1-14 <チャレンジド・ピープル(2)>

マキと話した日の夜。

ユウタは自分の部屋で机の前に座って、マキに誘われた福祉施設の見学で行う予定のDJ体験会の内容について考えていた。


DJコントローラーとPCはマキが持ってくる。

なので、こちらの音源はUSBメモリに入れて持っていくか、あるいはあらかじめマキに渡してPCに入れてもらうか、しなければならない。

入れておいてもらうほうがやりやすいな・・・。

その場合、オレ用のプレイリスト、作ってもらう必要があるな・・・。


そして、スピーカー。

PC用スピーカーよりよりよい音で聴かせたいから、パワードモニターを持っていったほうがいいな。

そこそこ大きさも重さもあるから、これはオレの担当。

テーブルに直置きになるだろうから、インシュレーターも必須。


ヘッドフォンも忘れずに持っていかなきゃな。


あ、そだ。

利用者さんにもヘッドフォン、かけてもらうことになるから、もう一つ持って行ったほうがいいのか・・・。


・・・と、こんなことをあれこれ考えていて、ユウタはふと気がついた。


「・・・待てよ・・・。


スケジュールに、利用者さんの体験時間、入ってないじゃん!!」


具体的に、DJ体験と言っても、どこまでの体験をさせるか、ということもある。

2つの曲をヘッドフォンで聴きながらBPMを合わせてミックスしてもらう、ってところまでだろう。


ユウタはマキにLINEを入れる。


「今電話で話できる?」


5秒くらいでマキから返信が来る。


「できるよ」


ユウタはすぐさま、LINE通話をかける。

マキが出た。


「おつかれー。

・・・どうしたん?」


「マキ、B型事業所見学の件な。

DJタイムのスケジュールに、利用者さんの体験タイムが入ってないぞ」


マキが一瞬の沈黙の後、


「あー!!

すっかり忘れてたー!!」


と叫んだ。

ユウタは冷静に、


「どっかに体験タイム、入れなきゃな」


「・・・そうやー・・・。

ユウタ、ごめん。

気がついてくれてサンキュ・・・」


通話を通して聴こえるマキの声は、本当に申し訳なさそうな様子だ。

ユウタは、


「そんなにしょげなくても、だいじょうぶやぞ。

まあ、早めに気がついたからよかった」


「うん・・・。

あたしらのDJタイムを削る?」


「そういうことになるな」


「そうすると・・・。

DJの説明に10分。

あたしのDJが15分、ユウタが15分、B2Bが10分。

体験タイムが10分・・・。

少な過ぎるかな?」


ユウタは、うーんと唸って少し考える。


「体験タイムは、そうスムーズにいかないこともじゅうぶん考えられるから、できるだけ時間をとったほうがええやろな。

最低でも20分とか。

そうすると、どうしてもオレたちのDJタイムを削ることになるから、いっそオレたちはB2Bだけにする、って手はどうや?」


「・・・B2Bだけ?」


マキが通話回線の向こうで、きょとんとした顔をしているのが見えるようだ。


「たとえばな、3曲ずつマキとオレとでプレイする。

これで大体30分。

それから1曲ずつのB2Bで10分。

トータル40分で、そこそこまとまったプレイになるんやないか?

全部B2Bみたいな感じやけど、マキとオレならそれなりに統一感は出せると思う」


「・・・なるほどー!

それいいね!

やっぱユウタ、天才じゃね?」


マキが、パッと明るい表情になった。


「天才ちゃうわ、これくらいのこと」


笑いながらユウタはそう言って、


「このタイムスケジュールで行けそうかな?」


とマキに確認する。


「行けるイケる!

絶対にイケる!!」


マキがおっ被せるように話してくる。

ユウタは、


「・・・お、落ち着けマキ。

それとな、体験の際に利用者さんもヘッドフォンかける必要あるやろ?

オレが前に使ってたオーテクのヘッドフォン(注1)余ってるから、これ持ってくよ」


「さすがユウタさん、よく気がつきますねー。

ありがたいありがたい」


「なんやねん」


「ありがたがってるの!

感謝の念!

