7話

 柔らかな日の光が降り注ぐ街。この頃は気温も暖かく過ごしやすい日が続いていた。


 最近、若者が多く通る商店街には新しいお菓子の店が建ったようで、その他の店を差し置いてたくさんの婦女子の関心を欲しいままにしていた。

 街は客の多い店と少ない店で二極化しており、当然のように雑貨店も閑散としている店に含まれる1つだった。


 そこに街の雰囲気には似合わない全身を黒に包まれた人物が1人。おそらく服装からして女性であろう、シンプルでありながら高貴でありそうなドレスのようなものを身にまとっていた。


 その人物は雑貨店の存在に気がつくと、真っすぐその入り口へと向かっていった。


 ◇◇◇◇◇


 いつもは全く人のいない雑貨店。

 しかし、今日は珍しく一人の男性客が店内にいた。


「いや~リリィちゃんそんなに小さいのに、お店のお手伝いしてるなんて偉いね~。」

「え、ええどうも……」


 その男の見た目はいかにも中年のオヤジのような顔で頭頂部は少し薄くなってきているようだった。その顔と雰囲気から一般的な女性からは嫌われるであろうことが察せられた。

 

 まさに今現在、雑貨店の店員であるリリィに絡んでは避けられている。結構な時間、この調子である。

 男が店に入ってきた当初は店主である魔女に対して早々に言い寄っていったが、男が鬱陶しいと感じた魔女から威圧されてからはリリィに対象を変えたようだった。


 その対象にされたリリィはいい迷惑である。押し付けた張本人である魔女からは当然助けを望むべくもなく、一応客である男に対して直接的に拒絶することもできないでいた。

 来店の目的を聞いてもはぐらかされてしまう始末で、リリィは長い時間生ぬるい地獄のような空間にいた。


「いや本当に偉いよ。どうだい、このデイビスのお店で働かないかい?お給料もたくさん出すと約束しよう。」

「いやそれは……」


 デイビスという男がさらにリリィに詰め寄りながら、自分の店への勤労の勧誘を始めだす。

 デイビスが詰めてくるのに合わせて、リリィが引き攣った笑みのまま後ずさる。

 

 カラン、カラン……。


 リリィは勧誘にそれとなく断りを入れようとしたその時、店の入り口のベルの音がそれを遮る。


 雑貨店の扉がゆっくりと開き、そこには煙のような黒いヴェールで覆われた女性が佇んでいた。そのドレスは真夜中の闇を彷彿とさせ、織りなす布地はほんのり光を吸収し、周囲に漆黒の幕を広げていた。ヴェールは日の光を遮るためか人の目を避けるためか彼女の顔を覆い、それが彼女の謎めいた美しさを引き立てていた。

 その女性の髪は長く漆黒に染められ、緩やかな波を描いてように見えた。ヴェールから透けて見える彼女の目は深い紫色で、深淵のようで吸い込まれるようだった。


 そんな異質な雰囲気を放つ女性はその美貌から、これまでたくさんの人間を魅了してきたのであろうことが察せられる。

 それはさながら人を惑わして獲物とする魔女のようであった。


「あらあらあら、こんな場所にあるなんて。久しぶりだったから冷やかしに来てあげたわよ。」


 いかにも傲慢そうな表情でいかにも傲慢そうな台詞を開口一番に吐き捨てる女性。どうやら魔女とは古くからの知り合いであるらしい。


「…………」


 先ほどまで調子のよかったデイビスは女性に見惚れてしまっているのか、言葉を失ってしまっている。


「たしかにキミに会うのは何年振りだろうか、なぁ〈黒薔薇姫〉?」


 魔女は店に入って来た傲慢な黒に身を包んだ女性に、気分を害した様子もなく歓迎する。


「…………その呼び方は好きじゃないと知っているはずよ。〈銀の悪魔〉さん?」


 しかし、魔女に〈黒薔薇姫〉と呼ばれた女性は気分を害してしまったようだ。さすがに怒りまではしないが、上がっていた口角を下げてしまっている。


「ハハハ、すまない今はソフィアと名乗っているんだったか?懐かしい気持ちになってな。どうだい?せっかく来たのだから何か商品を買っていくのは。」

「嫌よ、アンタのもの使いにくいものばかりだもの。良い思い出が全く無いわ。」


 美しい女性はソフィアという名らしい。二人は雑談ような会話を続ける。

 

