第16話「ハルカナシティ」
そして翌日。
東陽民国首都エリア
ニチガヤ基地。
国防省や各種司令部と隣接した、東陽民国軍の中枢である。もちろん、ここには民国軍情報部もオフィスを構えていた。
「オオブクロくん。すまないね。二、三日くらいは休ませてあげたかったんだが。」
猫科の獣耳族らしい、黒い猫耳のある女性士官が言う。
「飛行機の中で寝たので充分です。
なにより祖国の空気っていうのは気が休まります。」
紫紺色の陸軍制服に身を包んだ
オオブクロが、旗竿を通したように敬礼する。
「では、早速補正のうえで見てみよう。君の持ってきた映像を――」
下水にまで潜り込み、深く鉄氷帝国に潜入していたオオブクロ一曹は映像を持ち帰っていたのだ。
小型USBメモリに記録された、軍用の特別製、といえどもあくまでハンディカメラで撮影したために
あまり画質が良くないそれを高画質に補正しつつ、改めて再生する――
もう10年、15年ほど時計の針が進めば、AIがやってくれる作業だ。だが、人力を用いたこの手の技術としては、東陽民国軍情報部は世界でも屈指と言ってよかった――
数十分後。
「これは?どのあたりですか一曹?」
「帝国軍の研究所だ。一ヶ月前に××地区に
食品加工工場に偽装されて建てられたものだな。」
「沿岸の工業地帯とはいえ、人口密集地からいくらも離れていない。
木を隠すなら、ですか……。」
男性の隊員がメガネを直してうなる。
コシガヤは、耳をときおりぴくぴくさせつつ、黙って映像を観察していた。やがてアングルが切り替わる。
「これは天井裏から?」
「そうですね。正確にはダクトですが……。」
業務用冷蔵庫めいた、人一人が入れる大きさの銀色の箱――ただし、禍々しいパイプやケーブルが大量に接続されているが映っている。
『離してくれ!やめろ!私は確かに軍に入り
この体を鉄氷帝国に捧げると誓ったが、こんな実験に協力させられるだなとと……』
武装した、昆虫めいたヘルメットとアーマーをつけた兵士が、見るからに哀れな、鉄氷帝国の軍服を着た兵士を引きずるようにして運んでくるのが映る。彼の必死の抗議も聞き入れられる様子は全くない。
『志願ご苦労。ではただちに実験を開始する』
おそらくこの場の責任者らしい、モノクルをつけた高級士官の軍服に身を包んだ人物が仰々しく命令する。
武装兵たちは、まったく躊躇することなく、『冷蔵庫』に連れてこられた兵士を押し込んだ。
スイッチが入れられたらしい。その冷蔵庫もどきはあちこちのランプを点滅させながら不気味に蠕動をはじめた。
「ここから2時間ほどは機械がただ作動してるだけなので飛ばします。」
オオブクロの言葉に従い、画面が飛んだ。変わって機械が、蒸気とともに開くシーンが映る。
よろよろと、先ほどこの機械に押し込まれた兵士が抜け出してくる。その所作に、生気は感じられない。まるで機械だ。
「成功のようだな……。君の名前は?」
「ハンス・シュタインマイヤー中尉です。祖国である鉄氷帝国のためにどんな命令でも遂行いたします。」
平板なその口調に、およそ感情らしいものは窺えない。
「君は命が惜しいか?」
「まったく惜しくありません。細胞一つまで帝国に捧げます。」
「君に対し、これ以上の改造を行うとなったら志願するか。」
「喜んで志願いたします……」
――そう答えるハンスの頭には、コインほど大きさだけ剃られた部分と小さい傷跡があった。なんらかの外科的措置の跡だ――
「兵士の脳を改造するとは……。事前情報で概要はわかってはいたが、こうして見せられると悍ましいものがありますね……」
コシガヤが腕組みをして唸る。その猫めいた目が光っている。
「いや、素晴らしい情報です。改めてご苦労様でした。」
「恐縮です。」
オオブクロが畏まって答える。
「このような兵士を相手にする可能性が出てくるとなると、合衆王国の西海岸でイジメまがいのことやらせてる場合じゃないですよねえ。」