それと、ほめてるの!」


「ほいほい、ありがと」



(注1「オーテク」:

オーディオ家電メーカー「オーディオテクニカ」のこと。

DJ用のヘッドフォン「ATH-PRO5X」など、プロ用の機種を多数開発・販売している。

リーズナブルな価格帯で高品質な機種も多く、ビギナーDJ・DTM作曲者に人気がある。

ユウタが持っているのも、ATH-PRO5Xと思われる。)



ユウタは、事前に自分の音源をマキのPCに入れておいてもらいたい旨を伝えた。

マキは、


「ならさ、プレイリストどういうふうにしたらいいか、直接ユウタに見てもらいながらやったほうがいいよね。

PC作業は、カフェとかでもできるけど・・・。

・・・せっかくやから、あたしんち、来る?」


と言った。

ユウタは急なマキの提案にちょっと遠慮して、


「・・・行ってもいいのか?」


と言った。

マキは明るい調子で、


「全然ええよー。

だって、あたしもユウタんち行ったんやし。

遠慮せんでー」


「そうか。

なら、寄らせてもらうわ。

・・・・悪いな」


ユウタはまだ遠慮気味だ。


「全然、悪くないよー。

それに・・・」


マキはそこで、言葉を止めた。


「・・・それに?」


マキはちょっと言いづらそうに声を落として言った。


「・・・前に送ってもらったとき、あたしが変なかたちで誘っちゃったから・・・。

あんときのお詫び、っていうか・・・そんなのもあるし・・・」


ユウタはあの夜のアクシデントの翌朝、マキを家まで送ったときのことを思い出した。


「・・・あー、あれこそ全然気にすることないぞー。

何とも思ってない」


「・・・うん・・・ありがと・・・」


「それじゃ、お言葉に甘えて今回は寄らせてもらうかな。

食べ物とか買って行って、いっしょに食べ飲みしよか」


「・・・ええね!

そうしよ!」


「いつにする?」


「・・・えーと、あさっての土曜日、どう?」


「おう、昼間バイトだけど3時には終わるから、4時以降なら行ける」


「・・・んーなら、4時に長居の駅前で、どう?」


「わかった。

USBとオレのPC、持ってくわ。

それと・・・」


「・・・泊ってくよね?」


マキのほうが先に言った。

ユウタは、少しの間ためらったが、やがてホッとしたように言った。


「うん・・・そうするか。

ありがとな」


「ううん、こちらこそ」


「じゃ、また土曜に」


「うん、土曜日にね!」


通話を切ると、ユウタはマキのことを想った。


あのときは入らなかったマキの部屋に、初めて入ることになる。

ちょっと緊張するような、変な気分がする。


でも、あのときと今とでは、状況がまったくちがう。

今は、ちゃんとお互いを愛していることを確かめ合い、信頼関係ができあがった上での訪問だ。


楽しみだな・・・。


マキもきっと、同じように思ってるはずだ。

ユウタはそう考えて、スマホを机の上に置いた。




土曜日の午後。

ユウタは、家庭教師のバイトを終えて、バイト先の家から最寄りの駅に歩いた。

駅に着くと、マキにLINEを入れた。


「今バイト終わった。

30分くらいで長居駅に着くと思う。

よろしく」


LINEを送って10秒もたたずに、マキから返事が来た。


「了解!

