第37話 迷惑

「はぁ、はぁ……」


 荒くなる息が、あの出来事を彷彿とさせる。

 私、月坂美狐乃の、人生で初めて犯した失敗。もう十年以上も前のことなのに、今では昨日のことのように思い出せる。


 ──あれは九歳の頃、ピアノの発表会でのことだった。


 初めて立った大きな舞台。未だかつて無い荘厳な空気が、幼い私の心臓を締め付ける。

 そんな中でも、震える手を鍵盤に乗せた。

 失敗したくない。失望させたくない。──迷惑をかけたくない。

 そんな気持ちが私の小さな身体を支配したからだろうか。

 あるいは、大きな心の支えを失ったからだろうか。


 私は、椅子から転げ落ちて気を失ったのだ。


 それが尾を引いてしまったせいだろうか。

 ──あなたが主役? そんなの、いますぐ断りなさい。

 ──またあの時みたいなことがあったら、みんなに迷惑だぞ。

 私が大きな舞台に立つことをひどく恐れるようになった両親は、いつしか私を影へ隂へと追いやるようになり、私もそれに従っていた。

 学芸会の舞台劇のシンデレラも、文化祭のジュリエットも、全部断った。

 私も、アイドルみたいに大きな舞台に立ちたいと思っていたのに。

 ──迷惑をかけちゃ、ダメだよね。

 この気持ちが、溢れる思いに決まってフタをしてきた。

 でもそんな気持ちを変えたくて、夢を諦め切れなくて、私はアイドルを目指した。

 もちろん毎回ステージに立つ度に緊張してきたけど。この前のモコがしてくれたみたいに何度も助けられた、けれども……。


「……っぐ、ひっぐ。ごぇんなひゃぃ……」


 一人の少女の泣き声に、心が激しく揺さぶられる。さっき倒れた女の子が、背中をさすられながら涙声で謝罪していた。


「迷惑かけちゃ、ダメだったのにぃぃぃ──」


 さすがに心が耐えきれなくて、私は逃げ出した。

 もう、やめて。

 もしあそこで泣いてるのが私だったら、なんて、想像させないで!


「きゃっ!!」


 何かに足が引っかかったのか、私は盛大に転倒した。

 堅い床に打ち付けられた膝から、痛みがじんじんと伝わってくる。


「あらあらごめんなさァ~い。足がすべっちゃったみた〜い」

「……あなたは」


 聞き覚えのある憎らしい声のする方を、私は睨(ね)め付ける。

 私が前にいた三軍ユニットのセンターを、まるで自分の縄張りのように張っていた子だ。後ろにはその取り巻きが数人いる。


「三軍で一度もセンター張れなかったのに、一気に二軍、それどころ一軍の最終選抜まで上がったって聞いたけど、元気にやってるゥ〜?」

「……何が言いたいの?」

「おォー、こっわ。ドSキャラだっけ? ここでちょっとやってみせてよ?」


 嘲笑う彼女に応じて、周りもクスクスと笑い出す。

 その歪んだ笑みを見せながら、「この間のモコちゃんとの二軍ライブ見たよ?」と言う。


「ステージではいっつも失敗ばっかりだったアンタにしてはよく出来てたじゃなァ〜い」

「あっ、あれは……」


 あの時は、モコが緊張する私の手をぎゅっと握ってくれていたから。

 私にとっては初めてだったけど、モコにとっては慣れっこだったから。

 ──じゃあもし、モコも緊張して再起不能になっていたら……。


「この前の配信もそう。さぞかしモコちゃんが助けてくれたんでしょうねェ〜?」


 やっぱり、お見通しだったか。


「だってアンタみたいな根暗陰キャの相手をしてくれる仲間なんて、だァ〜れもいなかったもんねぇ??」

「…………」

「そりゃそうよねェ〜。いつまでも三軍で燻(くすぶ)ってるの相手なんか、誰がするんだって話よね??」


 激しい罵倒の嵐に心がズタズタに引き裂かれていく。

 目に涙が溢れてこぼれそうだ。けれどこんな姿を見せれば、彼女たちの思うツボだ。


「ねぇ、いいこと教えてあげよっか?」


 立てない私の目線に合わせてしゃがみ込むも、見下すような視線を彼女は向けた。

 ……やだ。なに? そんな目で見ないでよ。


「配信の日、裏でスタッフが言ってたわよ? あがり症の彼女に失敗されると『迷惑だ』って」


 ……やめて。


「二軍の子も、ライブに突然参加してきて『迷惑だ!』って」


 ……やめて!


「選抜の一次審査の結果が発表されたときも、優秀な二人のおかげで、最近まで三軍だったのに大した実力もない奴が上がってきたから、棚ぼたで上がってきた奴に枠を奪われて『迷惑だ!!』って!!!」


 ……やめて!!


「──あたしたちからも一言いいかな?」


 ……やだ。やだ。もう聞きたくない──


「大した実力の無い年増が一軍にいたら、企業の迷惑にも、この業界にも迷惑なんだよ」

「…………、」


 重みのある鈍くドス黒い声が、心臓を強く殴りつける。

 喉の奥が痛い。身体が重い。何をするにも力が湧かない。

 私は何も言い返せないまま、手を振る彼女たちの背中を見ることしかできなかった。


 ──私は、どうすればいいの? どうするのが正解なの?


 そんなことを問いかける。答えなんか、既に出てるのに。

 4 −1よりも簡単な引き算。口にすれば、楽になれる問題じゃないか。


「私が、居なくなればいいんだ……」



【あとがき】


明日から5章!

書籍で言うと、ラストにあたります!!


面白いと思った方、続きが気になる方は「いいね」や☆評価、当作品のフォローをよろしくお願いします!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る