きみとあたしでB2B

1-9 ＜ファーストステイ（３）＞

深夜。

ことが終わって、マキとユウタはベッドの上で裸で抱き合ったままでいた。

マキの頬には、喜びで泣いた涙の跡が残っていた。

ユウタは、マキの背中をやさしく撫でる。

マキがはにかむようにうつむきながら、ユウタに言った。

「・・・すごい、気持ちよかった・・・。

ほんとに好きな人とすると、こんなに気持ちいいもんなんや、って思った・・・」

ユウタが応える。

「・・・ああ。

そうやよ」

と言って、ためらうように少しの間口をつぐんだが、やはり口を開いた。

「・・・前は、そんなに好きな人やなかったんか」

マキは思い出そうとするように、ユウタの顔よりも先のほうを見つめながら応えた。

「・・・うん。

・・・前に付き合った人ってのは、高校のとき。

ちょうど、不良の子たちと付き合い始めて、髪を青く染める前後のことや。

その子たちを通して、その人と知り合ったの。

水商売系の人で、あたしより5歳くらい年上やったかな。

もしかしたら、ヤーさんみたいなのとつながりがあったのかもしれんけど、そこはよう知らんまま別れた。

あたしのことを、可愛がってはくれたよ。

機嫌がいいときは、やさしくて、ほんといい人やった。

根はきっと、純粋な人やったと思う。

けど、粗暴なところがけっこうあって、気が立ってるときは、ときどき殴られたりもした。

そんな人やったから、するときも、乱暴でね。

とにかく、痛かった。

あたしも初めてやったから、やりかた、ようわからへんし。

向こうも、そんな子をうまくリードできるようなタイプやなかった。

ただ、自分の欲望を満たすだけで精いっぱい、って感じやった。

そんなやったから、する時間はいつもつらくて、悲しくってね・・・。

正直言うと、今回、ユウタとするときも、最初は怖かった。

また、前と同じような思いするんやないか、って思うて。

でも、初めっから、ユウタは全然ちがってた。

すごくやさしく、あたしに接してくれたし・・・。

やから、この人ならだいじょうぶなんや、ってすぐ思えて、怖くなくなった。

・・・ユウタ・・・ほんとありがと」

マキはそう言って、涙を流した。

ユウタは切なかった。

マキは、初めての体験も幸せなものじゃなく、つらいものでしかなかったのか。

そして、同時に怒りも感じた。

なんでマキが、そんな目に合わなければならないんだ、と。

それは、だれに対して、何に対して向けたらいい怒りなのか、わからなかった。

だけど、怒りは収まらなかった。

ユウタは、マキを本当に、心の底から愛おしく思った。

だから、マキのこれからの人生は、すごく幸せなものであってほしい。

そして、マキの苦痛でしかなかった初めての体験を、自分が少しでもよいものに上書きすることが、果たしてできただろうか、と考えた。

「・・・マキが、いやな思い出を過去のものにできるように、少しでも力になれたら、いいけどな」

「力になったよ・・・すごく」

マキはうれしさと悲しみが混じった表情で、ユウタの頬を手で撫でた。

ユウタも、マキの頬に触れて、こぼれる涙を指で拭ってあげる。

「・・・ごめん・・・泣いてばっかりだね・・・」

「いいよ・・・泣きたいときは、泣いたほうがいい」

「・・・ユウタに、好き、って言えて、こんないい思いができるなんて・・・。

もっと早く、言っとくべきやった・・・」

「いまでも全然、遅くない」

「・・・実はね、こないだ、タリーズで会ったとき。

あのとき、直前までアリヤといたの」

「そうやったんや」

「例のCDJのトラブルの後、ユウタとどうしたか、訊かれてね。

大筋だけやけど、正直に話した。

そしたら、アリヤに言われたの。

ユウタはマキを絶対好きやと思うし、マキもユウタを好きなんやろ、って・・・。

・・・あたし、アリヤにはウソつけないねん。

アリヤはすごいするどいから、後で絶対バレちゃう」

「・・・あー、わかる。

オレもアリヤと二人で何度か話したことあるけど、あんな、パリピの典型みたいに騒いで、はしゃいでるばかりのキャラに見えて、実は人間観察、すごいするどいよな」

「そう！　そうなの！

・・・でね、ユウタに自分の気持ち、素直にちゃんといいなよ、って言われて。

