1-18 <通天閣からの景色(1)>

「・・・それで、持ち時間はどれくらいなんですかね?」


アリヤが友人ソフィアの父親、マルチェロに日本語で尋ねた。

ソフィアもマルチェロも、6月の梅田のDJバー「リチェルカーレ」でのレディースオンリーイベントでお世話になった、プロモーター的存在だ。

マルチェロが言った。


「今回は、きみたち以外にも2名、若いDJがオープニングアクトとして出る予定なんだ。

だから、21:00スタートなわけだから、1人1hと考えると、きみたちを入れた4人で1:00まで、ってことになるね。

ちょうどリカルドの出番にちょうどいいタイムになるんじゃないかな?」


マルチェロは、マキもいっしょにいることに配慮して、流暢な日本語で話した。

アリヤも日本語で話してくれるので、マキには助かった。


リカルドは、イタリアからやって来る人気DJだ。

ハウス、テクノ、ベースミュージック、ブレイクビーツからドラムンベースまで、縦横無尽にプレイする実力派DJ。

マキとアリヤは、11月に東京のクラブBOMBで行われる、彼の来日イベントのオープニングアクトに選ばれた。

選んでくれたのが、このマルチェロとソフィアの親子なのだ。


「1hの持ち時間・・・。

大バコのオープンアクトとしては、まあまあ責任重大ですね・・・」


マキが少し緊張した面持ちで言った。

マルチェロはソファの背もたれに大柄で太めの身体で寄りかかって、


「・・・はっはっは。

きみとアリヤなら、やり遂げられるでしょう。

だって、ぼくはきみたちの能力を信頼しているからね」


と言いながら、白ワインをぐっと飲んだ。

ソフィアも、


「そうよ。

マキ、だいじょうぶ!

リカルド登場まで、少しずつフロアを温めていけばいいだけやから!」


と、興奮気味に話す。


「そうやね!

なあマキ!」


アリヤが、右手のこぶしをぐっと立てて、ニコリと笑う。


マキはゆっくりと、


「うん・・・」


とうなずいたが、内心不安を感じていた。


正直、大バコでプレイすることは初めてだし、ちょっと怖い。

アリヤがいっしょだとは言え。


マキは先月の、ユウタとやった福祉施設でのDJ体験会のことを思い出していた。


本当に楽しかったな、あの体験会は。

ユウタもいっしょだったし。


そう思いながら、マキはハッと気がついた。


大バコで有名DJとともにプレイするよりも、小バコでも、いやクラブでなくてもいい、少人数でも音楽を純粋に楽しんでくれる人たちの前でDJするほうが楽しい。

そう思っている自分がいる。


自分がほしいのは、名声とか、すごいと思われることじゃない。

それははっきりしている気がした。


マルチェロの声が、そんなことを考えているマキの頭の中に割り込んでくる。


「・・・アリヤとマキとで、フィーメイルDJコンビってことで売り出すことも考えてるんだ」


今の言葉を聞いて、マキは一瞬、頭の中が真っ白になった。


・・・は?

何それ・・・・。


マキはアリヤを見た。

アリヤもマキを見つめている。


「・・・ええやん。マキ!

やろうよ!

