第16話 甘々と覚醒と

「……なによ、人のことマジマジと見つめて」

「お前、またその服装かよ」


 会社を出てからの月坂は、もうアイドルではなかった。

 シンデレラの魔法が解けた、地味な月坂と言うべきか。

 今の月坂は『i・リーグ』を観戦しに行った時と同様、スポーティな白いキャップを深く被り、黒縁のメガネをかけている。

 いつもは黒髪ロングだが、今はポニーテールだ。


「ていうか、お前は寮生活だろ? なんで外に出ようとしてんだよ」

「別にいいでしょ? あなたを駅まで送ってあげるくらい。感謝しなさい」

「送ってあげるって、お前……」


 相変わらず、ムカつく女だ。


「それじゃあ、わたしはここで」

「あぁ、おつかれ」

「お疲れ様。今日はありがとうね」


 月坂に対して、モコはアイドル姿のままだった。

 フリルのあしらわれた白いシャツは可愛さをプラスし、水色のスカートは夏の妖精を連想させる。

 月坂のような眼鏡もかけることなく、素顔を丸出しだ。


「モコは、寮生活なのか?」

「いえ! 実家通いです!」

「えっ……?」


 思わず、驚きの声が口から漏れた。

 変装なしで実家へ帰るのは、一般人やメディアに注目されるアイドルとして大丈夫なのだろうか?

