第9話
早朝目覚めると、すぐに街の広場に向う。壁に掛かった蛍光緑の作業着を羽織る。宿から表通りを歩いている。日が登り始めている。舗装された道に出る。足音が屋台の準備をしている商店街に響く。
『探知は済んだ。目星通りだ』
街の広場から数百メートルほど離れた三階建ての尖塔。入り組んだ住居群を歩き、放置された教会の塔に辿り着く。
腰から拳銃を構えて、古い塔に入る。破損した教会椅子。ゴミは散乱しており、汚れた女神のステンドグラスには光が差し込み輝いている。
『埃っぽいな』
「あぁ」
側には一台のバイク。リンの愛用している物だ。彼女はここにいる。
嫌な悪寒がした。
後ろに飛び退くと、チュン、という銃声がして横の教会椅子が吹き飛んだ。
尖塔に繋がる螺旋階段の入口に彼女が蜥蜴の鱗みたいな銀光沢の義腕で拳銃を構えて居た。リンだ。
「やっぱり貴方、来たのね」
「同僚が心配でね。真の任務を教えてくれ」
「市長の暗殺よ」
「重い仕事だな……断らなかったのか?」
「仕方ないのよ。見なかった事にして私に暗殺させて頂戴? 仲間でしょ」
「そんな事したら、この街は終わるぞ?」
「えぇ、知ってるわ」
「それに、狙撃するとかじゃないだろ?」
「勿論、企業の空爆に見せかけるわ」
「つまり、大勢が死ぬわけだ」
「汚れ仕事って訳だ」
「そうね」
「任務失敗に出来ないか?」
「残念ながら、死ぬ事になるわ」
「俺達は所詮、使い捨てか……」
「逃げるなら早く逃げなさい。今なら局長も許す筈。二人で一緒に逃げましょ?」
「俺にはツレが居るんだが」
「残念。置いていく必要があるわね」
「そりゃあ残念だ、断る」
「情が湧いたの? 貴方いつもお人好しね」
「俺の唯一の美徳でね」
「そうね……私もそう思うわ」
「最悪の気分ね、同僚と殺し合うなんて」
「糞野郎だ。運命って奴はいつも」
「死んだら互いに埋葬する約束覚えてる?」
「勿論、いつも約束ばっかしてるな、俺達」
「大半が守られてないけどね」
リンは笑い、俺は苦笑しながら話を続ける。この世界は不条理で理不尽だ。俺達が抗っても、結局、何も変わらないかもしれない。それでも俺は……。恋人の様に、獲物を狩る獣の様に、お互いに目を真っ直ぐ見た。俺達の戦争は終わらないだろう。
「でも、この約束だけは絶対に守るから」
「そうだな、それだけは絶対に守ってやるよ」
二人は構えた。
◆
いきなりだが、少し俺の話をしよう。俺の名前は前島ザック。使い捨ての配達員をしている。とある事情で、今は傭兵稼業を辞めた。俺の人生は自慢じゃないが……いや、自慢だな。
俺の人生は不幸な人生だった。物心ついた時から両親は居らず、
昔から俺は賢くて、
運良く生き残ったが頸椎損傷、四肢粉砕、内臓破裂……まあ瀕死の重傷を負った。というか生きてる事が奇跡みたいな状態だった。奇襲したテロリストを皆殺しにした事が企業の上層部に気に入られ、脳を頑丈な第八世代の『殻』に包まれて
そこで、俺は初めて地獄を経験した。毎日友人が死んでいき、毎日同僚が壊れていく。俺は何とか生き残り続けたが、ある時、遂に終わりが訪れた。当時、遠距離恋愛していた彼女を人質に取られ、俺は途轍もない『ヤバい
最後の最後で失敗して俺は政府が主導で開発したらしい脳を焼き切るプログラム『
「貴方、生きてる?」
思い出した。冷たい酸性雨が降った夜。ゴミ処理場の山で、リンに出会った。何を言ったか、思い出せないが彼女に助けられた。彼女は俺を拾ったのだ。溶けた脳を再生させる為の、あの毒々しいオレンジの錠剤を政府と取引して手に入れた。彼女は『殻』を取り出して「うっわ、キモッ!」と言ってきた。彼女は俺の脳が無事な事に安心したのか、その後は優しく俺に『運び屋』としての生き方を教えて貰った。命の恩人なのだ。
◆
彼女は俺に跨り、その銀腕で俺は五発も殴られた。突然、彼女は振りかぶった拳を下ろした。
「そんな悲しい顔しないでよ、ザック。そんな顔されたら、私……貴方を殺せないわ。私、貴方のこと好きだから」
彼女は俺を開放した。自由になった俺は立ち上がり、彼女の目を見る。
「もう局長には伝わったようね……」「どういう事だ?」
「
彼女の整った鼻から血が垂れる。彼女は血を拭って、血の付いた手を見て笑う。
「私はね、ずっと貴方を殺す為にこの街に来たの」
「……俺を殺せば良かっただろ?」
「メイサちゃん、だっけ。貴方があんなに幸せそうに笑ってるの初めて見たわ」
「そうか? 俺、結構笑っているつもりだけど」
「貴方はね……いつも作り笑いなの。分かるわ」
「そうか、そうかもな」
彼女が崩れ落ちそうになったので、俺は彼女を抱きしめた。
「おい! 大丈夫か!?」
「えぇ、平気」
「どう見ても平気じゃないだろ!」
「一つ、お願いしても良い?」
「何でも言ってくれ」
「貴方たちは幸せに生きて」
そう言った限り、リンは動かなくなった。俺は声にならない慟哭を上げた。
彼女の美しい顔を見ると眼球に膜が貼り、涙が流れ落ちた。
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