第11話 手にするキスは挨拶?

 この数日間は、ララにとって怒涛の日々だった。


 誘拐された夜は、男に襲われそうになり、次の日はずっと馬で移動、途中魔獣に何度も襲われた。

 ここに着いてからも、髪は切られるし、悪夢の様な話を聞かされるし、獣人狩りから逃げるし……


 本当に緊張しっぱなしの日々だったが、知らなかった事を沢山知った日々でもあった。


 獣人族というのは、魔獣を狩って生活をしている種族の事で、普通の人達だということや、ケール自治区の人が重税に苦しんでいる事、獣人狩りに怯えて暮らしている事を知り、そしてケールの元王女は人質として連れていかれたサルドバルドで若くして自害して亡くなったという事もここに来て初めて聞いた。


 また、ララの年齢であれば、普通ならとっくに洗礼の儀式を受けてないとおかしいという事も、ここで初めて教えられた。



 夜になって、ララは今日も部屋を他の人に譲った。


 少し、横になれそうな場所を探してみたが適当な場所が見つからなかった。

 昨夜の獣人狩りで家を焼かれて麓から逃れてきた人も増えたので、廊下で眠る人の数が増えていたのだ。


 眠るスペースが無いという事もあるが、いろんな事がありすぎて眠れそうにないララは外に出た。


 ララは昨日エイドリアンが教えてくれた屋敷の裏庭の方に行く。

 斜め上で大きく光っている今日の月は、綺麗な満月だった。


 ララがその場所に行くと先客がいた。

 満月を見つめる漆黒の髪の男が既に座っていたのだ。


 ララの気配に、エイドリアンは振り返る。

「なんだ、また眠れないのか」

 そう言いながら、少し場所を移動し、ララの座る場所をあけた。

 ララは黙ってその場所に座る。


「今日は満月みたいね」

「ああ」

「あなた、いつねてるの?」

「……さあな」

 エイドリアンの答えを聞き、ララはエイドリアンの方を見た。


 エイドリアンは、月に目をやったまま笑っているように見えた。

 ララはエイドリアンを見てドキッとする。


 穏やかな表情で、エイドリアンは月を眺めている。


 彼の、王族として訓練されて身についたものであろう柔らかい表情を見て、ララはドキッとしたのだ。


 このひとの表情には何度も驚かされる


 ララはそう思った。


 鋭く冷たい目をしている顔

 そして柔らかく微笑む顔


 その度に、あまりにも違う印象になった。


 同じ王子でも、アーロンとは全然違うのね

 髪の色と、瞳の色のせいかしら?


 ララは、知らず知らずのうちに、エイドリアンを見つめていた。

 エイドリアンが視線を月から離したタイミングで、ララとエイドリアンの視線が合う。


 ドキン


 ララの心臓がまた高なった。

 ララは慌てて視線を外して月を見る。

「今日は満月ね!」


 ララの言葉を聞き、エイドリアンが笑う。

「それ、確かさっきも言ってたよな?」

 ララは、指摘されて真っ赤になる。

「そ、そうでしたっけ?」


 エイドリアンは微笑みながらララの手を取る。

 ララの鼓動はエイドリアンにも聞こえるんじゃないかと思う程に高鳴り始める。


 エイドリアンはララの手の甲にゆっくりとキスをした。

「な、な、な」

 ララは顔を真っ赤にし、何をするの?と言いたいのにそれを言葉に出来ない程、混乱する。


 エイドリアンはララの様子に気付き首を傾げた。


「あれ? 免疫なかった……みたい……だな、申し訳ない」

 エイドリアンはそう言い、少し驚き焦る様子でララの手を離した。



 ~~*~~


「破れた部分には、刺繍をすれば良いわ」


 ララは、チャコの前掛けに焦げて穴が空いてる小さな傷みがあるのを見て言った。

「刺繍ですか? 繕いはしますが、刺繍はしませんね」

 チャコは自分の服を見て言う。

「針と糸はある?」


 チャコが準備した裁縫道具でララは、チャコの前掛けの穴の空いているところに花の刺繍を施した。

 穴の空いている所だけでなく、汚れがシミになっている部分にも花と蝶々を刺繍する。


「ほら、出来たわ」

 ララから前掛けを渡され、チャコが満面の笑みを浮かべる。


「素敵、刺繍って綺麗ですね! こんなに繊細な刺繍は上等な服にあるものしか見た事が無かったわ」


 チャコの様子を見て女達が集まってきた。


「少し手間がかかるから、売り物にすると高くなるのね。でも、針と糸があれば誰にでも出来るし、そうね、収入にも繋がるかもしれないわね、お教えしましょうか?」

「はいっ」

 チャコだけでなく、女たちが嬉々として返事をした。


「どうした?」

 その声が聞こえた途端、ララの動きが固まった。

「楽しそうだな」

 女達がキャッキャと楽しそうにしているので、なんだろうとエイドリアンやミドルバ達が覗きに来たのだ。


「刺繍です、殿下」

 チャコが嬉しそうに前掛けを見せる。

「へえ、凄いじゃないか」

 エイドリアンがそう言うと、ララの顔が真っ赤になった。


「皇女様がやってくれたんです」

「へえ、ありがとう、ララ皇女」

 エイドリアンがそう言うと、ララはゆでダコのように真っ赤になり、顔が緩む。


「こ、こんなの、た、大したことありませんのよ、宮殿でも、毎日のようにやって、ましたも、の」


 みな、ララの様子を見て、言葉なく顔を見合わせた。



 ~~*~~


「皇女に一体何をしたんですか、エイドリアン殿下」


 ミドルバは少し怒っている様子でエイドリアンに聞いた。


「いや、俺はもう、殿下では無いので」

 ミドルバの質問を誤魔化すようにエイドリアンが言う。


「あれは、完全に、殿下を意識してますよね?」

 国が無くなってもエイドリアンを殿下と慕う忠実な護衛騎士トムがちょっと呆れたように言う。


、したんですか?」


 ミドルバは声を荒げないが、顔が怖い。

「いや、まて、俺はだな」

 エイドリアンは、騎士たちに囲まれた。




「何をしてるんですか、あなたは!」

 圧力に負け、昨日の夜の事を話してしまったエイドリアンに、ミドルバが呆れて叫んだ。


「何って……手の甲だぞ? そのぐらい挨拶でするだろ??」

「そんなシチュエーションではしませんよ。恋人同士でもないのに」

「いや、それは、ちょっと雰囲気に流されて」

 エイドリアンの言い訳に、ミドルバや側近の騎士たちが頭を抱える。


「どうするんですか、もし、皇女が城に帰りたく無いとか言い出したら!」

 護衛騎士のトムが頭を抱えながら言う。


「まさか、そ、そんな、わけないだろう」

「分かりませんよ、純真な皇女ですからね」


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