頭痛の種
結局、パソコンに取り込んだ魔法陣のデータを完全に消すことを条件に、金を受け取って帰って来た。精神的にも体調的にも気分が悪くて仕方なかったが、現世に戻って仮面を外し、ファミレスに腰を落ち着けると少しはマシになった。
夕食の時間には少し遅い。しかし、夕方の変な時間にラーメンを食べたばかりなので、食欲はなかった。俺はドリンクバーとサラダのセットだけ頼んで、コーヒーを啜った。
シュウノはハンバーグステーキのセットを頼み、ドリンクのグレードアップ、ライスの増量、ダブルソースのフルオプションを付けてご機嫌だった。「今回はめちゃくちゃ儲かったね! お陰で心置きなく食べられる」
「よくああいうことができるよ」と俺は言った。「脅迫じゃねえか」
「まあ現世だと言いにくいけど、向こうは顔が見えないし」
「顔が見えないから余計怖いだろ」
「けどあんな人達とずっと一緒にいる方が怖いもの。殺人事件をでっちあげようとして本当に一人殺すような奴らだよ? 適当に主導権取りつつ早めに離脱できて助かったよ。あとはニセノさんが何とかするでしょ」
「それがよくわからないけど、結局なんだったんだろうな。あの男は自分が殺されてあそこに転送されるのを知っていたから、魔法陣を仕込んで俺を呼び出したのか」
「まあ、そんなところかねえ……そもそも、遺産を渡したくない相続人Xが出てきたとして、もしそいつを殺してバレると、相続の資格を失ってしまうので」
「そうなの?」
「そうですよ。でなきゃ遺産がらみの殺人ミステリーなんてミステリーにならないでしょ。何のために複雑なトリックを仕掛けて頑張るかって、事故か自殺に見せかけないと金が取れないからで。そのルールが無かったら堂々と全員殺して刑期終えてから遊び暮らせば良いだけでしょう」
「いや、そうはならんだろ」こいつと話してると大抵頭痛が悪化する気がする。
「ともかくその昔からのルールを逆手に取って、死者の国で蘇生師が使えるというライフハックと組み合わせると、狂言で一人殺してXに罪を着せ、Xの相続の資格を失わせてから、本人は生き返って無事に相続するという裏技が使える」
「ええ? 無理があると思うけどなあ。だって生き返ったら殺人そのものが無くなるから、Xの濡れ衣も取り消されるだろう」
「そうだけど、『殺そうとした』という線で殺人未遂で有罪にできれば、相続の資格は無くなるから。必ずしも死者が必要なわけじゃないから、時系列を上手くやればワンチャン」
「針の穴を通すような話だな」
死者の国の特殊な時間事情が絡むとしても、警察の捜査をそう簡単に欺けるはずがない。大体、そのために一度は本当に死ななければならないような計画なら、その時点で破綻していないか。後で生き返れば良いという理由で自分や身内の死を計画に含めるような価値観は、俺には到底受け入れられそうにない。
「まあ、結局は失敗してるんだろうけどね。どうもあの魔法陣のメッセージの雰囲気だと、メインの仕掛人だったはずの彼自身が納得していない様子だし」
それからシュウノは何か期待を込めた眼差しで俺を見つめた。
「え、何?」
「映像残ってないの」
「聡一さんのメッセージか? 約束通りあいつらの見てる前で消去しただろう」
「そんなの復元できるでしょう」
「いや、専用のツール使ったから、本当に消えたよ」
「本当? 僕に見せなさいよ。きっと復元してやるから」
「やめてください」俺は思わず本気で顔を顰めた。「こういうの、信用問題なんで。メーカー純正のがっつり物理的に消すツール使ってるんで。俺は真面目にやってるんだよ」
「じゃ、本当にもう見れないの? 彼の命がけのメッセージなのに?」
「それを金で売ったのはお前だろ」
「内輪でこっそり見る分には良くない? 要は口外しなければ良いだけで……」
「だからもう見れないんだって」
しばらく無益な押し問答をした。シュウノの場合、無駄とわかっていてもとりあえず気が済むまで言うみたいなところがあって、本当にウザい。サラダがとても不味く感じた。
シュウノの皿が半分くらい空いた頃、ニセノが入店してきた。仮面が無いとそこそこ爽やかな顔に、無邪気そうな笑みを浮かべ、迷いなくこちらの席を見る。そして当たり前のように近づいてきて、シュウノの隣に座った。
「お疲れ様でーす」
シュウノはハンバーグの残り半分に忙しく、口をもぐもぐ動かしながら頷いただけだった。俺は口を開くのも面倒で、しばらく無言でいた。
「なんかテンション低いですねえ」ニセノはメニューパネルであれこれオーダーした後、不思議そうに言った。
「今更聞きたくないんだが、どうしてお前は俺がどこで何をしてるか把握してるんだ? 勝手に合流しないでほしいんだけど」
