祈り

「では改めまして。私、村野ま、さ、の、ぶ、と申します。真実の真に信念の信、どちらもシンという字なので、たまに、村野シンシンさん? とか言われたりするんですけどもね、ええ、マサ、ノブです。教室の常連さんからはマー君とか……」


 村野はリビングに通されて席に着くと、食卓を挟んで向かいに座ったがみ夫妻に向かって満面の笑みで話し始めた。作ったような笑顔に作ったような声で、小さな子供を相手にしているような、妙な間合いと抑揚がある喋り方だ。


「あの、名前の話はいいですから……」妻のサヤが、気弱そうな声ながらきっぱりと遮った。

「あっ、申し訳ありません。すぐ本題に入ります」村野は笑顔をまったく崩さず、少しだけ声の高さを下げた。「お渡しした名刺にもあります通りこの、S、C、A、というアルファベットですね、これはスマート・セル・エイジングの略ですね。これだけだと何のことだかって思われると思いますけど、わかりやすく言うと、より良い形で細胞が歳を取る、という意味になります。歳を取る、って言うとすごく嫌なこと、避けたいこと、マイナスなイメージを持たれがちですけれど、我々人間の身体はですね、永遠に若いまま生きるということはできない仕組みになってるんですね。ですから歳を取ることは避けられない。でも、より良く歳を取るということは、全然可能なわけです。それも、まったく……」

「あの、もうちょっと巻きでお願いできませんかね」今度は夫の頼斗が、不機嫌を全面に押し出しながら言った。

「あっ、申し訳ございません」村野は笑顔を保ったまましっかりと頭を下げた。「お母様、ゆいさんですね、お教室の方に去年から何度か来ていただいていて、あちらのという黒い、クルクル回るオブジェですね、あれを設置させて頂いたのが去年の五月十二日となっております」


 去年というのはつまり、二年間の退避休眠に入る前の年ということだろう。宇宙規模で考えれば三年前のことだ。


「あのはリース契約、いわゆるサブスクになっておりまして、最初の一ヶ月は無料、二ヶ月目からはサポート費用が掛かります。このサポートというのはですね、具体的には、故障した時の修理、交換ですとか、エネルギーの補充ですとか、あとは万が一呪文の動作がおかしくなった時の対応ですとか、そしてもう使わない、撤去したいとなったときの工賃や送料を全部含んだものになりまして」

「結局幾らなんですか?」サヤが割り込むように聞いた。

 村野が金額を言うと、頼斗が唸り声のような難しい声をあげた。

「こちら撤去費用も込みの価格なので、途中解約の場合も日割りの精算はしておりません。ええ、今月分のお支払いも唯子さんの口座から自動引き落としで頂いているので、今月末まではご自由に、ご使用いただけます。その後、ご解約される場合は無料で撤去、あのキラキラさんをこちらで引き取らせていただきます。また、特に手続きをされない場合は、自動更新となり、来月一日にまた月間サポート費が自動引き落としとなります……」


 客側やその家族からすれば、だいぶぼったくりに近い商売だろうが、自営が長かった俺はどうしても村野の立場で計算してしまう。掛かる経費や手間暇を考えると、だいぶしょっぱい商売だ。客とのコミュニケーションやその内容も含め、ある程度好きで、本気でなければ、とても続かないだろう。


 ちなみに、俺とニセノは呪文の痕跡を精査するという名目で、同じリビングの隅で段ボールの中身を検めながらやり取りを聞いていた。


「いや、結局、いまだに話がまったく見えないんですがね」

 まだまだ話の止まらない様子の村野を、頼斗が再び遮った。

「あれは何をするものなんです? 一言で言えば」


「一言で言えば、瞑想をお手伝いするためのツールです」村野は言った。「瞑想というとちょっとね、山奥でお坊さんが座禅を組んで……みたいなイメージを持たれるかもしれませんが、今では海外のセレブにもよく知られていて」

「いや、瞑想はわかりますよ」頼斗は頭を軽く振った。

「細胞を理想的な状態に保つために、絶対に避けた方が良いものが幾つかありまして、一番はやはり、ストレスなんです。そのために是非、お勧めしているのが、を使った瞑想の習慣です。とはいえこれはすごく気楽なものでして、特別なことを目指す必要はありません。何かこうしないと、こう考えないと、というプレッシャーがあると余計にストレスになってしまいますからね。時間も五分とか三分とかで構いませんし、慣れてくれば一分とか、十秒とかで済ます人もいます。何かこれを考えなきゃいけないとか、逆に心を無にしなきゃいけないとか、そんな決まりもまったくありません。ただ一日のうちのどこかで、他のことをせずに静かに自分の内面と向き合う時間を作るというだけのこと、それだけのことで、ストレスの種は小さくできますし、まったく細胞の状態っていうのが変わってきますから」