ほな、4番出口改札前で。

気をつけて来てね!」


大阪メトロ、地下鉄御堂筋線。

下り線とはいえ、土曜日なのでけっこう多くの乗客がいる。

ユウタはドアの脇にもたれながら、窓の外を眺めた。

中津より北側までは、地上を走っているので地上の景色が見える。


高速道路と並走するこのあたりは、ほとんどビル群が並ぶばかりの風景だ。

やがて電車は地下に入る。


先ほどまで自分がバイトでいた東三国のあたりもそうだが、大阪の街は東京よりも、どこかしらちょっと古びた、昭和の時代を思わせる街並みが多い。

でも、そんな大阪の光景がユウタは好きだ。

大阪は都会的な新しさと、歴史ある古さ、懐かしさが同居している。

その落差が、東京よりも著しい。


そんな大阪。

たぶん自分は、この大阪にずっといることになるだろう。

東京には戻らずに。

それくらい、今、自分はこの場所を愛している。


そして、何よりもここにはマキがいる。


自分が大阪の大学に入って、すぐにDJを始めた。

そしてマキと出会って、いっしょにイベントをやり始めた・・・。

自分の人生が本当の意味で始まったのは、すべてここ、大阪に来てからだと言っていい。


自分はこの先も、大阪にとどまることになるだろう。

そうユウタは、いつしか自分でも知らぬ間に心に決めていた。


そして、ずっとマキといっしょにいるだろう。

そのことも心に決めている。


今は窓の外では、地下鉄の灰色のトンネルが延々と続く景色が流れていく。

それを眺めながらユウタは、大阪でのマキとの未来を考えていた。




電車は長居駅に着いた。


ユウタは電車を降りると、約束の4番出口に向かった。

改札の前まで来ると、待っているマキが見えた。

マキはユウタを見つけると、笑顔で手を振って改札に近寄る。


「いらっしゃい!

けっこう早かったやん!」


マキはいっぱいの笑顔で、改札を出たユウタに駆け寄って出迎えた。

とてもうれしそうだ。


「おう・・。

よろしく・・・」


ユウタはマキの勢いに押されて、少しぎこちなく応える。


「・・・あらためて来ると、なんか不思議な気分だな」


マキがユウタの様子を見て、悪戯っぽく笑った。


「あ、また東京弁に戻ってるなー。

そういうときのユウタは、大体いつもあわててるときか、余裕のないときか、そうでなかったら、あれこれ考えてるとき!」


そう言って、ユウタの腕をつかむ。


ユウタは痛いところを突かれた、というふうに顔をしかめて、


「・・・よくわかってんな。

その通りや。

今は、あれこれ考えてる」


「何を?」


「・・・んー、きょうマキと決めとくべき内容とか、施設やゼミのこととか・・・。

それから、こないだ来たときのこととか・・・」


「あー・・・。

まあ必要なことやね。

最後の以外は!」


そう言ってマキは、あははは、と笑う。


「あー、ま、マキの言う通りやな。

最後のは止めとくわ」


「・・・ええけどね、別に考えてても」


そう言ってマキは、くすっと笑いながらユウタの手を引く。


「行こ!」




二人は地上に出た。

歴史がありそうな、小学校の鉄筋コンクリートの校舎の前を通り過ぎる。


「この先にスーパーあるから。

夜食べるもんはそこで買ってこ。

途中にベーカリーもあるよ。

安くてけっこうおいしいんよ」


「へえ。

ちょっと寄ってみるか」


「よし来た!」


マキが威勢よく言う。


ベーカリーに着いた。

二人が店内に入ると、すでにたくさんの客が入っていた。

レジにも行列が何列もできている。


「すごい流行ってるな、ここ。

いつもこんなんなのか?」


「そうやねん。

今はちょうど、特に人が多く来る時間帯かもね」


ユウタがトレーとトングを取った。

二人は並べられたパンを順々に眺める。

お互いに食べたいものを言っては、ユウタがトングで取ってトレーに載せていく。


「確かに、どれもうまそうやし、安いな」


「やろー?

やから、いつもこんなに混んでんねんて」


二人は食べたいものをひととおり取ると、レジの行列のひとつに並んで順番を待った。


店内の横に、テーブルと椅子がいくつか置かれたスペースがある。

それを見てユウタが言った。


「イートインコーナーもあるねんな」


「そうやねん。

次来たときは、いっしょにイートインで食べてもええね!」


うれしそうにマキが言った。




ようやく支払いを終えると、二人は店を出た。


「いやいや、大盛況やったけど、なんとか無事買い終わったな」


「そ、いつも混んでるから、ここで買うの気合いるよね」


「そやな」


二人は笑い合った。




次はスーパーに入る。

関西では有名なチェーン店の、けっこう大きな店舗だ。


「・・・もう、このパンだけでもじゅうぶん夕食になりそうやけどな」


「いや、そのパンはおやつ!

夕食はこれから!」


マキがきっぱりと言う。

毅然とした表情だ。


「おいおい、本当にそんなに食えるのか?」


「だいじょうぶ!

食える!」


依然としてマキはきっぱりと答える。

ユウタは指を鼻に当てて、クスっと笑った。


二人は店内を順々に見ていく。


「ねえユウタ、お菓子かデザートも食べるやろ?」


「あのな、しつこいようやけど、本当にそんなに食えるのか?

