第9話 準備

 ドルト大神殿で働く聖職者たちは皆、これまで経験したことのない忙しさに、目の回るような思いだった。

 

 突然通知された、2件の儀式の準備に皆、右往左往している。

 一つは高貴な生まれの子女が受ける洗礼の儀式。

 もう一つは、特別に催される聖なる式典だと、一般の聖職者には伝えられている。


 また同時に、マルタン公爵に対抗する為の準備も並行して進められていて、普段は何もすることがないドルト共和国の自衛官たちも忙しそうに警備体制を整えている。


 加えて、突然、ドルト全土に特別体制令なるものが出された為、普段は大神殿の外に住み、国の経済を支えている農家や商家の者達にも影響を与えて居た。

 特別体制令、全聖職者たち(ドルト共和国の国民)は神殿の言葉に従い団結して行動せよ、という命令である。


 そして、ドルト共和国の外交を担う部門も、エルドランドとコタールの王室に秘密裏に使者を送り、何か起きた時にすぐに連携出来るように協力を要請し、協議を進めた。

 それと、それぞれの国には、まず自国の防衛を固めてもらうのと同時に、早めの魔獣討伐を依頼することも忘れなかった。



 ドルト共和国全体がこのように忙しい中、ララ自身も洗礼の儀の準備で大忙しだった。


 ドワーフに儀式用の服を仕立ててもらう為に行う採寸作業は、とてつもない時間を要したし、その後の帝位継承の儀式用のドレスの採寸にも時間がかかった。

 

 帝位継承の儀式で着るドレスは、枢機卿がプレゼントしようと言ってくれたのだ。

 といっても、今から新しく仕立てるのは無理なので既製品のドレスをリペアしたものになる。

 枢機卿は、晴れ舞台なのに既製品で申し訳ないと、とても気にしていたがララ自信は全く気にしていなかった。

 今のララは、自由になるお金も何も持っていなかったので、ララ自身は今着ている服で儀式に臨むつもりでいたのだ。


 採寸が終わった後は、ひたすら儀式の手順を覚えるのに時間を費やす。


「えっと、まず神殿に入ったら6つの鏡の泉のそれぞれに置くべきものを置き、祝詞を唱える必要があって、1番目から6番目までの順番と、どこに何を置くかと、そして唱える祝詞を間違えちゃいけないのよね。順番は……」