・・・それで、いまにつながった」

「・・・そういうことがあったんや。

そしたら、アリヤが、オレら二人を結び付けてくれたキューピッドみたいなもんやな」

そう言って、ユウタは、ふふっ、と笑った。

「そうなの。

アリヤにはほんと、感謝してる。

アリヤがあのとき、ああ言ってくれなかったら、あたし、いまでもまだうじうじして、ユウタに正直な気持ち、言えてなかったかも・・・」

「・・・いずれにしても、いまはこうやってお互いの気持ち、分かち合えたから」

「うん」

マキがユウタの首に腕を回すと、ユウタもマキの身体に腕を回した。

「好き・・・何度でも言うけど」

「いいよ、何度でも言うて・・・。

・・・オレも言う・・・。

マキ、好きや」

そうして、ユウタとマキは、口づけを交わすと、再び抱きしめ合った。

「・・・ん・・・」

マキの目が覚めた。

首を回して、枕もとの目覚まし時計を見る。

午前7時過ぎだ。

マキの動きで、ユウタが目を覚ました。

「・・・ん・・・」

「・・・あ、ごめん・・・。

起こしちゃった・・・？」

ユウタが寝ぼけ気味のかすれ声で言う。

「・・・いや、だいじょうぶ・・・。

・・・今、何時？」

「7時過ぎ。

まだ寝ててええよ。

日曜日やし・・・」

「・・・ん・・・ま、でも、せっかくマキといっしょやし・・・。

朝めし、用意するよ・・・」

そのユウタの言葉を聞いて、マキが思いついた。

「・・・そや！

ユウタ、朝食、あたしが作るよ！」

「・・・え？」

ユウタは驚いて、寝ぼけ眼を見開く。

「ゆうべ、ユウタにごちそうになったから、お礼に今度はあたしが朝食作るよ。

あたし、ありもので料理作るの、得意やから。

ユウタほどの腕じゃないかもしれんけど、朝食やったら簡単やし」

「・・・いや、マキ、今はマキがお客さんやからさ・・・」

と言いかけて、ユウタは、

「・・・でも、マキが作りたいんやったら、ごちそうになろかな。

簡単なもんで、ええぞ」

「ええん？

やったあ！」

マキはさっそくベッドから出て、服を着始める。

ユウタは、

「・・・悪いな」

と言いながら、マキの料理もちょっと楽しみだな、と思った。

マキは手早く顔を洗ってうがいをすると、冷蔵庫を開けて、ざっと中にあるものを見渡した。

そして、

「ふむふむ・・・。

けっこういろいろあるね・・・。

たぶん、30分もあればできると思うんで、それまでユウタはゆっくり寝てて」

と、笑顔をユウタに向けて言った。

その表情は、とても生き生きして見えた。

「わかった、ありがと・・・」

そう言いながら、ユウタはまたタオルケットをかけ直して、横になった。

「・・・エプロン、そこにかかってるから、使ってええよ」

「あー、ありがと！」

マキは白地に赤、黄のパターンがプリントされたTシャツに、ゆうべと同じグレーのスウェットパンツをはいている。

その上に、ユウタのエプロンを借りて、結んでつけた。

そして、冷蔵庫の中からいくつか食材を出すと、準備を始めた。

20分ほど後。

すでに目玉焼きのいいにおいでユウタは目が覚めて、起きずにはいられなくなった。

ユウタが服を着ていると、マキが、

「ごめんね。

においで、目、覚めちゃうよね」

と言った。

「いや、ええよ。

むしろ、自分以外の人が朝めし作ってくれて、それで目覚めるなんてぜいたくな思い、何年ぶりやろな。

親元離れて以来やな。

ありがとな」

「ううん。

肝心なのは、これからや！」

と、芝居がかった口調で言いながら、マキは片手にフライパンを持って、焼きあがったハムエッグを皿の上に乗せる。

ユウタは、その様子がおかしくて笑う。

いつものマキやな・・・。

そして、TVの電源をオンにした。

朝のニュース番組をやっていた。

ウクライナ戦争。

マイナンバーカードのトラブル問題。

アメリカの金利。

南スーダンの情勢・・・。

こうしてる間にも、世の中は事件に満ち満ちている。

今、自分とマキのいるこの空間だけが、別世界のように、平和だ。

ずっと、二人のいる場は平和であってほしい・・・。

ユウタは、そんな風に感じた。

10分後。

マキの言った通り、朝食ができあがった。

