第7話
変身中の攻撃はご法度。
そんな
さておき、陽人は結構、ロマンを分かっているタイプだ。
変身中のライダーやら戦隊やらに襲い掛からない怪人を無能呼ばわりすることはないし、変身エフェクトに攻撃力や防御力があるのもカッコイイと思っている。
だが、それはそれ、これはこれ。陽人はどちらかといえば現実主義的な方だ。
妖怪が擬態を解いて変身するときに無防備になるなら、その脳天に躊躇いなく木刀を振り下ろせるメンタルも持ち合わせている。
結果として。
擬態を解いた絡新婦が次に見たものは、大上段に構えた木刀を今まさに振り下ろさんとしている陽人だった。
脇や胴ががら空きになる大上段攻撃は、対人戦では使い辛い。相手が同格や格上なら隙を突かれる可能性が高いからだ。
しかし本能的な戦い方しか知らない妖怪相手だと、これが意外と役に立つ。特に、生き物の妖怪変化や物品が擬人的変化した付喪神系の妖怪だと、頭が弱点のことが多いからだ。
脳があって身体機能を司っているわけではない。胸が弱点の場合も、心臓があって血を巡らせているわけではない。百般の妖怪に身体内部の構造、臓器の類は存在しないとされている。解剖例があるわけではないので、仮説の段階だが。
だが実証的に、頭を吹っ飛ばせば灰になって消えるし、胸をブチ抜いても同じ。そこが急所であることは間違いない。
絡新婦もその中の一種。頭部が弱点だ。
「──ふッ!」
面、とは叫ばない。その代わりのように、鋭い呼気で無駄な力を散らす。
陽人が使うのは剣道ではなく、剣術。それもルール無用、生存を最優先に、次点で殺傷力を追求した殺人剣だ。陽人のうろ覚えの記憶によると、3年ほど前から景虎が教えてくれている剣技は、闘戦経や京八流と関係があるらしい。
源義経、鬼一法眼。伝説の武人が作り、編纂し、伝承した、極めて古い伝統を持つ流派だ。
が、いまひとつ史実の英雄や戦闘術に興味のない陽人は、概ねこう認識している。──
大上段からの振り下ろしによる兜割りも技の一つ。雲耀の速さで振り抜き、あらゆる防御を頭蓋諸共に打ち砕く先手必勝にして一撃必殺の技。名を
どっ、と鈍い手応えと共に、樫の木刀が蜘蛛の顔面に一センチほどめり込む。
「──!!」
たまらず後退する絡新婦。金属擦過音のような絶叫は耳障りだが、二人にとっては慣れたもの。決着の合図と言ってもいい。
「青龍、白虎、朱雀、玄武、空陳、南寿、北斗、三体、玉女。九字九神の名の下に、我が傀儡たる仄火に命じる。妖力を解放し、魔弾を以て眼前敵を祷祓せよ! 急急如律令!」
納刀の動きで左手に持ち替え、人差し指と中指を立てた右手を突き付ける。四縦五横に九字を切り、銃を模した形の右手を照準。その先には紅蓮の火球が灯る。
金色の瞳を煌々と輝かせ、全身に炎のようなオーラを纏った仄火が隣に並び、同じように指鉄砲を照準する。
対の火球は装填済み。あとは必殺の変則ダブルタップで胸と頭を吹っ飛ばせば終わりだ。
「この詠唱、雑魚相手じゃなかったら変身並みの隙だよな」
「文句があるなら、使役術のシステムを作った晴明に言いなさい」
流石にちょっと恐れ多いよ、と苦笑する陽人。
仄火が日本の歴史上最強最高と名高い陰陽師、安倍晴明に謎の敵意を抱いていることは、千景たちも含めた親しい人の間では周知の事実だった。
本人も理由は定かではないらしいが、曰く、妖怪なら誰でもそうなのだとか。仄火以外に高度な会話のできる妖怪に遭ったことがないので、サンプルケースは一件だけだが。
口裂け女や絡新婦も言葉は解せるし発話もするが、定型を外れた高度な会話は成立しない。「わたしきれい?」と訊くことはできて、人間への憎悪や殺意を表現できても、そこ止まりなのだ。投降を促そうと、情報交換を提示しようと、喚き立てて殺しにかかってくる。要は、奴らの言葉は獣の唸りや咆哮と差がない。意味がないのだ。
