第3話

 妖怪退治を終えた陽人と仄火はもう一度電車に乗り、高校の最寄り駅から二駅隣の住宅地に戻ってきた。

 夕焼けも終わろうかという時刻だけあって帰路に就く学生やスーツ姿の大人も多く、仄火と話すのは得策ではない。またぞろ変な人扱いされるのも不愉快だ。


 二人が門を潜ったのは、近所では有名な武家屋敷風の豪邸だった。

 しかし、門扉横の表札には『藤原』と書かれている。陽人の苗字の『橘』ではない。


 砂利敷に飛び石のアプローチを通って玄関戸を開け、「ただいま」と声を揃える。靴を脱いで土間の隅に寄せると、既に高校指定の通学用ローファーが一揃い、綺麗に磨かれて並んでいた。


 「お帰りなさい、陽人くん。仄火ちゃんも」


 背後からの声に振り向くと、セーラー服姿の少女が立っていた。

 穏やかな笑みの浮かぶ顔は仄火に負けず劣らずの婉麗さで、嫋やかながらすっきりと背筋の伸びた立ち姿は、何度でも見惚れてしまいそうになる。


 セーラー服の胸元にある校章のワッペンは、陽人のブレザーの胸元にあるものと同じだ。


 彼女は藤原千景ちひろ。この家の本来の住人だ。陽人とは幼稚園入園前からの幼馴染で、高校の同級生でもある。


 「ただいま、千景。あとで数学の宿題見せてくれ」

 「いいよ。その代わり、古典の宿題教えてね」


 「見せて」というからには丸写しするつもりの陽人と、不明点を解説してもらうだけの千景。たまに「丸写しはよくないよ」と千景に注意されることもあり、対照的な性格の二人だが、幼稚園の年少から数えても14年目の付き合いだ。相性は悪くない、というか、一緒にいる中で人格が形成されている。


 「今日も妖怪狩り? 怪我してない?」

 「仄火にも毎回聞かれるんだけど、俺ってそんなに怪我してるイメージあるか? 自分で言うのも何だけど、こちとら小1の時から妖怪狩ってるんだぞ? もっとこう、安心感を持ってくれていいんじゃないか?」


 なんとなく尋ねただけの陽人だったが、YESともNOともつかない曖昧な笑みを浮かべた千景に焦燥感を掻き立てられた。小6の冬に大怪我して以来、外科縫合のお世話にはなっていないはずなのだが……なんて考えている。


 ところで、彼女も妖怪を視る才能を持っている。中務庁──国家機関が死力を尽くして秘匿している妖怪のことを平然と話し、仄火のことも見えているから明らかだが。

 いや、才能だけで言えば、陽人なんかよりよっぽど強い。彼女は幼少期から訓練を積み、多種多様な術法を身に付けた陰陽師だ。戦闘センスはともかく、技術と技量は陰陽部の実戦部隊である祷祓課の陰陽師にも引けを取らない。


 「小学校の頃なんて、転ばせ石とか、髪切り虫とか、蹴飛ばしちゃえるようなのばっかりだったでしょ。ノーカウント。それより、そろそろお夕飯だから」

 「はーい」


 ぐうの音も出ない意見で反論を封殺された陽人は、大人しく自室に荷物を置いて洗面所に向かった。


 洗面所で手を洗い、うがいをしていると、洗面所の隣の引き戸がからからと音を立てて開いた。浴室に繋がる脱衣所の扉だ。

 即座に陽人の脳内を駆け巡る、千景の現在位置。台所で物音がしているから、彼女ではない。大丈夫だ。


 慌てて洗面所を出ていく必要もなく、タオルで口元を拭っていると、ひたひたと素足の足音が脱衣所から出て来た。


 「あぁ、陽人君。おかえり」

 「ただいま、トラさん」


 鏡に映るパンツとタンクトップ姿の人影は、身長175センチの陽人より頭一つ分以上大きい。横幅も一回り以上だ。

 威圧感のある体格とは対照的に、穏和な顔つきにのんびりした声の男性は、この家の主である藤原景虎かげとら。千景の父親で、陽人にとっては父親代わりであり、剣術の師でもある。


