第7話 映画に集中出来ない者もいる

「あ、あのさ……あーんとかしてみたいんだけど、だめかな」


 あーん……か、まだ100歩譲って家でなら出来ないこともない。でもここ外だぞ。


 って、子犬みたいな潤んだ瞳で期待の眼差しを向けないでくれ。


「んー、分かった。じゃ、じゃあ透華いくぞ」

「うんっ!」


 折角シェアをするのならば、と俺が頼んだメニューの良さを味わえるように出来る限りビーフシチューの部分もスプーンに乗せ、俺がまだ手を付けていない側のオムライスを一緒に乗せた。


「透華……あーん」


 俺の言葉と共に透華が口をゆっくり開いた。

 赤く染まった照れ顔、俯きそうになる所を何とか耐えつつジワジワと顔を近づけて来る。


 俺も近づく透華の口にスプーンを持った手をすすめる。照れ顔のまま口を近づけて来る透華に色気を感じてしまい、何故か手が震えてきた。


「はむっ……」カッ


 透華の口に入るとき、手が震えていたせいか一瞬スプーンが歯に当たってしまったが、無事あーんを何とか遂行する事ができた。


 たった数秒の行為ではあったが、俺にとっては徹夜する夜よりも長く感じた。


「……美味しい。これ美味しいね」


 良かった。あーんの瞬間、透華を見て俺はドキッとしてしまったが、透華のニコッと笑う姿を見てそれは収まった。


「じゃあまーくんも……」


 え……。



 俺は透華にされるがままデミグラスソースのかかったオムライスを口にした。


 美味しかった。透華が嬉しそうで俺も嬉しかった……でもやっている事がバカップルそのもので、とても周りを見る事ができなかった。



 ◇◇◇


 その後は普通に食事を進めて映画館へ向かった。


「どこら辺で見たいとかある?」

「うーん、どこでも……じゃなくて前でもなく後ろでもない真ん中らへんなら何処でも良いかな」


 幸い、映画館まではそう距離が無かったので気まずい空気が流れる事はなく、会話は出来た。


「俺はチケットを買って来るからちょっと待っててくれる?」

「わかった、ありがとう。じゃあ私はこの柱のところで待ってるね」


 俺は透華を残し、チケットを買いに券売機に向かう。


 ◇


「まーくんとあーんしちゃった。でもこれからが大切だよね。一回やってしまえば後は私の努力次第でズルズル行くはず!」


 透華は正樹がチケットを買いに行っている間、さっきのカップルのテンプレ的な行為を思い出していた。


「まーくんにまーくんのスプーンで……ってまーくん私にあーんする前に何回かあのスプーンで食べてたよね? それに私があーんして貰った後もあのスプーン使い続けてた」


 ある事に気がついた透華の頬はまた赤く染まり始めた。


「無意識の間接キス……しちゃった。初ハグの時となんか似てる」


 透華が初めて正樹とハグをしたときは、異性として意識していなかった。

 そして今回の初めての間接キスは間接キスであると意識していない状態で行ってしまった。


「あーんの動作自体が恥ずかしいってわけじゃなくてあーんが間接キスになるから皆んな躊躇しているってこと?!」


 正樹がチケットを買いに行っている中、透華はひとり独自の考え方で『あーん』について分析する。


 ◇


「ごめん、ちょっと待たせちゃった。次の回があと二十分後であんまりいい席は取れなかった。ど真ん中からはちょっと左に逸れているけど、良い?」

「全然良いよ! 買いに行ってくれてありがとう。あ、お金……」


 透華がお金を出そうと財布をショルダーバッグ?のようなものから取り出したので、ここは俺が持つから透華は後でドリンク奢ってくれない? と交換条件を提示してお金を渡すのを辞めさせた。



 Mサイズのドリンクを二本持って俺と透華はこれから見る恋愛映画のシアターへ移動する。

 映画が始まるまでは宣伝がいくつか流れ、その時を待つ。


 やがて宣伝は終わり、映画が始まった。


 映画の内容は恋した相手がいるのにお互いが家の都合で政略結婚をさせられそうになり、けれどもお互いの政略結婚の相手同士が裏で繋がりをもっていて、その証拠を探しながら恋を深めていくというものだった。


 ◇


『このソフトクリーム、食べる?』

『も、貰おうかな……』

『はい、あーん』


「あーんしてる。あーんしてるっ……」


 映画内の演技としてでもなく、俳優たちの演技に興奮しているのでもなく、ただ『あーん』という行為に興奮してしまっている者がシアター内にいた。


「私ももっと堪能したかったなぁ……まーくんとのあーん」


 周りの映画を真面目に見ている人たちに迷惑を掛けないようにひっそりと独り呟く。


「ソフトクリーム……まーくんと一つのソフトクリーム食べたいかも」


 周りにはこの俳優たちの演技によって顔を赤らめる者もいるかもしれないが、それ以外の理由で顔を赤らめるのは透華くらいしかいなかった。



 映画もそろそろクライマックスに迫る所でまたしても透華を焚きつけるシーンが登場する。


『んんっ、もう耐えられない』

『証拠は不十分かもしれないけど……俺だって耐えられないよ!』

『『ちゅっ』』


主役の女性が飛びつき、二人が抱き合ってキスをする。


「あっ……キス!!」


 振り返ってみれば初ハグも初間接キスも今の自分の納得のいくものではなかったのでがっかりしていたが、透華は映画のキスを見てまだ大切なものが残っている事、そしてそれだけは確実に納得のいくものにして見せると映画が上映している中で安堵と決意を同時に示した。



 ◇◇◇


「透華、本当に帰っていいのか? 辺りを散策するとか、もう少しカフェでゆっくりするとかしなくても……」


 俺は映画を見終わってから透華に帰ろうと提案されたので来た道を来た時と同じように手を繋いで帰路に就いている。


 もしかして、透華はやっぱりデートじゃなくて、ただ映画が見たかったのか? デートなら映画を見終わってからも色々すると思っていたが。


「う、うん大丈夫。ただ最後に近所の公園には寄りたいかな」


 透華の言った近所の公園とは俺と透華が一番よく遊んだ公園の事だろう。


 ◇


 日が暮れ始める夕暮れ時、公園には俺と透華ただ二人だけ。


「今日の思い出を残しておきたくて……写真を撮ってもいい?」

「もちろん」


 色々あったが俺も今日一日楽しかったし、思い出を形として残すのもいいなと思った。

 そして何より透華の願いを拒む理由が何処にも無かった。


「じゃあ……」


 透華が自撮りをする為にスマホを構えて腕を絡めて来る。


 パシャ


 こんなに近距離になるとは思っていなかったのでドキッとして、ぎこちない笑顔を作ってしまった。


「……やったぁ」

「何か言った?」

「ううん、今日はありがとね!」

「こちらこそありがとう! 楽しかったよ」


 こうしてデート?のようなお出掛けは終わった。

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