1-3 <クロさんの話>
大阪・ミナミにある大学。
ユウタやマキたちはここに通っている。
きょうは、ユウタはマキといっしょに「共通科目」である「社会心理学」の講義に出席していた。
ユウタは文学部の心理学科、マキは社会学科なので、いつもは別々の講義に出ているのだが、この科目だけはいっしょになる。
二人は並んで座って、講義を聴いていた。
ユウタは頬杖をつきながら聴いている。ときおり、メモ程度にノートに書き込む。
いっぽう、マキは一生懸命にノートを執っている。
ユウタは、マキがノートを執る様子を横目で見た。
ノートにはびっしりと小さな文字が書き込まれている。
すげえな・・・。
マキは真剣な表情で講義を聴きながら、ノートを執っている。
その様子を見る限り、なかなかまじめな、模範的な学生だ。
そういえば、この間の雑談で、マキはシングルマザー家庭で育ったのだということを知った。
両親が離婚したためで、中学生以降、母親に育てられたのだという。
三つ年上の兄がいるが、そんな家庭環境から兄は高校を出るとすぐ就職した。
「勉強はマキのほうができるから、マキを大学に行かせてやったほうがいい」
兄はそう言って就職し、給料の一部をマキの進学費用のために積み立ててくれた。
父親とは、離婚後もときどき会えたし、養育費も送ってくれ学費も出してくれたので、そうした家族の協力でマキは大学に行くことができているのだという。
もちろんバイトは必要だ。週3回、コンビニでバイトしている。
なかなか苦労した人生を歩んでいるようだ。
ユウタは東京で平凡なサラリーマン家庭に生まれ育ち、いまも両親が東京で健在だ。
決して金持ちの家庭ではないが、少なくともマキの家庭よりは余裕があるだろう。
そんなユウタは体験したことのないような苦しさ、さみしさを、たぶんマキはいままでの人生で何度も味わってきたのではないか。
大学で勉強できるということのありがたみ、切実さも、自分とは比較にならないぐらい大きいのかもしれない。
だからこそ、大学での勉強も一生懸命なのだろう。
そう思うと、ユウタは心の底が少し痛む。
講義が終わって教室を出ると、マキが言った。
「・・・きょうの講義、けっこうおもしろかったなー。
犯罪を犯すようになる人って、やっぱりその人だけの問題じゃない、環境や社会の制度も大きく影響するって話、けっこうわかる気がする」
そう言って、あー、と伸びをした。
「マキ、いつもほんとまじめに講義聴いてるよな」
「え? 当たり前やん! ユウタまじめに聴いてないん?」
そう言ってマキは笑う。
「いや、まあ聴いてることは聴いてるけどさ。
マキはもっとすごい真剣やん。
初めてマキのノート見たとき、オレビビったもん。
すげえちゃんとノート執ってるな、って」
「え? それも当たり前なんとちゃう?」
「当り前じゃないよ。そうそうできることじゃない」
「ほらー、また東京弁。きょうこれで2回目!」
マキが言って笑った。
東京からここ大阪に引っ越してきてまだ1年半ほどのユウタにとって、大阪弁で話すのはなかなか容易なことではない。
少しずつ覚えてきたとはいえ、いまでも話しているちょっとした隙に、つい東京弁に戻ってしまう。
そんなユウタをおもしろがってマキが、
「ユウタがあたしの前で、大阪弁で言えることばを東京弁で、1日に3回言ってしまったら、バツとしてあたしに1杯ドリンクをおごる!」
というゲームを、数日前から半ば勝手に決めて、実行し始めた。
そういうマキも、生粋の大阪人ではなく兵庫の出身なのだけれど。
そのゲームをやると決めたとき、ユウタはこう反論した。
「なんや、オレだけかよ。
そんなら、代わりにマキにもなんかペナルティ課せよ」
「・・・んー、じゃあたしは、ユウタの前で大阪弁で言えることばを神戸弁で1日に3回言っちゃったら、ドリンク1杯おごったげる!」
「そんなの、オレが判別でけへんやろが!」
「じゃ、自己申告ということで」
「・・・マキ、それずるいぞ!」
「えっへへ」
おかげで、ユウタはまあまあ被害に遭っている。
「あちゃー、きびしいなー。勘弁してよ」
「はいー、またですね。これで3回目。
約束どおり、1杯ドリンクおごっていただきます!」
「だあー!!」
マキは、単にオレにおごってもらいたいだけなんじゃないだろうか・・・。
ユウタは、まあマキにおごってあげること自体は全然かまわないが、なんかしゃくだな、と思った。
そのとき、ある店のことを思い出した。
「んー・・・
よし、そうだ!
