8話

 今日も今日とて雑貨店では閑古鳥が鳴いていた。そのせいか、外の人々の雑踏と会話の音がよく聞こえてくる。

 

 店内には棚が綺麗に配置されており、そこには本、時計、鳥かご、ランプ、そしてぬいぐるみと様々な雑貨が並んでいる。

 それらは寂しげな雑貨店に少しばかり賑わいを与えていた。


 しかし、そんな静寂を少女が打ち破る。


「そういえば魔女様って、昔はいろんなところを回って物を売ってたんですよね?」


 この雑貨店で働く少女のリリィが、思い出したかのように読書中であった魔女に尋ねる。


「なんだ、いきなり。それが一体どうしたと言うんだ。」


 今まで口を開けて天井を眺めていたリリィが突然話しかけてきたので、魔女は少し驚いて顔を上げる。


「黒姉様と知り合ったのだって、その時なんですよね。この前来てたらしいダレンさんだって。リリィ、魔女様の外の話聞きたいです。」

「嫌に決まっているだろ、面倒くさい。」


 リリィは魔女に近寄り、魔女が外で商人をしていた頃の話を聞きたいとせがむ。

 しかし、にべもなくリリィの要求を拒否する。


「お願いです。だってこのお店、呪われてるくらい暇なんですもん。さすがにこんなに暇だと、暇すぎて死にそうですよ。どうせ魔女様も暇じゃないですか、別に長くなくてもいいので……」

 

 リリィはいつにも増してしつこく食い下がる。彼女は相当退屈だったようで、しばらくの間魔女の説得を試みるのだった。


「……分かった、分かった。じゃあ短く終わる話ならしてやる。喉が渇くからお茶でも淹れろ。」


 さすがの魔女も少女の必死の説得についに折れる。

 リリィはなんとか魔女に話をさせることに成功し、お茶のために店の奥に向かいながら心の中でガッツポーズをとる。


 

 湯気が立ち昇る紅茶を前に、魔女が気だるげに過去の話を始める。


「これはある貴族のところに行ったときの話だが……」


 ◇◇◇◇◇


 ガタガタ、ガタガタ、ガタガタ。


 街の中心から離れた人気の少ない道を馬車が走る。

 舗装されていない凸凹な道と車輪との間から喧しい音を鳴らす。


「いや〜、あの偏屈な伯爵様に御用がある方なんて珍しい。その荷物、行商人の方ですか?」


 御者台から御者の男が荷台を首だけを回して、そこに乗る女性に声をかける。

 その女性は長い美しい銀髪の毛先をいじりながら、外の景色を眺めていた。女性の隣には布で覆われた板のような形状のものが立て掛けられていた。


「ああ、欲しいものがあると依頼の連絡を受けてね。わざわざ倉庫から持ってきたんだ。」

「はぁ〜、その荷物の形からして絵画ですかね?本当にあの方は美術品が好きな人ですね。」

 

 女性は景色に目を向けたままどこか少し虚ろげに答える。

 男は女性があまり会話に乗り気ではないことを察する。荷台に乗る女性の持ってきた荷物を見て、1人で納得し話を終える。


 そうしてしばらく沈黙のまま道を行くと、街の外れに大きな屋敷が見えてきた。


「ほう、キレイなもんだな。」

「そうでしょう、それでちょっと有名であったりもします。」


 その豪華な屋敷は寂れた街はずれにもかかわらず、その外観は綺麗に保たれていた。おそらくその内部も管理が行き届いているのであろうことが窺える。


 馬車が入り口である大きな門の前に停まり、女性が馬車から降りる。

 長時間馬車に座っていたコリをほぐすように女性は体を伸ばす。


「う~ん悪路のせいか、やけに揺れる旅路だったな。」

「……それでは私は帰りますので、帰るときはまた連絡ください。」


 魔女の言葉が嫌味に聞こえたのか、御者は少し顔をしかめつつも別れの挨拶をする。

 しかし女性は男の言葉が理解できなかったのか不思議そうな表情をする。


「?何を言ってるんだ。キミの仕事はまだ終わっていないだろう。」

「え、いや目的地は伯爵様の家で合ってますよね?」


 男は確かそうだったはずだ、と女性に確認する。しかし彼女がそれを肯定することは無かった。


「いやワタシの依頼は、ワタシとその荷物を伯爵のもとに送ること、だ。キミはまだ伯爵の家の前までしか来ていないぞ。ちゃんとその分代金は支払ったはずだぞ。」

「たしかに多めのお金はもらいましたが……」

 

「契約不履行の場合はこの場で代金を返してもらうことになるが。」


 魔女は男に言葉遊びで、脅迫まがいな事を言う。契約内容はちゃんと確認したまえ、と言うような馬鹿にした表情である。

 男は詐欺にあった人間のように悔しそうな顔をした後、諦めたように肩を落とす。


「……分かりました、運びましょう。」

「安心しろ、ここからワタシは歩いていくさ。行くぞ。」

 