・・・って、オレは食えるけど」


「なんやユウタ、全然人のこと言えんやん!」


マキはそう言って笑った。

自分が食べたいものを、ユウタの持ったかごに放るようにポンポンと次々に入れていく。


ま、食欲旺盛なのはいいことだ・・・。

ユウタは、そう思って笑いをこらえた。


「ユウタ、お酒も飲むやろ?」


「もちろん!

マキ、なんか飲みたいもんあるか?」


「あたしはね、ちょっとワイン飲んでみたい」


「めずらしいな。

ってか、飲んでるの見たことないぞ」


「うん、たぶん初めて」


「マジか。

だいじょうぶか?」


「いや、挑戦してみようと思うて。」

TVでタレントが飲んでるの観てて、おいしそうやからあたしも飲んでみようかなー、って」


「きわめて単純な理由やな」


「ええやんー!」


マキがぷくっとふくれる。


ユウタは、ワインが並べられた棚のうち、比較的安価なものが並べられているコーナーの中から1本を取り出して、マキに向かって掲げた。


「ほら、このへんのお手頃なやつ、試してみるか?

これ、値段の割にまあまあうまいぞ。

赤なんで基本肉に合う、ってやつやな。

今夜食べるのも肉がメインやから、ちょうどええやろ?」


「あ、じゃあそれにする!

ユウタ、ホント何でも知ってるね。

感心するわ。

ユウタは、あたしのブレーンやな」


「おい、勝手にブレーンにすんな」


「えへへっ」


二人は買い物を終えてスーパーを出ると、マキの部屋があるマンションに向かった。


「考えてみれば、マキはいい場所に住んでるよな。

買い物も便利やし、公園のそばで環境もいいし」


「まあねー。

ちょい人が多い気はするけど、うちの周辺はそんなにうるさくないしね。

悪くないよ」


「うん」


マンションに着いた。

小ぶりだけど、比較的新しく、きれいなマンション。

ユウタにとってはあの日以来だ。


ユウタは入るのをいささか躊躇して、ぼそっと言った。


「・・・女性の部屋に入るのは、緊張するな」


「え?

いまさら何言ってんの。

あたしの家やし。

ユウタがそんなこと言うとか、意外ー!」


マキがそう言って笑った。


「ま、でもさ・・・」


ユウタがまだ躊躇している様子なので、マキはおかしそうに笑いながら、


「遠慮しない!」


と、ユウタの腕を引っぱった。


エレベーターで5Fに上がると、マキが先に歩いて、部屋のドアの前に着いた。

鍵を開けてドアを開くと、


「ただいまー!

ユウタ、どうぞどうぞ」


と、両手を中に向かってひらひらとユーモラスに振って、ユウタに入るよう勧めた。


「・・・おじゃまします」


ユウタは玄関で靴を脱いで、部屋に入った。

マキが後に続いた。


「・・・きれいやな」


「そんなことないよー。

ユウタの部屋のほうが圧倒的にきれいやん!

