第5章

第38話 月、沈みて

「アイツ、何やってんだよ……」


 ライブにキリがつき、すぐに月坂を探しに行った俺は、日向から一報を受けてすぐさま保健室へ向かった。


「月坂!?」


 ドアを開けると、ベッドの上で完全に灰と化した月坂がいた。

 状況の説明を求めるべくモコの方を見たが、俺が口を開くよりも先にモコと日向が説明してくれた。


「美弧乃さん、関係者エリアの所で横たわっていたらしくて……」

「膝を打撲しててね。見つけてくれたスタッフさんが何があったか聞いてくれたんだけど……。この子、ずっと何も喋ってくれなくて」


 身体は起こしている。けれどポカンと口が開いたままで、目には光が見えない。

 まるで魂を抜き取られたかのように、ぐったりしていた。


「美弧乃ちゃん!?」


 この事態を受け、小竹さんも顔を真っ青にしてここへやってきた。

 俺にしたのと同じように、二人が小竹さんにも状況を説明する。


「……なさぃ」

「月坂!?」


 意識を取り戻した患者に食いつくように、俺たちは月坂に寄り添った。


「……ごめんなさぃ」

「どうしたの、美弧乃ちゃん? 何を謝ってるの!?」

「あっ……、あぁ、ごめんなさぃ。ごめんなさぃ……」


 小竹さんが問い詰めると、月坂は手で顔を覆ってすすり泣き出した。

 そして……、こんなことを言ったのだ。


「──私、アイドル、辞めたいです」


 月坂が、アイドルを、辞める……?


「今日で分かりました……。i・リーグは、私の立つべきステージじゃない……」


 色んなもの捨てて、色んな人間巻き込んでまでアイドルになったのに?

 あのステージに立ちたい、って言葉は嘘だったのか……?

 憤りが不意に顔を出しそうになったが、次の言葉でハッとさせられた。


「だって私、──迷惑だから」


 迷惑──それは、周りを幸せにしたいと思う月坂を長年苦しめた言葉だった。


「私はこれからステージで失敗して迷惑をかける。実力不相応なのに、あのステージに立てば、きっとあの子みたいに失敗してチームのみんなに迷惑をかけてしまう。そして、あなたたちにもこれから……」


 迷惑をかけてしまう。この言葉を漏らそうとするも、月坂は声を詰まらせた。


 そうだ、コイツは誰かの迷惑になることをひどく恐れていた。だから俺は、俺は……。


 ──失敗して、迷惑をかけると思うと不安? こんなんで、よくもまぁ『あのステージに立ちたい』なんて言えるよな。

 ──でもお前がモコの言うことを聞かないと、他の二人にも迷惑になるぞ? それでもいいのか?


 今まで、そういう言い方をした。その言い方が月坂に効くと思っていた。


 だけど、もしかしたら俺は、知らぬ間に月坂を苦しめていたのかもしれない。

 いつの間にか、逃げられないようにバリケードを張っていたのかもしれない。

 今頃知ってしまったことへの罪悪感が、胸をきゅっと締め付ける。

 そんな俺は、今のコイツにどんな言葉をかければいいのだろうか……。


「迷惑? ……なに、それ」

「……日向さん?」

「ふざけんなっ! アタシたちがいつ、どこでそんなこと言ったの!? ねぇ!!」

「やめましょうよ、日向さん!」


 月坂の両肩をガッと掴む日向を、小さいながらもモコが抱きついて止めにかかる。

 それでも、日向の怒りは治まらず……。


「アタシ、この三人で頑張ろうと思ったんだよ!? 翼の言う通り、三人で足りないもの補えたらいいなって思ってたのに。ここでならアタシは……、みんなと輝けるって信じてたのに……」

「……日向」

「──もうやめて!!」


 途端にあがった大声に、この場の誰もが固まった。

 重くなる空気に同調して、月坂の頭が徐々に下がっていく。

 そして……、


「……出て行って」


 掠れた声で、月坂はぽつりと零した。

 その言葉に日向は何も言い返すことなくこの部屋から走り去り、モコもその後を追うように出て行った。

 続いて小竹さんも、俺の肩を優しく叩いてから出て行った。

 けれど。


「……なにしてんの、出て行ってって言ったのに」

「…………」


 俺はその気にならなかったのか、足が一歩も動かなかった。まだ大事なことが言えてなかったから。


「悪かった。ずっと苦しんでたことに気付かなくて」

「別にいいわよ、これは私の問題だから。あなたには、どうすることもできないから……」

「それは、そうだけど……」

「ねぇ、知ってるんでしょ?」


 言葉を詰まらせた俺に、すかさず月坂は言った。マネージャーを始めたとき、小竹さんに言われたあのことを。


「このオーディションでダメだったら、私のアイドル活動が終了するってこと」

「…………」

「いわゆる戦力外通告。……仕方ないよね。プロなのに、長い間ずーっと底辺のユニットでセンターすら立てなかったんだから」


 そして落ちた声調のまま、あのことにも触れてきた。


「『担当アイドルを、一軍に昇格させること』……」


「お前、それは二つ目のミッションの……」

「そう。小竹さんから全部、予め聞いてたわ」

「…………」

「ありがとう翼くん。私のために動いてくれて」

「違う。これは全部──」

「自分のため、でしょ?」

「…………」

「それに、担当アイドルは私だけじゃないでしょ?」


 言われて、ハッとさせられた。もしかしてお前は……。


「だったらいいじゃない。自分のために、担当アイドルであるあの二人のうち誰かをリーグのステージに連れて行けば──」

「できるわけないだろ、そんなこと!」


 喉がつぶれそうになるほどの大声で、俺は叫んだ。


「お前言ったよな? あのステージに立たせて欲しいって。だから俺、頑張ろうかなって思えたのに……」

「…………」

「なぁ、お前はアイドルになりたかったんだろ? アイドルになる運命を持って生まれてきたんだろ!?」

「…………」

「お前を追い込んでいたことは悪かった。でも俺は、お前にはステージに降りて欲しくない! だってお前は……」


 お前は! お前は! お前は……!!

 あの頃の心の傷が疼く。

 口に出すのを憚られる、女々しくて、情けない俺の思い。

 それでも言わなくちゃ。コイツをつまらない現実へ逃避させないために。


「お前は、俺を捨ててまでアイドルになったじゃねぇか」


 会心の一撃を受けたように、大きく目を開いた月坂。そんな元カノに問い詰める。


「……覚えてるか? 高校二年の夏の日」

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