「……はい。」


 男は何か言いたげであった。しかし無意味であることを悟ったのか、言葉を飲み込むことにしたようだ。

 屋敷の呼び鈴を鳴らす女性に、御者の男は荷物を持って後を追った。


 カラン、カラン。


 ◇◇◇◇◇


 呼び鈴によって出てきた使用人に用件を伝え、屋敷の中へと通される。


「ようこそお出でくださいました、魔女様。伯爵様が部屋でお待ちですので、早速案内いたします。お荷物はこちらでお預かり致しましょう。」

  

 執事の歓迎の挨拶と共に魔女は伯爵の元へと案内される。魔女に無理やり連れられてきた御者の男は、屋敷の執事に運んできた荷物を預け、安堵の息を吐きながら帰っていった。


 伯爵のいる部屋までの通路には、伯爵のコレクションであろう美術品が自慢げに展示されていた。そこにある絢爛な絵画、精巧な彫刻、重厚なアンティーク品は、蒙昧な人間であってもその価値を少なからず感じられるほどであった。

 魔女は長い通路を歩きながら、流れていくそれらの予想金額の合計を暗算をしながら暇をつぶしていた。


 そんな風情のないことを考えながら、応接室ような部屋に通された魔女は伯爵と対面する。


「よくぞこんな辺境まで来てくださりありがとうございます、魔女様。私がこの屋敷の主人のガナートと申します。爵位は伯爵を賜っております。ここまでの長旅で疲れたでしょう、お茶でもいかがですか。」


 魔女の対面に座る男はいかにも中年の紳士というような風貌で、上着から靴まで上品な装いをまとっていた。

 よく整えられた髪と鋭い目は彼の威厳を表しているかのようである。

 その放つ雰囲気は美術品コレクターと噂される伯爵にふさわしい気品と優雅さであった。

 

「ありがとう、頂くとしよう。」


 魔女は勧められた通りに、給仕が出した紅茶に口をつける。外面通りにいい茶葉を使っているようで、いい香りが鼻を刺激する。


「失礼ながら、思っていたよりも普通だな。巷の噂では変人という評判だったが、なかなかの流言だったようだな。」

「どのような内容かは多少は想像できますが……好き好んでこのような場所に住んでいますから、あらぬ噂を立てられるのでしょう。いやはやただ美術品の収集が趣味なだけのつまらない男ですよ。」


 魔女の話を聞きながら伯爵自身も紅茶を飲み、演技気味に大袈裟に肩をすくめる。


 いくらかの雑談のあと、話題はついに魔女の持ってきた依頼の品に移る。


「それで依頼した品はこれですかな?」

「ああ、不思議な力を持った、いわゆる曰く付きの美術品だな。本当にそんなものを欲しがるなんて噂は伊達じゃないようだね。」


 伯爵が執事に受け渡された魔女の荷物を指して尋ねる。魔女の答えを聞く限り、あまり良いものではなさそうだ。

 

「ほう、これが……」


 しかし、伯爵はそれを聞いてむしろ望んでいたかのようだ。先ほどよりも声のトーンが上がった。

 さらに興奮したかのように立ち上がって絵画なるものに近づき、覆っていた布を取り払う。

 


 それは黒い樹皮に覆われた木々が鬱蒼と生い茂る森を描いた絵だった。その森がぽっかりと空いた絵の中心に、女性のような小さな白い影が佇んでいる。

 

 その白い影はこちらを向いているのか背を向けているのか定かではないが、こちらを森の中に誘い込んでいるかのように感じられる。

 しかしその周囲はその影を拒絶するかのように何も生えておらず、まるで近づいてはならないある種のおぞましさを表しているようだった。


 それでも周りの暗い森の不気味な雰囲気は、白い影のいる空間の神秘的な印象をより際立たせていた。

 


「これは素晴らしい……芸術品としても、とても良い作品です。いや、これこそが魔性とでも言うべきなのかもしれないですね……」


 伯爵は絵画をしばらく鑑賞した後、思わず感動の声を漏らす。


「……失礼、あまりのものに我を忘れてしまいました。私が依頼したものですが、これについて詳しく説明してもらってもよろしいですか?」


「ん、ああ。その絵の題は『閉ざされた安寧』という。簡単に言ってしまえば不幸を呼ぶ絵画だ、持ち主が手放したくなるほどの不幸をもたらす。どうやら呼び込む不幸は持ち主によって変わるらしい。なので申し訳ないが詳しく何が起こるかは説明できない。」