でもね、きょうはあたしもがんばって片づけた!」


マキの部屋は、ユウタの部屋より少し広い。

ワンルームだが、よく整理されていて、明るい感じだし、とても広く開放的に見える。


全体的にアイヴォリーに近い白で統一された天井と壁。

ベランダへとつながる大きな窓には、セージグリーンの遮光性カーテン。

床はクッションフロアだと思われるが、部屋の中央、ダイニングテーブルの置いてある下には、ライトブラウンのカーペットが敷かれてある。


テーブルの周りにはクッションがあったり、奥のベッドの上には大きなクジラのぬいぐるみがある。

そういうところは可愛らしい。


「落ち着いてて、ええ感じやな」


「ありがと。

ユウタにも気に入ってもらえるなら、うれしいわ」


マキは照れ臭そうに応えた。


ベッドの横、窓の近くの一角には長テーブルがあり、その上にはDJコントローラーが置いてある。

そしてDJコントローラーの横にはノートPCが置いてある。


その端のほうには本が何冊か。

そしてノート。

ボールペン、色鉛筆など筆記用具が、空き缶を利用したペンケースに立ててある。

テーブルの前にはオフィスチェア。

マキは、このテーブルを普段使い用兼DJ用として使っているようだ。


その筆記用具やノートの横に、スケッチブックが開いたままで立てかけてあるのを、ユウタは見つけた。


そこに描かれているのは、淡い青色の空に、雲がいくつも浮かんだ風景のような、抽象画のような画。


「これ、マキが描いたんか」


ユウタが訊く。


「・・・あ、それね。

そう。

画描くの、趣味みたいなもんや。

気分転換したいときとかに、このスケッチブックと色鉛筆持って外に出て、そこの公園のベンチに座ってね。

景色眺めながら、ときどき描くの」


ユウタは、スケッチブックを手に取ろうとして、


「・・・ええか?」


とマキに訊いた。

マキは、


「もちろん」


と応えた。


ユウタはスケッチブックを手に取って、ページをめくった。


空の画のほかにも、いろんな画がそこにある。

黄色っぽい鳥のような生き物が何羽も空を飛んでいるように見える画。

どこかの川だろうか、水色や白の細い線が何本も、黒い崖のような岩から流れ落ちているように見える画。

海らしい真っ青な空間の中を泳ぐ、赤や黄色、オレンジ色など、さまざまな色の魚の群れのような画・・・。


どれも不思議な美しさだ。


ユウタは、画を眺めながらマキに言った。


「これ、どれも、すごいきれいや・・・。

・・・マキ、すごいなこれ。

画、うまいな」


マキは思いがけな言葉を聞いたように、目を見開いた。

そしてはにかんだように、


「・・・えー?

そんなん、だれにも言われたことないわ・・・。

ってかそもそも、人に見せたこともほとんどないけどな」


そしてしばらく沈黙していたが、やがてはにかんだように、


「でも、ユウタがほめてくれるの、すごいうれしいわ・・・。

ありがとう」


と言った。

ユウタはスケッチブックから顔を上げ、マキを見ると、


「なんていうか・・・・。

マキのDJプレイ聴いてるときにもいつも思うけど、この画もみんな、マキそのもの、って感じやな」


やさしい笑顔でそう言った。


マキは恥ずかしそうに頬を赤らめて、


「・・・んん・・・ユウタ、ほめ過ぎや。

恥ずかしいわ・・・」


とつぶやいて、


「・・・でも、みんなあたし、ってのは、そうかも。

・・・どれも、描いたときのあたしの気持ち、そのときの思いが表れてると思う。

まあ、あたしの好きな画家の影響が思いっきり出てるけどな」


「マティス?」


ユウタが言った。

マキは、ぱっと明るい表情になって、


「そうそう!

アンリ・マティス!

大好きなんよ!

・・・ユウタも知ってるんやね!」


「ああ、オレも大好きな画家や」


「マジで・・・!

さらにうれしいわ・・・」


マキは両手の指を胸の前で組んで、いっぱいの笑顔で言った。


「・・・こんなとこで、またユウタと気が合うなんて・・・」


「そやな・・・オレもうれしいよ。

そういえば、マキと画の話したこと、今までなかったよな」


「そうやね!

なんで今まで話題に出なかったのやろ?

不思議やね・・・」


「オレもけっこう美術、見てんねんけどな。

美術館巡り、好きやで。

描くほうは全然才能ないからしないけど」


「ほんま?

じゃ、今度はさ、いっしょに美術館行こ!」


マキは目を輝かせて、ユウタに駆け寄り抱き着きそうになる。

ユウタとぶつかりそうになったので、ユウタはあわてて後ずさりながら、かろうじてマキを両腕で受け止めた。


「おおおー、あぶない。

おう、わかった。

今度行こうな」


そう言って、ユウタはマキの両肩を抱えた。


「うん!」


ユウタはマキの隣で、再びマキの描いた画を見た。


「・・・マキ、この画、ほとんど人に見せたことないって言ってたな?」


「うん。

まあ、個人的なラクガキみたいなもんやからな。

・・・あ、でも、仲のいい友だちには見せたことあるで。

まあ、ほめてはくれたけど、大したもんやないからな・・・」


マキはうつむいて、寂しい笑顔で話す。

ユウタはマキをまっすぐに見て言った。


「いや、そんなことない!

これ、すごいええぞ。

なんか展覧会の賞に応募するとか、全然できると思うぞ!」


「・・・えー?