1杯おごったるからさ、飲みに行く店、オレに指定させてもらっていいかな?
行きたい店があるんや。マキを連れていきたい店が」
「ん? どこのお店?」
「心斎橋のはずれのバーなんやけど、元ベテランDJがマスターやってる店でさ、おもろい人なんだよ。
マスターをマキにぜひ会わせたい」
「へえ。おもろそうやね。
じゃ、そこ行こ。今回はそこの1杯分でチャラということに」
「へいへい、おおきに」
「あはは。おおきに、は言わんでええから。
いまどき、大阪人でももうあまり使こうてへんし」
ユウタには、DJを始めたときからお世話になっている先輩DJがいる。
黒崎守、クロさん。またの名をDJ Black Echo。
アナログ時代からやっているベテランDJ。
現在は大阪市内で小さなDJバーを経営しながら、ときどきそこでDJもやっている。
ユウタは大阪に来てからときどき、この店に飲みに来る。
そしてクロさんと話をするのが楽しみの一つとなっているのだ。
クロさんはかつて、東京・渋谷の大バコ(大型のクラブのこと)でレギュラーパーティーに出演したり、海外のクラブでもプレイした経験がある実力派DJだ。
しかし50歳を過ぎた最近は、自分の店以外の場所でDJすることはめったにない。
ユウタは、このクロさんのバーにマキを連れてきたいと思い、二人でやって来たのだった。
「ちわー、どうもっす」
クロさんはユウタを見るとにっこり笑って、
「おおー、ユウタか。また来てくれてうれしいよ」
「はい、オレもクロさんにまた会えてうれしいです。
・・・きょうは友だち連れてきました。いっしょにDJやってる、マキさんです」
マキはおじぎをしながら、
「ユウタくんといっしょにDJやっているマキです。よろしくお願いします」
と、礼儀正しくあいさつした。
「ほおー、きょうはありがとう。
二人とも、どこにでも座ってくれ。いまはどこの席も空いてるから、はっはっは」
二人は正面のカウンター席に座った。
クロさんはユウタに聞いた。
「イベント、うまく行ってるか?」
「はい。集客大変ですけど、なんとか。
このマキと、あと男女1人ずつ、4人でいっしょにやってるんです」
「おお、そうかあ。マキさんはメンバーの1人か。
一度みんなのDJを聴きたいもんだな・・・
マキさん、どうかな、ユウタはちゃんとやってるか?」
「はい、ユウタくんはいいDJするし、みんなのまとめ役やし・・・
あたしもたくさん助けてもらってます」
とマキは笑顔で言った。
「オレ、そんななんかマキのこと助けてるっけ?」
「助けてるよー。こないだもあたしのUSB、うまく読み込めなかったとき、スペアのUSBメモリ出してくれたやん。
あたし、スペア持ってるなんて思ってもみなかったから、びっくりしたよ。
ユウタ緊急時対応力すごいな、って」
クロさんが笑った。
「あっはっはっはっは・・・なるほどな。
まあデジタルはいろいろあるわな」
「ほんとっすよ。想像もしないこともときに起こりますから」
「ま、でも楽しそうやな。二人の話からそれがよう伝わってくる。
新しいイベントってのは、いいもんだよな。
オレも最初に友だちとイベント始めたときは、もうワクワクしたもんだ」
「オレたちもいま、まさにそうですよ」
「がんばってけよ。音楽的にはどんな感じ?」
「音的には、オレがいちばん渋い系になりますかね。
もう1人の男アズミは、メロディックとディープテック、もう1人の女性アリヤが、あげあげテックハウスとテクノ。
マキはテックハウスメインですけど、もう少しディープなものもときどきかける感じで・・・
マキ、この説明で合ってる?」
「うん、合ってるよ」
「マキとオレは、音の好みがわりと近い感じです」
「そうですね。あたしとユウタは近いかも」
「そんな感じで、いい具合にばらけてると思います」
「いいバランス、って感じか」
マキが言った。
「そうですね・・・性格的にも4人とも、いいバランスだと思ってます」
「それは楽しみだな。みんなCDJか?」
「はい。
まあ、B2Bもやったりするんで、CDJとUSBがいちばん無難ですしね」
クロさんは、しばらく黙った後、感慨深そうに口を開いて言った。
「B2Bか・・・。
懐かしいな、アナログ時代はヴァイナル(注:アナログ盤、いわゆるレコードのこと。海外のDJはたいていこう呼ぶ)とっ代えるだけでB2Bできたからな」
「あー、そうですよね。
クロさん、そのへんの話、もっと教えてくださいよ。
アナログ時代の話、マキもきっと興味あると思います」
マキも応じた。
「はい! すごく興味あります」
「・・・じゃ、少し話そうか」
クロさんはうれしそうに言った。
「アナログ時代の話。
ターンテーブルと、DJ機材の栄枯盛衰について話すよ」
「ぜひお願いします」
ユウタとマキは声を合わせた。
クロさんは語り始めた。