 気になって、堪らず俺はモコに話しかける。


「ところで、変装とかしなくて大丈夫なのか?」

「それならノープロブレムですっ! パパがこちらに向かってますので!!」


 父親とのやり取りをしているスマホを見せながら、モコは笑顔で返した。

 どうやらお迎えの車が来るらしい。


「そうか。じゃあ気をつけてな」

「はい! お二人もお気を付けて!」


 元気良く手を振るモコに俺は小さく手を挙げ、月坂は無言で小さく頭を下げて会社を後にした。

 モコは会社で車を待つが、どうやら今日は到着が遅くなりそうだ。

 その理由は、会社を出てすぐに分かった。


「今日、お祭りなのね」

「みたいだな」


 近くの商店街に向かうカップルや子ども連れが、浴衣や甚平を身にまとっている。

 かつ、かつ、かつ、かつ。

 懐かしい下駄の音が、夜道に響き渡る。


「懐かしいわね。あなたと行ったのはいつぶりだったかしら」

「元カレにそれを思い出させるな。嫌がらせか」

「嫌がらせよ」

「ちっ……」


 舌打ちしながらも、当時のことを思い出してみる。確か5年ぶりくらいか。

 ついでに、後日すぐに大喧嘩して別れたことも思い出す。本当に嫌がらせだ。


「覚えてる? 付き合ってから初めてお祭りに行った日のこと」

「お祭りって、高二の時以外に行ったっけ?」

「はぁ……。高校一年の時にも行ってるわよ。本当に覚えてないの?」


 そう言いながらも、なんだか嬉しそうに跳ねる口調で月坂は続ける。


「私だけが浴衣を着てたら『一人だけ浮かれてるみたいで恥ずかしい』って言うのを分かってたあなたが、甚平姿で恥ずかしそうにして私を待ってたの」

「あったな、そんなこと」

「あの時の翼くんの表情、可愛かったなぁ。私が来るまで10分くらいずーっとそわそわしてたもん♪」

「『10分くらいそわそわしてた』ねぇ。あぁ、思い出した。……道理で10分遅刻してたのかこの野郎」

「ふふっ、だってあの時の翼くん見てたらクセになっちゃって」


 肩を上下させてくつくつ笑う月坂。

 確か当時も、紫の艶やかな浴衣を着ていたコイツは、同じように笑ってたっけな。


「ねぇ、ちょっと立ち寄ってみない?」


 たこ焼きの匂いが鼻腔をくすぐったところで、月坂はそう提案してきた。

 左手には、提灯で彩られた別世界が広がっている。


「別にいいけど。どうせ腹減ってるし」

「ふふっ、素直じゃないのね」

「うるさい。次、俺のことをからかったら帰るぞ」


 別に懐かしさに駆られたわけじゃない。ましてや、この女とまたデートがしたいだなんて思ったわけでもない。


 だけどその別世界に足を踏み入れてたからはずっと、胸がざわざわと騒がしい。

 触れ合ってるわけでもないのに、彼女が腕を組んで歩いている感覚がする。

 手を繋ぎたいわけでもないのに、いつ繋がれてもいいようにと考える自分がいる。


 この女は、『デレる』とかいう概念を高校時代に捨てたと言った。

 俺も同感だと思っていた。


 だから『可愛い』とは思えないと考えた。月坂に『可愛い』は似合わないと思った。


 けれど俺は今、不覚にもこの女を『可愛い』と思いそうになっている。

 屋台を楽しそうに眺める横顔。好奇心に満ちた瞳。提灯の光に当てられて、艶やかに輝く黒い髪。


 その全部を、誰よりも『可愛い』と思っていた16の俺。

 コイツが『可愛い』ことを、自分だけが知っているという優越感をわずかに抱く22の俺。


 その『可愛い』を多くの人に伝える必要があるのに、今はそんなこと、どうでもよかった。


「……このまま、時が止まってくれればいいのに」


 小声の主は、月坂だった。

 聞こえないふりをして、俺はそっぽを向く。


「ねぇ、翼くん」


 呼び声に振り向くと、そいつは服の裾をクイっと掴んでいた。

 不覚にもドキリとさせられたが、


「あれ、買って」

「…………」


 一瞬で萎えてしまった。


「自分で買えよ、綿菓子くらい」

「だって、私が買ったら『子どもっぽい』って思われるじゃない!」

「俺はいいのかよ! てか、別に綿菓子くらいでそう思わねぇし」

「じゃああなたも買ってよ」

「はぁ……、はいはい」


 ワガママな元カノがうるさいので、仕方なく俺は綿菓子を二つ買った。

 他にも焼きそば、たこ焼き、大きなケバブを買って二人で分け合った。

 ちなみに全部、俺が負担。……なんで!?


「次、射的やらない?」

「やらねぇよ。柄じゃない」


 テンションがハイな月坂だが、さすがに『射的』と聞いてもノリには乗れなかった。


 コイツ、俺が小学校のとき、射的に夢中になりすぎてお金使いまくったのを母さんに怒られてからトラウマになってるの絶対知ってるだろ。

 俺も俺だよ。よくもまぁ、あんなものに夢中になって散財できたな。今ではマジで考えられん。


「あれ、何の集まりかしら?」

「知らね。何かのパフォーマンスなんじゃねぇの」


 月坂の指さす方向に目を向けたが、人が多すぎて何も見えなかった。


「って、おい!」

「百聞は一見にしかず! 行ってみましょ??」


 弾ける笑顔を見せながら、月坂は俺の腕を組んでグイッと引っ張った。

 満月のように柔らかく明るい表情。


 しかしそれは、人集りに着いたときに消えてしまった。

 まさかの人物が、まさかの事態に巻き込まれていたのだから……。


「いやっ、離して!!」

「ねぇ、別にいいでしょ〜、モコちゃん? オジサンとチェキ撮らせてよ〜」

「だから、それはダメって──」

「なんだよそれ! ここにいるヤツらにサインあげてたのに!! それじゃあ不公平じゃないか!!」


 人集ひとだかりの中心で、モコが酔っ払いの中年男性に絡まれていた。


 恐怖で目が潤んでいるのが分かる。


 ていうか、なんでお祭りに来てるんだよ? なんで変装なしでここまで来たんだよ?

 言いたいことは山ほどあるが、今はどうでもいい。助けなきゃ!


