5話

 夕暮れの商店街はゆったりとした雰囲気に包まれていた。太陽が西に傾き、街全体に柔らかなオレンジ色の光が広がっている。街路には明かりを灯した店舗や屋台が一列に並び、華やかな看板が目を引く。


 人々はゆっくりと歩きながら、赤く染まった商店街の中を行き交っている。恋人同士と思われる男女が手を繋ぎながら散策し、子供たちはワクワクした表情で通りを駆けていく。甘い香りが漂い、焼き菓子やフルーツの屋台からはおいしそうな匂いが広がっている。

 街全体を包む夕暮れの光景は、穏やかな雰囲気を醸し出している。人々の笑顔や楽しそうな声が、商店街全体を温かく包み込んでいるように感じられる。


 商店街の片隅に佇む魔女の雑貨店も、夕暮れの光に包まれている。窓からは暖かな灯りが漏れ、店内からは不思議な魅力が感じられる。商店街全体が幸せな雰囲気に満ちている中、魔女の雑貨店もその一部として、秘密めいた存在感を漂わせているのだった。


 そんな商店街には似合わない雰囲気を醸し出した青年が一人。彼は短い黒髪で褐色のコートを纏っていた。片手で大きなバックを背負い、もう片方の手をポケットに突っ込んで俯き気味で道を歩いていく。

 青年は「魔女の雑貨店」の前でポケットから手を出して、手元を確認して立ち止まり店を見つめる。そして雑貨店のドアに手を掛けた。


 ◇◇◇◇◇


「う~ん……」


 雑貨店の中には魔女とリリィの二人を挟んで、小さなテーブルが置かれていた。テーブルの上にはゲームの盤が広げられており、リリィが盤上に並べられた駒を睨みながら苦しそうに唸っていた。


