魔女の雑貨店
星海月
1話 前編
ちょうど正午を過ぎた頃の商店街は多くの人間で賑わっていた。石畳の道には屋台が立ち並び、老若男女様々な人々が行き交っていた。建物は木造やレンガ造りが多く、壁にはそれぞれきれいな模様や、彫刻が施されていた。
街には小さな広場もあり、人々は各々の時間を過ごしていた。そこには、楽器を演奏する音楽家や、様々なパフォーマンスをする芸人、ベンチに座って本を読んでいる人もいた。
そんな活気ある商店街とは対照的に陰鬱な雰囲気を漂わせながら、その男は通りを重い足取りで歩いていた。男の顔は少しやつれていて、目にはうっすら隈ができていた。
しばらくして、男はふと一軒の雑貨店が目を留まり、その前で足を止めた。雑貨店の外観は石造りの壁に黒い看板が掲げられており、壁には大きな三角帽をかぶった黒い猫のような模様が描かれていた。その雑貨店は商店街のほかの店とは明らかに異質なオーラを醸し出しており、男は「魔女の雑貨店」と書かれた看板をしばらく見つめいた。
「魔女の雑貨店……。こんな雑貨店いつこの商店街に建ったんだ?」
男は見覚えのない店の前で意図せず、疑問を口にしていた。
こんな商店街のど真ん中にこのような異質な店が以前から建っていただろうか。それならば、さすがに自分の記憶に残っているだろうと男は自身の頭の中を探る。
もしかして、最近新しくできたのだろうか。しかし、そうだとしてもこの場所には以前どのような店があったか心当たりがない。
ただ自分が今まで気がつかなかっただけだろうか。ではなぜ、わざわざ自分がこんな状態のときに気づいたのだろうか。
男は疑問に対して色々と考えてみるが、納得するような答えを得ることはできなかった。
まるで商店街の真ん中に突然生えたかのような印象を受ける、いかにも怪しい雑貨店に男は誘い込まれるように入っていった。
カラン、カラン……。
木製のドアに取り付けらたベルが鳴り響き、店のなかの者に来訪者の旨を伝える。
男は自分が見つけた異様な雑貨店に運命的な何かを感じて店に入っていた。
男が店のなかに足を踏み入れると、中にはさまざまな雑貨が並べられているのが目に入った。黒い棚には様々な本が並んでおり、赤い宝石が輝く指輪や、光り輝くネックレスなどの宝飾品がガラスケースに飾られていた。雑貨や本、宝飾品は奇妙な意匠をしたものが多いことに気づく。さらに店内は心なしか外観から想像してたよりも広く、あの奇妙な外観以上のものを感じさせた。
扉から入ってすぐの位置に立っていると、奥の方までは明かりが薄く、様子が分からないようなので男は店の中へと足を進めた。
そこで、店員と思われる人物がベルの音を聞いて、男に近づいてくる。
「ああ!いらしゃいませ!魔女様~。お客さんがいらしゃいましたよ~。魔女様~。」
雑貨の棚の陰から短い金髪でクリクリとした目のかわいらしい少女が現れる。少女は男を見ると歓迎の意を示し、魔女と呼ばれる店の主であろう人物を探して奥のほうに元気な声で呼びかける。
少女は10歳ぐらいだろうか、幼いながら成人男性である男を見ても物怖じせずに接することができているところを見るに、この店で働くことに対して慣れているようにを男は感じた。
「うるさいバカ弟子、そんな大きな声で呼ばなくても聞こえてるし、ベルの音で気づいてる。ああ、お客人いらしゃい。ようこそ魔女の雑貨店へ。ここにどんな用件で来たんだい?」
男が奥に進んでいくと、店のカウンターらしき場所に若い女性が座っているのが見えてくる。女性は読んでいた本を傍に置き、男の方に目を向ける。
女性の年齢は成人前ぐらいの年齢だろうか。街中で見かけたなら二度は見返してしまうであろう美貌をもっていた。しかし、輝くような美しい銀色をした長髪と紅い宝石のような目が、まさに少女が呼んだように魔女のような人外じみた印象を与える。
女性はその容姿にはすこし似合わない少々荒々しい言葉遣いで男を迎える。
男も例に漏れず、魔女と呼ばれた女性に見惚れてしまい、女性の呼びかけに対する返答が数秒ばかり遅れてしまう。
「…………えっと。何かを探してこの店に入ったわけではないんだ。外からこの店を見て気になってしまったので、入っただけで。ひやかしのようで申し訳ないが、少し店の物を見せてもらってもいいかい?パッと見た感じでも面白そうなものがありそうなので。」
