第9話 あのステージに立ちたい
『パチパチパチパチパチパチ……』
拍手が小さくなった瞬間、黄色に染まっていたステージが真っ暗になった。
その瞬間に、またもやステージが静寂に包まれる。
動いたり、静かになったり、熱くなったり……。まるでこのステージは、大きな生き物みたいだ。
「ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
「しらゆきぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!」
「ななこぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
静かでクールなイントロが流れた瞬間、ステージが白い光に包まれた。
それに伴い、アンメルティ・スノウが姿を現す。
その瞬間の盛り上がりは先程の熱気を軽く凌駕していて、この場所にはもう、黄色の光はどこにも無かった。
「さぁ、来るよ?」
小竹さんの言葉に、ゴクリと唾を飲む。
もうすぐ、白雪さんから歌い始める。
それをどれほど待ちわびているか、耳に聞こえる心臓の鼓動が教えてくれた。
「すぅ──」
静寂の中で。彼女は小さく息を吸い、歌い出した。
「なんだ、これ……」
聞こえてきたのは、さっきの甘くあどけない声なんか忘れてしまいそうな、別人の声。
それはまるで、世界に一つしか無いクリスタルのような歌声だった。
そんな美声が体内に染み渡る。
一切の乱れがない真っ直ぐな高音は、脳を震わせた。
「……すげぇ」
曲のテンポがアガると、俺はいつの間にか白いペンライトを振っていた。
盛り上がる観客たちに倣って声を上げ、ステージに上がる彼女たちの振り付けに合わせて手を動かし、熱狂的なオタクたちと同じようにコールを送っていた。
確かに相手のナンバーも良かった。すごく盛り上がった。
けれど今、俺たちは銀世界を創造する雪の精に心を奪われていた。
リーグ1位と6位。別にその差があるからといって彼女たちに優劣を付けるつもりは無い。
しかしリーグ1位のアンメルティ・スノウは、桐蔭寺白雪が出てきた時の盛り上がりは別格だったと、思わざるを得なかった。
「私、あのステージに立ちたい」
ぽつりと、隣に立つ月坂は言った。
「ここにいるみんなを幸せにするだけじゃなくて、試合に勝つことでファンや企業のみんなをもっと幸せにしたい。それが私の願いだから」
「なるほど」
月坂らしいなと、憧れるような輝かしい瞳を見て思った。
コイツは俺に対してあんな性格と目つきを見せるのだが、実際は誰よりも「みんなを幸せにしたい」と考える優しいやつだ。
ただ、不器用なだけ。その優しさを伝えるのに苦労していただけ。
そんな月坂にとってアイドルは、この場所は、願いを叶えるのに最適だと思ったのだろう。
だけど、そこまでの道はもちろん茨だらけ。
そんなことは百も承知だろうに、この女の目は一切腐ろうとしない。
相変わらず、無謀な奴だ。
「ねぇ、翼くん。夢ってある?」
「は?」
なんだ、またあの時みたくマウントでも取るのか?
いや、そんなことは無いか。
だって今のコイツは、柔らかな笑顔を見せているのだから。
「……無いよ。あるわけがないね」
「あっそ。相変わらずなのね」
しかし何を期待していたのか、月坂の笑顔がすぐに呆れ顔に一変した。
そうだ、俺は相変わらず『何の面白みもない現実主義者』だ。ホワイトケミカルに入りたい、というのは夢じゃない。ただの不純な欲望だ。
「じゃあ、私が決めてあげる」
「おい、お前にそんな権限なんか無いだろ──」
「私を、あのステージに立たせて欲しい」
まっすぐな口調で告げられたのは、彼女の切実な願いだった。
「今は元カレ元カノっていう最悪な関係だけど、この際だから、私の夢を叶えるビジネスパートナーになって欲しいの」
「そんなの──」
「勝手なワガママなのは分かってる。本当にごめん……。だけど私には、時間が無いの」
月坂の声がどんどん落ち込んでいく。
こんな俺に縋りたくなるくらい、この厳しいアイドル業界に追い込まれているのだろうか。
やはりこの世界は、月坂の夢は無謀だったのだろうか。
「時間が無い……。だけど、絶対に諦めたくないの」
けれど、月坂の目はまだ生きていた。
「それに、覚えてる?」
その目を向けながら、今度はおかしなことを言ってきた。
「あなた、アイドルのマネージャーになるって言ったことあるのよ」
「は?」
なんだ、その出来すぎた話は。さすがにこれには、素っ頓狂な声が漏れた。
「なんだそれ。記憶の改ざんしてまで、俺がお前のマネージャーになるこの瞬間をエモくしようっていう粋な計らいか?」
「違うわよ、バカ」
「いや、本当に覚えてないんだが?」
「昔、アイドルになりたいって言った私にあなたは言ったの。『お前みたいな危なっかしいやつがアイドルになるなら、俺はお前のマネージャーになる』って」
「……悪い、本当に覚えてない」
「でしょうね。だって小学校の頃の話だもの」
小学校の頃の話、か。
そんな遠い昔の話を、よくもまぁ覚えていたんだな。
俺は付き合っていた頃の腹立つ思い出しか主に覚えていないのに、コイツは恋人になる以前のこともしっかり覚えている。
思い出す度に傷が疼くようなものばかりなのに。
それでも月坂は、俺との思い出を覚えてくれていたのか──。
「翼くんしかいないの」
真剣な眼差しで、月坂は懇願した。
「私のことを、誰よりも知ってる。悔しいけど、私以上に分かってる。そんなあなたにしか、頼めないの」
あぁ、やめろよ。
不真面目な俺に、大嫌いな俺に、運命を委ねるようなマネをしないでくれ。
だって俺はプロのマネージャーなんかじゃない。ど素人だ。
それどころかマネージャーをやるつもりでこの場所にいるのでは無いし、お前にとっては一緒にいるだけに損をしそうな
「──お願い」
それでも月坂は俺に面と向かって、元カレでなく、夢を叶えるパートナーとして一緒にいることを願った。
どうして、そこまでして夢を叶えたいのだろう。どうして、そこまでして俺を信じられるのだろう。
分からないけれど。俺は月坂にこの言葉を返す。
「分かった。俺、やるよ。お前のマネージャー」
その言葉に、月坂は目を見開いた。
「いいの? 本当にいいの?」
「あぁ」
「担当アイドルは、マネージャーのいないアイドルなら誰でもいいのに?」
「あぁ。だからやるって言ってんだろ」
それなのに、信じられないと言わんばかりに月坂が詰めてくる。
相変わらず、マネージャーやって欲しいのかやって欲しくないのか、どっちなんだよ。
「ありがとう。……本当に、ありがとう」
「……別に」
今まで、俺に感謝の言葉を全くかけてこなかった月坂。
けれど彼女は、それを今までに無く本気で伝えてきた。
まったく、調子が狂うったらありゃしない。
「言っとくけど、勘違いするなよ。これは俺のためだ。お前のためじゃねぇからな」
「分かってる」
「それに俺は、正社員になるためにマネージャーをやるんだからな。用が済んでマネージャーを辞めても、文句無しだからな」
「分かってる」
「それに、……俺はまだ、許してないからな」
「うん、分かってる」
月坂は静かに頷きながら、きゅっと拳を握る。そんな月坂に「最後に」と添えてこの言葉を送る。
「『辞める』なんて言ったら、絶交だからな」
「分かってる」
「ならば、よろしい」
「言っとくけど、私もまだ許してないからね」
「……分かってる」
「ならば、よろしい」
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