 するとデイビスに絡まれていたリリィが、デイビスがソフィアを見て固まってしまったのを機に二人の話しているところまで走り寄って来る。


「黒姉様、久しぶりですね。魔女様に何か御用があって来たんですか?」


 リリィはこの女性を慕っているようで、女性の来訪に気分が高揚している。先ほどまでのうろたえていた様子が嘘のようだ。


「いえ、特に用があったワケではないわ。強いて言うならリリィに会いたかったからかしら。」

「じゃあ、お茶でも飲んでいきませんか?おいしいお茶菓子もありますよ。」

「そうね、じゃあ頂こうかしら。」


 ソフィアは姉と呼ばれている通り、リリィを妹のように可愛がっているようだ。二人の会話からその仲良しぶりが窺える。


 二人が会話に花を咲かせていると……。


「……い、いや~、貴女のあまりの美しさに言葉を失ってしまっていたよ。ソフィアさんというのかな?私ともお喋りしてくれないかい?」


 しばらくの間固まっていたデイビスが再起動し、目の前の魅惑の花園に踏み入れようとする。


「それでリリィ、最近はお店の調子はどうかしら?そこの性悪にいじめられていない?」

「え、ええ魔女様はちょっと意地悪ですけど大丈夫ですよ。お客さんはあんまり来ないですけど……。」


 ソフィアはまるでデイビスの存在に気づいていないかのようにリリィとの会話を続ける。リリィはソフィアのあまりの無視ぶりにデイビスの声が聞こえていなかったのかと心配する。


 無視された当の本人はソフィアの後ろで再び固まってしまっている。

 ソフィアと向かい合っていて、後ろのデイビスの様子が見えているリリィは少し気まずくなる。


「まぁこんな陰気臭い店じゃお客さんも入ってこないでしょうね。店主の愛想も悪いし。」

「え、え~と……。」


 リリィでは肯定できない話に、後ろの状況も相まって言葉を濁してしまう。


「お、おい!」

「このワタクシが店の主人なってあげてもいいわよ。この店が街一番の人気店になることでしょう。」


 デイビスの先ほどよりも大きな掛け声にもソフィアは応じない。リリィと会話している以上、聞こえていないワケではないのだろう。彼女は意図してデイビスを無視していることが分かる。


「無視はさすがに酷いんじゃないかい君!」

「……は?」

 

「ヒッ……」


 ついに無視されることに我慢できなくなったデイビスがソフィアを振り向かせようと、彼女の肩に手を掛ける。

 すると、ソフィアがようやくデイビスに目を向ける。しかし振り向いたときには、先ほどまでのにこやかな表情が抜け落ちていた。


 ソフィアの目にはハイライトが宿っておらず、明らかに人間に向ける目ではない。自身より下等な生物を見るような目だ。


 デイビスはその目と彼女から噴き出した邪悪ともいえるオーラにとてつもない恐怖を覚える。自分が目の前の生物の気分次第で簡単に殺されてしまうことを錯覚してしまう。


「ワタクシはオマエなんかと話す理由はないし、ましてやオマエに会話を邪魔されて気分を害する謂れもない。」


「あ、あ……」


「下等な虫風情が目の前を五月蠅く飛ばなければつぶされずに済んだのに……」

 

