアス様の言葉を噛み締めるように、私は呟く。
「つまり異性と接していることで、貴方がどんな思いでいるか、考え至らないということです。セラフィーナ様が嫌な顔1つでもされれば気づくでしょうが――そのような事、貴族として育った貴方が出来ないでしょう」
「はい……」
淑女教育を培ったことで、きっと他人の前で感情を露わに出来ない。
外交では感情を出した方が負ける――幾つもの会談を見学してきて知っている。
だから私にはきっと出来ない。
「ユーリスは貴方に執着を見せ始めてる。騎士団長の息子に嫉妬するくらいなのですから、自分に置き換えてみれば――とは思いますが。あまりに酷くなるようなら、私から申し上げますから。王都から来た者は皆、貴方の味方です。だからあまり気になさらないで下さい」
ジュリアス様の言葉に、私は心が軽くなるのを感じる。
どす暗い中感情の沼から、私を引き上げてくれたようだ。
「お嬢様、ジュリアス様、シリウス様が来られたようです」
クレアの言葉に、私達は顔を見合わせて微笑む。
「ありがとうございます、ジュリアス様」
「ふふっ。私達は貴方に救われてるのですから、これくらいお安い御用です」
(私がジュリアス様達を救ったことなんて、あったかしら?)
ふと疑問に思ったけど、お兄様の登場に私の思考は別の方向へと向かっていった。
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