 藤原家は昔──第二次世界大戦前後には剣術と古武術を教えていたらしいのだが、今では公開道場だ。景虎は剣道師範として小学生から大人にまで幅広く剣道を教えているし、道場が休みの日には、華道や茶道の先生に場所を貸している。


 「今日は、千里おばさんは?」

 「今日も帰りは遅くなるそうだよ。何か用事かい?」

 「いや、ただの確認」


 この家の住人はもう一人。千景の母親であり、中務庁の偉い人である藤原千里ちさと

 ここのところ仕事が忙しいらしく、休日を除き、毎週金曜日以外は深夜に帰ってくるか、帰ってこない。腕利きの陰陽師であり、千景に陰陽術を教えたのも、陽人の妖怪を視る才能をいち早く見抜いたのも彼女だ。


 子供の頃に交通事故で両親を失くした陽人にとっては、母親代わりの人。

 

 妖怪を視る者は触れるが、同時に障られる。──妖怪の悪戯や、もっと致命的な悪意や害意の標的になりやすい。

 陽人の妖怪を視る才能に気付き、引き取って守ってくれた、そして自己防衛の手段を教えてくれた恩人だ。


 陽人は「千里おばさんが居ないなら」と、ズボンの尻ポケットから封筒を取り出し、景虎に手渡した。薄く色の付いた封筒には、銀行のロゴマークが入っている。


 「はいこれ、今月分の家賃もろもろ」

 「あ、う、うん……ホントに無理しなくていいんだよ?」


 景虎は困ったように、躊躇いがちに受け取る。


 「無理なんてしてないよ。俺と仄火の二人分、部屋も借りるし風呂の追い炊きもするし、夕飯のメニューに注文もつけるからね。俺が罪悪感を感じないためだって」


 へらりと笑う陽人だが、景虎はまだ困り眉だ。

 ちなみに千里に同じことを言って金を渡したことが一度だけあるが、それはもう長々と怒られたのだ。家族として正当な権利を行使するのに金なんて要らないし、子育てを“貸し”だと思うようなクソ親のつもりはない、と、滾々と。あの時は陽人はもう高校生になっていたというのに、涙をボロボロ流して号泣したものだ。


 が、それはそれ、これはこれ。「魚より肉がいい!」と大声で叫ぶため、叫んでも罪悪感を持たないため、必要な行為だった。そういうことを気にしてしまうお年頃なのである。


 押しに弱い景虎に「受け取らないならトラさんの部屋にこっそり隠していくよ。枕の下とか。夢で福沢諭吉に会えるかも」と無理矢理押し付けているのが現状だ。……ちなみに全額預金されており、景虎に「陽人君が家を出る時か、婿に来る時に返そう」と思われていることを、陽人は全く知らない。


 「さ、ご飯だよトラさん。今日は魚らしいから、明日は肉がいいな!」


 並んで洗面所を出る──のは体格と通路の幅的に無理なので、恰幅の良い身体を押していく。


 藤原家の夕食は当番制で、メニューの決定権も調理も当番の人間に委ねられる。

 今日は千景で、明日は景虎だった。そして、二人とも肉か魚かで言うと魚派だった。仄火もそうだ。この家で肉派は陽人と千里の二人、常に数的劣勢にある。

 

 「うーん……でも、ヒラメが旬だからねぇ……」


 やっぱり魚か、と、きゅっと口をすぼめる陽人。


 景虎は服を取りに自室に、陽人はそのまま食堂に向かう。

 六人掛け用の大きめの食卓には、既に仄火と千景が座っていた。覗くと、今夜のおかずは焼き鮭だった。


 仄火の隣に座って景虎を待ち、四人で「いただきます」と声を揃える。


 食べながらテレビを見ていると、ニュースキャスターが高校生拉致事件について話し始めた。

 男子高校生が失踪し、最後に街頭の監視カメラに映った位置から程近い位置に、通学鞄と血痕が残されていたそうだ。被害者が陽人や千景と同年代というのもそうだが、その現場は、学校の最寄り駅から二つ隣のG駅だ。自宅の最寄り駅からは、間に三駅。