ユウタは、テーブルに並んだ朝食を見て、

「おおー！」

と声を上げた。

ハムエッグに、レタス、トマト、にんじん、パプリカのサラダ。

サラダの上には、マキが自分で作ったドレッシングがかけられている。

それから、食べやすいように切られたキウイフルーツ。

その上にプレーンヨーグルトがかけられている。

そして、きれいに切られたバゲット。

見た目も栄養バランスもよさそうな、素敵な朝食だ。

「どうー？」

とにこにこしながらマキが尋ねる。

「・・・いや、想像以上に、すごい、豪華な朝めしや・・・。

マキ、こんなに料理できるなんて、全然知らんかったぞ・・・」

「あたし、高校生のときからは、ほとんどうちに一人やったからさ、自分で料理作るの、当たり前になってん。

やから、そんな上等なものは作ったことないけど、けっこうレパートリーはあるねん。

ユウタのお気に召せば、ええんやけど・・・」

と言いながら、マキの表情はけっこう自信ありげだ。

「おいしそうや・・・。

では食べよう！

いただきます！」

「食べよ！

いっただっきまーす！！」

ユウタはサラダを一口、口に入れると唸って、

「・・・ん、これ、このドレッシングさ・・・。

塩と、オリーブオイル、こしょう、酢。

それと・・・砂糖もちょっとだけ、入れてるやろ。

あと・・・しょうゆか！」

「ピンポーン！

全問正解！

すごい、さすがやね、ユウタ。

ドレッシングの材料、全部当てちゃったね。

そう、これが、マキの自家製ドレッシングのレシピ。

いつもだいたい、こんな感じで作ってる。

日によって、気分で配分量変えたりして、アレンジしてる」

「これ、おいしいよ！

材料は普通のもんしか使ってないのに、配分が絶妙やから、すごくおいしい。

マキ、すごいぞ。

見直した」

「へへー」

とマキは自慢げな顔をして、腰に両手を当てる。

「あんま料理できそうなイメージ、なかったやろ？」

と、ちょっと悪戯っぽい笑顔でユウタに訊く。

「・・・いや、そんなことは・・・。

正直言うと、なくはなかった・・・」

「・・・なんやそれ」

そう言ってマキは笑う。

「けど、この朝めしでイメージ変わったわ。

ハムエッグの焼き加減もパーフェクトや。

・・・それからこのバゲット、うまいな」

「それは、あたしが作ったんとちゃうやろ！」

マキは、きのうユウタと行ったスーパーで買った、そのバゲットの包装を見た。

「・・・でも、このバゲット、確かにうまいよね。

これ、いいね。

今度、あたしも買って、家で食べてみよかな。

ま、とにかく、こんなにユウタに喜んでもらったから、あたしもうれしいな」

満面の笑みを浮かべるマキは、本当にうれしそうだ。

「いやほんと、うまい！

マキの手料理食べられるなんて、幸せや」

ユウタが心底幸せそうな表情で、ハムエッグを口に入れながら言った。

マキは、一層目を輝かせて笑った。

朝食が終わると、二人は着替えて、歯を磨いたり、マキは軽くメイクをしたりして、朝の準備をした。

それから、TVのニュースともバラエティーともつかぬ番組を、なんとなく流し観、流し聞きしていた。

やがてTVに飽きると、二人はパソコンとDJコントローラーで、トラックを聴いて盛り上がった。

11時を過ぎた頃、マキが訊いた。

「・・・ねえ、ユウタ、昼、どうする？」

「あー・・・特に考えてないけど、外で食べるか？

それとも、コンビニとかで買って来て、うちで食べてもええぞ」

「ちょっと、ゆっくりしたいよね・・・。

ユウタとも、なるべく長く、二人でいっしょにいたいし・・・」

「そやな。

・・・じゃ、コンビニ行こか。

なんか買って、いっしょに食お」

昼前になると、二人は駅前のコンビニに行き、サンドイッチやホットドッグを買って、家に戻って食べた。

「これって、大学行ってるときとなんら変わらん食事やけど、ユウタといっしょに食べると・・・。

いや、今までも、ユウタといっしょに昼飯食べたりは何度もしてるのに、いまは、ちがって・・・」

うれしそうにマキが言う。

「・・・前よりも・・・楽しい？

おいしい？」

「うん」

「よかった・・・」

ユウタもうれしそうに、マキを見つめた。

昼食を食べ終わって、1時近くになると、マキが不意に、