二人で!」


マキはまだ頭が真っ白なまま、それでもあれこれ考えをめぐらす。


いや、アリヤといっしょにやること自体は全然ええんやけど・・・。

そういうことやなくて・・・。


あたしがしたいのは、そんなことなんやろか・・・。


マキは、そんな疑問を抱いて頭の中が宙ぶらりんになったまま、マルチェロたちの話を聞き続けた。


***


20:00。

クロさんの店。


ユウタはカウンター席に座って、クロさんと話していた。


まだ開店から間もない時間だ。

ユウタの他に客はいない。


ユウタがクロさんに言った。


「・・・クロさん、メールした通りなんすけど、オレ、ここでイベント立ち上げたいと思ってます。

オレが考えてるコンセプトなんですけど・・・」


クロさんは顔を上げてユウタに尋ねる。


「おおー。

話してくれや」


「・・・まずはですね、どんな人でも楽しめる、ダイバーシティーパーティー、っていう感じです。

LGBTQの人でも、障がいのある人でも、あらゆる人が参加できるようなパーティー。

そういうのを目指してます」


クロさんは、身を乗り出してユウタを見つめ、そして言った。


「ユウタが、そろそろそんなことを言うてくるんやないか、と思うてたわ」


「・・・え・・・?」


「こないだ、マキちゃんといっしょに福祉施設でDJやってきた、言うてたやろ。

かなり刺激を受けて帰ってきた、そう見えたからな」


「・・・そうですか・・・。

バレバレでしたか・・・」


「はっはっは。

ま、ユウタらしいな。

ええと思うぞ。

・・・マキちゃんも、いっしょにやるんかな?」


「・・・マキには、まだ話してません。

そうやったらええとは思ってますけど・・・。

まだわかりません。

彼女は、今は11月の東京のことでいっぱいやろうと思うんで」


「BOMBのリカルドのオープニングアクトか?」


「はい」


クロさんは、カウンターに両手をついて、ふーっ、とため息をついた。


「確かにリカルドのオープニングアクトは、そうそうないチャンスや。

これをきっかけに、マキちゃんがより活動の幅を広げることができるようになるかもしれん」


ユウタは無言でうなずいた。

クロさんは続けた。


「もしマキちゃんがそういう道を選びたいのであれば、そうすればええ。

それだけの力がある子や、マキちゃんは」


「・・・オレもそう思います」


壁のほうを見たまま、ユウタは言った。


「もしマキが本当にそれを望んでるんであれば、その通りにするのがいいとオレも思ってます」


「でもそれはユウタ、おまえも同じやぞ」


「そう言っていただけるのはうれしいですよ、クロさん」


「おまえはそっちの道ではない道を行きたい、ということやな?」


ユウタは少しの間、無言でいた。

やがて、クロさんのほうを向くと口を開いて、


「オレは・・・福祉の仕事をしたいと思ってて・・・」


そう言って、気がついたように付け加えた。


「もちろんDJはやり続けます。

・・・プロDJというかたちにはならないでしょうけど。

ライフワークとして続けたいです、絶対」


クロさんは、やさしい眼差しでユウタを見つめていた。

そして、笑顔で応えた。


「そうか。

まあ、ここんとこおまえが言ってたことから、なにか考えてることがあるな、とは思うてたよ。

・・・福祉関係に就職する、ということか」


「・・・まだ、わかりません。

自分のゼミの先生には相談しました。

先生は、『きみは心理学を専攻しているんだから、心理関係の資格を取るのがいいだろう。

公認心理士か、精神保険福祉士がいいんじゃないか』と言われました」


「ユウタはどっちの資格を取りたいんや?」


「いえ、まだ決められなくて・・・」


「そうか。

ま、どっちを選ぶにしても、得られるものはたくさんあるやろ。

ユウタとしては福祉の世界で、どんなことがしたい?」


ユウタはしばし考えた。

まだ、はっきりとした考えがあるわけではない。


「・・・どうなんでしょうかね・・・。

身体の障がいを持っている人は、外から見てわかることが多いでしょう?

でも、精神障害という、見えない障がいを持ってる人たちは、たぶんその見えなさゆえに社会のさまざまな場で苦労をしてると思うんです。

そういう人たちのそばにいて、力になってあげたい・・・。

そのことは、はっきりと思ってます。

青臭いかもしれませんけど・・・」


クロさんは、ゆっくりうなずいて言った。


「いや、青臭いなんてオレは思わんぞ。

・・・しかし、ユウタらしいな。

おまえはやさしいやつやから、合ってると思う」


そう言って、クロさんはカクテルを作ると、グラスをユウタと自分の前にそれぞれ置いた。


「オレも飲みたくなったから、これはおごりや。

遠慮するな」


「・・・すみません」


クロさんは一口カクテルを飲むと、カウンターに両腕を乗せてユウタに語りかけた。


「オレは福祉の世界のことはようわからんが、友人でそっちの世界に行って仕事してるやつが何人もおる。

中には、福祉の仕事しながらDJやってるやつもおる。

今度ユウタにそいつを会わせるわ。

おもろいやつやぞ、パワーがあってな」


ユウタは目を見開いて、


「ホントですか!ぜひ会わせてください!」


と叫んだ。


「ああ。

岡ちゃん、岡本ってやつでな。

DJ OKKAって名前で、今もここでふた月に1回、プレイしてる。

次の彼の日は・・・えーと・・・おお、ちょうど今月の14日だ。

20:00から23:00。

ユウタ、来られるか?」


ユウタはスマホを取り出してスケジュールを見る。


「えーと、だいじょうぶです!