男は女性に見惚れてしまったことに少し恥じながら来店の理由を正直に答える。ただ、本当に店のものが気になるので、良いものがあれば購入していこうかとも考えていた。
しかし、女性は男の返答に対して嫌な顔をせず、むしろニヤニヤと笑うような表情を浮かべていた。
「店のものを見て回るのは構わないが、キミはこの店に何か理用があって入ったはずなんだよ。ひやかしの人間はそもそもこの店を見つけられないようになっているからね。最近、何かつらいことあったり、悩んでいることがあるんじゃないかい?」
男は女性の自分を否定する思いもしない言葉に虚を突かれたような表情をする。それはまさしく自分の状況を言い当てたものだったからだ。
「なぜ、僕が悩んでいることを知っているんだ?僕のことを誰かから聞いたのか?見つけられないってどういうことだ?」
女性の言葉に男は矢継ぎ早に彼女に疑問を口にする。女性は男の表情の変化を楽しむように微笑んだままだ。
女性は男の言葉を何度も聞いた質問だというような顔で返答する。
「質問を一度に何個もするんじゃない。まあ、キミの疑問に簡単に答えるとすると、私が魔女だからだ。」
「ま、魔女?物語とかに出てくる?」
女性は自身のこと魔女だと言う。たしかに、彼女に弟子と呼ばれた少女が彼女のことを「魔女様」と呼んでいた。では、魔法でも使って自分の頭をのぞいたというのか?
男が困惑する中、女性は話を続ける。
「ああ、その魔女だと思ってくれていい。ワタシが魔女で、ここがその魔女の開いている店だからキミがどんな人間か分かる。ここにある商品が必要な人間しか、この店は見つけられないし、入ることもできない。まあ、偉そうなことを言ってもキミの顔を見れば、悩みがあることは誰でも分かりそうだがね。」
自分は魔女だから分かると。魔女は顎に手を当て得意げに語る。
今までこの街に住んでいて見たことがなかった店。その店が突如として見えるようになったこと。店のなかに並ぶ奇妙な商品の数々。目の前で語る人間離れしたような美しい女性。
それらの今まで経験してこなかった事象によって、男に女性が魔女であることを変に納得させた。
「な、なるほど、魔女だからか。なら、そちらの少女も魔女ということか?」
少し動揺した様子を見せながら、男は少女を指しながら質問する。あなたが魔女ならばその弟子と呼ばれる少女も同じ類のものなのかと言うように。
それを聞いた少女はよくぞ聞いてくれたというように腕を組み、とても得意げな態度で返事をする。
「そうです!リリィはとても偉大な魔女様の弟子で、リリィも……「これを魔女と呼ぶなんて痴がましいよ。魔女の弟子のくせに魔法を覚えるのも遅いし、箒も乗れない。教えていてよくダチョウに翼で空を飛ぶ方法を教えているような気分になる。」……え?」
リリィが腕を組んで得意げに自慢するところに、割って入って弟子のことを否定する魔女。想定していなかった身内からのあまりにも散々な評価に腕を組んだままの状態で、目を見開き口を開けたままの表情で固まるリリィ。まさかそこまで酷い言い方をされるなんて思っていなかったようで、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。憐れだった。
「え?え?魔女様?そんなふうに思ってたんですか?リリィ、そんなにひどくないですよね?この前魔法もひとつ覚えましたし、箒にも10秒は乗れます!」
リリィは魔女のほうに体を向け、猛抗議する。
魔女の修行がどんなものか男には分からないが、抗議の内容を聞く限りそんなに修業がうまく進んでないようにも聞こえてくる。
魔女はリリィの抗議に面倒くさそうに答える。
「ああ。ダチョウは言い過ぎた。アホウドリぐらいだな。訂正しよう。」
「アホ……アホウドリ……」
リリィは魔女のあまりの言い様に膝から崩れ落ちる。魔女という者は人の心を鳥に食べさせできたらしい。魔女からのとてつもない言葉の暴力ついに耐えられなかったリリィは、床に手をついてさめざめと涙を流している。
その様子を見て男はさすがに同情を禁じえなかったが、魔女の事情について知らないため慰めの言葉をかけることができなかった。
「すまない、バカ弟子のせいで話が逸れたな。で、キミの悩みは何なんだい?」
「あ、ああ……」
