1話 後編
◇◇◇◇◇
アランがペンダントを購入してから数日が経過した――。
その日は少しばかりの雲がかかる晴れた空だった。
雑貨店は商店街の真ん中で通り過ぎるたくさんの人々をいつものように眺めていた。
カラン、カラン……。
「こんにちは。やってるかい?」
アランは再び、雑貨店を訪ねてきたのだった。店内は前回と同じく不思議な雰囲気に包まれている。
店内の2人は軽やかなベルの音によってアランの来訪を気づかせる。魔女はカウンターで読書を、リリィは店内を掃除している最中であった。
「ああ、アランさん。いらいしゃいませ。今日はどうされましたか?」
リリィが快くアランの応対をする。そして、アランの首元に以前購入した『忌み嫌う追憶』がかかっていることに気づく。どうやら、ペンダントをちゃんと使っているようだ。
「このペンダントの件でお礼を言っておきたくてね。このペンダントを買ってから、生活がうまくいくようになったんだ。新しい仕事も見つかってね、最近彼女もできたんだ。本当にいい買い物をしたよ。」
アランがペンダントを掲げながら、嬉しそうに自分の近況を話す。その様子を見るに、あれから結構いい生活を送れていることが察せられる。初めて店に来たときと違い、顔色も良く、身なりも整っている。
「それは良かったですね。アランさんが元気にされていたようで安心しました。」
リリィはアランの話を聞いて、まるで自分のことのように喜ぶ。そのまま、2人は明るい雰囲気で世間話を続ける。
そんな中、魔女の鋭い言葉が飛ぶ。
「うまくいっているのは結構だが、ワタシの忠告を覚えているかね?アラン君、それ定期的に外さないと頭パーになって死ぬんだよ?」
魔女の言葉にアランが一瞬固まり、リリィとの会話が途切れる。聞かれたくないことを聞かれたような、そんな雰囲気だ。
その様子にアランがペンダントを外せていないことを察して、リリィがアランをさらに問い詰める。
「ええ!アランさんダメですよ!頭パーになって死んじゃうんですよ!」
魔女はあまり関心がなさそうに本に目を向けながら言っていたが、リリィのほうはアランの身を案じて言う。
「あ、ああ、もちろん分かっているよ。最近ちょっと外し忘れていただけなんだ。いつも帰宅したときに、外すようにしているんだ。」
アランは動揺したことを誤魔化すかのように語る。それを聞いてリリィは少し胸を撫でおろした。
男の声は少し震えていたが、リリィはそのことには気がつかなかったようだ。
「心配しましたよ。本当に魔法の道具は怖いんですからね。この店にあるものも怖いものが多くて、リリィは何回も失敗してひどい目に合ってるんですから。」
リリィは母親が子供を注意するときのようにアランを戒める。自分が身に染みて知っている魔法の怖さを熱弁する。
そのとき、魔女が急に笑い出す。
「ハハハ、確かにこの前のやつは滑稽だったな。」
「いつまであのこと笑うんですか!死にかけたんですよ!本当につらかったんですから!」
魔女が以前おこった出来事を思い出して、机を叩いて声を上げて笑う。リリィはその魔女の態度に対して笑い事じゃないと足を踏み鳴らして怒る。
「し、死にかけた?」
「ああ、キミにも話してやろうか。あのときのこいつは魔女よりもピエロの才能があるんじゃないかと疑うぐらい面白かったぞ。」
「ああー!!ぜったいダメです!言わないでください魔女様!ぜったい言っちゃダメです!」
アランからするとホラー話に感じるが、魔女は笑い話のように言う。
リリィが赤面しながら魔女に縋りついて制止しようとするが、無慈悲な魔女は弟子の必死の懇願を一切意に介さず語り始める。
魔女曰く、先日こんな事件が起きた――。
◇◇◇◇◇
「う~ん。重いです~。」
リリィが雑貨の整理作業をしていたときのことだった。いくつか雑貨が入った箱の運搬中、箱を持っているせいで足元が見えず床の出っ張りに躓いてしまった。
「ああ!」
けたたましい音が鳴り響く。飛んでいく箱、ぶちまけられてそれぞれに散っていく雑貨たち、顔面から床にダイブするリリィ。
先ほどまで穏やかな雰囲気だった店内は一気にカオスに包まれた。
「イタタ…………………………痛っ。」
倒れたリリィの頭の上に固いものが落ちてきた。リリィは頭部に痛みを感じながらも、落ちてきたものを確認しようと顔の前に持ってくる。
しかし、顔から離そうとして異変に気付く。顔に張り付いたものが外れないのだ。
なんとリリィの顔には人の泣き顔を模したお面がくっ付いて離れなくなっていた。自分の顔面の惨状を理解できていないリリィは慌てて魔女に自分の状況を確認する。
魔女は面白おかしい顔に変化した弟子が自分の方に向いている状況を見て、腹を抱えて笑っていた。
「魔女様、リリィ今どうなっていますか!?これが顔から離れないんですけど!」
「アハハハハハハ!おまえ狙ってやってるのか?ワタシを笑い殺そうと?ウヒヒヒヒヒ……」