「アナログ時代は、あそこにも置いてある、二人とも知ってると思うが、Technics(注1)のターンテーブル、SL-1200シリーズがどこのクラブにもある、標準のプレーヤーだった。
ここにあるのは、SL-1200 MK5という型番のやつだ。
このシリーズは、2010年にMK6が出た後、いったん生産終了になった。
いまはMK7というのが出ているけど、あれは数年後、あらたに復活したものだ。
中の回路などが新しくなっていて、全然別物になってるようだ。
オレはこの新しいのは触ったことがないから、くわしいことはわからんけどな。
で、このSL-1200でB2Bをやるのはかんたんなことだった。
何しろ、タンテに乗っけたヴァイナルをとっ代えるだけだからな。
B2Bというのは、テクニクスのタンテがあったからこそ生まれた文化なのかもしれんな」
(注1:「テクニクス」。
松下電気工業(現Panasonic)のオーディオブランド。
アナログターンテーブル「SL-1200」シリーズが世界中のDJに使われたことで、世界的に「DJといえばTechnics」のイメージを定着させた。)
ユウタとマキは、ふーん、とか、へえ、とか声を出しながら、しかし熱心な表情でクロさんの話を聞いていた。
「それからDJミキサー。
これもアナログ時代はいまとだいぶ様子がちがってたんだ。
いまはPioneer DJ(注2)のDJM-900NXS2やDJM-A9、ハコによってはアレヒ(注3)というのが定番だろ」
「いま、オレたちがハコで使ってるのも、CDJ-2000NXS2とDJM-900NXS2ですよ」
ユウタが言った。
(注2:Pioneer DJ(パイオニアディージェー)。
AlphaTheta(アルファシータ)株式会社が展開する、現在のDJ機材の中で世界トップシェアを誇るブランド。
もともとはパイオニア株式会社のDJ機器部門だったのが、2015年に分社化し米国の投資会社が買収。現在はノーリツ鋼機株式会社の子会社となっている。)
(注3:Allen & Heath(アレンアンドヒース)。
英国の音響機器メーカー。
DJミキサーがその音質のよさで、ヨーロッパを中心に日本でも一部に根強い人気がある。)
「そうだよな。それがいま、いちばんスタンダードな組み合わせだろう。
だが、2000年代前半まではそうじゃなかった。
当時はPioneerはまだDJミキサーの世界では新参者でな。
DJM-500とかDJM-600っていう機種を出していたが、まだそれほど普及していなかった。
大きさや操作系はいまとほとんど同じだが、当時のモデルは音質がいまいちだったんだ。
多くのハコに当時常設されていたのは、ハウス系でいうと、まずUREI 1620。
これはちょっと別格扱い。
ロータリー式のミキサーで、いまとなっては扱いにくいミキサーだが、音質は当時としてはすばらしかった。
古い機器で、そのころもう生産は終わっていたから、ヴィンテージ品という感じだったと思う。
これを使うのが、ハウス系DJの間ではちょっとステイタス的な空気があったんだ。
それと、RODEC MX-180。
これはベルギーの音響機器メーカーで、硬質で繊細な音がする。
こちらもハウス・テクノ系のミキサーとして人気があった。
オレもこのRODECの音は好きだったな。
それから・・・」
と言って、一息、深く呼吸すると、クロさんは続けた。
「忘れちゃいけないのがVestax(注4)。
HIPHOP用も含めて、2000年代前半までは、このVestax製のミキサーが世界的にもいちばん人気があったんだ。
PMC-50Aとか、PMC-400、PMC-46 MKII。
HIPHOP系ではPMC-05Pro II、PMC-07など・・・」
(注4:Vestax(ベスタクス)。
かつて存在したベスタクス株式会社による、DJ機器ブランド。
DJミキサーを中心に、2000年代前半をピークに世界でもトップクラスのシェアを誇ったが、2014年に破産手続き開始決定を受け事実上倒産した。)
「・・・ちょ、機種多すぎでしょ」
ユウタが口をはさんだ。
クロさんは、にやっと笑って応えた。
「・・・そう思うやろ? そう。
いまのようにPioneer独占状態ではなく、言わば「群雄割拠」という状況だったな。
それだけ、ハコによって置いているミキサーはさまざまだし、オレたちDJも、ハコごとにちがうミキサーを使うということに慣れておく必要があった。
でも、ハコごとにミキサーがちがう、ということ自体が、ハコの個性にもつながっていた。
だから、オレたちDJの側も、各々好き嫌いというのはあっただろうが、そんなちがいをある意味、楽しんでいたんだ。
あそこのハコのミキサーはいい音するよな、とか、あそこのミキサーは使いにくい、とかな。