「勝手にって、いえ、わたくしはシュウノさんからメールを貰ったので……」
「お前かよ」俺はもりもり食べ続けているシュウノを睨んだ。
「まあ、まあ」シュウノはまともに取り合う気のなさそうな口調で適当に頷いた。
「……片付いたのか?」俺は仕方なくニセノに聞いた。
「はい! とても時間が掛かりましたが」
「そう?」
「なにしろ現世で死んだ方だったので、調整が手間で……」
「いや、詳しいことはいいや」
俺は急いで片手を振って遮った。俺たちがここに着いてからニセノが到着するまでが早すぎた気がしたのだが、よく考えると現世での経過時間は無意味なのだった。川を渡る際の時間線の選び方次第では、仕事を終えたニセノが俺たちより先回りしてここに着くことだって可能だったのだ。
結局そういう意味では何もかもがスポイルされ、平坦な無意味だけが広がった世の中だ。今日の奴らの死んだ祖父だかなんだかだって、よほど偏屈な人でなければ死者の国に住み替えをして向こうで普通の暮らしを続けているのだろうし。遺産のことも、不動産の価値がどうとかごちゃごちゃ言っていたが、どの程度の意味があるのやら。命を賭けて取り合ったりするほどのものか? たぶん、彼らにとってはその命すら大したものではないのかもしれないが。
「難しい顔、してますね」ニセノがわざとらしく俺の顔をじっと見た。
「まあ、疲れるんだよな。生者の話を聞かされるのは」
「死者の方がお好き?」
「死者とは話せないから……話せば結局疲れる。どうせ似たようなことばかりだよ、浮気だの金だの出世だの、あとアイドルだのペットだの」
「へえ、ペットも飼えるんですか? 死者の国で」
「飼えるようになったらしいな。よく知らんけど」
「いいなあ」と何故かニセノはにこにこした。
「そう? じゃあこないだやっぱり死んどけば良かったんじゃ?」
「いえいえ。老後の話です」
「老後、ね……」
俺たちが老いる頃までに今のシステムがこのまま継続している保証はないんだが。能天気な奴は人生が楽しそうだ。
配膳車が来て、ニセノの前にトンカツ定食を置いていった。ニセノはさっそく茶碗を取りながら、「さてそういうわけで」と言ってじっと俺を見た。
「え? 何?」
「弊社の依頼を受けてもらえますね?」
「いやなんで? つーか内容も知らんし」
「先日説明しましたのに」
「聞いてなかった」
「やっぱり全然聞いてないんですか。でもいいですよね?」ニセノは何故か、隣に座るシュウノを見た。
「はい。いいと思う」と、シュウノは呑気な口調で言った。
「なんでお前が勝手に決めてるんだよ」
「いいじゃん。行って来れば」
「どこに? 何の?」
「藍村君。『今』を楽しみなさい」
「は? 今そんな話してないだろ」頭がどんどん痛くなってくる。
ニセノとシュウノは俺を無視して、俺の今後の予定を勝手に決め始めた。「じゃ来週の後半に……」「金曜が……」「場所を後でメールするので……」「それで時間帯なんですけど……」
ギリギリ俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、こそこそと話しながら二人とも酷く楽しそうだった。そりゃ、自分の予定じゃないから言うだけタダで楽しいだろうな。
腹立つ。
「俺のスケジュールで遊ぶな。暇じゃないんだよ」俺はコーヒーの残りを飲み、立ち上がった。
「え、もう帰るの?」
「もう帰るんですか? わたくしまだ食べ始めてもないのに」
「知るか。なんなんだお前らは」
シュウノにはこの前「お遣い」を言いつけたときの金を返してもらっていないから、コーヒーとサラダの代金くらいは払わせてもいいだろう。俺はごちゃごちゃと何か言い続ける二人を置いてファミレスを出た。
疲れる。ただでさえ疲れているのに。
死者の国で過ごした時間は現世の時間とは別枠だから、同じ時間線で戻って来れば、中断した現世の時間の続きを過ごすことになる。肉体的な疲労や空腹感も、現世を離れる直前の状態が再現される。ただ、例外は記憶だ。今日一日分の活動量よりもかなり長く活動したという記憶はしっかり残る。これが思った以上にしんどい。身体が疲れていなくても、「体感」としては疲労困憊だ。
夕食も食べ損ねたし。
さっきコーヒーとサラダだけにしたのは食欲が無かったからだが、今になって一人で帰ろうとすると急に空腹な気がしてきた。頭痛が止まず身体が重いのも、そのせいなのかもしれない。
駅ビル内の惣菜店街に寄って、酒とつまみを多めに買った。こんなとき気晴らしが自宅で晩酌だけというのも虚しいが、俺の性には合っている。孤独で退屈なくらいの方が、気が休まるのだ。
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