「何笑ってるんですか!?はやくどうなってるか教えてください。これやばいやつですか!?」
リリィは魔女に状況を確認しようとするが、魔女はそれどころじゃないらしい。腹を抱えて足をばたつかせ、呼吸も苦しいようで時折大きく深呼吸をしている。およそ大変なことになっているだろう弟子を心配した様子は一切感じられなかった。
リリィはその間もお面の引き剥がしに努めていた。しかし、顔に癒着したかのように外れる気配がないので、自身の有様を見て笑い続ける人でなしを白い目で見ながら待つことにした。
しばらくして、哄笑の限りを尽くした人でなしがリリィの状況を説明する。
「はぁ……はぁ……おまえが今着けているのはあの「泣きっ面」だよ。残念だが、そいつの気が済むまでおまえの顔面をそのままだ。」
ようやく告げられた魔女の言葉は、震える子羊を絶望へと叩き落した。確認はできないが、お面の模様と同じような絶望を湛えた顔をしながら哀れな子羊は慟哭した――。
◇◇◇◇◇
「それで「泣きっ面」ってのは何なんだい?」
アランは魔女の話で出てきたろくでもなさそうなお面の説明を求める。
「ああ、「泣きっ面」ってのは『寂しがり屋な独善』ってのが本当の名前でな、面を外すときを決めるのは装着した人間じゃなくこの面が決める。それは着けてから1時間かもしれないし、1カ月かもしれない、扱いづらい代物だよ。」
魔女はいつの間にか件の面を手元に持ってきていて説明する。やはりろくでもないものだった。
その話の中でアランは気になることがあった。
「お面が意思を持っているのか?」
「うん?ああ、魔法のアイテムが意思を持ってることは珍しくないぞ。どいつもこいつも捻くれたやつばかりだがな。」
アランの疑問をサラッと肯定する魔女。魔法のアイテムとはアランが思うよりさらに不可思議なもののようだ。
そういえばと、アランは新たに湧き出てきた疑問を口にする。
「お面を着けている間って飲食できないよな?すぐ外れたのか?」
「ああ、面は2週間で外れたよ。案外早かったな。」
「2週間!?大丈夫なのか?ああ、なるほど他の魔法のアイテムでどうにかなったのか。」
思ったよりも長い期間にアランは驚愕する。2週間の絶食を少女がどのようにして耐えたというのだろうか。しかし、アランは自身で答えを推理し納得する。
「いや?そんな便利なものはない。まあでも、そのあいだ飲まず食わずとはいかんので下から……」
「もうこの話は止めませんか?ねぇアランさん、もうこの話は止めませんか?」
リリィはとんでもないことを言おうとする魔女を止めることは諦めて、アランにターゲットを替えて詰め寄る。
さすがにこれ以上の話は彼女の沽券にかかわりそうだ。リリィの涙目がそろそろ限界を迎え決壊しそうになっている。
アランは彼女を憐れんで話の終わりを切り出す。
「あ、ああ、そろそろお暇させてもらおうかな。このあと彼女と会う約束があるんだ。」
「うん?そうか。では、この話は終わりにするか。せいぜいお前もそうならないよう気を付けるんだな。」
憐れな少女を襲う嵐はようやく過ぎ去ったようだ。リリィが安心したようにホッと息を吐く。
用を終えたアランは足早に出口の扉の方へ歩いていく。
「いや改めてありがとう。本当にここに来られてよかったよ。」
カラン、カラン……。
「アランさん元気にしていてよかったですね。……魔女様?」
アランが出ていった後、明るくなった彼を見られて嬉しくなったとリリィは言う。
しかし、リリィが魔女を見ると彼女はなぜか難しい顔していた。それもすぐ人を食ったような笑みに戻り、リリィの言葉に答える。
「ああ、きっと彼は今こそ絶頂期だろうな……。さあ、雑談タイムは終わりだ。さっさと店の掃除に戻りな。またあのコントを見せくれてもいいぞ。」
「もうやりませんよ!それにあれはコントじゃないです!」
魔女は何か含みのある言葉を吐いた後、休憩は終わりだとリリィを働かせる。リリィは声を荒げて怒りながらも、魔女の言葉に従って掃除に戻っていった。
◇◇◇◇◇
それからさらに月日が経った――。
今日は朝から稀にみる土砂降りの大雨の日であった。
いつもはたくさんの人々で賑やかである大通りも、今日に限ってはゴーストタウンのように静かで雨の音だけがうるさく響いていた。
誰もいない通りを男が一人歩く。その男は雑貨店の前で立ち止まる。
カラン、カラン、カラン、カラン。
扉が激しく開かれ、ベルが激しく鳴る。それと同時にずぶ濡れの男が飛び込んでくる。彼は見るからに不機嫌で、むしろ怒りすら抱えているようだった。
「おい、魔女!これはいったいどういうことだ!」
首にペンダントをかけた男が店の中を足を踏み鳴らして進み、いつものようにカウンターで本を読んでいた魔女に向かって怒鳴りつける。
魔女は男の着けているペンダントを見て、なにかを察したのか溜息を吐く。
