第15話

「ありがとうございます、小隊長。セリザワさんも……すんません。」

「気にしないでいいよ、ハンくん。」

「でも、あいつら俺の実家の寺に押しかけるっつってた。

そういう風に個人情報割り出せるんなら……アンタは

兵役終わったら漫画家に戻るんでしょ?あいつら、

それも邪魔しやがるかも……」


ハンノウがおずおずと言う。


「その場合は任せろ。私の実家は

あいつらのテレビ局の株主でもあったはずだ。」


事もなげに、タワラマチは答えた。


「サ……サーセンッ!」

「ありがとうございます。小隊長。」


二人が、深々と頭を下げる。


「……出過ぎたことを言うようですが、よろしいのですか中尉。」


マクギフィンが遠慮がちに言う。

実家に頼るのを彼女は極端に嫌っていたはずだが。


「私がお父様とお母様にそらみたことか、と

バカにされるだけで済むなら全然構わん。家族だ、

なんていうブラック企業みたいなことは言いたくないが、

君も含め、小隊のみんなは運命共同体だ。」


タワラマチはきっぱりと言い切った。


「中尉って意外と侠気があるよなあ。」

「ヨシカワ。ウンメーキョードータイってなんだ?」

「そりゃお前……」


ヨシカワは言いながら、カナザワを振り返った。


「まず自分で説明してみなさいよ。」


しかしこれでも実は偏差値の高い

お嬢様学校に在籍していた(実はタワラマチの後輩にあたる)

カナザワは冷たい。


「つまり……お前と俺は死ぬのも生きるのも一緒ということだよ」

「結婚式の健やかなる時も病める時もみたいな?」

「気持ち悪い言い方すんなよな……」


要領をえないヨシカワの説明が終わったのを見計らって

カナザワが口を開いた。


「死ぬのも生きるのもというのはちょっち言い過ぎだけど、

いいことがある時も悪いことがあるときも一緒だってこと。」

「要するに一蓮托生ってことだな。わかった。」


教師が生徒に教えるようによどみなく言うカナザワに、

イタクラは得心がいったように

耳を動かしながら頷く。


「なんで一連託生がわかるのに運命共同体がわからないんだよ

そっちのが難しいだろ……」


ヨシカワはそうぼやくと、月が昇りつつある空を見上げた。


そのころ。

合衆王国中央部――カマンナ・シティ。


交通の要衝であるこの町は、ついこの間まで一時的にとはいえ、

同盟国だった東陽民国と鉄氷帝国がそれぞれ

合衆王国の西半分、東半分を占領した結果、

双方の占領地域が町を二分する形で隣り合い、

両軍が睨み合う最前線さながらの場所と化していた。


(いずれはDMZ、つまり非武装地帯が形成されるだろうが

それにはまだ時間がかかるだろう)


