第2話


 「──はッ!」


 暗い路地裏に小気味よい風切り音が響く。


 鋭い呼気で無駄な力を散らし、手にした木刀を振るう陽人。

 その動きは素早く、洗練された技を備えていることが窺えるが、剣道の動きとは微妙に違っていた。


 「ぎッ!?」


 口裂け女が苦痛の声を漏らし、手にした鎌を取り落とす。

 その前腕部を、硬い樫の木刀が強かに打ち据えていた。


 ──いけそうだ。

 陽人は内心で呟き、口角を吊り上げる。


 妖怪に物理攻撃は意味がない。さっき仄火が原付をすり抜けたように、干渉できず透けてしまう。


 しかし、“見えるなら触れる”というのが、この界隈のセオリーだ。その後には“障られる”と続くのだが、今はそれはどうでもいい。


 要は、妖怪を視る才能を持つ者は、大多数の人間と違い、触れることもできるのだ。

 残念ながら銃弾やガスのような間接的干渉はできず、あくまでパンチやキック、肌から離れても剣やナイフまでが精々だ。


 対して、妖怪の大半は、人間を害するのに十分な力を持っている。

 体系化された戦闘技術こそ持たないものの、鋭い鉤爪やノコギリのような牙を持つ種もいるし、野生動物並みの戦闘本能は恐ろしい。妖怪ではないただの豚でも、人間を殺すことがあるのだ。悪意に塗れた妖怪の殺人能力は、決して侮れるものではない。


 こちらは木刀で、あちらは鎌。リーチはこちらが勝る。どうやら技量に於いても。

 しかし本気で打ったのに骨を砕いた感触もなければ、鎌を拾う口裂け女の動きにも淀みは無い。人間以上の強靭性、耐久力を持っている。それに、奴が100メートルを6秒で走るのなら、基礎運動能力でも陽人の負けだ。


 いや、そもそも、木刀で頭をカチ割ったところで、妖怪は瞬く間に再生する。

 陰陽術やそれに類する術によって祷祓するか退散させない限り、妖怪は不死身だ。


 だから陽人と妖怪では、端から戦闘が成立しない。

 一方的殺戮に抗い、辛うじて延命しているに過ぎない。そしてスタミナが切れた瞬間が、命の終わる時だ。


 だというのに、陽人の口元は不敵な笑みの形に歪んでいる。


 「ぁぁああああッ!」


 憎悪に塗れた絶叫と共に、口裂け女が突撃する。

 いつの間にか両手に鎌を持っていて、交互に、同時に、滅茶苦茶に振り回して陽人を追う。


 その動きからは知性を感じない。子供が刀を振り回しているようだ。攻撃に規則性や術理が無く、動きが極度に読みづらい。だが──刃物で遊ぶ子供と違うのは、怪我をさせても問題ないところだ。


 「──、──っと、──ふッ!」


 首筋に当たる軌道だった鎌を避け、脇腹を削ぐ勢いの攻撃を躱し、木刀を持った右手を大きく引く。

 そして見つけた隙を突き、硬い切っ先を口裂け女の喉笛に叩きこんだ。


 喉突き。

 それも片手だ。明らかに高校剣道の動きではないし、やけに手馴れている。


 めり、と女の柔肌に樫の木刀がめり込む感触も、陽人にとっては日常だ。


 「かっ──!?」


 喘鳴じみて苦しそうな声を漏らし、口裂け女が踏鞴を踏んで下がる。

 より一層恨めしげな眼光を、陽人は無感動に受け流した。


 人間なら頸椎が砕けていても不思議はない威力だったはずだが、昏倒する気配はない。だが、隙が出来ただけで十分だ。


 陽人は木刀を納刀の動きで左手に持ち替え、人差し指と中指を立てた右手を突き付ける。

 

 「青龍、白虎、朱雀、玄武、空陳、南寿、北斗、三体、玉女。九字九神の名の下に、我が傀儡たる仄火に命じる。妖力を解放し、魔弾を以て眼前敵を祷祓せよ! 急急如律令!」


 四縦五横に九字を切り、銃を模した形の右手を、口裂け女の頭部に照準する。


 その隣に、同じポーズを取った仄火が並んだ。

 金色の瞳が煌々と輝き、全身から炎のようなオーラが噴き出している。


 陰陽術の九字を急急如律令で締めくくったことから明らかなように、陽人が行使したのはそういう類の術だ。中務庁には陰陽術の下位技術とされる、妖怪使役の術法。


 毒を以て毒を制する、妖怪使いの妖怪狩り。

 陰陽師になるには技術や才能が足りない者が、それでも妖怪と戦うための苦肉の策だ。


 「狐火妖怪……? 馬鹿にして……!」

 

 口裂け女が憤怒の形相を浮かべる。

 狐火妖怪は膨大な種の妖怪の中でも、最下級といっていい存在だ。熱の無い炎、夜闇に浮かぶ燐光。ただそれだけの、人々をちょっと驚かせて怖がらせるだけのモノ。口裂け女や河童のように、実害を出せるような存在の格はない。


 口裂け女から見ても、明らかな格下。

 喉突きで隙を作って何が出てくるかと思えば、吹けば消える小火ときた。


 ──舐められている。

 人間とは感性も常識も何もかも異なる怪異とて、そう思うのも無理はない。陽人と仄火、二人の指先に灯る拳大の火球になど、毛先程の注意も払っていなかった。熱くも無ければ、障子紙一枚破れもしない行燈の、何を警戒すればいいのやら。


