第6話

 例のアウトソーシングサイトによると、絡新婦が出没するのは廃棄予定のテナントビルだ。

 四階建てで、大通りから少し奥まった路地にある。大通りをまっすぐ行くと市立の高校があり、大通りを挟んで反対側には、その高校に通う生徒が拉致された現場の路地がある。


 そして絡新婦とは、人間の中でも主に男を拉致して食らう妖怪だ。


 いかにも怪しい場所にいる、いかにも怪しい妖怪。


 怪我人以上の人的被害を齎した妖怪は即座に外注リストから省かれ、本職の人間によって対処されるということは分かっていても、やはり気になる。よしんば全く無関係なのだとしても、同年代の学生が日常的に通る場所にそんなモノが住み着いたのなら、自ら進んで祷祓に向かってしまうのが陽人だ。そこは美点ともいえるし、欠点ともいえる。


 「……ここだな」


 スマホに表示された地図と周囲の情報とを見比べながら、確認するように呟く陽人。答える仄火の声も、魅入られるような美貌も、他の誰にも認知されない。


 「罰掃除のせいで嫌な時間になったけど、大丈夫か?」


 陽人が気遣わしげに尋ねると、仄火は小さく頷く。


 時刻は18時を迎えようかという頃合い。

 普段なら妖怪狩りを終えているか、家に帰って鍛錬をしている時間帯。そして、いわゆる“逢魔が時”──最も妖怪の類に出遭いやすいと謂われる時間帯でもある。


 妖怪狩りには絶好の時間──では、ない。そういうわけではなく、むしろ逆だ。


 妖怪は基本、夜行性──というか、夜闇の中で最も力を増す。

 陽光に当たると消えてしまうとか、せめて力が弱くなるとか、そういう人間に都合のいい弱点はないくせに、環境要因による強化だけは持っているのはずるいだろうに。


 陽人の性能は据え置きで、妖怪の側だけが強くなる。逢魔が時は、そのがかかり始める時間帯なのだ。一応、こちらにも仄火という妖怪はいるものの、彼女は最下級の狐火妖怪だ。ちょっと強くなったところで程度が知れている。陽人も仄火も口には出さないが。


 それに、彼我に同一倍率の強化がかかるなら、当然、格差の大きさも倍になる。


 まあ、相性はいい相手だ。殺しに行って殺される、ミイラ取りがミイラになるような状況にはならないにしても、木刀で殴り殺して終わりとはいかないだろう。


 「本格的に夜が来る前に帰らないと、今日は千里おばさんが早めに帰ってくる日だから、心配かけちまうぞ」

 「そうね。この前も怒られたし、七時までには帰らないと」


 今日日、男子高校生の門限が19時というのは少し厳しいが、女子高校生である千景の門限が18時なので、自分だけ夜遊びしたいと主張するわけにもいかない。尤も、陽人も自殺志願者ではない。妖怪の力が強まる時間帯に、家の結界の外をふらふらほっつき歩く理由はなかった。


 陽人がゴソゴソと木刀を取り出し、学生鞄と竹刀袋を道の隅っこに隠していたとき、仄火はガラス戸を開けようと体重をかけて押していた。両開きのガラス戸で、金属の枠に、金属の取っ手が左右に一つづつ。オーソドックスな扉だ。


 「んっ……! ねぇ、このビル、鍵は?」

 「かかってないはずだ。引いてみたか?」

 「ここに『押』って書いてあるのよ?」


 なら押し戸かと納得しつつ、一応引いてもみた陽人は、施錠されている可能性を考える。


 だが、中務庁から外注される妖怪は、必ず一般人が普通に出入りできる場所だ。


 例外的に何かの事件現場で警察が規制していたりする場合は、事前に警察へ連絡が行き、身分証を提示すれば入れてくれる。勿論、彼らには秘密組織中務庁ではなく、内閣府からの特別指示と伝えられる。彼らは内閣府の下に設置されている国家公安委員会、その麾下である警察庁に監督されているから、正式な指示だと誤認して従ってくれる。