男性の軍人がため息をつく。
「難民テントを焼くわ、戦争犯罪者が殆どとはいえ、即決裁判で銃殺するわ、進駐してからいくらも経過していないのに、向こうの連中は暴走しているのでは。」
オオブクロも頷いて続ける
「これは政治マターで、私たちの分を超えますが――すみやかに進めてもらうしかないですね」
コシガヤは言葉を切ってしばし瞑目し、ゆっくりと開けて言う。
「合衆王国西岸部を我々に友好的な独立国家にして、鉄氷帝国への防波堤にするという計画を――政治家さんたちもわからないわけではないでしょうし」
一つの国を防波堤にするなど不遜な言いぐさだ。だが、東陽民国のためにはそれしかなかった。鉄氷帝国(が制圧している合衆王国領)と直接ツノを突き合わせるのはまずいからだ。
もっとも、東陽民国がそうしたならば、鉄氷帝国も自らが占領している合衆王国東岸部に対し、同じ処置をするだろう。すなわち、鉄氷帝国の傀儡となるもうひとつの合衆王国が出来るわけだ。
ここに、建国以来233年間、独立を保ってきた合衆王国は――(自らがしかけた戦争の結果とはいえ)分裂国家となろうとしていた。
「そのためには一刻も早く、合衆王国軍残党をすべて叩きませんと」
「我々の領土内でもっとも勢力があるのはハルカナシティです」
「ハルカナシティ――例の高地にある町ですか。」
オオブクロが撮影してきた映像を映していたモニターに、合衆王国の地図が表示される。合衆王国の首都から東へ進むこと900㎞あまり。何本もの等高線に囲まれた山の上に、赤い点滅が表示されている。
数日後。
東陽民国軍、統合幕僚長執務室。
「ハルカナシティを可及的速やかに落とせ、か。そりゃあいつかは落とさにゃならんがね……」
東陽民国軍・統合幕僚長は頭を掻いた。
「このまま持久戦に持ち込めば、最小の被害で抑えられる見込みだったのですが」
陸上幕僚長が渋い顔で言う。
彼らにしてみれば、昨日までと逆の命令を下されたにひとしい。すなわち、『できうる限り犠牲を少なくしろ。もう戦争が終わったのだから』これが昨日まで厳命されていたことだ。
『今まではどんな犠牲を払っても戦争に勝て!合衆王国、誅すべし!』
と言っていたくせに――と思わなくもなかったが、
言っていること自体はわかる。兵士を死なせないに越したことはない。
しかし、今日はさっさと陥とせ、というのだ。
「要はわからないんでしょうな。山の上の町を陥落させるということが
どれだけ大変なのか――」
統合幕僚副長が、どこか達観したように言う。軍隊でいう大変、とは犠牲がそれだけ出るという意味でもある。今回の事でいえば、攻め方一つで1000人や2000人の兵士の命が消え失せかねない。
「無理してでもなるべく大きな砲を、なるべくたくさん、ハルカナシティを砲撃できる位置まで持ち込むしかありません。道路の拡張が相当必要ですが。あとは空軍さんに力を借りるしか……」
陸上幕僚長は汗を拭きながら答える。
「もちろん、全力を持って援助しましょう。空挺部隊の降下などなさるのなら輸送機も出します」
「うちも空母航空隊を出します。合衆王国海軍の残存艦隊のうち、海賊に成り下がった連中の殲滅がまだ残っていますが、余力がないではないですから」
航空幕僚長と海上幕僚長はまんざらでもなさげだ。陸軍に恩を売れるのだから、当然だが。
「うむ……その方向で進めてくれ。」
しばしの会議ののち、陸軍の作戦司令部では、何はなくとも重要なロジスティクスの確保――道路の拡張工事に回すための部隊がただちにリストアップされていた。これはなにしろ人手が第一だ。本職の工兵部隊だけではおっつかない。
その中には、151小隊という文字列も見ることができた。
一ヶ月半後。
合衆王国・内陸。
山岳地帯の麓。
「なんで俺たち、こんなことやってんだ。ここ、軍隊だよな?」
作業服の上半分を腰に巻き付け、オリーブドラブの官給品のランニングだけになりながら