そんなこと、考えたこともないな・・・」


マキはそう言いながら、話題を変えようとするように、


「・・・とにかく、片付け、しよ!」


とエコバッグを開いた。

ユウタは、


「・・・・お、おう・・・」


と、マキのそばに寄った。


二人は、買ってきたものを広げて、冷蔵庫に入れるものと、冷蔵しなくていいものとに分けていった。

そして、冷蔵するものはマキが冷蔵庫に入れた。

ユウタは常温保存できるものをまとめて、ダイニングテーブルの上に並べた。


「ユウタがいると、片付け早く終わるなー」


「そりゃまあ、二人やからな」


「助かるわー。

・・・ね、ちょっと一服しよ!

パン食べて、ジュース飲もうよ!」


「さっそく食べ飲みか・・・」


「ええやん!」


二人は笑って、パンをテーブルの上に並べた。

そして、マキがジュースを冷蔵庫から取り出し、そのそばに置いた。


「じゃ、とりあえず乾杯ということで!

おつかれさまでしたー!

あと、うちにいらっしゃーい!

かんぱーい!」


「うーす!」


パンを食べジュースを飲みながら、ユウタがマキに訊いた。


「・・・ところでさ、見学に行くB型事業所って、どんなとこ?

知ってる限りでええんで、概要を教えてくれるかな」


「うん!

就労継続支援B型事業所は、全国にたくさんあるんやけど、今度行く所は民間の株式会社が経営してる。

大阪市内に2か所事業所があって、そのうちのひとつ。

利用者は現在15名、って言ったかな。

定員が20名やから、まあまあ繁盛してるほうやと思う」


「こういうのって、利用者さんはどうやってそこを知って来るわけ?」


「最近はWebサイトが多いみたい。

就労したい、って希望する障がい者の人がいたらね、民間の福祉系ポータルサイトで自分の住んでる場所に近いエリアの事業所を検索できるねん。

それとか、区役所や市役所の福祉窓口でも紹介してくれたり、病院やクリニックが希望する患者さんに紹介してくれる、ってパターンもあるみたい」


「なるほど・・・。

ということはさ、基本的に障がいのある人が就職を希望したら、自分から探さないといけない、ってわけか」


「そうなんよね。

それと、ハローワークみたいに統一的な公的窓口があるわけやない、ってことでもあるの。

それはあたしも気になってて・・・」


「というと?」


「いわゆる普通の人の場合、仕事したいから探そう、ってなったら、ハローワークに行けばええわけやん?

もちろん、民間の就職サイトもあるけどさ、まあ、とにかく職を探すのに何を使うかは、みんなほぼわかってるやん?


でもさ、障がいがある人の場合、仕事したいって思っても、その時点での症状とかによっては、すぐ就職できる状態にない場合も多いわけ。

やから、いきなりハロワに行く、ってわけにはいかないケースがほとんどやねん。


そしたらな、そういう人は、まずどこに行けばいいのか。

公的な相談窓口は、区役所・市役所の保健福祉関連の窓口ぐらいしかない。

でも、そこでも得たい情報がじゅうぶんに得られないことも多いみたい。

で、ネットを使って、どんな方法があるか、ってとこから自分で調べるとかしなきゃなんない。

・・・っていうわけで、なんか、障がいがある人の場合、普通の人に比べて仕事探すの一つとっても、すごいアクセス悪いよね、っていうか・・・」


「そやな。

障がいのある人が必要な福祉のサービスをすぐに見つけて使う手続きをするっていう仕組みが、まだ全然じゅうぶんにできてないって感じやな」


「そう!そうなの!

それがあたしも、すごく気になってんねん。

障がいがあると、日々の生活でも、仕事を探すのでも、至る所でそういう困難に直面すんねん」


「大いに改善の余地あり、って状況やな」


「その通り!」


マキはそう言ってジュースの残りを一気に飲み干すと、ユウタに微笑みながら言った。


「・・・こういう話、やっぱりユウタはすぐ理解してくれるな。

うれしいわ」


「おう、それはオレも福祉に興味あるからな」


「うん。

でもね、福祉に興味があっても、こういう状況を問題と理解しとらん人も多くいるんよ。

たとえ福祉の仕事をしてる人でもね。

でもそこが、ユウタには言ったらすぐ伝わるな、って思う。

それがうれしいねん」


「そうかな。

オレがどこまで理解できてるか、わからんけどな」


「ううん。

ちゃんと理解してくれてる、って感じがする・・・」


「そか。

ありがとな」


ユウタはそう言ってしばらくすると、


「・・・さて、と。

音源データの準備、そろそろ始めるか?」


「おし!