ひとしきり弟子をなじったひどい魔女は、男に話題を切り替える。
男は今の自分が救われるならばと、意を決して自身に起こったことを話し始めた。
「ありふれた話かもしれないんだが、先日、付き合っていた彼女に振られてしまってね。もちろん、どうしてか聞いたんだけどさ。自分に悪いところがあったなら直すからって。必死に縋りついたんだよ。だけど、どうしてもなんか合わないって言われてね。取り付く島もなかった。そのままパッと去ってしまった。なんだよ、なんか合わないってさ。どうしようもないじゃないか。……そこからは何もうまくいかなくなった。彼女と別れたことばかり考えて、他の事を考えられなくなった。仕事ではミスばかりするし、夜は眠れなくなるしで、日常生活が立ち行かなくなってしまった。ついには、最近仕事も辞めてしまって、僕は何もかもを失ってしまたんだ。魔女さん、こんな僕でも救えるのかい?」
男は感情を高ぶらせながら、身の上話を語る。しかし、話が後半に行くにつれて、高ぶった感情は沈んでいった。
「なるほど、辛かったな。しかし、安心したまえ。キミは魔女であるワタシに救われるため、『魔女の雑貨店』に招かれたのだから。」
魔女は安心させるような言葉を芝居がかったような声色で男に言う。
「ここ10年くらいの記憶をさっぱり消し飛ばす薬がある。これを飲めば、彼女に振られたつらい思い出も付き合っていた記憶ごと失くせるぞ。」
「10年間もの記憶がいきなりなくなったらどっちにしろ前の生活に戻れないじゃないか!」
とんでもないことを言い出した魔女に男は驚きの声をあげる。弟子のリリィも魔女の言ったことに目を見開き驚いている。
「軽い冗談に決まっているだろ……。バカ弟子、ペンダントを持ってこい。」
「ペンダント?……ああ、あのペンダントですか?分かりました、持ってきます。」
自分の軽い冗談を本気で受け取られた魔女はやや不満げに指示を出す。指示を受けたリリィは数瞬考えた後、魔女の意図に気づき装飾品が集められているであろうコーナーに走っていく。
「ペンダント?そんなもので僕は救われるのかい?」
男は訝しげに魔女に質問する。本当にそんなもの変われるのかと言いたげだった。
「もちろん、キミが想像しているようなペンダントではない。魔法のペンダントだ。まあ、もう少し待ってくれ。」
「魔女様~。『忌み嫌う追憶』持ってきましたよ~。これですよね?」
そんなところで、リリィが手にペンダントらしきものを両手て包むように持って戻ってくる。リリィはまるでおもちゃを持って帰ってきた子犬のように魔女にそれを手渡す。
魔女はそれを男に手渡しながら告げる。
「ああそうだ、そんな名前だったな……これはそう『忌み嫌う追憶』と呼ばれているもので、これがキミを救えるはずだ。」
「これが魔法の……」
男は渡されたペンダントを見る。ペンダントはいわゆるメモリアルジュエリーと呼ばれるタイプで、表面の蓋にはユリのような花が描かれた。
しかし、その肝心の蓋は元からそうなのか、後から溶接されたのか分からないが開かないように蓋と本体がくっ付いていた。
男はしばらくその奇妙なペンダント手に持って眺めたあと、試しに着けてみるかとペンダントを首にかけようとすると待ったがはいった。
「ああ、待ってくれ。着ける前にそいつの説明をしなきゃいけない。」
「なにか気をつけることがあるのか?」
魔女はペンダントを着けようとする男を止めて、説明を続ける。
「まず、そのペンダントのおもな効果から説明しようか。そいつは着けているあいだ、着けている人物が辛いと思っている記憶を忘れさせてくれる。逆に外すと忘れていた記憶を思い出す。」
「外すと思い出す?なるほど、じゃあずっと着けていればいいんだな?」
魔女の説明を聞いて男は自分の理解を口にする。
「そう簡単な話ならばいいんだけれどね。そいつにはもうひとつちょっと厄介な効果があるんだ。」
「厄介な効果?」
魔女は少し息をつき、残念ながらと首を横に振りながら続ける。
「ああ、そいつを着け続けると忘れなくてもいい記憶まで忘れていってしまう。そして覚えることも思い出すこともできなくなり、生活もままならなくなる。最終的には呼吸の仕方、心臓の動かし方まで忘れて死んでしまう。」
「えっ!?」