汗をぬぐってヨシカワが言う。ものの本によれば標高が100m上がるごとに気温が0.6℃から1℃ほど下がるというが、そんな基本原則などクソくらえとばかりにその山は暑かった。
猫車――車輪が一つしかない手押し車で、工事現場でよく見かけるアレだ――を倒さないように必死に押す。その中にはコンクリートがぎっしり詰まっていた。151小隊含む大勢の、経験の浅い兵士たちが、舗装がされていない山道を舗装する作業の真っ最中だ。
「大丈夫かー!へばったなら少し休め。倒れられた方が負担だ!」
ホイールローダーを運転しつつ、マクギフィンが叫ぶ。――彼女は大抵の重機を運転できるだけの数の免許を持っていた。ブルドーザーなんかも転がせるそうだ。それだけ多才なら何も歩兵小隊で下士官なんかやんなくても――と思うのだが、要するに肌の色と瞳の色と名前の響きの問題なのだろう。一言で表現すれば、それはレイシズムという人類の忌まわしい悪癖で片付けられる。
祖国に生々しく存在する醜い部分に内心冷ややかな目を見つめつつ、彼は運転席のマクギフィンに手を振った。
二十分ほどのち、休憩所。
「おう」
浴びるように水を飲み、梅干しをしゃぶりながら、彼はイタクラに声をかけた。このクソ暑いにも関わらず、イタクラは女性兵士や女性士官にたかられていた。その理由はというと、尻尾可愛い!耳可愛い!だそうだ。極めて不本意ではあるだろうが、ここはそういう清涼剤も必要な職場であることもまた事実だが。
「お疲れ様」
言ってやるとたまに帰ってきた孫に弄ばれる実家の犬のような表情を浮かべて彼は手を上げた。
「チッ、耳と尻尾あるだけでなんであんなちやほやされんのよ。だったら私だって――ダメね。そんなことしようもんならあいつらみんな私のモノに夢中になっちゃうか」
カナザワは舌打ちして気に食わなそうに言ったかと思いきやすぐにひっひっひ、と不気味な笑みを浮かべつつ、椅子に腰掛けてサーキュレーターの涼風を身に受けている。
「おい来たぞ!今度は4両だ」
ハンノウとオオジマが叫ぶ。
「“神鎚”タイプの自走榴弾砲か」
155ミリの大砲を備える、戦車と見まごうようなそいつは、とても頼もしく見えた。
「まだ来るぜ…………ありゃあ“空射手”タイプの自走高射機関砲だ」
実戦モードになるとぐるぐると回りだす棒状のレーダーを搭載した、一対二門の高射砲を搭載した車両が2両、後を追うように、昨日舗装したばかりの道をえっちらおっちらとのぼって現れる。
「高射砲?敵の空軍はもう武装解除ずみなのになんで?」
「そりゃあお前」
ヨシカワの言葉に軍オタのケがある同僚はニヤッと笑った。
「高射砲で飛行機以外の的を撃っちゃいけない決まりはないわな。理屈からいってもここから山の頂上のほう狙うなら、飛行機撃つのと同じで上を撃つのに変わりないんだ」
「あんなので撃たれたら体がちぎれるだろ。えげつない……」
ヨシカワは自走高射砲を見送りつつ、ぞっとしないといった顔でつぶやいた。続いて、ギューーンという独特の耳をつんざくような音が聞こえてきた。
「戦闘機だぜ。“荒鷲”だ。あれは海軍仕様だな」
海上用の青い迷彩が施された優美なデザインの機体に、誘導爆弾をぶら下げているのが見える。
「制空権はこっちに握られてる。周り中敵だらけで兵糧のたぐいもそうはないだろうに、なぜ降伏しないんだろう」
イタクラの無邪気な疑問に、カナザワは
どこか後ろめたさのある声音で答えた。
「……そりゃ公正な裁判を受けられる保証とかないからでしょ」
――――なにせ、その公正な裁判を受けられず、銃殺に遭いかねないそう思われるような環境を作ることに、ここにいる3人ともが――正確には151小隊の全員が加担しているのだ。命令だったとはいえ自ら銃殺をしたのだから、無関係とはとてもいえない。
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