やるか!」


マキの変なかけ声に、ユウタは笑った。


「なんやそれ」


「やる気満々、ってこと!」


「はあ・・・」


二人は、マキのノートPCにユウタの音源データをコピーして、プレイリストを作る作業に取りかかった。


「プレイリストの名前は?」


マキがユウタに訊く。


「『DJ U-TA Playlist』とかでええわ」


「まんまやな」


「すぐわかればええ」


「ま、確かに」


「じゃ、そこにこの曲全部」


「・・・200曲?

そんなにいらんやろ!」


「マキ、そう言うがな、たとえ30分のプレイでも、選択の余地が多くあったほうがいいプレイができるやろ」


「・・・それはそうかもやけど・・・。

まあ、ええわ。

全部コピーするわ」


「すまぬ・・・」


ユウタはうやうやしく頭を下げる。

マキがぷっ、と吹き出した。


「なにそれ。

サムライかよ!」


あはははは、とマキは大笑いした。


PCの準備が終わると、二人は夕食に食べるものを出して準備をした。


「ワイン、開けるぞ」


「待て待て待て、ユウタ!

それはあたしがやりたい!」


「ならお任せするわ」


「では、記念すべきあたしの人生初ワイン、開けまーす!」


マキはワインの栓を開けると、二つのグラスにワインを注いだ。


「これは安いワインやからかんたんに開けられるキャップの栓やけど、いいやつはコルク栓で、コルク抜きが要るから。

次飲むときは、そういうやつ買って飲も。

コルク抜きも買ってな」


「いいねえ!

なら次はユウタの誕生日やな」


「おいおい、もう決まりかよ」


「へへへー」


二人はワインで乾杯した。


「・・・では、ユウタの初あたしのうち訪問を祝して!」


「そして、マキの初ワインを祝して!」


「かんぱーい!!」


カチン、と二つのグラスが触れて音を立てた。


二人は話し、笑いながら夕食を食べ、飲んだ。


2時間ほど後。

グラスには、3分の1ほどまで減ったワイン。


ユウタは、足を延ばし、両手を床について楽な姿勢を取りながら、はー、とため息をついた。


「・・・よう食えたな、あのパンの後に」


マキは、ワインのせいで頬が赤くなっていた。

しかし、まだまだ元気な様子だ。


「食える、ってあたし言うたやん!

・・・でも、さすがにおなかいっぱいやわー。

それとやっぱ、少し酔ったっぽい・・・」


「当然や。

初めてやしな」


マキがユウタに身体を近寄せ、ユウタの右腕にしがみついて言った。


「楽しみやね、見学」


「ああ。

・・・そして、DJもな」


「うん、もちろん!

見学にね、ゼミでいっしょの友だちのユカリちゃんも来るんよ」


「ほう。

どんな人?」


「すごいきれいで、可愛くて、頭がよくて、性格もよくて・・・。

スーパー完璧な女、って感じかな」


「なんやそれ。

・・・もう少し具体的に、どんな性格でとか、ないんか?」


「あるよ。

すごいやさしくてね、思いやりもあってね、だれからも嫌われないタイプ。

でもね、だれとでも友だちになるわけではなくて、本当に気が合う人とだけ付き合いたいみたい。

あたしはね、光栄にもユカリちゃんのそういう友だちの一人!」


「それは光栄やな」


「そうなの!

でね、ユカリちゃんにもユウタの話、してる。

すごく会いたい!ってユカリちゃんも言うてる」


「どんなふうにオレのこと、話してるんや?」


マキは人差し指を顎に当てて考えるようなしぐさをした。


「んー・・。

なんていうか、すごいいいやつ!

って言ったかな」


「なんやそれ!

漠然とし過ぎやろ」


そう言いながら、ユウタは笑った。

マキは、ちょっとまじめな顔になって言う。


「・・・まー、そんな生々しい話はできんしね」


「そらそうやな」


「・・・普通やけど、すごいまとも。

そこがユウタのええとこ。

ってのは言ったかな」


「それも光栄、やな」


「・・・なんか言うてたら、あたしのほうが恥ずかしくなってきた・・・」


マキは、両の手のひらを赤くなった両頬に当てる。


「何にしろ、そのユカリさんにオレも早く会ってみたいよ」


マキがユウタの耳元に口を寄せて、ささやくように言った。


「・・・会ったらね、ユウタも惚れちゃうかもよ、ユカリちゃんに・・・」


「・・・何言うてんのや、マキは」


「えっへへへー、冗談。

ってか、冗談であってほしい」


「アホ!