ほら、そこに置いてある、店のミキサー。
あれもVestaxのPMC-50Aだ。
現役DJ時代に買ったオレの私物だが、音が気に入ってるんで、ああやっていまでも置いている。
海外のイベントに出させてもらったとき、スペインのDJだったかな、そいつと話をしてたら、そいつもこれを持ってるって言っててな、これいいミキサーだよな、って話をしたこともあった」
ユウタはカクテルを一口飲んでから、憧れるような目で言った。
「・・・でも、なんかいいですね。豊かな時代、って感じで。うらやましいです」
クロさんも言った。
「・・・そう、豊かだったかもしれん。
アナログ時代ってのは、機材によって音がすごく変わるからな。
それがよさでもあり、悪さでもある」
「・・・悪さっていうのは?」
「よくない機材やセッティングのハコに当たると、出音がよくない。
パーティーの盛り上がりにも影響が出てくる。
だから、オーディエンスの側にお気に入りのハコがあるように、DJの側も音質の面でお気に入りのハコがあるもんだった」
マキが尋ねた。
「クロさんには、お気に入りのハコはあったんですか?」
「・・・そう、オレのお気に入りは、渋谷のBというハコだった。
そこは当時ハウス専門バコでな。
80人入るか入らないかの、いわゆる「小バコ」だったけど、音は抜群だった。
テクニクスに、ミキサーはVestaxのPMC-400。
あそこで回すのは快感だったな。
オーディエンスともみんな仲よしだった。
パーティーが終わった後も、よくオレたちDJと、お客さんが何人か残って、話して盛り上がって、そのあとファミレスとかに場所移して、もっと話して、笑い合ったもんだ。
楽しかったな、あの頃は」
ユウタとマキは、クロさんの話を静かに聴いていた。
うらやましい。
この時代を駆け抜けた人だけが知っている、豊かな時代。
「で、それが、デジタル時代に切り替わる中で、激変していった」
クロさんが言った。
口調もちょっと変わったような気がした。
ユウタは顔を上げた。
マキも真剣な表情でクロさんを見つめて聴いている。
クロさんの表情は、いままでちがって少し険しくなったように見えた。
「BeatportとTraxsource(注5)がスタートしたのがいつか、ユウタ知ってるか?」
「・・・え? 知らないです。2010年ぐらい?」
「どちらも2004年だ。
この年が、アナログからデジタルに切り替わる、その起点となる年だと言っていい。
その前から、まだリリースされていない音源をCD-Rに焼いて、CDJでプレイするDJはいた。
しかし、その頃もまだDJの世界はアナログが主流で、プレーヤーもまだSL-1200シリーズが主流。
CDJ、当時の最新機種はCDJ-1000だったが、これを常設しているハコも少なかった。
それが、2004年に2つのオンラインミュージックストアが登場したことで、状況が変わっていった」
(注5:Beatport「ビートポート」、Traxsource「トラックスソース」。
どちらも米国に拠点を置く、DJ用の音源データを販売するオンラインストア。)
「・・・DJがタンテからCDJに移り始めた、ってことですか?」
「いや、最初のうちはもうちょっとゆっくりとした変化だった。
まず、当時、DJソフトもすでに出ていた。
TRAKTOR(注6)もScratch live(注7)も、その頃にはあった。
いっぽう、さっき言ったように、データをCD-Rに焼いてCDJでかけるDJもいた。
それでも、まだDJの間ではアナログのほうが主流だった」
(注6:TRAKTOR(トラクター)。
独Native Instruments社が開発・販売するDJソフト。)
(注7:Scratch Live(スクラッチライブ)。
米RANE(レーン)社とニュージーランドSerato(セラート)社が共同開発・販売していたDVS(デジタルヴァイナルシステム:アナログターンテーブルを使ってデジタル音源を鳴らすことができるシステム。現在でもHIPHOP系のDJが多くこのDVSを使用している)。
後に、このScratct LiveのDJソフト部分が独立して、現在Serato社が開発・販売する「Serato DJ Pro」となる。)
「そういう中、2009年にCDJ-2000が発売された。
これが、現在のCDJ-2000NXS2やCDJ-3000のように、音源データをUSBメモリやSDカードにコピーして差せる、そして大型のカラーLCDディスプレーを搭載した、最初のCDJだった。
アナログからデジタル化への流れが一気に加速したのは、このCDJ-2000が登場した2009年からだと言っていい。
曲を作るトラックメイカーたちも、アナログ盤よりもデジタルストアでリリースすることを優先するようになっていった。
