子供の事情
とりあえず建物の外を一周して、外壁の全てをデジカメで撮影していった。見た目に現れなくても呪文が隠されている可能性はある。パソコンで処理をすれば何か見えてくるかもしれない。
周辺の地面や小道も撮影した。こちらはほとんど雪と氷に覆われているので、今の季節に完璧な調査をするのは難しいかもしれなかった。
氷の張った池も、一応撮影してみる。老婆の言い分では、この水中にも何かがあるらしい。天然の池だろうし、わざわざ潜って水中に呪文を仕掛けた人がいるとは思えないが。あるいは、単純に密閉性の高い金庫などを池に沈めて財産を隠したとか。しかし、わざわざそんなことをするだろうか。
屋内に戻り、厨房にいた厚彦に断ってから、二階も見回ることにした。屋根が大きく傾いているので、予想通り北側に客室が四つ並び、南側は背の低い納戸になっていた。
どの部屋も施錠はされていなかった。手前の扉から順に1、2、3、5と部屋番号の書かれた真鍮のノッカーが付いている。
客室の中はどこも同じで、ベッドとハンガーラックがあった。寝具やハンガーは全て取り払われている。ビジネスホテルのツインルームと言った感じだ。それぞれの部屋の角には大人一人がぎりぎり立てる程度のシャワースペースがある。本来は水撥ねを防ぐための簡易的な壁があったはずだが、今はどれも剥き出しになっていて、足元の排水口はビニルシートと養生テープで塞がれていた。
また、それぞれの客室を仕切る壁には鍵付きの扉が一つずつついていた。家族連れや団体客を想定して、隣り合う部屋と行き来できるようにしたのだろう。
廊下を挟んで南側は、木製の引き戸が連なっている。ひと繋ぎの細長い物置になっていて、寝具や掃除用具、アウトドア用品などが並んでいた。ほとんどの道具には分厚く埃が積もっているが、床面は割と綺麗で、各種の掃除用具も最近使った形跡がある。おそらく妻のフミカがここの道具を使って掃除をしているのだろう。
全ての部屋で写真を撮ったが、呪文の気配はまったく無かった。
他に確認していないのは、一階の厨房やその奥の居室くらいか。厚彦に許可を取ろうと思ったが、食堂を覗くと誰もおらず、ストーブも止まっていた。俺はまたコートを着直して外に出た。
建物の前の空いたスペースで、少年と厚彦が
少女の方は、玄関前のステップに腰掛けて携帯端末を弄っていた。独楽には興味が向かないらしい。
「もう、帰るの?」少女は顔を上げて俺を見た。
「まだだけど」
「財産とか、見つかった?」
「それを今、探してた」と俺は言った。
「ほんとに、あるのかな……」少女は不安そうに言った。
「お婆さんはそう言ってるけど、どうだろうな。歳を取ってるから、勘違いかもしれない」
「やっぱり、無いのかな……嘘なのかなあー」少女は暗い顔で俯いた。「財産が出てきたら、あたし達を引き取ってくれるって言ってたのに」
「え? 誰が?」
「お婆ちゃんと伯父さんが。あたしがね、受験をしたくないって相談したら、お金さえ何とかなれば引き取ってくれるって」
「受験って……ああ、中学受験」
俺自身は生涯で実質一度しか受験らしいことをしていないので、こんな幼いうちから勉強で悩まなければならないという感覚は理解できなかった。
「親もいいって言ってるんだよ。ニジフに行かないんなら伯母さんのとこの子になっていいって」
ニジフが何の略かはわからないが、受験する学校名なのだろう。
「それは、意地でもそこへ行かせるって意味であって、伯母さんに引き取られて良いという意味じゃないような……」
「普通の親ならね」少女は溜息をついて首を振った。「普通の親が言ったら、そういうことだけど、うちの母親は普通じゃないから。うちの母親が伯母さんの子になれって言ったら、それは本当に伯母さんの子になれって意味なんだよ。うちの母親は何でも、言ったら本当にそうするの。だからうちは二回も父親が変わってるんだから」
「なるほど……」
俺は密かに、口の中で呻き声を上げた。この仕事を引き受けなければ良かった。家庭のゴタゴタはどんなものであれ御免だが、子供が関わるとその重さが倍増する気がする。
少女は数秒間、俯いて泣きそうな様子でいたが、急にけろりとして顔を上げた。
「でも、仮にお金が見つかって、伯父さん夫婦がこの店を再開するとして、ここか、この近くに住むんだろう。こんな所に引き取られて、学校とかどうするの」
「ここはスクールバスが来てくれるよ。過疎地特区だから」
「……なるほど」
これ以上この少女と話していると仕事をする気がどんどん削がれそうで、俺は逃げるように切り上げて建物の南側に回った。少し離れたところから見れば、屋根に呪文が書かれていないか確認できるかもしれない。
しかし、少女は少し間を置いてから追ってきた。
「ねえ、裏の川は見に行った?」
「川?」俺は、一見何も無さそうな屋根の写真を数枚撮ってから振り向いた。
「石に囲まれてて、小さな川っぽくなってるところ。でも、水は無いの。さっき弟と探検してて見つけたんだ」
「へえ……一応見ておこうか」
「こっちだよ」少女は先に立って駆け出した。
解けたり凍ったりを繰り返してザラメのようになった雪を踏み、少女は飛び跳ねるように進んで行く。俺は普通のスニーカーなので、既に踏み固められた所を選んでゆっくりと追った。
建物の裏手から少しだけ林に入った辺りに、少女の言う通り、天然の枯山水のような場所があった。斜面に沿って大小の岩が並び、道のようなものを作っている。全長はほんの二、三メートルほどだ。下流側の終着点は半円形に岩が並んで囲いを作っている。その内側には雪が吹き溜まっているが、おそらく窪みができているようだ。
斜面から出た湧水がここに溜まって小さな池を作っていたのかもしれない。何らかの理由で、今は枯れているようだが。
俺は無言で写真を撮り、それから片足を岩の囲いの中に入れてみた。積もった雪に足が埋まり、足首より少し上まで沈む。思ったよりも浅い。踏んだ感触は固く、「池」の底に水やぬかるみは無さそうだった。
「ここ……雪かき用のシャベルで底を見れないかな」
「待って、取ってきてあげる」少女はすぐに駆け出した。
二、三分もしないうちに、少女は大きな平たいシャベルを担いで戻ってきた。
岩で囲まれた窪みの雪を退けると、その下にも大小様々な岩が並んでいた。中央辺りに一際大きく平らな岩があり、その表面に黄色のペンキのようなもので、崩したアルファベットが書き付けられていた。文章ではないようだが、一文字ずつ間隔を開けながら、五行ほど続いている。
「すごい。これも呪文?」少女は目を輝かせて聞いた。
「そうらしいな。『池の底』ってこっちだったのか」
「やった! じゃあここに財産があるんじゃん!」少女は声を張り上げた。
「まあ、解呪してみないと」
俺は黄色い文字列をカメラに収めながら、日暮れまでに全て片付くのだろうかと、微かな不安を覚えた。
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