「ちょっと、外、行きたいなー」

と言った。

ユウタが応えた。

「公園でも、行こか？

近所にちょっと広めの公園があるよ。

街中によくある、ごく普通の公園やけどな。

地元の人たちの憩いの場や」

「・・・いいねえ！

そういう普通の公園、好き！

行こ！」

ユウタは、西皿池公園へとマキを連れていくことにした。

歩いて5、6分。

先ほどのコンビニと、方向は逆側だが、距離的には変わらない。

外は、梅雨の時期にしてはめずらしく、よく晴れていた。

歩きながら、ユウタはマキの手を取った。

「・・・ちょっと、照れるわ・・・」

マキが、少し頬を赤らめて言った。

「・・・でも、悪くはないやろ？」

ユウタが訊くと、マキも、

「・・・うん・・・悪くない・・・」

と言って笑みを浮かべた。

二人は、西皿池公園に着いた。

「あー！　けっこう広いねー！」

マキが叫ぶ。

そして、ユウタの手を離れると、軽く走り回りながら、

「ねえー、ユウタも、早くー！」

とはしゃぎ回る。

マキのデニムのミニスカートがひるがえる。

「マキ、転ばないように、気をつけろよー」

ユウタが笑って声をかける。

公園の端に、木が植えられていて、その木陰にベンチがいくつかあった。

そこに、何人もの人たちが座っている。

お年寄りや、カップルと思しき二人組もいる。

空いているベンチをひとつ見つけて、二人はそこに座った。

ユウタがマキに言った。

「アリヤとアズミには、ちゃんと言ったほうがいいよなー。

オレらの仲」

「うん。

・・・まー、アリヤはもう、全部知ってるようなもんやけどね」

「ま、それはそやけど。

正式に報告、っつーか、そういう意味で」

「それはそやね」

二人は、手をつないだまま、しばらくベンチに座って、いろんなことを話した。

こんな時間が、永遠に続いてほしかった。

けれど、時とともに日は傾いてきた。

午後4時。

「・・・そろそろ、帰るか？」

ユウタが訊いた。

「・・・帰りたくないけど・・・。

・・・帰らなきゃね」

二人は立ち上がった。

そしてマキは、

「・・・もうー、時間が全部、止まっちゃえばいいのにね！」

と天を仰いで声を上げた。

ユウタも、心の底から同じように思った。

二人は、手をつないだまま、天下茶屋駅までの道を歩いた。

駅に着くと、マキは手を離して、切符売り場で切符を買った。

そして、ユウタのそばにもどると、再び手をつなぐ。

「ほなね。

また」

「・・・うん。

次は、あさってやな？」

「うん。

4時に、講義が終わったら」

「ああ。

またな。

気いつけて帰れよ。　

・・・さみしいよ、別れるの」

ユウタはちょっと恥ずかしそうに、だけどマキをしっかりと見つめて、言った。

マキの手を、いっそう強く握る。

「あたしも。

・・・でも、またすぐ会えるから！」

「うん」

マキはユウタから手を離すと、改札口に向かった。

「ほな、またね！」

振り向いて、思い切り手を振る。

「おう！

・・・またな！」

「うん！」

マキは元気よく、エスカレーターに向かって駆けて行った。

ユウタは、マキが見えなくなるまで手を振り続けた。

地下鉄のホーム。

発車のベルが鳴った。

マキは走って、天神橋筋六丁目行きの車両にぎりぎり駆け込んだ。

ドアが閉まる。

駆け込み乗車はあかんよね・・・。

ごめんなさい・・・。

と、申し訳ない気持ちになりながら、反対側のドアにもたれかかった。

マキは思った。

この2日間を、あたしは決して、いつまでも忘れることはないだろう。

ユウタとお互いの気持ちを打ち明け合って、楽しく過ごした、この2日間を。

この2日間が、これからのあたしの、新たなスタートだ。

マキの目には、また涙があふれてきた。

でも、あたしは、もう泣かない。

そう、心に決めた。

だって、これからは、ユウタがいつもそばにいてくれるんやもん。

離れていても、心はずっと、つながってるんやもん・・・。

やから、あたしは、もうひとりやない。

マキは、涙がこぼれないよう、上を向いた。

そう、あの有名な歌のように。

地下鉄は、音を立ててまっすぐに走り続けた。

マキの今の気持ちと同じく、まっすぐに・・・。