……いや、正確にはあと二体、一対二人の、高度な知性を持ち会話の可能な妖怪に遭遇したことはある。残忍だった赤鬼と、残酷だった青鬼。陽人に降服勧告さえした、二体の鬼。会話は一瞬だったし、殆ど成立していなかったが。
「……陽人?」
魔弾を構えたまま顔を曇らせ、撃鉄を落とさない陽人に、仄火が怪訝そうな目を向ける。
強烈な痛みと、恐怖と、死の気配の記憶に吞み込まれかけていた陽人は、苦労して口角を吊り上げた。表情を作ると、脳が感情を誤認して、神経物質が分泌される──という話が本当なのかはさておき、陽人はそれを信じていた。プラシーボ効果なのか、実際に息苦しさは少しだけ和らぐ。
妖怪狩りには慣れたつもりだったが、身体はそうではないというのか。
初めて妖怪と殺し合った時のように、恐怖の記憶で手が震える。照準が定まらない。……懐かしい感覚だ。
妖怪狩りの最中に恐怖を催すことは、過去にも何度かあった。祷祓対象が怖くなるのではない。臨死経験のフラッシュバックだ。
走馬灯にも似た過去の追想は、ほんの一秒以下で終わる。だがその後に残る身体の強張り、硬直は、精神力次第で長くも短くもなる。
そして、陽人は硬直を解く方法を経験則的に知っていた。
「──ふぅ」
深呼吸して、肩越しに仄火を見遣る。
炎のような金色のオーラを立ち昇らせる、金髪金眼の少女。怜悧な美貌は心配そうに曇り、陽人の様子を伺っている。輝く金色の双眸と視線を交わすと、陽人の顔に張り付いていた強張った笑顔が柔らかく解れた。
「……他人の顔を見て笑うの、止めて貰えないかしら?」
「悪い、思い出し笑い。お前の顔で笑うのは難しいよ」
怒ったような台詞だが、仄火の声色に怒りの気配はない。むしろ、どこか気遣うようなわざとらしい軽口だ。
返す陽人の声に、もう恐怖はない。その双眸は、ふらつきながらも襲い掛かろうと構える絡新婦をしっかりと見据えている。指先の震えも取れていた。
「BANG!」
ふざけた声を合図に、二発の魔弾が殆ど同時に発射される。
一発は頭部、一発は胸部に大穴を開けた炎の弾丸は壁に焦げ跡を残して消え、蜘蛛頭の女体も二つの風穴から黒い灰のような粒子を噴き出して頽れた。
陽人は全身を空気に溶かして消えていく絡新婦を確認し、たぷたぷとスマホを弄る。メールボックスに新着。タイトルは「委託完了確認」。一件落着だ。
「祷祓確認。お疲れ、仄火」
「貴方も、お疲れ様。今月はかなりハイペースね」
「なんか割の良い依頼が多くてさ。ちょうど俺たちが狙うレベルの妖怪が頻出してるみたいで……?」
仄火が唐突に唇に指を当てて無言で「静かに」と示し、陽人の言葉が尻切れに萎む。
金毛の狐耳がぴょこぴょこと動き、耳をそばだてる肉食獣のような動きで絞られた。
「……足音がする。誰かこのビルに入ってきたみたい」
「マジで? めんどくせぇな……」
ここは廃ビルで、既にテナントは全て撤収済みだ。態々入ってくるとしたら、管理業者か、根城を探しているヤンキーか。巡回の警察官とかだと最悪だ。木刀を持っての住居不法侵入、現行犯。ヤンキーはむしろこちらの方というか、良くて注意、悪ければ補導、最悪の場合は一時拘留だ。委託のログがあるので逮捕はされないはず。──正確には、逮捕された場合、内閣府から警察庁経由で無かったことにするよう指示が出る。
相手が誰であれ敵意を見せなければ、そこそこ穏便に済ませられるはず。そう考えて、木刀を部屋の奥の見えにくい場所に置く。
あとはこの部屋に入らずに踵を返し、ビルから出て行ってくれることを期待してドアをロック。そんなに大きな物音は立てていないので、気付かれてはいないはずだ。
「……」
ややあって、陽人の耳にも足音が聞こえてきた。
革靴のような硬質な音ではない。かといってスニーカーのようなゴム感のある靴音でもない。もっと静かで、薄手の──草履のような?