そして、DVS、DJソフト+コントローラー、CDJにUSB、CDJにCD-Rなど、さまざまだったデジタル音源のプレイ方法の中で、結果的に抜きんでたのがCDJ-2000にUSBメモリという方法だった。
荷物もUSBメモリだけで済むからな。圧倒的に有利だった。
そして同じころ、PioneerがDJM-800というフルデジタルミキサーを出した。
これとCDJ-2000との組み合わせが、音質と使いやすさのバランスがいいということで、圧倒的に支持されるようになった。
現在のCDJ-2000NXS2とDJM-900NXS2の組み合わせ、あるいはCDJ-3000とDJM-A9の組み合わせは、この流れの直系だ。
・・・以上が現在までの流れ、ということだ」
「その間、他社のミキサーはどうなったんですか?」
ユウタが聞いた。
「・・・そう、それも大事だな。
2000年代前半まで人気を誇っていたVestax、RODECは、アナログ時代の終焉とともに凋落していった、といっていい。
これらのミキサーは音質がアナログに最適化されたミキサーで、CDJとの組み合わせではその本領を発揮できなかったんだ。
RODECは、タンテの需要が減っていくにしたがって姿を消した。
Vestaxはデジタル化を試みたが、Pioneerにすでにシェアを奪われていた。
そこでVestaxはデジタル化の波に遅れまいと、DJコントローラーの開発に乗り出した。
実はVestaxはかなり前からDJコントローラーを出していた。
VCI-100というコントローラーで、TRAKTOR用のDJコントローラーとしてそこそこ高い評価を得ていた。
しかし、この機種は別にオーディオインターフェースが必要で、これ単体では音が出せないものだったんだ。
あくまでソフトを操作するだけのコントローラーだった。
やがて、PioneerもDJコントローラーを積極的に出し始め、それらはオーディオインターフェースを内蔵していたこともあって、シェアを広げていった。
そして、2010年、Native Instruments社がTRAKTOR KONTROL S4の初代機をリリースした。これがいまのDJコントローラーの原型、と言っていいな。
さらに、2012年、PioneerがSerato DJ対応のコントローラー、DDJ-SXをリリース。
これは明らかにTRAKTOR S4の競合機だった。
このTRAKTOR KONTROLシリーズとPioneer DDJシリーズ、2つのシリーズによって、Vestaxは新たな活路も奪われることとなり、Vestaxは2014年に倒産した」
そこまで話すと、クロさんは一息ついた。
「・・・オレはVestaxが倒産したニュースを聞いたとき、ああ、ひとつの時代が終わったな、と思ったよ。
正直に言うと、楽しかった時代がこれで終わったんだな、と思った」
しばらくの間、沈黙が支配した。
マキが口を開いた。
「・・・クロさん」
「ん?」
「クロさんの時代にあって、いまのデジタル時代にないものって、なんですか?」
クロさんは顎に手を当てて、しばらく考えるようなしぐさをした。
やがて、いいことばを探しあぐねているかのような表情で、言った。
「・・・音の多彩さ、かな」
「・・・音の多彩さ?」
ユウタが尋ねた。
「そう・・・あのころはいろんな場所で、全部ちがう音が聴けた。
アナログ機器は、組み合わせ次第で実にさまざまな音が出てくる。
だから調整もシビアでたいへんだった。
ヴァイナルは音圧もさまざまだからゲイン調整がデジタル以上に重要だし、ターンテーブルはカートリッジの針圧を正しく調整しないと、きれいな音が出ない。
カートリッジはハコの音の振動も拾ってしまうから、ハウリング対策も必須だ。
いろいろと面倒なことが多くあった。
だが、それだけに、それぞれのハコで、実にさまざまにちがった音が出てたんだ。
だからこそ、みんなそれぞれ音の面で「お気に入り」のハコがあった、ということだ・・・。
・・・デジタル時代になってからは、そういう多彩さはなくなった。
出てくる音は、どこのハコだろうと、それほど大きなちがいはなくなった。
機材もほとんどどこのハコも、Pioneer DJだしな。
まあ、どこでも一定以上のクオリティの音が出せる、という意味ではいいことだ。
でも、いまでもハコによって、ミキサーがAllen & Heathだったり、RANEだったりすると、いつもとちがう音が聴けて、ちょっと新鮮だと思ったりもする」
マキとユウタは、息をのむようにクロさんの話を聴いていた。
クロさんは、
「・・・いや、だからと言って、昔のほうがよかったということやない。
いまのほうが便利だし、いいこともいっぱいある。
それに、DJのプレイも、デジタル時代のいまだからこそできることがたくさんあるやろ?