「あの、キラキラさん……と言うんですかね、あれに、どういう効果があるんですか?」

「瞑想をしやすい環境にするためのものです。もちろん、無くても瞑想は可能ですが、なかなかね、現代人の暮らしは慌ただしいですから、心を落ち着けて集中しやすくするお手伝いを」

「だから、音を静かにする効果や弱い光が出ているということですか。あの人達が解析してくれた通り」頼斗はそう言って俺たちのほうを見た。


 村野もちらりと俺たちのほうを見やり、その一瞬だけ真顔になったが、すぐに笑顔で続けた。「ええ、静けさと柔らかい光……それにあのゆっくりとした回転を見つめることで、視線がふらふら動くのを防いで、心地よい落ち着きの時間、というものを呼び込みます。催眠術で振り子を使ったりするのに似ていますね。あと焚火をじっと眺めたり、川の流れや海の波をぼんやり見ていると気持ちが安らぐ……っていうのにも近いです。完全に機械的な回転ではなく、少しだけ揺らぎを入れているんですよ」

「あくまでも科学的なものだとおっしゃるんですね?」頼斗は食卓に両肘をついて手を組み、わずかに身体を乗り出した。

「細胞の健康を保つ、という点はまさに、そうですね、私たちの身体は少なくとも、科学に反して活動することはできないので。だから、歳を取らず死なず、というわけにはいきません。自然の摂理には逆らえないので」

「TTA……なんだっけ、あの変な記号を書き足してあるのは? それも科学なんですか?」

「テロメアですね。テロメアというのは、細胞の中の……」

「いえ、その説明は大丈夫です」

「あ、失礼しました。要は、ひとつの象徴というか理念というかね、初心を忘れないためにって言うんでしょうか、毎日やってるとだんだん、何のためにこれしてるんだっけなあ、と忘れそうになりますでしょう。ああ面倒だな、今日くらいサボっちゃおうかなあって。そんなとき、思い出して欲しいわけです。これはテロメアのためにしているのだと。細胞の健康を保つため、今ある細胞をできるだけ長く、大切に使うため。そうしてより良い形で歳を重ねていくためです」

「老い先短い老人にそういう話を吹き込んで、これでもしかしたら若返るかもしれないという期待を煽っていたわけですよね」

「いえ、そんなことはないですよ。エイジング、としっかり看板に書いていますからね。私がお伝えするのは歳を取るための方法ですよ、ということを、私はいつも真っ先に言うようにしています。若返りたいとか、歳を取りたくない人は、残念ですが他を当たってくださいと」


 食卓になんとなく沈黙が流れた。


「けどね……やっぱり普通じゃないですよ」サヤがおずおずと言った。「あんなね、まるで何かに取り憑かれたようにびっしりとね……ほんとにお経みたいに。結局は特に意味のない言葉というか、言葉ですらないわけですよね? そのTTA……とかいうものは」

「まあ、その、DNAのパーツの頭文字ですね。その並び順を、頭文字で表しています」

「それが長ければ長いほど良いというわけですよね、それはわかるんですが……」

「ちょっとね、今、奥様のおっしゃることを聞いてふと気になることがあったので、もう一度あの部屋のキラキラさんをよく見せていただいても良いですか?」村野は椅子から腰を浮かせた。

「え、はあ、構いませんが……」


 村野が先頭に立ち、その後を湖上夫妻がついて行く形で、三人はリビングを出て廊下を進んだ。俺とニセノもとりあえずその後ろについて行った。


 村野は例の部屋に入ると、最初にオブジェに向かって手を合わせて一礼した。身に付いた自然な動作だった。

 それから床に両膝をついてにじり寄り、オブジェの軸の部分に指を当ててじっと覗き込んだ。


「ああ」村野はそこに刻まれた呪文を読みながら少し目を見開いた。「そうですね。書き足されてますね。たぶん唯子さんがご自身で書かれたものでしょう」

「何? どういうことです?」頼斗が声を張り上げた。

「私が書いた呪文はここまでです」村野は軸の真ん中あたりを指で押さえた。「このキラキラさんを維持するために必要な呪文と、締めのサインとしてTTAGGGを三回。その先の、ずっとびっしり繰り返されているところは、唯子さんがご自身で書き足されたものだと思います。少しだけ色も違いますね」

「そんな……なんで」

「それも瞑想のやり方のひとつですよね。写経と一緒で、他の考えごとをやめて無心に手を動かすことがリラックスにも繋がります」

「結局ほぼ宗教じゃないか。母さんにこんなことをさせていたのか?」

「いえ、私のお教室のほうで写経を勧めたことは、ありません。唯子さんなりの独自の工夫かと思いますが、これもひとつの、良いやり方だなと感じます。お教室の他の方にもご紹介したいくらいですね」