魔女からそのペンダントの恐ろしい効果が語られる。男はそれを聞いて着けようとしていたのをやめて、腕を伸ばして体から少しでも遠ざけようとする。
「そんな怖いもの着けられるわけないじゃないか!」
「そんなに怖がらなくてもそんなすぐに忘れていくもんじゃない。2、3日ぐらいで2番目に辛い記憶、3番目に……というように順々に、そこから忘れていたことも分からないよう記憶から忘れていく、それも定期的に外していれば忘れていく記憶は始めからリセットされる。」
男の意見に、そこまで怖いものじゃないと説得する魔女。ちゃんと対策もあるから大丈夫だと語る。
「ペンダントを外してまた思い出してしまったら、意味がないじゃないか。つらい思い出を消してくれるんじゃないのか?」
男は魔女の言葉を理解できないというふうに少し怒り露にしながら言う。まるで騙したのかと言っているかのようだ。
しかし、魔女はそれに対して気にした様子もなく肯定し、男を説得する。
「ああ、これは根本的に問題を解決するものじゃない。魔法はそんなに万能なものではないからな。これをキミがどうしてもそれを忘れて没頭したいときに着けるといい。そうしたら、まともとは言えなくても日常生活を送れるようになるだろう。結局、辛い記憶というものは時間とその記憶を塗り替えるような体験でしか乗り越えることはできないんだよ。」
「そ、そういうものなのか。」
男は魔女の言い分に納得したようなしてないような表情を浮かべる。
「いらないなら購入しなくて構わない。押し売りがしたいワケじゃないしね。そして、それがダメならば申し訳ないがワタシからキミに手助けできることはもうない。」
「魔女様。それはいくら何でも……」
魔女は片手を差し出して、納得できないなら帰れと突き放すように男に言う。リリィは男のことを助けてほしいと懇願する。
「いや、魔女さんの言うことは正しいと思う。たしかにつらい思い出は自分で乗り越えなきゃいけないと思う。魔女さん、このペンダントを買わせてくれ。」
男は無理やり気味に納得してペンダントを買う決心をする。
「毎度あり、いい買い物をしたね。」
男は代金を払い、ペンダントを恐る恐る首にかけてみる。すると、一瞬男の顔がスッと何かが抜け落ちたようになった後、意識が戻り自分にもたらしたペンダントの効果を話し出す。
「おお、すごい。本当に心が軽くなった!これが魔法の力か!」
「ああ、今のキミはもうその記憶を忘れてしまっているが、忠告通り定期的に外すことを忘れないでくれよ。」
男はその効果に興奮している様子だ。魔女はその様子を見て満足しながら、再度忠告しておく。
「ああ、もちろんだよ。だけどこれは本当にすごいな。今なら何でもできそうだ。」
男は店に入ってきたときに比べて、明らかに活気に満ちていた。男は満足しながら出口に向かって歩き出す。
「魔女さん、本当にいい買い物だった。ありがとう。あと、言うのが最後になってしまったが、僕の名前はアランというんだ。ぜひ覚えておいてくれ。」
「ああ、アラン君のこれからの未来がバラ色になることを祈っているよ。」
「頑張ってくださ~い。」
男は手を振りながら、店を出ていく。それに対して、リリィも手を振り返して見送っていた。
カラン、カラン……。
そして、男を送り出した扉が閉まり、客が居なくなったことをベルが伝える。
静寂の訪れた店の中で、リリィが手を振るの止めて口を開く。
「アランさん、すごい変わりようでした。そんなに彼女さんと別れたのが辛かったんですね。」
「それもあるだろうが、元々、感情の起伏が激しい人間なのだろう。ところどころにそんな部分が出ていた。」
リリィはアランの変わりように驚きを口にしたが、魔女はアランの人となりを察していたようだ。
リリィは魔女に言いたいことがあるようで話を続ける。
「でも、あのペンダント渡して大丈夫なんですか?この前に渡した人は……」
「あれとこれとは別の話だ。この話がどのような結末を迎えるかはあの男次第だよ。」
魔女はもうこの件に興味がないと言うように話を切る。そして傍らに置いていた本を開き、読書を始める。
「……」
リリィはそれ以上何も言わず男が出ていった扉の方に一瞬だけ目を向けたが、すぐに自分の仕事に戻るのだった。
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