「──おい」


 喧騒に放たれたのは、相手を威圧するようなドス黒い声。

 中年の男に投げかけられたのは、身を震わせるような鋭い目付き。


「汚い手でその子に触んな。──ドブが」


 ──それらは全て、月坂のものだった。


「あっ、あぁ……」

「聞こえなかった? 早く離してくださる?」

「……あっ、あっ」

「ほら、その手よ。その汗臭いベタベタな手。……うわっ、くっさ。最悪なんですけど」

「……おっ、おぁっ」


 モコを掴んでいた男の手を引き剥がし、汚物に触れたみたく不快な表情を浮かべる月坂。


「『おぁっ』じゃなくて。さっさとその汚い手を、その子の神聖な身体から離せって言ってんの。……分かる?」


 そんな彼女の目は、色を失った漆黒。

 その目で睨まれた男の顔が、みるみる歪んでいく。冷や汗が額から垂れている。

 きっと彼は、突然現れた美少女から未だかつて無い罵倒を浴びて脳が破壊されているのだろう。


「あっ、あっ……、ごめっ、ごめんなさぃ!!」


 男はついに降参したのか、半泣きになりながら逃げ出した。

 その姿を見た人たちは、突然現れたヒーローに盛大な拍手を送る、かと思いきや……。


「やっ、やべぇ……、あれって??」

「はぁはぁ……、なんだこの気持ち、胸のドキドキが収まらねぇ……」

「もしかして俺たち……、興奮してるのか……??」


 周りの人たちの目の色が変わっていた。まるで、心を射抜かれたように……?

 って、この女、いつの間にかメガネ外してやがる!!


「あっ、あははは……、どうも……」

「「「「美弧乃ちゃんだァァァァ!!!!」」」」


 月坂の存在を知った人たちが、ライブよろしく絶叫した。

 人集りはさっきよりも膨れ上がり、収集のつかない事態にまで発展してしまった。


「美弧乃ちゃん、サインください!」

「美弧乃ちゃん、こっち向いて!」

「今日の配信見て、二人のことめちゃくちゃ好きになりました!!」

「美弧乃ー! 罵ってくれー!!」

「俺たち『ドブ』に、お仕置してくれー! 美弧乃ー!!」


 この場から逃げ出そうとするが、道がない。

 俺たちは今、オタクに囲まれていた。

 頼む。そのノリはライブまで取っておいてくれ……。


「どうしよう、翼くん」

「ごめんなさい! わたしが原因なのに……。お腹が空いてガマンできなくて……」

「そういうのは後だ。月坂、ここは一つ『道を開けろ』って言ってみろ。ゴミを見るような目で」

「嫌よ! 私をなんだと思ってるの!?」

「「毒舌ドSアイドル」」

「あなたたちねぇ……」


 くそっ、名案だと思ったのに。どんな手を使ってでもこの状況を打破したいのに。

 雁字搦がんじがらめにさせられたまま、俺たちは動けないでいた。


 その時だった。


「みなさーん、ご注目ー!!」


 聞き覚えのある透き通った声に、脳が震えた。


「おいおい、あれってまさか!!」

「白雪ちゃんだ!!」

「しらゆきぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」


 人集りが、声のする方へ移動していく。


 わずかに見えた隙間から、アコースティックギターを持った白雪さんがチラッと見えた。

 ハープのように柔らかな音が聞こえると、彼女は歓声に包まれた。


「今のうちに逃げるぞ!」


 これ幸いと思った俺たちは、すぐさまこの場を後にする。

 月坂はモコの手を掴んでいて。


 俺と月坂は、互いに手をぎゅっと握っていた。



【あとがき】


ここまでご覧いただき、ありがとうございます!!

本日の夜に投稿する次回のお話で、第二章閉幕!

はてさて、第三章ではどんな展開が待っているのでしょうか?


面白いと思った方、続きが気になる方は「いいね」や☆評価、当作品のフォローをよろしくお願いします!!

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