「……あんたは何を言ってるんだよ」頼斗は愕然とした顔で相手を見た。


 持ち上げた手が行き場を失って落ち着きなく揺れ、それから、また思い直したように奇妙なオブジェの軸を指差した。


「こんな、こんなに取り憑かれたように沢山……意味のない言葉を。この部屋だって元々は母さんが、長年捨てられない思い出のものとかをしまってた場所で……それをこんな、よくわからんもののために全部片付けて。母さんが歳を気にしたのは、退避休眠が怖かったからだろう。年齢的に、休眠から戻れないリスクがあるから……汚染嵐が来るたびに強制的に眠らされて、もう戻れないかもしれない、それが怖くて、あんたに縋ったんだろう。死ぬのが怖かったから。あんた、そういう老人達の不安に付け込んで金を取って、なんとも思わないのか?」

 頼斗の言葉は途中から泣き出しそうに震え始め、今にも村野に掴みかかりそうになった。

 サヤが宥めるように、横から夫の腕を掴んだ。


 村野は満面のにこにこ顔のまま眉の端が下がった、よくわからない表情をしてから、「では一旦、契約解除ということで、こちらは引き取らせていただきますね?」と言った。

「そうですね。そうしてください」サヤが素早く答え、何か言いかけようとする夫を手で制した。


 村野はてきぱきと解呪の作業を始めた。ニセノは廊下から部屋を覗き込んで、興味深そうに観察していたが、俺はもう帰りたかった。村野が到着した時点で帰れば良かったと後悔する。完全にタイミングを逃した。


 結局、当初の嫌な予感通り、知りたくもない他人の秘密の書き残しだったし。


 村野の作業は数分で終わった。宙に浮いていたオブジェがゴトリと床に降りて傾く。村野はそれを片手で担ぎ上げた。

「唯子さんが早く戻られるように、私からもお祈りしておりますね」

 村野はふと、貼り付けたような笑みをやめ、真剣な目で頼斗に向かって言った。


「いえ……」頼斗の目が落ち着きなく揺れた。「あの、母はもう戻らないです。それがよくわかりましたよ」


 側に立つサヤがはっとしたような目で夫を見上げた。


「変な話ですけどね、そこに書いてあるその、母が書き足したやつを……それが母さんの字だって言われてね……急にわかったんですよ。母さんは死ぬのを怖がってた。そして、でも、それは避けられなかっ、たんだ、なって……」

 頼斗の声と手がぶるぶる震え、最後の方はほとんど聞き取れなかった。手で顔を押さえかけ、嗚咽が漏れる。サヤが子供を宥めるような仕草でその背に細い腕を回した。


 湿った空気に耐えきれなくなって、俺は無言で靴を履いて玄関を出た。


 ニセノともこれ以上話したくなかったが、エントランスを出るあたりで追いつかれた。

「今回は仕事を取られちゃいましたね。というか、あの人にしてみればわたくし達のほうが割り込んできた部外者ですかね」

「サブスクはやめとけってことだな」俺は渋々言った。「不慮の事故があったとき、残された家族が迷惑する」

「うーん。わたくしも気を付けませんと。死者の国がらみだと特に、死んだとも言い切れずにズルズル引き落としだけ続くなんてこと、ありそうですもんねえ」

「まあそうだな。それで本当に戻ったときには口座が空かもしれないな」

 軽口を叩きながら、胸の中には不安と痛みが差し込んでくる。


 死んだとも言い切れずにズルズルと。


 最後に退避休眠に入った二年前のあの日以来、シュウノが戻らない。

 ありふれたこと。いつものこと。以前からずっと、いつかそうなるかもしれないと、わかっていたこと。

 しかしいまだに何の実感も、確信も、俺の中に湧いてこなかった。


「とにかく帰ろう。帰る」俺は駅に向かって足を早めた。

「あ、一応会社に寄って欲しいんですけど」ニセノが言った。

「やだ。もう帰る」

「そんなことおっしゃらずに……というか一応、わたくしが貴方の上司なんですけどね、今は」

「え、そんなこと聞いてないぞ」

「先月ちゃんと契約しましたよ。書類を交わして、説明もしたでしょう」

「お前が上司とまでは書いてなかった」

「けど実際にはそうですから」

 嫌な企業だ。こうやって色んなスキルを持った人間を適当に捕まえては取り込んでいるらしい。それなりに規模感とネームバリューはある組織のようで、確かに依頼の件数は多い。自営でやってた頃のように、仕事が来なくて焦るということはなくなった。かわりに上前を刎ねられるので、いいように安く使われている感はある。


 それでもやはり、今はこの忙しさがなるべく続いた方が楽なのかもしれない、と予感していた。

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