 会話の邪魔をされたソフィアは怒っているようだ。彼女の美しい紫色の瞳の片方が妖しく光り始め、その殺意がさらに濃くなる。

 デイビスはあまりの恐怖に動くことも、声をあげることもできない。


「おいおい、さすがにここで殺すのはやめてくれよ。」


 ここまで沈黙を保っていた魔女がさすがにとソフィアを制止する。

 しかし、その表情はデイビスを心配しているワケではないようだ。


「あら、アナタが止めるなんて丸くなったじゃない。でもダメよ、コイツはワタクシを害した代償を払わなけばならない。ワタクシは慈悲深いあの聖女様ではないの。」


 ソフィアは魔女に振り向かず、デイビスを睨みつけたまま話す。どうやら彼女は彼を許すつもりはないらしい。


「別に慈悲を与えてくれと言っているわけではない。店を散らかさないでくれと言っているんだ。ここで殺すな、弁償させるぞ。」


「それはワタクシには関係ないわね。ワタクシは自分の行動を他人に邪魔されるのが一番嫌いなの。知っているはずよ。まぁ、弁償ぐらいしてあげるわ。」


 ソフィアは魔女の言葉で止まりそうにない。今にもデイビスの処刑が行われるであろう。


 そのデイビスは逃げることもできず、ただただその場で身を震わせるのみだ。


「……どうせ店を掃除するのも、片付けるのもバカ弟子だから構わないか。弁償もしてくれるらしいからな。」

「えっ……」


 魔女は思い直したのかソフィアを制止することをやめる。

 

 対して二人の会話に口を挟めないでいたリリィは、突然自らに降り注いできた厄介ごとに素っ頓狂な声を吐く。


「……」


 しかし魔女がソフィアの制止を諦めたにもかかわらず、ソフィアは魔女の言葉を聞いて表情が固まる。同時にあふれ出ていた濃密な殺意が薄まったのを感じる。


「……まぁここで殺すのは止めてあげるわ。リリィの仕事がワタクシのせいで不本意だから。」

「く、黒姉様……」


 ソフィアは自身の行動がリリィの負担になることを嫌ったようだ。リリィを相当可愛がっていることは疑いようがない。


 漂っていた物々しい雰囲気が消える。リリィは自分のためを思ってくれたソフィアに感動していた。


「ん?なんだやめるのか。ワタシはどちらでも構わなかったんだが。」

「……」


 魔女は本心で言葉を発していたようだ。

 ソフィアを止めるための発言だと思っていたリリィは、自身が魔女に密かに抱いていた感動を返してほしかった。


 ドサッ。


 床に何かが落ちる音がした。


 彼女らが音に目を向けると、そこにはデイビスが気絶して倒れていた。ソフィアからの殺意がなくなり、緊張の糸が切れたらしい。


「で、コイツはどうするのよ?」

「キミのせいだろう。まぁ目が覚めた瞬間に逃げ出さなければ、ここに来た目的を聞くとしよう。」


 ソフィアが倒れたデイビスを指さして問いかけ、魔女が答える。二人ともデイビスの容体を心配する様子はない。


「ここで寝られても邪魔だな。バカ弟子、どこか適当な場所に置いておけ。」

「は、はい。」


 リリィが店の真ん中で気絶しているデイビスを運ぶ。


「アナタの仕事ぶりに少し興味があるわね。ガラクタをどうやって愚か者に売りつけるのか。」

「さっきから時折毒を吐いてくるな、陰気だの、ガラクタだの。何か恨みでもあるのか?」

「あんなことをしてくれたのに、恨みが無いと本当に思っているの?」

 

 そうしてデイビスの目が覚めるまで、文句も含めた雑談を続けるのだった。

 

 ◇◇◇◇◇


「ん?ここは…………ヒッ」


 しばらくして店の隅の床でデイビスが目を覚ます。そして彼にとっての恐怖の権化であるソフィアを目にして、小さく悲鳴を上げる。


「目が覚めたか。よほど疲れていたようだな、やって来るなりいきなり眠りだして驚いたぞ。」

「え?そ、そうなのか……あれは夢だったのか……」


 魔女の嘘にデイビスはころりと騙される。先ほどの出来事は悪夢であったと思うことにしたようだ。


「それでキミは何を求めて『魔女の雑貨店』にやって来たのかな?」


 魔女がデイビスに質問し、ようやく彼が店にやって来た当初のやり取りに戻る。


「ああ、私もそろそろ所帯を持ちたいと思ってね。やはり結婚するなら綺麗な女性がいいじゃないか、そこで女性の気を引くような品が欲しいんだ。いや私も少し年を取ってしまったからね、早く相手を見つけたいんだ。」