 怯えるほど近くは無いが、他人事と無視できるほど遠くも無い。

 近くに遊び場もないから陽人や千景が利用することは無いものの、市立高校の最寄り駅だったはず。


 「近所じゃないか、物騒だなあ……。これも妖怪の仕業だと思うかい?」


 怖いなぁ、なんて、のんびりと言う景虎。

 これで剣道教士というのだから、人は見かけによらないものだ。

 

 「トラさん、元警察官だから知ってると思うけど、失踪事件のうち85パーセントが所在確認に成功する。そのうちの九割は迷子も含めた人為的理由で失踪してるんだ。失踪事件が妖怪の手によるものである確率は、統計的に──何割?」

 「……約二割。貴方、計算力が中学の頃から成長してないんじゃない?」

 「陽人くん、一年生のときの学年末テスト、凄かったもんね……」


 呆れ口調の仄火と、苦笑気味の千景の言葉を、陽人はニュース画面に集中するふりをして聞き流した。 


 陽人にとっては思い出したくもない、苦い思い出だ。

 昨年度の学期末テスト、数Ⅰ数A各100点満点、合計200点満点中──49点。勿論二教科とも赤点である。追試+補講でなんとか進級した。


 陽人の名誉の為に明記しておくと、数Ⅰの試験中に窓の外をカッ飛んでいくカラス天狗を発見して慌てて祷祓に向かい──試験中に窓の外を二度見したかと思えば、半分も解けていない解答用紙を置いて出て行ったのは不自然極まりなかっただろう──、数Aは単純にお腹の調子が悪かったので、こちらも半分以下しか解けていないだけだ。先生たちには不幸にも試験当日に腹を壊し、二科目損したと思われている。


 「……陽人君、食事中にスマホを触るのはやめなさい」

 「あ、うん、ごめん」


 陽人が机の下でこっそり確認したのは、例の中務庁のアウトソーシングサイトだ。

 依頼受注前に大まかな出現場所と委託対象の妖怪を確認できるから、ニュースより良い情報源になる。しかし、件のG駅近辺の依頼は、どれも一件当たり1000円くらいの木っ端妖怪ばかりだった。人間一人を誘拐するどころか、転ばせるのにも難儀するような低級怪異のはず。


 妖怪とは関係のない、人為的な事件なのか。

 それとも──外部ではなく、中務庁の実戦部隊、本職の陰陽師である祷祓課を動かすほどの強い妖怪が出たのか。


 むっつりと黙り込んだ陽人に、千景と景虎が顔を見合わせる。

 陽人の妖怪狩りに対する熱意の強さは、小学校の頃からずっと見ていて知っている。


 陰陽師として高い資質を持ち、それ故に妖怪の悪意や害意の標的になりやすい千景を、10歳になる前からずっと守ってきたのだ。小学校を卒業するくらいまで、その理由は好意によるものだった。しかし、最近ではそれが普通になっている。

 惰性──というと、言葉が悪いか。千景を守ることも、他の妖怪被害に遭うかもしれない誰かを守ることも、陽人には生活の一部。“橘陽人”という存在の一個要素になっていた。

 

 特別な理由、特別な思考は介在しない。

 妖怪が出たのなら狩る。被害が出そうなら守る。それが陽人にとっての当たり前だ。中務庁のアウトソーシングサイトに登録した時も、情報収集が楽で、ついでにお金が入ってラッキー、という反応だった。


 「……陽人君、危ないことはしちゃ駄目だよ?」

 「いや、あの……そんなに危ない事してなくない? え? してる? してないよね?」


 仄火と、千景と、景虎を順番に見る陽人。残念ながら、全員が何とも言い難い微妙な視線を返した。






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