ループや、ビートジャンプ、エフェクトとか。
オレだっていまDJやるときは、TRAKTORでDVSでやってるしな。
音の多彩さ、というのも、いまのデジタル時代は、昔とはちがうかたちで多彩な音を作れるのかもしれん。
だから、きみたち若い人たちが、いまの時代の音を作っていけばいい。
「いまの時代の、多彩な音」をな。
・・・そんな新しい、いまの音を、きみたちが聴かせてくれると、オレは楽しみにしてるんや」
クロさんはそう言って、二人に一杯ずつカクテルを出してくれた。
「・・・これはオレのおごりや。オレの無駄話をたくさん聴いてもろたからな」
ユウタはあわてて言った。
「ちょ、無駄話じゃないですよ。
すごいいい話を聴かせてもらったのに、クロさん。
オレらのほうがお金出すべきところだし」
マキも申し訳なさそうに言った。
「そ、そうですよ。こんな貴重な話を聴かせていただいて・・・」
「いやいや。これはある意味、オレの愚痴みたいなもんや。
そんな愚痴を話させてもらって、それをきみたちが聴いてくれて、こちらが楽しい思いをさせてもらったからな。
オレからの感謝の念やと思うて、遠慮せず受け取ってくれ」
「そんな・・・ありがとうございます。ではごちそうになります」
「ありがとうございます・・・」
ユウタとマキは、頭を下げるとグラスを受け取った。
マキが言った。
「・・・クロさんも、いっしょに乾杯しませんか?」
クロさんは一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「・・・そうだな、そうしよか」
そして、グラスにカクテルを注ぐとクロさんは、
「新しいDJたちと、新しい音に、そして老兵のDJにも、乾杯!」
と言った。
ユウタとマキも声を合わせた。
「乾杯!」
3人で、カチン!と、グラスを合わせた。
***
店を出て、ユウタとマキは歩いた。
ユウタがマキに聞いた。
「・・・どうやった? 感想は」
マキは前を向いたまま、考えるように応えた。
「・・・なんていうか、いろいろ考えさせられた」
「ああ」
「でも、いい話だった」
ユウタはマキを見て、
「そう思ってくれたんなら、うれしい」
「うん・・・」
マキもユウタのほうを向いて、
「クロさんの話、ただの思い出話やないよね」
ユウタも、考えながら、足元を見て一歩一歩を確かめるように、
「そう・・・なんていうか、クロさんの話は、歴史の証言だからさ。
ただのノスタルジーを語ってるんじゃなくて、いまのオレたちにもヒントになることをたくさん言ってくれてると思うんだよ。
オレたち世代が、どんなクラブカルチャーを作っていけばいいのか、DJってどうあるべきなのか、とか・・・」
マキはユウタを見つめて、
「・・・わかる。あたしも聴いててそんな気がした」
「それがわかってもらえたなら、マキといっしょに来た目的は達成、って感じやな」
「だいぶ自然に出るようになってきたやん、大阪弁」
「おおきに」
マキは、ぷっ、と吹き出した。
「それはええから、言うてるやん」
そして、少しの間沈黙してから、
「あたしらも、ずっとDJやってけるといいね」
「そやな」
「それから、世の中が、もっとよくなっていくといいな・・・」
「うん」
夜空には、月が半分だけ姿を見せている。
その月が、同じく浮かぶ星々とともに、二人を照らしている。
ユウタは思った。
この月と星の明かりが、ずっと自分たちを照らし続けてくれればいいな・・・。
二人は、駅へと続く道を、並んでゆっくりと歩いていった。
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