からかってるんか。

ところで、先生はどんな人?」


「あ、武田先生?

武田先生はね、一言で言うと、ヘンな人!」


「それも全然説明になってないな」


「あははー。

おもろい人よ、冗談よく言うし。

でも、ときどき、すごい鋭いこと言う。

授業でもそうやし。

ラディカル、っての?

そんな感じの人。

やから、ゼミに出てる人はみんな、先生のゼミ楽しみにしてるし、先生のこと信頼してると思うわ」


「ほう。

武田先生にもぜひ会ってみたい」


「すぐ会えるよ」


ユウタは、しばらく何かを考えてる様子だったが、やがてまじめな顔になってマキに言った。


「マキ」


「ん?」


「あの、マキが描いた画な。

あれすごくいいと、オレは思う」


マキはあらためてユウタの顔を見つめる。


「・・・そう?」


「そうや。

DJも、画も、マキが生み出すものにはどれも、マキにしかない、すばらしいもんがある。

どれもマキそのものや。

いつも、そう感じてた。

さっき聞いた、マキの福祉についての考えも、同じように感じたわ」


「・・・なんやの、急に・・・」


マキは少し恥じらうように、話しているユウタの顔を見つめ続けている。


「前も言うたかもやけど、オレは、マキの全部が好きや。

それから、マキの生み出したものも、マキの話すことも、みんな好きや。

オレにとって、それはみんな、マキの分身みたいなもんや。


そんぐらい、オレはマキが大好きや。

そんぐらい、オレにとってマキは可愛くて、賢くて、かっこよくて、素敵な人やぞ。

オレがマキ以外のだれかを好きになるとか、あり得へん。


やから、マキは自信を持っていい。

オレにとって、最高の人やから。


・・・ちょっと恥ずかしいぐらい、ほめたかな・・・。

でも、本当のことや」


マキは黙ったまま、ユウタを見つめる。

やがて、静かに口を開いた。


「・・・ありがとう、ユウタ。

あたし、ユウタがあたしを好きって言ってくれて、こういうふうにいつもあたしのことをほめてくれるから、少しずつやけど自信が出てきた。

昔のあたしやったら、ユカリちゃんみたいな完璧な人には気後れしちゃって、うまく付き合えなかったかも、って思う。


でも、今はユウタがいつもあたしの心の支えになってくれてるから、自信が持てるようになったし、ユカリちゃんみたいな人とも友だちになれたんやと思う」


そう言って、マキは両手でユウタの両腕をつかんだ。


「ユウタは、あたしのいちばんの理解者や。

・・・もちろん、ユカリちゃんも理解者やけど、ユウタはもっとちがってて・・・」


ユウタがマキに顔を近づけて言う。


「・・・どうちがってる?」


マキは、ワインの香りがかすかにするユウタの息遣いを間近に感じて、ワインで赤くなった頬をさらに赤らめる。


「・・・あたしの考えてること、本当の気持ちを、ホントにいちばんわかってくれてる。

こんなにわかってくれるのは、ユウタだけや・・・」


「もしそうなら、うれしいな・・・」


そう言いかけたユウタの唇に、マキは勢いよく自分の唇を重ねた。

ユウタがびっくりして目を見開く。


「・・・ん、おい・・・」


「・・・えへへ、ごめん、したかったから、キス」


ユウタはマキを抱きしめた。

マキもユウタを抱きしめ返した。


「・・・今度の見学も、なんかユウタとまた新しいことができる、そのきっかけになるんやないかなって、そんな気がしてる。

・・・ユウタがいっしょやから、ね・・・」


「・・・そうやとええな・・・」


「きっとそうなる、きっと・・・」


二人は唇を重ね合いながら、ひそかに笑い合った。


グラスの中のワインは、空になった。

外には車の走る音だけが聞こえてくる、静かな夏の夜。

マキとユウタは、抱き合って、話し、笑った。

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