 デイビスは自身の結婚相手を探しているらしい。たしかにデイビスの見た目から推察される年齢は、一般的な男性の適齢期よりも少し年を過ぎているように感じられる。


「つまり女にモテたいから簡単に惚れさせられるものをくれ、と。」

「……言い方は少し悪いがそういうことになるな。」


 魔女が元も子もない言い方で要約するが、デイビスはばつが悪そうにそれを肯定する。


「まぁそれならこれだろうな。」

「これは香水か?ありきたりというか、いかにも魔女が出してくるような商品だな。」


 デイビスは魔女が出してきた香水にまるで物語の中のようだ、と驚く。

 香水はガラスのびんに淡いピンク色の液体が入れられており、上部を押すと中のものが吹きだす機構のふたが取り付けてある。


 魔女はデイビスの前に香水を掲げ、説明を続ける。


「おそらくキミの想像通りの効果だ。これは『噺好きな花壇』というにおいを嗅いだ異性を魅了する香水だ。」

「なるほどまさに、という効果だな。しかしびんに入っている量が普通より少ないな。どうせ魔法の香水を使えるなら多くの女性と出会ってみたいものだが。」


 デイビスはびんの半分よりも少ない香水を見て物足りなそうに言う。不満げな男の表情には下卑た欲望が見え隠れしていた。

 それに気づけた女性陣は、夢だったとしても懲りていないデイビスに少し呆れる。


「はぁ……まったく欲深い男だな。まぁ安心しろ、これは魔法の香水だからな洗い落とそうとしても、しばらくは効果が続く代物だ。」

「そうなのか……なら……」


 魔女の説明の途中で、デイビスはおもむろにシュッと自身に『噺好きな花壇』を吹き付ける。花ようないい匂いが辺りに漂う。


「あら少し疑っていたけど、ちゃんといい匂いなのね。」

「おい、最後まで話を聞かずに使うんじゃない。」


 ソフィアは漂う香りを嗅いで感嘆の声をあげる。

 魔女は勝手に香水を使い始めたデイビスを咎める。


 しかしデイビスは何か気に入らないことがあるのか、自身や魔女たちを見回して複雑そうな顔をしている。


「どうした?気に入らない香りだったか?」

「……君たちはこの匂いを嗅いでなんともないのか?」


「ああ、そいつの効果は同種の異性にしか魅了することができないぞ。だから言っただろう、最後まで聞けと。」


 魔女はなぜデイビスが不思議そうにしていたか、納得して彼の疑問に答える。


「??……だからなんで君たちに効果がないんだ?」


 しかし魔女の返答を聞いても、なおデイビスは未だに不思議そうな顔を続けている。

 魔女は笑みを深める。


「分からないか?ワタシたちが人間じゃないからだよ。」


 デイビスはその言葉を聞いて恐怖に固まる。

 その瞬間からデイビスの目には彼らの存在はまるで人の姿をした化け物のように映った。彼らの人間離れした美貌であったり、珍しい瞳の色であったり、魔女たちの特異な特徴が男にとっては異常に目立った。

 魔女の微笑みはとても不気味で、その笑顔には何か邪悪なものが潜んでいるように感じられた。


 そして何より先ほどの夢だと思っていたことが、現実であったことにデイビスは気づいていしまう。


「あ、あ、そうなのか。ではこれで私は帰らせてもらうとしよう。」


 デイビスは逃げるように代金を置いて店を出て行ってしまった。


 カラン、カラン……。


「行っちゃいました……」

「行っちゃたわね。ところであの香水、結構便利なものもあるのね。」


 リリィとソフィアは出て行ってしまったデイビスの背中を見送りながら、魔女に語り掛ける。


「まぁあまりに異性を引き付けすぎるんで、大抵の場合トラブルを起こして使用者が刺されるんだがな。出て行かれて言いそびれてしまった。」

「やっぱりろくでもないわね。」


 少し希望をもったソフィアが魔女の暴露に再び落胆する。


「使用者に何人も相手にできるほどの器量があれば、そんなことも起こらないよ。」

「どこかの王様じゃないと無理そうですけど……」


 魔女が解決策とも言えない提案をするが、おそらくデイビスには無理であろうことはリリィでも分かった。


「自分の大きさを知らない風船は、自分の破滅も知ることはできないよ。」


 『魔女の雑貨店』は今日も迷い人を探す――。

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