赤紫の菊の花

@sora_abd141

赤紫色の菊の花

差し出されたのは一輪の花。

好きな人から手渡されるそれは、夢見る乙女なら頬を染めて喜ぶところだろう。そう、喜ぶところ。喜ぶべきなのだ。だけど。だけどっ!

「菊の花とか何なのよっ!」

花にあたるわけにもいかず、クッションをベッドへと思いきり投げつける。柔らかいクッションは投げつけられた勢いを吸収し、さも最初からそこにありましたと言わんばかりに落ち着いて、それがまた苛立ちを増長させた。


────ずっと好きだった。

同じ会社で、同期で、ちょっと変わった人で、優しい。最初はその変わった態度に敬遠しがちだったけど、一度話してみると好きになるのにそう時間はかからなかった。彼と話すのが楽しくて、何かと理由をつけては一緒にいる時間をつくった。そうやって片想いして三年。デートと言えるほどではないけれど、プライベートで食事に出かけたり、ちょっとした遠出に出かけたりするようになって、雰囲気は悪くなかったと思う。それは、絶対に無理だと考えていた告白を決意するくらいに。仲良くなれていると、そう思っていた。それなのに。

「あんまりじゃない…」

何に対する涙かわからない涙がじわっと視界を滲ませた。そっと一輪挿しに生けられたテーブルの上の花を見る。赤紫の菊はきらきらと美しい。

「花は嬉しいけど、どうして菊なのよ…」

菊の花なんて。お葬式とかお墓参りに行った時くらいにしか飾ったところを見たことがない。贈り物の花束にだって菊の花は入ってないでしょう?それをプレゼント?意味がわからない。私のこと実は嫌だったってこと?なんで菊の花なの?どうして?

いつも通りの食事のあと、そっと手を握られてドキドキした。もしかしたら彼もわたしと同じ気持ちなのかもって。握られた手から彼の腕を辿って上目遣いでその顔を見た。少し顔が赤い気がしてますます期待した。そうして彼が差し出した一輪の花。

「これを…あげたくて」

ひと言だけ、そう言って渡してくれた。嬉しかった。

「ありがとう」

本当に嬉しくて心から伝えて花をよく見た瞬間、顔が引きつったのが自分でもわかった。───菊の花。どこからどう見ても間違えようのない。そこからの記憶は曖昧。今日はここまでで…とか何とか言って一目散に駆けた気がする。気付けば最寄り駅で、握りしめた菊の花は包装こそクシャっとなってしまったものの元気に咲いていた。



ブー、ブー、ブーという振動音で我に返る。

携帯電話を見れば着信は彼からで。とても出る気になれなくて、でも出ないのも悪い気がして、体が固まる。そうやってどうしていいかわからなくなっている間に着信は切れた。ほっとしたのと同時に少し残念な気もして、我ながら惚れ込んでいることを再認識する。そして彼が何か弁解してくれるのを期待しているのだ。浅ましいにもほどがある。彼は純粋に花をくれただけかもしれないのに、菊の花というだけで逃げ出したのはわたし。でも菊の花はどうしたって不吉な、死を連想するイメージしかない。わたしに対する好意なんて微塵も感じないのだ。

ブーブブッという振動音で再び我に返る。彼からだ。電話に出なかったからメールを送ったのだろう。さっきの電話の時とは違いメールを開く。



ガシャン!

携帯電話を落とした気がした。わからない。頭の中は真っ白でとにかく慌てて上着を引っ掛ける。

マンションの外に出て、一番近い街灯の下に彼がいた。彼まですぐそこなのに周りがスローモーションのようにゆっくりで、いつまで経っても辿り着けない。そんなわけないのに。永遠にも似た一瞬。気付けば彼の腕の中にいた。そんなわけない。でも、温かい。抱きしめられているのだと理解した。

「ど、どうして…」

自分の濁声に驚く。泣いているのだ。

「ごめん。何も言わずに菊の花なんて驚くよね」

わたしが逃げ出した理由を彼はちゃんとわかっていた。それを悟られたことが恥ずかしくて彼の胸に顔を埋めて首を振った。

「自惚れかもしれないけど、きっと同じ気持ちでいてくれてるんだと思って…。でも菊の花が贈り物に使われないなんて知らなかったんだ。…花なんて贈るの初めてだから。花言葉だけ何かの本で読んで知ってて、それで…」

少し言い淀むようにして、彼は続けた。

「告白のつもりで渡したんだ」

涙が溢れる。同じ気持ちだった。彼も、わたしと同じ気持ち。

通じあったことが嬉しくて、彼を抱きしめ返す。

「……同じ気持ちってことでいいよね」

彼が静かに言葉を落として、わたしは上目遣いで、今度はしっかりと彼の顔を見て頷いた。



部屋に残された携帯電話の画面は一通のメールを開いたまま。

『赤紫の菊の花言葉はね、「愛しています」なんだ』

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