開かれる魔法陣

 俺の専門とは別系列の呪文だったので、少し解読に苦労した。俺が普段使うのは言語で指示や条件を組み立てていくS系列呪文だ。対して、そういちの腕に彫られた刺青の魔法陣は、図形の組み合わせや歪みを利用するO系列の呪文だった。


 四人の親族はぽつぽつと話し合っていたが、だんだん雰囲気が悪くなってくるようだった。シュウノとニセノは俺の解読作業を横から眺めながら、暇なようで、「読めないんならもう帰ろうよ」「わたくしもそろそろ帰りたいです」とか適当なことを言っている。


 俺はデジカメを死体の腕に向けて「取り込み」と「逆写」を繰り返し、道路に直に置いたパソコンで作業した。結局これもホームビデオを再生する呪文のようだった。ただその動画データ自体がどこにあるのかしばらく見つからず、慣れない呪文を地道に辿り続けた。


 落ち着いてひとつずつ読み解いていけば、必ず見つかる。呪文には必要な情報が全て含まれる。そして呪文を構成する要素には、全て意味がある。できれば机の前でじっくりと腰を落ち着けて取り組みたい作業だが、生憎と目の前には死体、血溜まり、冷たいアスファルト、仮面を被った不機嫌な集団と無責任なふたりの野次馬だ。


「あ、こっちか」俺は最後の一組の図形を上手く構成し直して、ようやく魔法陣を正しく動作させた。

「あ、ちょっと待っ……」シュウノがこちらに手を伸ばしかけたが、再生はもう始まっていた。


 聡一の腕に刻まれた小さな魔法陣から放射状に青白い光が出て、空中に生前の聡一を撮影したと思われる上半身が浮かんだ。


『私の告発は正義のためになされるものです』できる限り感情を抑えた、静かな男の声が語り出す。『私は近々この記憶を失う可能性があると思い、これを記録します。そしてこの記録を、魔法陣を使って自分の腕に持ち歩き、いよいよ身の危険を感じたときに、これを再生するスキルを持つ人を呼び出します』


「ちょっと待て。止めろ」猫のキャラクターの面をつけた裕翔が、急にただならぬ荒い声を張り上げた。


『話の発端はそもそも、祖父の亡くなる少し前です。施設に知らない女性が訪ねてきて、その連れの――』


「はい、一時停止」シュウノが長い腕を変な方向からさっと伸ばして、聡一の腕に刻まれた魔法陣の端を指で押さえつけた。


 よく見るとその指先に火のついた煙草があり、シュウノはそれを聡一の腕にしっかりと押し付けていた。根性焼きで端の欠けた魔法陣は沈黙し、空中に映写されていた聡一の上半身と音声は消えた。


「お前、人様の身体に何を……」

 俺はシュウノに向かって声を張り上げそうになったが、シュウノは平然として「時間を巻き戻せば良い」と言い返した。

「だってそうでしょう? 今から肉体の時間を巻き戻して蘇生するんですよね?」シュウノはニセノを見る。

「そう依頼されております」ニセノは頷いた。

「じゃあこのナイフの傷も消え、煙草の跡も消え、巻き戻す量によってはこの魔法陣自体も消えるんですよね?」

「そうなりますね」ニセノは頷いた。

「じゃ、いいですよね」

「良くはねえ」俺はうんざりしながら言い返した。「お前らは人の身体とか命とか時間を何だと思ってるんだ」

「でもそんなの今更ですし」ニセノは首を傾げた。


 ふざけた顔の面が傾き、ムカつき度合いが更に増す。


 今更。それはそうだ。彼岸と此岸を個人が自由に行き来して、金さえ積めば好きな時に死んだり、生き返ったり、時間を巻き戻したりすらできる世の中で、全てが今更すぎる。


「けどな、こういう世の中だからこそ、倫理観の線引きはしとかないと……」

「いえ、藍村君と僕はもう手を引きます」シュウノは火の消えた煙草を素早く携帯灰皿に入れ、立ち上がった。「僕たちは状況を知らされずに呼び出されただけです。もし、仕事のご依頼を受けるとしたら、依頼者はこの人になるでしょうけど」

 シュウノは足元に横たわった聡一の身体をちらっと見下ろした。

「今のところ依頼ができる状態ではなさそうですね。依頼をされていない以上は、何もすべきではない。お家の事情のことには立ち入れないですし、この件はここにいる全員にとって、あまり大っぴらに騒げるようなものではなさそうですからね」


 空気が凍りついたように静まり返った。


「交通費くらいは頂きたいですね」シュウノは裕翔の方に身体を向けて、はっきりと言った。


 互いに仮面をしている。子供の落書きのようなお化けの面と、無表情な猫のキャラクターの面が向かい合う。


「初めからこれを狙ってたか?」裕翔は低く小さな声で言った。

「何を狙うんです? 僕たちはまだ何も知らないのに」

「だったらすぐ帰れば良かっただろう。途中まで手出ししといて、こんな、口止め料を要求するような真似を……」

「僕たちは言われたままにしてるだけですよ。帰れと言われれば帰りました。でも、こちらの方に家に上がれと言われたから」シュウノはクマの面をつけた藤堂北子を見た。「そしてこの蘇生師の方にも立ち会えと言われたので」シュウノはニセノを示した。「ま、それは僕たちが偶然にも知り合いだったからで、深い意味は無いでしょうけど」

「そうです、わたくしの言うことに深い意味はありません」ニセノは自信満々に言った。

「依頼に関しては意味があって欲しいですね」シュウノは他の全員を見回した。「少なくとも、最近現れた他の相続人を排除するために殺人事件をでっち上げようというのなら、関係各位でしっかり口裏合わせと意思統一をすべきでしたね」


「なっ……他の相続人って」北子は声を張り上げたが、他の三人の様子を窺って言葉を飲んだ。


「他に何を知っている?」裕翔がシュウノに聞いた。

「何も知りません。ここで見聞きしたことだけです。あとは想像です。先程の魔法陣の映像で、お祖父さんの施設を訪ねてきた人がいたというのが、もしこの場にいないもう一人の相続人だったら……実の子供と孫が把握してなかった相続人となると、それは私生児とか隠し子とか言われるような立場の方なのかもしれませんが。この場にいる方々にとっては他人同然の存在、それでも戸籍上の子か孫なら法的な権利は固いです。本人に相続放棄の意思が無ければ、あとはその人の権利が剥奪されることがあるとすれば、等、かなり条件が限られますね」

「それはだ。あんたの想像」裕翔は鋭い口調で言いながら一歩前に出た。「そのような事実はない。全部あんたの想像だ」

「そう。まあ、です。ですから僕たちはもう帰らせて頂こうかと」

「わたくしは帰りませんよ!」とニセノは明るく言い切った。「事情を詮索する気はありませんので、依頼された仕事は完遂させていただきます」

「そうされた方が良いでしょう」シュウノは言った。「計画の詳細はわかりませんが明らかに話の行き違いや仲間割れが起きている。こんなことで死んでは彼が気の毒です、取り消せるものなら取り消して差し上げた方が良い。たとえ相応の悪事に一度は加担したのだとしてもね」


 シュウノの声色は事務的で穏やかだが、言っていることはだいぶ酷い。しかし、自分たちの身内を実質「死んでも自業自得」と言われているに等しいのに、四人の関係者は誰も反応しなかった。俺はなんだか寒気がしてきて、頭と胃のあたりが一段と重くなった。

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