まさかと思いつつもスマホを取り出し、たぷたぷと弄る。
メールボックスの新着は、二件あった。
一件目は、さっきタイトルを確認した『委託完了確認』。
二件目。一件目のほんの数秒前に届いていて、通知が表示されなかったメール。タイトルは──『緊急警告・至近に妖怪の反応アリ』。
「しまった!?」
クソみたいな仕様してんな! と叫んでスマホをぶん投げたいところだが、そんな余裕はない。
慌てて木刀を取りに走り、ひっつかんで構えた時には、部屋の入り口の扉がゆっくりと開くところだった。内側から鍵をかけたはずなのに。
「……なんだ?」
部屋に入ってすぐのところで止まり、こちらをじっと見つめているのは、小袖に袈裟を掛け深編笠を被った虚無僧だ。
両手共に空、武器を持っている様子はなく、片手は祈るように胸の前で立てられている。
「……お坊さんさ、なんでこんな所にいるワケ? 廃棄予定の無人ビルで托鉢?」
こいつだ。こいつが妖怪で間違いない。陽人も仄火もそう確信する。
見るからに怪しい風体だし、この廃ビルに入ってきた時点でほぼ黒だ。しかし、ほぼ黒というだけで殴り掛かることは許されない。
妖怪狩りに際しては本職の陰陽師だけでなく、陽人たち外注にもある程度の超法規的捜査権がある。事件現場への立ち入りが許されたり、居住者のいない空き家への侵入がバレても逮捕まではされないよう、中務庁が取り計らってくれるからだ。
しかし、その全ては日本国民を守るためだ。妖怪の存在を秘匿し、悪意に塗れた怪異を秘密裏に殲滅するのは、人々を守るためだ。
故に、人間と妖怪を誤認して攻撃するなどあってはならない。その場合、たとえ軽傷で済んだとしても殺人罪級の厳罰が下されることもある。
それに、そういう罰則的な話を抜きにして、陽人には「怪しきは殺す」「怪しい方が悪い」と開き直るようなメンタリティはない。人を守るために妖怪を殺すことはできても、自分のミスで人を殺すかもしれないという可能性には怯む。
だから確認しようとしたのだが──直後に、陽人は後悔することになる。
「──、」
ぎちぎちぎち、と聞き覚えのある音。
さっきの絡新婦の牙が鳴る音によく似た、少し低めの音だ。
虚無僧は人語を介さず、その代わりのように軋みを漏らす。
それを耳にした陽人は、強烈な悪寒に襲われた。背骨を引き抜かれて、代わりに氷柱を差し込まれたように体が震える。
まだ何もされていない。だが、分かる。こいつはやばい。
ぎぎぎ、と軋みを上げながら深編笠を被った顔が傾ぎ、90度を超えて回転する。明らかに人間ではない動き、妖怪である証の動きだが、陽人は木刀を構えなかった。
それどころか、仄火の手を掴んで入口の方に走る。一撃加えて隙を作ろうともしない。
「仄火、逃げるぞ! あいつは──」
陽人はそいつを知っていた。経験ではなく、知識として。
あれは口裂け女や絡新婦のような、怪談や訓話の類に語られる妖怪ではない。摂津源氏の祖、猛将源頼光の武勇を語る、英雄譚の悪役だ。
これがどういう意味か。
英雄譚の悪役は、英雄の素晴らしさを語り、証明するに足る存在でなくてはならない。誰にでも倒せる敵では役者が足りない。
──つまり。英雄譚の悪役とは、英雄ならざる一般人では倒せないということだ。
「──っ!?」
振り返った先に、予期した妖怪の姿はない。
脱ぎ捨てたというより、中身がふと消えてしまったように残された僧衣だけが落ちている。
最悪だ──見失った。
「仄火ッ!」
「え、──っ!」
ヤツの狙いは分からない。普通は霊力や妖力の大きい方、つまり陽人を狙うはずだが、弱い方を先に殺す行動パターンでもおかしくはない。
だがどちらにせよ、確実に攻撃が来る。
それだけは直感的に理解した陽人は、咄嗟に左腕で仄火を胸元に抱き寄せ、木刀を持ったままの右手で自分の後頭部と首の後ろを庇った。
直後。原付バイクに撥ねられた時を思い出す衝撃が脇腹に突き刺さった。
「痛っ──!?」
ごり、と硬いものが肋骨を軋ませる。硬いし、重い。反射的にそちらを見ると、黄土色の剛毛に包まれた、身長175センチの陽人にも並ぼうかという体長の蜘蛛がいた。
妖怪“土蜘蛛”。
猛将源頼光やその四天王と激戦を繰り広げた怪異であり、最下級妖怪の狐火妖怪や、ちょっと剣術が達者な木刀を持った一般人では太刀打ちできない相手だ。
突撃を食らった陽人は二メートルも吹っ飛び、入口のドアに激突して崩れ落ちた。
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