おまけ短編5 「飴玉と手紙と」順雪編 その1
夕方、私塾からの帰り、順雪は長屋の隣に住むおかみさんから声をかけられた。
「おかえり、
「お手間をおかけしてすみません。ありがとうございます」
順雪の家に手紙や荷物が届くことなんて、滅多にない。だが、いまはたったひとつだけ、心当たりがある。
胸がどきどきと高鳴るのを感じながら、順雪は隣のおかみさんに丁寧に礼を言った。
「これなんだけど、大きさの割にやけに軽くてねぇ」
三十半ばほどの年頃のおかみさんが渡してくれたのは、十字に紐がかけられたひと抱えほどの布袋だ。
中身が何なのかさっぱりわらかないが、確かに軽い。ふこふこと柔らかいし、中に入っているのはきっと布製品だろう。
「これ、やっぱり明珠ちゃんからの荷物かい?」
隣のおかみさんが興味津々といった様子で、紐が十字になった部分に挟まれている紙を覗き込む。紙には宛先や差出人が書かれているのだが、おかみさんは字が読めない。
いや、おかみさんだけではない。貧乏長屋では住人の半分以上は字が読めない。一家全員が読み書きできる順雪の家は、長屋暮らしの家族の中でもかなり特殊なのだ。
姉の明珠はたまに、長屋の住人の代わりに安価で字を読んだり、代筆を請け負ったりしていた。優しい姉の性格を考えるに、絶対に報酬目当てではなく、困っている隣人達を放っておけないという気持ちからだったに違いない。
『困っている時は持ちつ持たれつでしょう?』
と言って、野菜だの芋だの煮物だの、現物の報酬の時だって多かったのだから。
「うんっ! そうなんだっ! 姉さんが何か送ってくれたみたい」
ぎゅ、と布袋を抱きしめ、順雪ははずんだ声で大きく頷く。
姉がしぶしぶといった様子で蚕家へ奉公へ行ったのはもう、十日以上も前だ。
『蚕家について、手紙が出せるようになったら仕送りと一緒に手紙を送るわね!』
と言って奉公へ出た姉だが、まさかこんなに早く手紙が来るとは思っていなかった。
「それはよかったねぇ。きっと明珠ちゃん、順雪ちゃんが心配で仕方がなかったんだよ」
よしよしと頭を撫でてくれるおかみさんに、順雪はえへへ、と笑みをこぼす。
奉公に行く前の姉は、残される順雪のことを心から心配してくれていた。これまで姉と長く離れたことなどなかったので、順雪も不安がなかったと言えば嘘になる。
けれど、順雪だってもう十一歳なのだ。父だっているし、姉が奉公に出た後の家を守ることくらいできる。いや、姉が心おきなく奉公に打ち込めるよう、しっかり家を守らねば。
姉は母を亡くした十二歳の時には、幼い順雪を抱えながら、しっかり家を切り盛りしていたのだから、順雪だってやればできるはずだ。
いつまでも姉に心配をかけてしまっている自分を情けなく思いつつ、けれどもすぐに手紙を送ってくれた姉の心遣いが嬉しくて仕方がない。
ぎゅっと抱きしめた布袋の中からは、かさりと紙の感触も伝わってくる。きっと中に手紙も同封されているはずだ。大好きな姉からの手紙だと思うと、早く読みたくて仕方がない。
「荷物を預かってくれて、本当にありがとうございました」
姉仕込みの礼儀作法でぺこりと頭を下げると、順雪は私塾の勉強道具が入った鞄と布袋を抱えて、大急ぎで長屋へ入った。
窓の板戸の隙間から夕方の光が差し込む長屋の中は無人だった。父は出かけたまま帰っていないらしい。
ろくに働かない父のことを考えると、順雪の心の中にもやりとした気持ちが湧く。父がもっとしっかり働いてくれたら、姉の苦労はずいぶんと減るはずだ。
それだけじゃない。実の子どもの順雪だけでなく、父親違いの姉のことももっと可愛がってくれれば……。
父に何度もそれとなく伝えたことはある。けれど、母を亡くしてから人が変わったようになってしまった父は、順雪の言葉などむなしく通り抜けていくようで……。
『いいのよ、順雪。私は順雪が毎日笑顔で過ごしてくれれば、それだけで十分幸せなんだから!』
と、どこか諦めたような表情で告げる姉を見ているうちに、いつしか順雪も諦めるようになってしまった。
「姉さん……」
いつだって愛情に満ちあふれた笑顔を向けてくれる姉がいてくれれば、たとえ貧しくてろくに明かりを灯せない家でも、あたたかく居心地のいい我が家になるのに。
不意に寂しさに襲われ、
「そうだ! 姉さんからの手紙……」
布袋にかけられた紐をほどき、布袋を開ける。
中から出てきたのは丁寧に折りたたまれた藍色の布地と、手紙だ。きっと高くてよい紙なのだろう。順雪がふれたこともないくらいすべすべした手紙を急いで開く。
よく知る姉の字を見た途端、目頭が熱くなって手紙を持つ手に無意識に力がこもる。
姉からの手紙なのに、ぐしゃぐしゃにしてしまったら大変だ。
順雪は深呼吸して気持ちを落ち着かせると、手紙に視線を落とした。
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