エピローグ 『子蜘蛛の巣』の今後
123. ヴァードモイ侯爵に『子蜘蛛の巣』をプレゼンしよう
「ふむ。これも美味いな」
「本当ですわ。器に直接口をつけて飲むスープなどどうしたものかと思いましたが……」
今日は『子蜘蛛の巣』の料理スタッフをヴァードモイ侯爵邸に呼んでの試食会。
アリゼさんに依頼していた通り、そこそこ新鮮な海魚も手に入ったので料理のレパートリーが一気に増えたのだ。
いま飲んでもらったのは、鯛のあら汁風お吸い物。
見た目が鯛に似ていたので『鯛のあら汁』と呼ばせてもらった。
あらは見た目がよくないから入れずに出そうかって話になったんだけど、あった方がいいという料理スタッフに押し切られてそのまま入っている。
「この魚も美味しいな。魚の骨付近の身ということは普通捨てられる場所だろう。そこから味を引き出し、更に料理のアクセントとして多少食べることもできる。まさに孤児院が運営する料理店らしい、無駄なものは少しでも出さないという発想だ」
「ありがたきお言葉。これもリリィ様の教えてくれた『出汁』という考えのおかげです」
「ほう、『出汁』とな?」
「はい。野菜や海藻、骨などを煮込みうまみを引き出した湯のことです。野菜の皮や芯を煮込んだものでも作れ、今回のように魚のあらを煮込んでも美味しい出汁になります。リリィ様には本当に感謝しています」
「なるほど。リリィ、この考えをどこで?」
「その……私の住んでいた地域ではごく当たり前の知識でした。なぜ、この地方に出汁の文化がないのか不思議で」
本当に不思議なんだよね。
コンソメがないのは仕方がないとしても、簡単な出汁のひとつはあってもおかしくないんだ。
それなのに、料理店を営んでいたブレッドさんに聞いてもそんな技術は存在しないというし。
私が理由を聞きたい。
「わかった。『子蜘蛛の巣』ではこの調理法を続けていくのだな」
「はい。それで、出汁の作り方自体は秘伝にするつもりはありません。作り方を盗まれたとしてもおとがめなしでお願いします」
「……料理人の秘伝をか?」
「この程度じゃまだまだ秘伝と言えないんですよ。本当にすごい出汁のスープになると、3日近く煮込み続け、中に入れた具材がすべて溶け出すようなスープだって作れるはずなんです。私は作り方を知りませんが、具材をまったく入れなくともそれだけで完成したスープになります」
コンソメスープ、本当に食べてみたいんだよね。
前の世界では気軽にコンソメの素で食べることができたけど、この世界じゃそんなものは売ってないから。
「ふうむ、そこまでか」
「はい、そこまでです。出来ることなら作り方を広め、各家庭や料理店、酒場などで独自の出汁を研究してほしい程ですね」
本当に。
私たちだけじゃ出来ることが限られるもの。
頑張って美味しい出汁を研究してほしい。
「それについては一時保留とさせてもらう。そんなことより、この鉄鍋なんだが……」
「はい。今回のメイン料理、『鯛の炊き込みご飯』です。まだ熱いと思いますので気をつけてお召し上がりください」
ここで使用人さんが鉄鍋の蓋を開けてくれる。
すると、水蒸気と共に鯛がまるごと三匹入った炊き込みご飯が現れた。
ヴァードモイ侯爵と侯爵夫人、ベルンちゃんで3人分だ。
使用人さんはその鯛を器用にほぐし、ご飯と混ぜ合わせると各自の器に盛っていく。
ここまで炊き込みご飯の香りが流れてきたよ。
目の前にある3人はたまらないだろうね。
「いまのが『鯛の炊き込みご飯』か。魚がまるごと入っているとはなんと贅沢な」
「普段はここまでしません。切り身を入れて炊き込むだけにします。その方が頭や尻尾を外す手間がないですからね。魚をまるごと炊き込んだのは豪華に見せるためです」
「いや、本当に豪華だった。そしてこの香り。もういただいても構わないな?」
「はい、どうぞ。熱いのでお気をつけて」
その言葉を皮切りに炊き込みご飯に手をつけ始める3人。
最初は少量を味わうように食べていたけど、すぐにはしたなくならない量を一気に食べるようになった。
これなら味も満足してもらえたかな。
「……いや、美味しかった。ライスひとつでこんなに満足させてもらえるとは思わなかったぞ」
「確かにライスを使った料理ですが、これなら料理店で使う分にはメインディッシュにもなります。その分、サイドにお吸い物を出せば完璧でしょう」
「ああ、本来は魚の切り身をライスに混ぜて炊くのだったな。その時に出た骨や頭を使いスープを作るのか。実に無駄のない」
「食材代は切り詰めませんと。人件費は削れない以上、素材で無駄を出さないようにするのが『子蜘蛛の巣』のあり方です」
「よくわかった。それで、今後も孤児たちを雇うのか?」
「むしろ、孤児たちがいなくなる方が困りますね。料理係はもちろん、給仕もしっかりこなしてくれていますから」
「……将来のためにもか?」
「はい。実際、料理係の中には来年卒院しなければいけない孤児もいます。彼らを失うと店が回らなくなるので引き続き雇わせていただきます。もちろん、彼らがほかの店で働きたいといえばそちらを優先いたしますが」
「接客や料理をさせることで将来に向けた経験を積ませるか。一個人が行うには大きすぎる事業ではないか?」
「まあ、そんな気はしますね」
「よし。さすがに接収するわけにもいかない。私も出資しよう。店のスタッフともども今後とも励むように」
「はい。精進いたします」
うん、今日のプレゼンは成功だ。
孤児たちを働かせている以上、孤児院の運営をしている侯爵様の顔を立てなくちゃいけない。
かといって、侯爵様も得体の知れないものに関わるわけにはいかない。
なので、侯爵様の前で料理を振る舞い出資を得ることにしたのだ。
魚も手に入ったし、今後はいろいろとレパートリーが増えそう。
「……ところで、炊き込みご飯とやらはもっともらってもよいか? お吸い物というスープと共に」
「はい。ご用意させていただいた分でよろしければどうぞ。材料は多めに持ってきておりますので新しく作ることも出来ます」
「すまぬな。この香りには勝てぬ」
……どうやら大分お気に召したようだ。
後ろでは侯爵様のお屋敷の料理長がブレッドさんから調理方法について聞き出しているし。
このままだとお忍びでお店まで食べに来そう。
お店のレシピ、定期的に渡そうかな。
出資のお礼として。
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