5 突然の雨
さて、よろしくお願いします、とまた指し始める。ハメ手ってなんだろう。指していくと登坂さんの王様が、どんどん盤の、僕から見て右側に動いていく。進んでいくと、2列目一番上、つまり2一の地点に登坂さんの王様がどんと座っている。さっき僕が香車で道をこじあけたときに登坂さんが取った香車を、登坂さんは
「これでどうだ!」と強めに呟いて、飛車の真正面である1一に打ち込んだ。
なるほど、飛車で香車を取れば王様に飛車が捕まってしまう。かと言って飛車の逃げ場はどこにもない。横には逃げられないのだ。完全に、上手には渡しちゃいけない駒の代表格の飛車が、捕まってしまっていた。
これは泣く。小学生じゃなくても泣く。天井をみてぎゅーっと目を閉じる。
「ね? すごいでしょハメ手」
「うん、これはどうしていいか分からない」
「飛車の後ろに歩を打って香車をとることもできるんだけど、それじゃけっこう大規模に駒損するじゃない?」
「うん……駒損かあ」
「こういうときは『利いている駒を増やす』ことが大事」
「利いている駒を増やす……?」
登坂さんはタブレットを操作して、僕の角を不思議な位置に動かすのを見せてくれた。
「角が効いていればいつもみたいに突破できるわけ。この考え方は大事だよ。駒の利きの多いほうが同じ地点でぶつかったときに勝つわけ」
「なるほど……」
「まあよっぽど性格悪くないとハメ手なんか指さないから。小学生に教えることもあるけど慣れてきた子じゃないと教えないよ。前に手伝いに行った大会でプロ棋士の指導対局見たことあるけど、プロの先生は小学生には香車じゃなくて歩で受けてたな」
「登坂さん、どうしてそんなに強いの? だれかから教わったとか?」
「うーん……ルールは小学校の図書室の本で覚えて、小1のとき市内の子供将棋大会で優勝して、それを見てたシブチョーさんに将棋道場においでよって言われて」
「シブチョーさん?」
「市の将棋連盟支部のいちばん強かったおじさん。いまはわたしのほうが強いんだよ」
登坂さんはやっぱりニヒヒと笑う。
「そこからは教えるのが上手いおじさんお兄さんおじいさんにいろいろ教わって、気がついたらアマ六段相当の棋力になって向かうところ敵なし……ってわけ。だからもっぱら小学生と駒落ちばっかり指してる」
「それって退屈じゃないの?」
僕がそう聞くと、登坂さんはうーん、と考え込んで、
「まあ、自分より強い人と指したいという気持ちはあるけど、そうそういないからね、わたしより強い人」
と答えた。とても寂しそうに見えた。
「変なこと聞いてごめん」
「なーんにも。そうだね、アマチュアの大会に出たいけど男性の大会がほとんどだからね。女流アマ名人戦とか出てみたいけど東京なんて行かせてもらえないんだろうな」
「東京なんてぜんぜん危なくないところだよ。僕は16年住んでたわけだし」
「あ、そっかマドノくん東京の人だった。でもうちの親のことだから仮に大学行くとしても県内にしろって言われるよ」
登坂さんはニヒヒと笑った。
「なんと、ショッピングセンターのフードコートでマドノくんと将棋を指していることは親にはナイショです」
「それ大丈夫なの? 無理しなくていいのに」
「友達と将棋指してた以上のことはないんだから、高校生なんだし遊びに出かけるくらい許されるんじゃないの?」
「うん、それはそうだ」
登坂さんの両親は厳しいというか、登坂さんを大事にしすぎている気がする。過保護だ。
そこから脱出するのはいいことかもしれないなあ……と思っていると、急に店内の音楽が変わった。流行りの歌を流していたのに、なんだかピアノ調の曲になった。
「あ、雨だ。どうしよっかなあ、傘持ってない」
雨か。それで音楽が変わったのだ。それにすぐ気づく登坂さんはやはり賢い。
「ちょっと待ってて」
僕はフードコートの椅子から立って、建物のなかにある百均でビニール傘を買ってきた。登坂さんに手渡す。
「どうしよう……いや嬉しいし助かるけど、こういうもの買ってもらったら、それって……デートになっちゃうんじゃないの?」
デート。それを思うとなんだかドキドキしてしまう。
慌てて、策を考える。
「別に男の友達と指してたとは限らないでしょ。ふつうに、女の子の友達と将棋指してたことにすればいいんだよ。で、友達はたまたまビニール傘持ってて、車で迎えがくるから登坂さんに貸してくれた」
「そっか。親にはそう言い訳するか。マドノくんはどうするの?」
「僕は別に濡れて帰っても構わないけど」
「かっこいいじゃん」
登坂さんはニヒヒと笑うのだった。
とにかくその日はその辺りで切り上げることにした。登坂さんはビニール傘を差して帰っていく。僕も自転車で、激しく雨に打たれながら家に帰った。シャワーを浴びてジャージに着替えて、スマホをふと見るとメッセージが入っていた。
「きょうはありがとう」
「こちらこそ楽しかったよ」
「風邪引かないようにね」
「シャワー浴びたから大丈夫」
そう返信したらもう返信はこなかった。登坂さんらしいな、と思う。
弟が退屈そうな顔をしていた。僕は「将棋でも指す?」と弟を誘ってみた。
「いい。いまゲームするから。将棋もう学童で流行ってないし」
どうやら弟の周りではもう将棋ブームは下火らしい。弟は楽しげにゲームの通信プレイを始めた。東京の友達とこっちの友達をそれぞれ誘っているようで、ボイスチャットでわあわあと騒いでいる。
弟と指すために強くなる必要がなくなってしまった。これはピンチかもしれない。
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