来られます!」


「なら来いや。

マキちゃんも来られるかな」


「どうですかね・・・」


そうユウタが言いかけたとき、ブッ、とスマホのLINEがバイブで鳴った。


ユウタはスマホを見る。

そして、微笑を浮かべながら文字をタイプした。


「マキでした。

今からこっちに来るそうです」


「ちょうどええ。

マキちゃんも、もし岡ちゃんの日に来られるなら、いっしょに彼と話をするとええと思う」


クロさんはそう言って少し沈黙すると、こう続けた。


「ホントはマキちゃんも、福祉の道に行きたいんやないか?

こないだユウタと来たときの、話をしながらのあの目の輝きようは、そう思えたぞ」


「・・・かもしれません。

そもそも、オレを福祉の世界に導いたのがマキですし」


「そやろ。

たぶんマキちゃんは、おまえといっしょに歩んでいきたいんやないかな」


クロさんは、天井を見上げてつぶやくように言った。

ユウタは、言うべき言葉が見つからなくて、ただ目の前のグラスを見つめていた。


5分ほど経った後。

ドアが開いて、マキが入ってきた。


「こんばんはー!

ユウタ、お待たせ!」


クロさんが、


「いらっしゃい!

マキちゃん、よう来た!」


ユウタがマキに、


「おう。

ここに座れや」


と声をかける。

マキは、


「ありがと」


と言ってユウタの隣の席に座った。


「どうやった?

アリヤたちとのミーティング」


「うん、まあ・・・」


マキはそう言ったきり、次の言葉が出て来ない。

少し浮かない顔だ。


「・・・どうした?」


「いや・・・。

ミーティング自体はうまく行ってんやけどね。

そうやなくて・・・」


「うん?」


ユウタはマキの顔を横から見て、心配そうに訊いた。


「・・・なんていうかさ、大バコに出て有名DJといっしょにプレイできるなんて、なかなかできることやない。

もちろん、それはよう理解してる。

やけど・・・」


マキはそう言ったまま、続きを飲み込むように黙り込む。

ユウタがやさしく尋ねた。


「・・・やけど?

言いたいことあるなら、正直に言いや。

オレとクロさんしかいないし、遠慮することない」


「うん・・・。

正直に言うわ。

あたし、ホントにこんなことしたいんやろか、って思ってて・・・」


「気が乗らないんか?」


「・・・マルチェロたち、アリヤとあたしを女性DJコンビみたいに宣伝して売り込みたい、とか言ってんねん・・・」


ユウタは、ちょっとの間口をつぐんだ。

やがて、ゆっくりと低い声で言葉を発した。


「ああ、そういうことか・・・。

うーん、それはどうなんかな・・・」


それから、少し考えるように天井を見上げてから、再びマキを見て言った。


「・・・アリヤはともかく、マキ向きではないな・・・。

っていうかマキ、おまえ、正直言ってそんなことしたくないやろ?」


マキは黙ったままうなずく。


「・・・そうやねん・・・。

あたし、こないだから、ずーっと頭の中で考えてんねんけど・・・」


「・・・福祉のことか?」


ユウタが後を継いだ。

マキはまた、黙ってうなずく。

さっきよりも力強く。


「それとね、ユカリちゃんと話したこと・・・。

言われたのね、ユカリちゃんに。

あたしとユウタくんは、DJでいろんな人とつながれて、人を楽しませて、喜ばせて、ハッピーにさせる能力がある、って」


ユウタは目を見開いて、マキを見つめた。

何か言おうとして、止めたような表情だ。

マキが言葉を続けた。


「で、もしあたしに、そういう能力があるんやったら、それを何に使うべきなんやろ、って、あれからずっと考えてて・・・」


ユウタが黙って続きを待つ。

マキが続けた。


「・・・アリヤとDJコンビ組んで、大バコでプレイするの、そういうふうにしてプロDJになっていくのも一つのあり方かもしれんけど。

でも、少なくともあたしがしたいことはたぶん、そういうことやなくて・・・」


ユウタがマキに言った。


「そうだよな。

マキ、おまえのやりたいことは、もうおまえの中で答えが出てるんやないか?

・・・そうそう、オレも、ちょうどマキにしたい話があってな。

関係のあることかもしれないから」


「ん?