 ララは頭の中で要約した手順を口に出して確認しながら覚える。

 ララの横にはアンナが座っていて、ララの言っている内容に誤りがないか確認をしている。

 アーロンがベッドから起き上がれるようになり、今後の戦略を考えるチームと合流しているので、アンナはララの侍女の仕事に復帰したのだ。


「ララ様、枢機卿が儀式用の品物を準備してくださいましたよ」

 リタが部屋に届けられた品物を受け取って言う。

 ララとアンナもソファーから立ち上がって品物を確認しに行く。

 壁際に立っていたセイラも興味ありげに見に来た。


「泉に置く、バラ、蓮、榊、翡翠の勾玉、鏡、水晶玉ね。それとこれは儀式を統べる枢機卿に渡す精霊石。……最高級品だわ」

 ララは手順を頭で考えながら品物を確認する。


「ら、ララ様、これは!? すごい大金ですよ」

 セイラが現金を見つけたらしく、驚いた声を上げる。

 ララとアンナ、そしてリタはセイラの方に近付きセイラが見ている物を確認した。


「あ、この封筒は神殿へのお布施だわ。そう言えば冊子に、枢機卿に精霊石を渡す前に、女神像の前にそっと置きなさいと書かれていたわね」

 ララが封筒をみて言う。アンナが封筒の中身をそっと確認すると小切手だった。ララとリタがそれを覗き込む。

「……予想以上に高額ですね」


「こっちは? こっちはなんですか?」

 金貨が大量に入っている袋が沢山あるのを指してセイラが言う。

「ああ、それは、お祝いの投げ銭ね」

 ララがセイラの質問に答えて言う。


「投げ銭!? 金貨がですか? こんなに?」

 セイラが驚愕したように言う。

「私が洗礼を行った時にも祝いの投げ銭を用意しましたが、銅貨で袋ひとつでしたよ!?」


「何を驚いいるのセイラ、ララ様はサルドバルドの皇帝なのよ? このぐらい当たり前でしょう」

 リタがセイラに言う。


「……いえ、セイラの言う通り、これは過剰だわ」

 ララは品物の数々を見ながら言った。

「え? でも枢機卿が血族として、出来る援助とお祝いさせて欲しいと仰って下さったものですし……」

 リタは、気にしなくて良いですよという様子でララに言う。


「う~ん」

 ララは大量に金貨の入っているいくつもの袋を眺め、顎に手をやって何やら考える。

 少しの間、そうやって考えてからララはアンナ達の方をみた。


「金貨の入った袋を、それぞれ1袋ずつ持ってついて来て」

「え? どこに行くんですか?」

 セイラが聞く

「おじさまの所よ」


 ララ達は枢機卿の執務室に向かった。

 とても忙しいのだろう。執務室のドアは開け放たれていて、部下の人たちが行き来していた。


 ララはちょっこと顔をのぞかせ、声をかける。

「おじさま、少し良いかしら?」


 ロバートはララの顔をみると微笑み、席を立って3人をソファーに座らせる。

「すみません、お忙しい時に」

 ララは申し訳なさそうに言う。

「いや、かまわないですよ。どうかしましたか?」


「おじさま、この度はいろんなものをお贈りくださり、ありがとうございます」

「ああ、もう届いたんだね。よかった」

 ロバートが笑顔で言う。

「はい。贈って下さった物は全てありがたく頂戴させて頂きます」

 ララがそう言うとロバートは頷く。


「もし足りないものがあれば言って下さいね」

 ロバートがそう言うと、ララは少しもじもじした感じになる。

「あの、……早速で申し訳ないのですが、お願いがございます」

 ララの様子をみてロバートは少し嬉しそうに微笑んだ。

「かまわないから言ってごらん」


「はい、あの、この金貨の入った袋二つ分を、銅貨に替えていただけませんか?」

「ん?」

 ララの言葉にロバートは首をかしげる。


「それから、この袋一つ分を紙幣に替えて欲しいのです」

 ララは続けてロバートに要求した。


 ララの言葉に、ロバートだけでなくアンナ達も首をかしげる。


「それは……別にかまわないが、……理由を聞いても?」

 ロバートは首をかしげながら聞いた。


「神殿にはこの袋一つ分をお布施にして、祝いの投げ銭には袋二つ分を使おうと思います」


「……」

 ロバートはララの言葉にまた首を傾け、そして少しララの意図について考える。


 執務室にいた他の聖職者達は作業の手を止め、考えている様子のロバート枢機卿がどう反応するのか興味ありげにララ達の方に視線を向けた。


 そしてアンナ達はララの言葉に驚いた顔をして、ロバートが気分を害さないか心配そうにロバートの様子を伺った。


 ロバートは結局ララの意図について思い浮かばす、質問を重ねる。

「どういう事なのか、教えて頂けますか?」


 ララは頷き、そしてはっきりとした口調で話し始める。

「この先、何があるかわかりません。魔獣がどこかの村を襲うかもしれないし、最悪、魔族という何かと戦争のような事になる可能性もあります。頂いたお金はその復興にまわせるよう、今は取っておきたいのです」


 いつの間にかその部屋に居る聖職者も含めた全員がララに注目していた。


 ロバートは優しく微笑む。

「ララ、君の考えている事は分かりました。でもね、これは僕からのお祝いだから、使ってほしい。サルドバルドの皇家として恥ずかしくない程度の事はしてあげたいんだ。何か起きた時、必要ならまた別でお金は準備してあげるよ」


「ありがとう、おじさま。おじさまの気持ちはとっても嬉しいです。でも私は、頂いたお金を必要な人に届けたい。……もし何もなかったとしても、ケールから連れていかれて奴隷となってしまった人々を元の生活に戻す為の保証金とか、支援金の足しにしたいのです。……だから今は、いくらお金があっても足らない状況で、自分の贅沢に使うお金はないの」

 ララは少し恥ずかしそうにそう言った。


「ああ……」

 ロバートはララの言葉を聞き、目を閉じた。

「なんてことだ……」


 ロバートは目を開けてララを見つめる。その瞳には敬愛の色が見えた。

「私はそこまで考えが至っていなかった。聖職者として恥ずかしいよ、ララ。……私は枢機卿として全面的に君を支持し、ひれ伏そう。……そして私の個人資産のすべてを君に預けたいと思う」


「お、おじさま、そんなこと、いけません」

 ロバートの言葉にララが焦った声をだす。


「いや、お金など全く惜しくはないよ。今、私は確信した。……君はまさに、女神に愛されるに相応しい人だ。きっと君はこの世界を光へと導いてくれるだろう」

 ロバートのこの言葉に、その場で様子を伺っていた人達も頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る