4 いろんな話がしたい

 登坂さんと、いろんな話がしたい。好きなアーティスト、好きな漫画、好きな弁当のおかず、苦手な科目、将来の夢。


 夏休み序盤のとある日、そういう話をする夢をみて、嬉しすぎて跳ね起きて「夢だったか……」と呟いてしまった。しかも僕が勝手に喋るシーンで夢は終わっている。なぜ跳ね起きた!!!!

 その日の昼ごはんのあと、メッセージがきた。僕は自転車でショッピングセンターに向かった。


 きょうは登坂さんの私服を見られるのか。僕は前回と変わり映えしないグラフィックTシャツにデニムなのだが。


 夏の空には、大きな入道雲が浮かんでいた。太陽がじりじりと道路を照らしている。逃げ水を眺めてから、ショッピングセンターの駐輪場に自転車を停めた。


 フードコートでは登坂さんが例のちっちゃい将棋の本を見ている。いつものタブレットもある。登坂さんはさらっとした薄い青のワンピースを着ていて、色白な顔や腕にとてもよく似合っている。


「登坂さん」


「あ、マドノくん。じゃあ指そうか」


「その服かわいいね」


「流行りをガン無視した定番スタイルだからね、だれにでも似合うようにできてる」


 登坂さんはそう言ってニヒヒと笑った。勝負の前にちょっと聞いてみる。


「なにか、将棋が強くなる勉強法ってある?」


「うーん、詰将棋がいいんじゃない? あとはえねっちけー杯」


「えねっちけー杯……って日曜日にやってるあれ?」


「うん。将棋フォーカスの講座はだいたいちょっと難しいから無理に見るものじゃないけど、えねっちけー杯は観るだけで将棋が強くなる魔法の番組だから。あと詰将棋はね、最初のうちはとにかく簡単な一手詰をひたすら解きまくって詰みの形を覚えるといいよ」


 登坂さんは小声の早口で言う。フードコートなので子供さんたちがゲーム機を持ち込んで通信プレイをしていたりして騒がしいのだが、登坂さんの声には「伝えねば」という意志でもこもっているのか、やたらはっきり聞こえた。


「アベトナは面白いけど早すぎて手の意図が分かりづらい。逆にふだんのプロの対局は長すぎて観戦しても初心者の勉強には向いてない。だからえねっちけー杯」


「わかった。観てみる」


「よし。そいじゃあ指しますか」


 きょうも勝負が始まった。六枚落ち1筋突破定跡というのはありがたいものだが、それでも勝てないのはなぜだろう。序盤で考えこんでしまう。


「ゆっくり考えるといいよ。でもなにも思い浮かばないときは無理に考えちゃだめだよ、疲れて面倒になるからね」


「うん……」


 下手の考え休むに似たり、というのはこのことを言うのだと思った。とにかく指す。


「なるほどー。六枚落ち1筋突破定跡はもう完璧に覚えたかあ」


 登坂さんは嬉しそうだった。なんでこんなに嬉しそう、というか楽しそうなのだろう。


「ずいぶん嬉しそうだね」


「うん、将来は普及の資格取ろうと思ってるから。いまも公民館の将棋道場で小学生に教えたりしてるよ。マドノくんも公民館こない? 日曜の午後からだれでも指し放題100円、ただし誰が相手かは行かなきゃ分からない」


 登坂さんはニヒヒと笑った。


「僕は……」


「そうだ、きょうもアイス食べちゃう? セブンティーンアイスって小さいころから気になってたけど、案外クオリティ悪くないね」


「いや、朝起きぬけにガリガリ君食べちゃったから」


「そっか。お腹壊すといけないからやめとこう」


 登坂さんと指すのが楽しい、とはちょっと言えなかった。まるで登坂さん目当てで近づいたみたいで。


「登坂さんがよく持ってるあのちっちゃい本、なに?」


「ああこれ? 将棋の雑誌って買うとだいたいこういう詰将棋とか手筋とかの小冊子がついてくるんだ。持ち運びに便利だしカバンにいっつも入れてるよ」


 登坂さんは膝の上のサッチェルバッグを開けて僕に見せてくれようとしたが、さすがに女の子のバッグの中身をまじまじと見るのは恥ずかしいので引っこめてもらった。


「将棋の雑誌かあ……」


「図書館でえねっちけーのやつ読めるよ。ただし貸し出しは1か月遅れだけど」


「僕んち図書館からちょっと遠いんだよね」


「そっかあ。じゃあとりあえず続きを指してみよう。マドノくんの手番だよ」


 タブレットの画面を睨む。うーむ、どうすればいいんだろう。成りこむことには成功しているのだ、うまく攻めれば勝てるのだ。そのうまく攻める方法が分からない。

 こうか? と、適当になんの作戦もなく突撃してみる。登坂さんは目をぱちぱちして、


「おー強気な手じゃん。こわ……そうくるならこうだ!」


 登坂さんはビシリと守備を固めた。うぬぬ、と思ったがいったん攻めたのだから下がってはもったいないと思う。また突撃していくと、登坂さんは、


「指す手がないんだよねー……しょうがないなあ」

 と、嘘みたいなことを言って一手指す。いや、その「指す手がない」って嘘でしょという手だ。


 そのまましばらく指して、登坂さんは「いやー……」と唸って天井を見た。


「これはね、次にこういう手があって」


 と、僕の駒を移動させた。登坂さんは続きも指していく。僕にもギリギリ理解できる、長手数の詰みだ。


 どうやら僕は登坂さんに勝ったらしい。

「……やったぜ」


「よかったねー! ちなみにこう逃げるとどうする?」


「え? ……え?」


「こっちのほうがきれいかな……とにかく間違いなくマドノくんの勝ちだよ。次はハメ手使っちゃおうっと」


「ハメ手?」


「うん、六枚落ちの1筋突破定跡には上手が使えるすごいハメ手、要するにチートスキルがあるんだ。小学生とかにやると泣かれるよ。マドノくんは泣く?」


「いや……ここフードコートだから泣かないし……」


「まあいいから指してみよう。楽しいよ」


 登坂さんは本当に楽しそうだった。

 いいなあ、と思った。

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