 伯爵の問いに魔女が不明瞭に答える。しかし伯爵は恐れた様子も気分を害した様子も無い。


「ふむ、では魔女様は大丈夫なのですか?」

「それの対策を聞きたいのかい?まあ封じ込めるなり、離れていれば、さすがに効力は及ばないはずだ。」


 伯爵が魔女に湧き出た疑問を投げる。しかし魔女の答えに伯爵は面白い冗談を聞いたように笑う。


「ははは、それでは購入する意味がないではありませんか。」

「では諦めるかい?」


「いいえ、構いませんよ。持ち主が手放したくなるほどの不幸……ははっ、少し楽しみになってきました。」


 魔女の試すような質問に、伯爵の笑いは狂気じみた笑いに変わり始める。

 その様子を見て、魔女も笑みを深める。


「いいね。その絵で死んだ人間もいるらしいが、怖くないのかい?」

「芸術で死ぬことができるのならば、むしろ本望というものですよ。」


 魔女の後出しの問いかけに、伯爵は真面目な顔で答える。それは冗談でなく本心で言っていることが誰にでも分かった。


「ふふふ、これまでたくさんこのような美術品を集めてきましたが、噂通りのものはありませんでした。しかし、これほどまでに何か力を感じられるものは初めてです、期待していますよ。……おい、代金を払って差し上げろ。」

「承知しました。」


 伯爵は良い買い物であった、と満足気であった。そして執事に絵画の代金の支払いを指示する。

 魔女は執事から代金を受け取り、その金額を確認する。そして要求通りの金額があることを確認できると、それを懐にしまった。


「それでは良い取引もできたし帰るとしよう。すまないが、帰りの馬車を呼んでくれないか。」

「おや、もう帰られるのですか。急ぎの用事が無いのであれば、食事も楽しんでいかれてはいかがでしょう。帰りもこちらで用意いたしましょう。」


 すぐに帰ろうとする魔女を伯爵は引き留める。よほど今は気分が良いらしい、彼はいろいろと魔女に便宜を図ってくれる。


「悪いが遠慮させてもらおう。そいつの所有権はアナタに移譲された。ならばこれから起こる不幸について予測できない、巻き込まれる前に離れたいのが本音なんだ。」

「魔女様でも避けられるほどとは、私も少し怖くなってきました。それでは引き留めるのはやめておきましょう。」


 にもかかわらず、魔女は伯爵の厚意をやんわりと突っぱねる。

 理由を聞いた伯爵は冗談めかしく怖がりながら、魔女への誘いを諦める。

 そうして魔女は帰りの準備を始めるのだった。


 魔女が入って来た屋敷の門の前。見送りで出てきた伯爵たちに振り向いて魔女が挑発的に笑う。


「一応言っておくが、捨てたり燃やしたりすることはおすすめしない。何が起こるか分からんからな。もし手放したくなったら、しょうがなく引き取りに来てやろう。」


 魔女は返事を待たず、迎えに来た馬車に乗り込む。伯爵は小さくなる馬車を見届けた後、気味の悪い笑みを浮かべて屋敷に戻っていった。


 ◇◇◇◇◇


「へぇ~、そんな偉い人にも会ったことがあったんですね。それにそんな人が驚くほどの綺麗な絵なら、ちょっと見てみたかったです。」


 魔女の話を聞き終え、その感想をこぼす。伯爵をうならせたという絵画に興味を持ったようだ。


「そんなに見たいなら、倉庫にあるから見てくるといい。」

「え!?あるんですか!?い、いや、なんでここにあるんですか?」


 思いもよらない魔女の返答に驚くリリィ。少女は思わず椅子を倒して立ち上がる。


「話を聞いていなかったのか。なぜってアイツが手放したからだろう、普通に考えて。」


 自明なことだろう、と落ち着いた様子で弟子を諭す魔女。その表情はどこか馬鹿にしたような印象を感じる。


「まさか、もうすでに返ってきてるなんて思わなくて……えっと、このお店に置いてあって大丈夫なんですか?」

「今までずっと置いてあって大丈夫なら、おそらく大丈夫なんじゃないか。」


 リリィは取り乱してしまったことを恥じているのか、頬を少し赤く染めて居心地悪そうにしている。

 リリィの不安気な質問に魔女は、多少安心させるような回答をする。


「た、たしかに……」


 リリィはその答えにひとまず納得する。なら心配ないか、というふうに曇っていた表情に光が差す。


 しかし冷静になり思考がめぐるようになったのか、少女は周りを見回して辿り着いてしまう。

 そんなはずはない、と心の中で願うように神妙な顔をしながら聞く。


「……もしかしてこのお店が壊滅的なまでに人が来ないのって、それのせいなんじゃ……」


「不幸であることを知らないければ、自分は幸せであることを信じていられたのにな。」


 少女の仮説に魔女はまともに取り合わずに嘲るように言う。それは肯定しているも同然だった。

 

「魔女様が教えたんですよね!」

 

 誰もいない静かな雑貨店の中に少女の怒りの声がよく響いた。


 『魔女の雑貨店』は今日も迷い人を探す――。

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