 いや、正式な指示ではあるのだが。きちんとした国家組織から、国家公務員への命令ではあるのだが、指揮系統外からの横やりであることは間違いない。


 「手違いか把握漏れか? とはいえ、もう受注しちゃったしなぁ……」


 流石に相手次第では命懸けの仕事だけあって、キャンセルペナルティはかなり緩い。一度受注した案件を途中で放り出したって、即座にお叱りを受けることもないのだが──それはそれとして、ドアが閉まっていたくらいで諦めるようなら、態々家とは逆方向の電車に乗って、何処の誰とも知らない誰かのために妖怪と戦おうなんて考えていない。


 「この辺の妖怪狩りは俺と、多分あと二人ぐらい。一人は俺たち以上の雑魚狩り専門、もう一人は俺たちより格上で、絡新婦になんか見向きもしない。うん、やっぱり、俺たちがやるしかないよな」


 学校の近くだし、と自分に言い聞かせる陽人。

 陽人の通う学校ではなく、知り合いがいるわけでもない市立高校だ。実のところ、偏差値も治安もあまり良いとは言えない学校でもある。


 だが、それでも。見ず知らずの人間でも、守れるなら守る。それが陽人の生き方であり、これまでの人生で染みついた習慣だった。


 「ガラス、ブチ破るか?」

 「野次馬が寄ってくるわよ。勿論、警察もね」

 「まぁ、そうか……それはちょっと困るんだよなぁ。写真とか撮られると後が面倒なんだよ」


 今日日、特段面白くなくたって「木刀振り回してる頭おかしい奴いたwww」とSNSで拡散される。妖怪は見るのに才能がいるし映像にも残らないから問題ないが、例外もある。仄火の魔弾や千景の陰陽術で刀に変化した木刀なんかは、そのまま見えるし映像にも残るのだ。陰陽師たちは“幻想と現象の違い”と認識している。

 幻想である妖怪や陰陽術は、才能がなければ知覚できない。しかしその結果として生じた現象は、ただの事実、現実だ。才能の有無にかかわらず、見えるし、触れる。


 万が一、妖怪狩りの光景がネット上にアップされた場合には、即座にカバーストーリーが流布される。大抵は「映画のPR映像だった。動画はリークされたものであり、著作権を理由に削除された」というものだ。それでは説明のつかないケース──国宝指定され一般公開さえされていないはずの太刀を所持していて、現行犯で捕まったとか──になると、それはもう死ぬほど面倒な手続きが必要になる。なった。


 「……ん? なぁ仄火、これ」


 どうにかならないかなぁ、とガラス扉の奥を覗き込んでみた陽人は、中のノブ同士が細い糸のようなもので固定されているのに気が付いた。

 タコ糸どころではなく、もっと細い。それこそ、蜘蛛の糸のような。


 「絡新婦の糸は、人間を滝壺に引きずり込む強さよ。……ここが巣穴で間違いなさそうね」

 「そりゃ、探索課の仕事だからな。あの人たちはそうそう間違った情報は……いや、そんなことはどうでもよくて。これ、燃やせるか?」


 ガラス扉は6mm程度の厚さだが、仄火はこのくらいの遮蔽物なら無視して魔弾を作り出せる。


 「任せなさい。……これでどう?」


 ジュッと小気味よい音がしたかと思うと、扉に手をついて凭れていた陽人はバランスを崩して倒れそうになった。やはり鍵ではなく、妖怪の糸が扉をロックしていたようだ。


 「完璧。……行くか」


 木刀を携えてビルの中に入っていく陽人の隣に仄火も並び、捜索を開始する。

 探すのは絡新婦と、いるかもしれない犠牲者。或いはその遺体か遺品、痕跡類だ。


 一階は元々は床屋か美容院で、外から中の様子が見える造りだ。ここではないと素通りする。

 二階は何かの事務所だったらしく、机や椅子の跡が床のカーペットにくっきりと残っていたが、それだけだった。家具の類は全て搬出されていて、なにもない。人の気配も、血の跡も、なにもない。