「はあ、入って来て早々うるさいな。一体どうしたと言うんだ。」
男は首のペンダントを魔女に見せて何があったのか語る。
「お前からこのペンダント買ってから、物忘れが激しくなったんだ。期限の迫っている仕事があったことも、彼女と約束も、大事なことを忘れてしまうし覚えていられない。僕を騙したのか!」
「やはりペンダントを外さなかったのか。まあ、こうなるとは思っていたが。ワタシは忠告したはずだぞ。」
男の言い分に、魔女は推測通りだと背もたれに体を預ける。
「忠告?何の話だ。これを着ければつらいことを忘れて、今目の前のことに集中できると言っていただろう。そして外すと記憶がペンダントを着ける前までリセットされると。他の大事なことも忘れていってしまうなんて聞いていない!」
「ふむ、やはり効果を間違って認識しているか。記憶を改竄されたのか、消された記憶を勝手に自身で補完したのか、どっちか分からんな。」
男は自身の間違った認識を正しい認識だと錯覚しているようだ。
魔女はすでに男に興味を失っており、ペンダントの詳細な効果の考察を優先する。
「さっきからワケの分からないことを言って、僕の話を聞いているのか!?」
「聞こえているとも、その上で何を言っても無駄だと思って無視してるんだ。キミはもうすでに終わっているんだよ。」
「ッ!!!」
魔女の男をいないものとした言葉に、男は激昂して飛びかかろうとするが――。
「リリィ。」
「すいません、ちょっと落ち着いてください!」
ドンッと、魔女の声と共にいつの間にか背後に回り込んでいたリリィに男は押さえつけられる。男はなおも暴れようとするが、リリィの少女の体躯からは想像もできないほど強い力で押さえつけられまったく身動きができない。
「くっ、放せ!」
「リリィ、そいつのペンダントを回収しろ。そいつにはもう必要ない。」
「え、でもそんなことしたら……」
男がまだリリィの下で暴れるなか、魔女がリリィに冷酷に命令する。リリィはその命令がどれだけ無慈悲なものか理解しているのか、命令に従うことを躊躇う。男がペンダントを外したときに起こる、膨大な記憶のフラッシュバックに耐えることができるか案じているのだろう。
「バカ弟子、そいつがもう手遅れなのはバカなオマエでも理解しているだろう。それに、そいつことを考えるなら一秒でも早く外して今までのツケを払っても狂わないでいられることに賭けた方が合理的だと思わないか?」
「う……。分かりました、ペンダント外します……。」
「おい!ペンダントに触るな!」
リリィは魔女に説得され、渋々ながら命令に従おうとペンダントに片手を伸ばす。男は身の危険を感じ身をよじって抵抗しようとするが、リリィに片手で押さえられているにも関わらず振りほどくことができない。
そして、リリィの手がペンダントを掴み、男の首から外される。
「やめろ!………………………………あああああああああああああああ!?あああああああっ!あああ……あ……あ……あ…………」
男の首からペンダントが離れた瞬間、男が目を大きく見開き、喉の奥から絞り出されるような叫び声を上げる。しかし、その叫び声も次第に小さくなっていき、言葉に意味がなくなっていくのが分かる。男は怒涛のように押し寄せる記憶のフラッシュバックに耐えることができなかったようだ。
リリィはその男の姿を見て、自分のしたことに罪悪感を感じているかのようだった。男を押さえていた手を放し中空を泳がせ、目を白黒とさせる。口は何か言おうとしているが声が出ていない状態であった。
魔女はその光景を虫を見るかのような目で眺めていた。
少しして、魔女がリリィに声をかける。
「おい、いつまで感傷に浸ってるんだ。さっさとそいつを片付けろ。」
「あ……は、はい、分かりました……。」
リリィが魔女の言葉にようやく動くことができるようになる。そして、ついに意味のない音すら発しなくなった男の処理を始める。
「いやしかし、向こうから来てくれて助かった。こっちから回収する手間が省けたからな。ペンダントの回収もできて、代金もいただいた。その男には感謝しなきゃいけないな。」
「えっと、あれ?」
「どうしたバカ弟子、さっさと動け。」
魔女は人が目の前で廃人になったにも関わらずむしろ幸運だったかのように心無いことを話す。
そんな魔女をよそに、リリィがぽっと出てきた疑問にまた動きを止める。
「そういえば、この人の名前ってなんでしたっけ?」
「うん?客の名前なんかいちいち覚えていない。そもそも名乗っていないのだろう。」
「あれ、そうでしたっけ?なんか聞いた気がするんですけど……」
湧き出た疑問を解消できないわだかまりを抱えたまま、リリィは作業を続ける。
外はまだ雨が降り続けている。
『魔女の雑貨店』は今日も迷い人を探す――。
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