 魔女はリリィの葛藤する表情を楽しんでいるかのように微笑んでいる。魔女側の駒は次々とリリィの陣地に迫っている。

 彼女らの表情を見ても、盤上の駒を見てもどちらが優勢であるかは明らかであった。


 リリィは焦りを感じながらも、頭を悩ませている。彼女の表情には緊張と集中が入り混じっている。


 そして彼女が数分考えたすえに、少し震えた手で盤上の1つの駒を動かす。


「ふんっ。」


 少女は目を大きく開き、鼻で大きく息を吐く。腕を組み自信ありげに魔女を見やる。


「……」

「あっ!」


 対して魔女は数瞬考えただけで迷いなく手を進める。その一瞬でリリィは先ほどの自身の一手が悪手であったことを気づかされる。

 盤面の状況はさらに魔女側のほうに傾く。


「ううう、う~……ま、まだ……」


 今の一手が決定打になったようだ。頭を抱えて悩んでいるが、今の状況を打破できる良い手がリリィには思いつかない。

 魔女は自分の弟子が足掻いている様を見て楽しむ。本当に良い性格をした魔女である。


 そのあとは、リリィが劣勢のまま幾度かの応酬が続いた。手が進むたびに勝負の天秤の傾きは大きくなっていく。

 そしてついに……。


 ◇◇◇◇◇


「ま、負けました……。」


 リリィは項垂れながら白旗をあげる。その顔は悔しそうに涙目で歪んでいた。


「珍しく魔女様を見返せると思ったのに……」


 リリィがぽつりと愚痴をこぼす。その言葉からは日頃の不満が含まれているように感じられた。


「いつまで落ち込んでいるんだ。本題はここからだろう。」

「え?でもゲームは終わりましたよ。」


 魔女が落ち込むリリィに楽しみはこれから始まると、上機嫌で語り掛ける。しかし、リリィは魔女の問いかけの意味を理解できないでいた。


「オマエが言ったんだろう。「負けた方が勝った方の言うことをなんでもひとつ聞く」だったじゃないか。」

「本気にしてたんですか、それ。そんな約束しなくても、何でも無茶振りしてくるじゃないですか。魔女様。」


 ゲームの前に二人で賭けていたらしい。どうやら二人の間に温度差があったようだ。

 リリィは魔女がそんな戯言を気にしていたことに驚きの声をあげる。


「知らずに言っていたのか。本気にするとかしないとかそんな話じゃないぞ。そのゲームの前に取り決めた契約は必ず履行するように強制される。」


「……もしかしてこれってただのボードゲームじゃないってことですか?じゃあ魔女様、このゲーム結構強い?」

「まあそういうことだ、察しがいいじゃないか。今更遅いが……」


 魔女の説明の途中からリリィは知らない重要な事実があったことを理解する。

 しかし、それらの事実を知り得るには遅過ぎることにも気づき、彼女は青ざめる。


「ず、ずるいですよ。なんで始めに教えてくれなかったんですか。こ、これは無効です。」


 リリィは魔女に詰め寄り、ゲームを始める前に重大なことを黙っていた魔女に反抗の意を示す。


「無知は無罪ではなく有罪。そして契約は結ばれ、勝敗は決した。もう誰も逃れることはできない。」


 リリィの反論を切り捨て、魔女は誰に言うでもなく語る。


「じゃあ、簡単なお願いにしてくださいよ。ひとつ言うことを聞けば終わりなんですよね?」


 しかしリリィはまだ魔女に食い下がる。


「ワタシがそんなつまらないことをすると、本気で思っているのか?せっかく面白いことをさせられるのに?」


 魔女はリリィの懇願を受け入れない。リリィにどのようなことをさせようか、ゲームをしている時よりも熟考する。


「……そうだな。実験の「手伝い」でもしてもらうとしようか。」


 熟考の末、魔女は命令の内容を決めたようだ。ぽつりと呟き、顔を上げる。


「うっ、それぐらいなら頑張ります……」


 その命令はリリィでも許容範囲内らしい。事実、何回か実験の手伝いをさせられたことがある。その内容は筆舌に尽くし難い部分もあったが……。


「よし、ではリリィ、「ワタシが許可するまで気を失うことを禁ずる」。」

「え”っ」


 ◇◇◇◇◇


 カラン、カラン……。


「……」


 夕暮れの日の光が差し込む雑貨店に青年が挨拶もせず入って来る。男は慣れたように店の奥に歩みを進める。そしてカウンターに座る魔女のもとにたどり着く。


「久しいな、ダレン。この前会ったのはいつ振りだったか。」


 相も変わらず読書をしていた魔女は、読んでいた本を置き応対する。


「さあな、できれば二度と会いたくないと思っている。」


 どうやらダレンと呼ばれた青年と魔女は仲が良くないらしい。口調と表情から魔女のことを蛇蝎のごとく嫌っていることが窺える。


「では、はやく契約を果たそう。もう少しで全て集まる。ワタシは早くても、遅くても、どっちでも構わないが。」

「……本当に人使いの荒い魔女だよ、オマエは。」


 魔女がそう告げると、ダレンは噛みしめるように重い口調で答えた。


 ダレンは静かな店内を見まわし、魔女に尋ねる。


「リリィが見当たらないが、外に出ているのか?」


 その場でリリィを探すダレン。

 いつもならば、少しうるさい位の声で出迎えられるが今日は姿が見えない。

 

「バカ弟子なら徹夜して部屋で寝てるよ。」

「……本当か?」


 答えた魔女にダレンは疑うように睨みつける目で問い返す。


「ああ、本当だよ。」


 魔女は平然と答える。ダレンは深くため息をつき、肩にかけたバックから小脇に抱えるほどの大きさの物を取り出してカウンターに置く。


「まあいい、これを渡してサッサと次に行く。」


 魔女は微笑みながらカウンターに置かれたものを確認する。そして過去を懐かしむようにに言葉を吐く。


「キミは仕事が早くて助かるよ。ああそうか、『偏向した公正取引』したか、懐かしいものだ。あの灰の街を思い出す。瓦礫に埋もれて行方不明になっていたが、よく見つけたな。」


 ダレンが取り出したツボには、奇妙にも人の顔のような模様が彫られていた。その表情はどこか人を嘲笑っているかのように感じられた。

 その顔の口に当たるような部分には空洞が空いている。本来のツボの口に光が差しているにもかかわらず、なぜかその空洞から中身を覗うことはできない。

 口の中は深い深い闇で埋め尽くされていた。

 

「白々しい、オマエがあの場所に飛ばしたんだろ。あの災厄もオマエが原因だったのか。」


 魔女に賞賛の言葉を贈られたダレンは、魔女の話を聞いて顔をしかめる。


 それは多くの人の間で語り継がれる大きな事件であった。

 平和であったその街はある日、突如その姿を変えた。まず、爆心地の近くのたくさんの人間が爆発に巻き込まれた。そして爆発の衝撃波が街を襲い、建物が崩壊し、さらに多くの人々それに巻き込まれた。あまりにも突然に爆炎に包まれた街は、悲鳴と嘆きの声に包まれた。街の半分は瓦礫と化し、多くの人々が死ぬこととなった。

 この災厄ともいえる事件の原因は爆発の中心にカルト集団の集会所があったことから、狂信者たちの自爆テロのようなものだと結論付けられた。


 悲劇的な事件を起こしたカルト集団は自ら巻き込まれ全滅し、生き残った人々の心に深い傷を残したのだった。


 魔女はダレンの疑いに対して心外だと弁解する。


「ワタシが原因とは人聞きの悪い、やったのはイカれた狂信者どもだよ。自分たちの命を神とやらに捧げて街ごと“ボカン”だ。狂った人間の集団はあんなこともできるのかと感心したよ。」