 三階と四階には学習塾が入っていたそうだが、三階は完璧に伽藍洞だった。椅子の一つも、カーペットの一枚も残さず完全に搬出が終わり、フローリング風のタイルや灰色の壁紙の所々にカビっぽい汚れの見える、ただの広い部屋だった。


 そして、四階。

 同じ学習塾が入っていたが、三階は授業スペースで、四階は自習室だったらしい。内装は同じく完璧に取り払われていたのだが、四階のドアの横に『自習室』と書かれたプレートがつけっぱなしだった。


 「確実にここ、だよな?」

 「でなきゃ、天井裏とか壁の中とか、もっと面倒な場所を探さないとね」


 それは面倒だなぁ、と嫌そうに顔を見合わせる陽人と仄火。以前に人面鼠の案件を受けたとき、まさにそんな状況になったのだった。壁の中や床下をひっかきまわして炙り出すのはあれきりにしていただきたい。


 それに、このビルにはエレベーターがついている。シャフトの中とかにいるとなると、流石に難しい。こっちは梯子から離れられないというのに、蜘蛛は壁面や天井を自由自在に動き回れる。そんな相手と立体起動戦闘なんて自殺行為だ。


 「頼むぜホント……ん?」


 陽人はドアノブに手をかけて、怪訝そうに眉根を寄せた。

 ──施錠されている。業者が入りやすいようにという配慮からか、ここまでの部屋は全て鍵がかかっていなかったのに。


 ただ一つ、玄関扉を除いては。


 「……ここか。よかった、エレベーターの中とかだったら最悪だったしな」

 「そうね。それに、西向きの部屋ね」

 

 頷く陽人。

 ビルへの電力供給は完全に止まっているが、西向きの部屋なら夕日が差し込んである程度は明るい。これまでの部屋でそうしたように、暗い部屋でもスマホのライトで照らせば探索には困らないが、戦闘になれば話は別だ。だから部屋が西向きなのはラッキーだった。


 扉は木製の片面開きで、子の部分から中が覗けるようになっている、袖ガラス付きドアだ。

 鍵がかかっているだけなら、ガラスの部分をブチ破れば入れそうだが……きっと、そうではない。そんな正常な施錠方法ではなく、もっと原始的な方法を使っているに違いない。


 「仄火、もう一回だ」

 「了解よ。位置を指示して」


 金色の髪に手櫛を入れて靡かせ、獰猛な笑顔で指鉄砲を構える仄火。小学四年生程度の外見ながら頼もしい姿で、今からショットガンで扉を吹っ飛ばすかのようだ。まあそんな火力はないので、扉越しに火球を作って蜘蛛の糸を燃やすだけなのだが。


 「もうちょっと下……あ、その辺……よし、開いたはず」

 

 袖ガラスの部分に顔をくっつけるようにして内側のドアノブ付近を見ながら指示する陽人と、ドアを指でなぞる仄火。二人が作業服を着ていれば、鉄扉をバーナーで焼き切る作業中に見える。まぁ、仄火の火力はバーナーほど高くないので、かなりシュールな絵面になっているが。


 しかしその甲斐もあって、このビル最後の部屋の中も見られそうだ。

 陽人は木刀を握り直し、仄火と頷きを交わして部屋の中に入っていく。


 少しカビっぽい、古い建物の臭いが鼻を擽る。

 西日が差し込む部屋は春先だというのに蒸し暑く、窓を開けたい衝動に駆られた。勿論、妖怪狩りは秘匿されていればいるほど好都合なので、態々窓を開けたりはしないが。


 「暑い部屋ね。早く終わらせて帰りましょう。汗臭くなってしまいそう」

 「え、誰が? 俺が?」


 仄火は妖怪、それも最下級の狐火妖怪だ。人間の姿は模倣できても、体内構造までは模倣できていない。食事も風味を楽しんでいるだけで、消化・排泄といったプロセスは踏まず、栄養も吸収されないまま、どこかに消えてしまう。汗をかくという機能も備わっていないし、そもそも調節すべき体温、排出すべき老廃物が存在しない。仄火がほんのりと暖かいのは体内活動によって生じた体温ではなく、性質だ。