 陽人は呆れ交じりに眉根を寄せ、仄火は獰猛に口角を吊り上げる。


 「どいつもこいつも、狐火を馬鹿にし過ぎだろ」

 「その侮りが貴方の死因よ。成仏なさい」


 金糸のような仄火の髪が、炎に煽られたように舞う。陽人は肩越しに見惚れそうになりながら、照準を再確認した。


 口裂け女が両手の鎌を構える。

 右の一撃で右の男を、左の一撃で狐火妖怪を、口許を切り裂いて殺す。そう決めて。


 そして──。


 「BANG!」


 ふざけた声と共に、拳大の火球が発射された。


 口裂け女は、もう一言も発することはない。

 秒速270メートルもの高速で撃ち出された炎の塊は、口裂け女の胸に大穴を開け、頭部を下顎を残して吹き飛ばしていた。


 二人組による一人一発の変則ダブルタップ。

 これまで何百体もの妖怪を屠ってきた、陽人と仄火の十八番にして最高火力だ。


 血潮に代わり、黒ずんだ粒子が吹き上がる。

 灰のような質感の粒子は空気の中に溶け、やがて頽れゆく女性の身体も全てがそれに変わり、消えた。


 事が終わると、仄火が纏っていた炎のようなオーラは収束し、嗜虐心に満ちた獰猛な笑顔も涼し気なすまし顔に戻った。……かと思えば、陽人に責めるようなジト目を向ける。

 

 「怪我、してないでしょうね?」

 「あぁ。慣れたもんだよ。……っていうか、毎回そう聞くけど、俺ってそんなに微妙な戦い方してるか? 今とか結構余裕なつもりだったんだけど」


 刃物を振り回すような奴だけではなく、人を食うような奴や、空高く放り投げて殺すような奴とも戦ってきた陽人だが、自殺志願者ではない。勿論、マゾヒストでもない。

 傷を負うのも、死ぬのも御免だ。依頼を選ぶ時には勝てる相手しか選んでいないし、戦う時だって、隙を作って必殺の一撃を叩き込む戦闘スタイルは安定択だ。


 それの何が不満なのかとジト目を返すと、仄火はすまし顔で肩を竦めた。

 

 「だって、妖怪使いは普通、傀儡を前線に立たせるでしょう? 普通の人間は妖怪とは戦わないものよ」

 「さとりおねーさんとか、モロに戦ってるけどな」


 陽人の脳内に、咥え煙草で片手間に妖怪を斬り伏せる女傑の姿が浮かぶ。

 陰陽部祷祓課きっての武闘派陰陽師である彼女の戦闘スタイルは、陽人とよく似た剣術だ。木刀ではなく、何百年も前から妖怪を斬ってきた妖刀──本物の日本刀を使っているが。


 「アレは半分人間じゃないもの。でも、貴方は違う。首を刎ねられるまでもなく、腕一本落ちるだけで失血死する、ただの脆弱な人間」

 「いや、覚おねーさんでも腕一本斬られたら死ぬと思うけど。ここ動脈だし」


 脇の下をトントンと叩きながら言う陽人だが、本人も半信半疑だ。自分なら死ぬと自信を持って言えるが、彼女はなんかケロリとしてそうというか、そのぐらい生命力を感じる女性だった。


 自分の弱さを分かっているならどうしてもっと自分を頼らないのかと言いたげなジト目の仄火に、陽人は「いやいや」と苦笑する。


 「というか、狐火妖怪に前衛任せても、すぐ落ちるでしょ。まぁ狐火妖怪はそもそも戦えないはずなんだけど……仄火は何故か火力あるけど、一芸特化だし」


 狐火妖怪は妖怪の中でも最下級。人間に害を及ぼさない、その程度の力も持たないどころか、妖怪について記される演義物や調査書類にまで「熱を持たない」と書かれてしまう有様の雑魚。本来は人の形すら象れず、鬼火のような姿で現れる。


 仄火はどういうわけか美少女の姿で、炎の弾丸に破壊力があるが、それも特筆して高威力なわけではない。窓ガラスがギリギリ割れるくらいだ。連射も効かず、自動拳銃オートマチックどころか火縄銃並み、分間一発か二発といったところ。

 

 しかし、妖怪に対しては物理威力以上の効果があるのは先の通りだ。陰陽師のように退魔の術や色々な手札を持たない陽人の、メインウェポンであり生命線。

 「何か文句でも?」と眦を吊り上げた仄火に、陽人は大仰に「お世話になっております!」と頭を下げた。


 じゃれ合っていると、ポケットに入れていたスマホが振動する。画面には「委託完了確認」と題されたメールの着信通知。


 「祷祓確認。お疲れ」

 「貴方も、お疲れ様。早く帰りましょう。今日の夕食はお魚のはずよ」

 「俺は肉の方が好きなんだけどなぁ……」


 心なしか軽い足取りで路地裏の出口に向かう仄火の後に、陽人も続く。

 

 二人の間に流れる空気は、妖怪という異常存在はさておくとしても、鎌を振り回す女と戦った直後とは思えない、安穏としたものだった。







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