どこの国だってせっかく戦争に勝ったなら

1平方メートルでも多く占領地が欲しいものだ。


その単細胞生物めいた欲求の前には、

昨日まで仲間だったことなど些細な事であった。

合衆王国が降伏したその日から、同盟は消滅し、

もともと仲が悪かった東陽民国と鉄氷帝国は緩やかな

敵対関係へと急速に逆戻りしていたのである。


境界線には壁が作られ、広い合衆王国の国土を

――ごく一部だけ残る合衆王国軍残党の支配区域を除いてだが――

長城めいて南北に切り裂いたそれは、その分厚さと高さを日を追うごとに、増していった。

そんなものを勝手に作るな、

という旧合衆王国民の声など知ったことではなかった。


ところで地上には簡単に壁が作れてもそうはいかない場所がある。

ひとつは空中。

これには双方ともが最新型の地対空ミサイルから

高射砲まで、ありったけの防空兵器を運び込むことで対応していた。


もうひとつ。

国境線が鉱山の跡地やある程度の規模の町を横切っている場合に問題になる。

すなわち、地下だった。この町でいえば、下水道だ。


「こんな臭えとこで立哨とは、ついてないな。」


鉄氷帝国陸軍のレオン・シュタイナー上等兵は

下水道のトンネルの中でひとりごちた。

一応汚水は足下の幅2メートルほどの溝を流れているため、

自分が今立っている点検の際、人が行き来するための

スペースに汚水が流れ込むことはよほど増水でもしない限りないが、

臭いは全く容赦してくれない。

なによりネズミが、自分がいることなどお構いなしにそこらを走り回るのに

腹が立った。彼はネズミが嫌いだったのだ。


彼は左腕に目をやった。


半月ほど前に合衆王国軍の兵士の死体からはぎ取った

自慢のデジタル腕時計(東陽民国の有名なメーカーのものだ)は、

無情にも交代時刻まで、まだ1時間近くもあることを知らせている。


思わず舌打ちが漏れた。

そういう勤務態度だったので――まあここでの勤務は

うんこ水がひたすら眼前を流れてゆくという、口の中が

酸っぱくなってくるような風景に心のやすらぎを覚える者や

ドブネズミの観察を8時間ほどぶっ続けでしたい者以外には

苦痛以外の何者でもないので彼が特に不真面目という訳ではなかったのだが――


彼は気付かなかった。

水面に浮かぶ汚物の上澄みを押しのけて、直径数センチ、

長さ10センチ弱ほどの円錐状の物体が

彼に向かって生えてきたことに――


タイヤから空気が抜けるような音が二度連続で響き、

シュタイナーはうめき声を残して床に崩れ落ちた。


何かが、ぬっ……と下水路から這い出した。

海坊主ならぬ下水坊主か?いや、対汚水用の特殊なウェットスーツを着た人間だ。

体型からしておそらく女性だろうか。

その手にはサプレッサーが――銃声を軽減するための

円錐状の装備だ――が取り付けられた

合衆王国製の自動拳銃が握られている。



「…………。」


その怪人物は、素早くパイプの影に身を寄せた。

誰かくる。


「シュタイナー、おい!タバコ一本よこせよぉ。」


下水道というのは発火性のガスが溜まることがままある施設だ。

そこで立哨しているというのにタバコを吸いたがるなど、

命よりニコチンの方が大事なのだろうか。


「あっ!シュタイナー、どうした!」


その同僚は今し方撃ち殺されたばかりの同僚に駆け寄った。


ウェットスーツの怪人、もとい工作員は舌打ちをした。

ついつい下水路から這い出すことを優先してしまった。

特殊工作のための教育を充分すぎるくらい受けてはいたが、

そんな彼女でも

下水道の中を泳ぎ回って軍事境界線を越えるというのは

身の毛もよだつ経験に過ぎたのだ。


しかしどうやら、天は彼女に味方した。


「たいへんだ!」


叫ぶやいなや、その同僚は報告を後回しにしてシュタイナーが着けていた

時計を剥ぎ取りにかかった。


息を吹きかけて服の裾でシュタイナーの残滓を拭き取り、

自らの左手にはめ直し、どこも壊れていないかを慎重に確認する。

よし、ライトアップもストップウォッチも電卓機能も大丈夫なようだ。

シュタイナー?どうでもいい。おそらくこのバカのことだから

ドブネズミのうんちをチョコ菓子と間違えて拾い食いして

中毒死したかなにかだろう。


細長いモノクロ液晶の下にテンキーが並んだ、

否が応にもロマンをかき立てる形状の時計が

自らの左手に巻かれていることに彼はうっとりしていた。

シュタイナーの野郎は会う度にこれを自慢していたが

こういった高級多機能時計は自分にこそふさわしいのだ。


――もっともその時計は、販売元の東陽民国では

子供でもおこづかいを二ヶ月くらいためれば買える程度の代物だったが。


さて………それではシュタイナーがくたばったのを

一応報告しに地上へ戻るか――。


「あっ。」


きびすを返した彼が目撃したのは、

全身ウェットスーツの怪人物が

パイプの影から半身だけ出して

拳銃を構える姿であり、その直後に

彼はシュタイナーの後を追うことになった。


二人の遺体を水路に蹴落とすと、

ウェットスーツの女性は走った。申し訳程度のバリケードが設置されている。

警備の人間はいない。正確にはシュタイナーの同僚がそうだったのだが

彼は今やヘドロの中だ。


それを乗り越えれば――風景そのものはなんら変わらないが、

もうそこは東陽民国の領地だ。


彼女はようやく一息ついた。


「ここか。」


減音器つき自動拳銃を構えつつ、マンホールに繋がるはしごを登っていく。

――――と。

誰かが上ってきたことを察したのか、

上にいる人間の手でフタが開けられた。


「んぐぅ!」


鼻のひん曲がるような悪臭に、

東陽民国軍のオリーブドラブ作業服を着た兵士が

マンホールの蓋を抱えたまま思わず顔を背け、

急いで蓋を手放すと鼻をつまんだ。


どこかの路地裏だった。


「おかえりなさい。オオブクロ一曹。この潜入任務が

無事に終わることを祈っておりました。」


もう一人、黒いスーツを着た男が敬礼で応対する。

彼は相当に臭いはずだが、わずかに顔をしかめているだけだ。


「すまないな。臭いだろう?」

「自分は鼻づまり気味でして。」


素潜り用の酸素マスク越しのくぐもった声に

彼は冗談で応じた。


「ウェットスーツの廃棄と――わがままを言って悪いが

軽くシャワーだけ済ませたらさっそく本部に戻りたい。

正直――予想以上の収穫だ。」


きっかり一時間後。

国境地帯の東陽民国軍の特設ヘリ基地から、一機のヘリコプターが

合衆王国首都に向かって飛び立ち――


そしてものの30分と経たぬうちに、今度は接収して

再稼働させたばかりの国際空港兼空軍基地から、

一機の輸送機が飛び立った。


東陽民国空軍では一般的な機種の輸送機だったが、

東陽民国の本国、麗しの本土へと向かう 

その輸送機には、なぜか限定的なステルス能力を持った最新型の

「荒鷲改・静寂」型戦闘機が護衛についていた――

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