 だから“汗臭くなる”はずもないのだ。対して、陽人は最近はめっきりやらなくなったものの、一時は真面目な剣道少年で、全身防具を付けた立ち合い稽古もやっていた身だ。

 自分の体から汗の臭いが立ち上り、鼻を突いたことも何度もある。


 一度、千景に「汗臭いよ」と──もっとやんわりと、「汗すごいね、シャワーしてきたら?」みたいな言い方ではあったものの──言われてからは、人並み以上に気を配ってきた。


 陽人はこれが終わったらドラッグストアに寄って制汗剤を買おう、などと考える。絡新婦なんて、そんな雑音じみた思考があっても勝てる相手だ。


 「なんて言ってたら、お出ましか」

 

 一応は感覚を研ぎ澄ませていたらしい陽人が、仄火に先んじて気配に気づく。


 だだっ広いだけの何もない部屋の何処に潜んでいたのか、二人がちょうど見ていなかった方向から、ゆっくりと近づいてくる人影があった。


 陽人は振り返りざまに木刀を構え、仄火はその少し後ろで身構える。

 その正面から、淑やかな足取りで、楚々とした歩き姿で近寄ってくるのは、装飾華美な赤い着物に身を包んだ女性だ。黒髪はきちんと結わえられていて、時代劇の中から飛び出してきたような──女優のような、整った顔立ちを悲しげに歪めていた。

 

 「……見て分かる化け物の口裂け女と違って、こいつは結構美人なんだよなぁ」


 ぼやく陽人だが、相手は妖怪だ。放置すれば千景や他の誰かを害する可能性があると分かっているから、殺す覚悟を決めて依頼を受注した。

 とはいえやっぱり、何度見ても、どの個体も、日本人が好きな日本人っぽい顔というか、率直に言って殴りにくい顔をしている。頭を吹っ飛ばすのにも抵抗があるくらいだ。


 「あら、口裂け女だってマスク美人じゃない?」

 「目元だけ美人でもマスク外したら化け物だろ、あれは。だから顔面ブチ抜くのにも抵抗はないんだけど、こいつらは──」


 揶揄うような声色の仄火と、愚痴っぽく語る陽人の前で、女性はぴたりと足を止める。

 少し身を屈めたような、自信なさげな立ち姿。庇護欲をそそるような上目遣いで陽人を見上げると、仄火が不愉快そうに眉根を寄せた。


 「──、」


 薄く紅を引いた口元が動く。

 しかし、声はあまりにも小さく、聞き取れない。


 本来なら、ここで聞き返したりすると、愛の告白やら情熱的な誘惑やらで巣穴に誘い込まれ、そこで貪り食われる運命が待っているのだが──ここは、既に巣穴の中だ。


 絡新婦に声を発する必要はなく、そのつもりもなかった。ただ、音が漏れただけだ。


 ぎちぎちぎち、と骨の軋むような音と共に、女の顔が変形する。

 ある場所は裂け、ある場所は溶けるように地面に落ち、ある場所はずるりと剥けて変貌していく。残ったのは、或いは現れたのはと言うべきか。とにかく、嫋やかな女の首には、黒い八つの単眼が並び、巨大な毒牙を持った蜘蛛の顔が付いていた。


 ぎちぎち、と再びの音。それは声や変形する音ではなく、獲物を前にして舌なめずりのように鳴る、毒牙の昂ぶりだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る