 魔女は片手で閉じた手を開くような動作しながら、楽し気に語る。


「なんなんだ、この悪趣味なツボは。爆発するのか?」


「爆弾にもなり得る。コイツは対価を払うことで、使用者が望むものを吐き出すんだ。」


 ダレンは魔女の説明を少し興味深げに聞き入る。


「では、あの事件を起こした人間たちは爆弾を望んだということか?街の半分を吹き飛ばす爆弾を?」


 魔女の説明からダレンはあの街で起こったことを推理して、魔女に確認する。しかし魔女はまだ続きがある、と首を振り説明を続ける。


「ただ使用者の望んだものと、コイツの吐き出すものが一致するとは限らない。例えば対価が少ないと、望んだものよりも陳腐もしくはどこか欠落したものになる。そして漠然とした望みだとコイツが解釈したものになる。」


 どうやら望み通りのものをツボから得るのは、簡単にはいかないらしい。


「だから、あの事件の真相はおおよそ想像がつく。」


 魔女は悪趣味なツボの説明を終えてから一息おいて、自身の推理を語り始める。


「ワタシが彼らにこのツボを売った、望んだものを与えるものだと。彼らは自分たちの救済とかそんなものを望んだ、そしてコイツは彼らに救済を与えた。しかし、コイツは死こそが救済だと考えた。」


 魔女はツボを指で突きながら、得意げに自身の推理を披露する。魔女も実際の真相は知らないのだろうが、その推理は確信めいていた。


「ただあれは……捧げた対価のほうが大きすぎたな。何人の命を捧げたんだか、結果は知っている通りだ。街の半分が吹き飛ぶほどの死を振りまいた。爆弾を吐き出したのは、大勢の死を生み出すのに効率的だった。真相はおそらくそんなところだろう。」


 魔女が推理を締めくくる。


「このツボにどうやって人の命を捧げるんだ?そもそも対価の大きさはどうやって決まるんだ?」


 ダレンは両手で持って指同士が付かないくらいの大きさのツボの口を見つめて、魔女に尋ねる。


「ん?バラバラに加工すれば入るんじゃないか?いや、液状にして注いだほうが楽かもな。」


 魔女は何でもないように答える。むしろ疑問に思うことが疑問のようである。


「対価の大きさは、捧げた人間がどれだけそれを大切したかで決まる。捧げたのはあの教祖っぽい男だったのかな、信者は大切にしていたらしいな。」


「……オマエに聞いたオレがバカだった……というかやはりオマエが原因じゃないか。〈銀の悪魔〉……人の欲望を糧とする悪魔だったか。」


 ダレンは憎しみを含んだ表情で魔女を見やる。

 しかし、魔女はそれを気にせず、自身の銀髪をいじりながら口角をわずかに上げる。むしろ、憎悪の感情を向けられることを楽しんでいるかのようであった。


「昔はいろいろな所に行って、いろんな人間を見ていて面白かったよ。しかし、ちょっと敵を作りすぎてしまったから、今は少しおとなしくしているが。」

「その尻ぬぐいをオレがさせられているわけか。」


「勇者に目を着けられたのは、まぁ……さすがにやり過ぎたと思ったよ。」

「そのまま魔王として滅ぼされてしまえばよかったんだがな。」

 

 魔女はずっとこの雑貨店をやっているワケではないらしい。おそらく、それぞれの場所で様々なことをやらかしてきたのだろう。

 魔女の蛮行を聞き、ダレンは毒づく。


「フフッ……それにしても懐かしい呼び名だな。悪魔か……別に人の不幸だけを願っているワケではないんだがな。ワタシは悲劇と喜劇、どちらも好きだよ。ワタシは救いを与えたつもりだったんだよ。彼らの救いのカタチがあれだっただけだ。」


 魔女はダレンの呼び方に対して、弁明とも言えないことを言う。そして、さらに話を続ける。

 

「どんな時でも契約内容はしっかり決めたほうがいいということだ。取り返しのつかないことになる前にな。」


 魔女はダレンに忠告するように告げる。そこには何か含みがあるように感じられる。


「オマエにわざわざ言われなくても分かっている。」


 ダレンはその何かを感じ取ったのか、少し腹を立てたように吐き捨てる。


「……オマエと話しているのは時間の無駄だ。次の目的地に扉をつなげろ。」

「ワタシはキミと話しているのは有意義だと思っているよ。しかし、やる気のキミを止める理由はないな。せいぜい働いてくれ。」


 魔女はダレンを見送りながら、指をパチンと鳴らす。すると店に差し込む光が少なくなり、かわりに店の中にわずかに陰が差す。


 ダレンはその変化を確認してから驚く様子もなく、店を出ていった。


 カラン、カラン……。


 店の外は入ってきたときと違い、少し寂れた街並みに変わっていた。


「はぁ、次の旅はそれなりに楽だといいんだが。」


 青年は軽くなったバッグを担ぎ直し、街の中へと消えて行った。

 

 『魔女の雑貨店』は今日も迷い人を探す――。

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