なに?」


マキはあらためてユウタを見つめる。

目を大きく見開いて、ユウタの言葉を待った。


「オレ、ここクロさんのお店で、イベント立ち上げることにした。

障がいがあろうと、LGBTQであろうと、どんな人でも参加して楽しく遊べるイベント。

ここは路面店やから、車いすの人でも入れるやろ。

クロさんにも確認したから、問題なくできると思う」


そしてユウタは、マキを真っすぐ見つめて言った。


「で、イベントに、もしよかったらマキもぜひ参加してほしい」


マキは、しばらくユウタを見つめたまま黙っていた。

そして、その表情はすぐうれしさでいっぱいになった。

目がきらきらと輝いた。


「やるんやね・・・とうとう・・・」


そして、唇をかみしめて、少しの間黙っていたが、やがて声を張り上げて言った。


「参加するよ、もちろん!

参加するに決まってんやん!」


ユウタも笑顔になった。


「・・・ありがとな」


「こっちこそ、誘ってくれてありがとう」


「それとな、オレ、福祉の道目指すわ。

精神保健福祉士か、公認心理士の資格取ることにする」


「そうなんや。

・・・それも決めたんやね、やっぱり」


「ああ。

・・・福祉の世界に誘ってくれたのはマキやから。

それも感謝してる」


「ううん」


マキは笑顔でユウタを見つめている。


「でもマキは、自分が好きな道を目指せばええと思う。

プロDJの道も、全然アリやと思う」


そこにマキはおっかぶせて言う。


「いや、あたしも福祉の道、目指すよ!

社会福祉士の資格取る!

・・・いっしょに福祉の仕事、しよ!」


ユウタは目を見開いてマキを見つめる。


「・・・マキがそう言ってくれるのは、すごくうれしい。

けど、ほんとにええのんか、プロDJの道は?」


「うん・・・もちろんDJは続けるよ!

ユウタといっしょにね!

けどな、さっきも言ったみたいに、あたしがしたいことは、プロDJの世界とはちがうと思ってて・・・」


「うん」


ユウタはうなずいて、


「正直、マキはそう考えてるかもな、とは思ってた。

マキはもっとなんていうか、社会のこと、本当にいろいろ考えてるからな。

障がいのある人たちとか、貧困にある人たちとか、十代の子たちのこととか、いろんなことを考えてて、そういうことに関わりたいんやないか。

・・・そう思ってた」


「その通り!」


マキが即答した。


クロさんも口を出した。


「オレもそう思ってたわ。

マキちゃんはクラブっていう枠には収まりきれん、っていうかな。

ユウタのイベントのコンセプトも、福祉をいっしょに目指すのも、ええと思うよ。

マキちゃんとユウタとなら、うまくやっていけるんやないか?」


「そうやとええと思います」


マキがクロさんに笑顔で応えた。

そこでユウタは急に思い出して、


「そうそう、それと!・・・。

岡ちゃん?でしたっけ、その話!

マキにも伝えにゃ」


マキは、きょとんとした顔をして、


「へ?

何それ。

岡ちゃんって?」


クロさんが説明した。


「岡ちゃん、って言ってな、オレの友だちなんやが、ここにときどきDJしに来てるやつがおるんや。

そいつ、福祉施設に勤めててな。

どういう施設か、くわしくは聞いたことがないが、障がいがある人の施設なのは確かや。

マキちゃん、ユウタと二人でそいつに会うてみたらどうや、と思ってな」


マキが興味深々な表情で、


「・・・へえ・・・。

それはぜひ会ってみたいです!」


うれしそうに言った。


「岡ちゃんは今月14日の20:00から、ここにDJしに来る。

もしマキちゃん、都合がつくようやったら、来んか?」


「あたしはだいじょうぶです!

ユウタも?」


「オレもだいじょうぶ。

いっしょに来よう」


「うん!

クロさん、ありがとうございます!」


マキはうれしさいっぱいの表情で、クロさんに頭を下げた。


「いやあ、マキちゃんのうれしそうな顔見ると、こっちもうれしくなるな。

あ、もちろんユウタもそやけどな。

岡ちゃんはおもろいやつやで。

福祉のことでもいろいろ参考になると思うし、そもそも話して楽しいやつやから。

ま、きみたち二人が来るのを、楽しみにしてるわ」


「はい!」


マキとユウタは声を合わせた。

クロさんはニヤッとして言った。


「二人とも、もう一杯、飲むか?

オレのおごりで・・・」

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