第5話 ミドルバの怒り
その日ミドルバが宮殿に上がったのは昼前だった。
喪が開けた皇帝は1日だけ休み、その翌日の午後に3ヶ月ぶりの御前会議を行う予定になっていた。
ミドルバは会議の前に皇帝に会いたいと思い、早めに宮殿に来て皇帝のプライベートエリアに足を向けていた。
皇帝の側近のひとりであるミドルバは、プライベートエリアに入る許可を得ているので、誰にも止められることなく皇帝の私室に向かって廊下を歩いていた。
ミドルバが庭の横を通る廊下を歩いていると、途中で女たちの泣き声が聞こえてきた。
気になったミドルバは立ち止まり、女達の泣き声がする方向を確認する。
泣き声は、皇帝専用の庭にある小さな離れの屋敷から聞こえているようだった。ミドルバは廊下から庭に出て、その場所に足を向けた。
離れの屋敷に入ると、何人かのメイドが廊下で泣いていた。
ミドルバは、その様子に驚きながら、泣いているメイド達の横を通り、騒ぎの中心となっているらしい寝室に入る。
その部屋に入ったミドルバはそこにある光景を見て絶句した。
そこには――
既に絶命していると分かる一人の少女が仰向けに倒れていた。
少女は胸のあたりから真っ赤な血を流していた。
真っ赤な血は少女の胸に刺されたナイフから流れ出ており、そして、そのナイフの柄はしっかりと少女の両手で握り閉められていた。
まだ、14、5歳と思われるその少女は、辱めを受けまいと抵抗し自害したという事が、ミドルバにはすぐわかった。
少女の傍には、若いメイドが青い顔で座り込み涙を流している。
メイドは少女の死体を見て相当なショックを受けているようだった。
ミドルバは、倒れている少女の傍に立つ男を見る。
蒼白になっているその男は、マルタン公爵の令息のジェームスだった。
そしてその後ろには、マルタン公爵も立っていた。
「何があったのですか?」
ミドルバは落ち着いた声でジェームズの顔を見て訊ねた。
するとジェームズは、止まっていた時間が動き出したかのようにミドルバの方を見て、それから黙ってベッドから薄いシーツを取ってくると死体にかけてやる。
「何も無い……」
そう言ったのはマルタン公爵だった。マルタンはジェームスに代わってミドルバに返事をする。
「ただ、ひとりの女が自害した、それだけだ」
「この女性はどなたですか?」
ミドルバはマルタン公爵とジェームズを見ながらそう聞くと、ジェームズが蒼白になった顔を、父であるマルタン公爵に向けた。そしてマルタン公爵は座り込んでいるメイドの方に目をやる。
何気ないふたりの動きから、ミドルバはメイドに聞くべきだと悟り、座り込んでいるメイドに近寄りメイドを優しく立たせる。
「大丈夫か?」
「は、は、はい」
若いメイドは震えながら、答える。
「この女性は誰ですか?」
ミドルバは、優しい声で聞いた。しかしメイドは涙を流し続けている。
「泣いていては、分かりません」
ミドルバは、なるべく優しく言った。
「す、すいま、せ」
メイドは、泣きながら謝り、そして言う。
「この方は、この方は、ケールの王女ミランダ様でございます」
ミドルバは、その言葉を聞き、驚いてもう一度亡骸の方を見た。
それから、ベッドや、豪奢な装飾品を確認するように見る。
この離れは、皇帝が一人になりたい時や、ゆっくり休みたい時に籠るプライベートエリアだ。
皇帝以外、普段は誰も足を踏み入れることは無い特別な場所。
恐らくさっきまで皇帝が居たのだろうと、ミドルバは思った。
「ミドルバ」
黙って観察しているミドルバにマルタン公爵が声を掛けた。
「お前は何も見なかった、後はこちらで処理をする。良いな」
マルタン公爵の言葉にミドルバは今はとりあえず黙って頷くしかない、そう思い頷いた。
結局その日、皇帝は会議をキャンセルして現れず、ミドルバは皇帝に会う事は出来なかった。
ケールの王女の件から、ミドルバは皇帝に強い不信感を抱くようになった。ミドルバが皇帝を不審に思う事など初めての事だったが、どう考えてもケールとの件はミドルバの中で納得出来ない事ばかりだったのだ。
こんな風にケールとの件に不信感を募らせたミドルバは、信頼出来る部下と共に今一体何が起きているのかを調べ始めた。
色々と調べているうちにミドルバ達はケールの獣人族が想定以上に多くサルドバルドの帝都に送られている事を知る。
ケールからの人質の輸送は大商人が担っている。
送られてくる人質達は貴族や高官の身内ばかりなので、帝都の大貴族の屋敷に表向きは客人として迎えられる。大商人たちの役目は、彼らを人質ではなく客人として丁重に帝都まで運び、預かり主の貴族屋敷に送り届ける事だった。
しかし、調べてみると大商人がケールから連れて来る人の数は多く、大半が客としてではなく下働きとして貴族や商人に渡されていた。
それは、大商人たちが貴族や高官の身内だけではなく、一般の民までも帝都に連れて来ているという事を示していた。
更に調査すると、一部の獣人族が奴隷制度のある国に送られている事が分かってきたのだ。
大商人たちは、送っているなどと表現しているが、実質売り渡しているに違いないと、ミドルバはそう確信した。
そもそも、サルドバルド帝国では奴隷を禁じている。
そんなサルドバルドから、奴隷制度のある国に人を売っているなんて……考えただけでもミドルバは気分が悪くなった。
そう、調査の結果、ケールの王女の様に望まぬ事を無理やり強いられるという目にあっている人は、1人や2人では無いう事が分かったのだ。
なんという事だ──
これは、もう、許されない犯罪だ!
これを国家規模でやっているなんて、とんでもない犯罪国家だ!
ミドルバは心の中でそう叫び、戦争の指揮を取りケールを滅ぼした自分を大いに悔やんだ。
思えば──
ケールの攻略はあまりにも簡単だった。
なぜなら彼らはほとんど抵抗をしてこなかったからだ。
それはつまり彼らが全く武装などしておらず戦う準備をしていなかったという事だったのだ。
そんな何ひとつ非など無かったかもしれない国を滅ぼし、苦しめたのかと思うと、ミドルバはもうじっとしてはいられなくなった。
ミドルバは、信頼できる部下を連れて支援物資をもってケールに行き、戦後の貧困に喘ぐ人々に食料を配りながら、更にケールの状況を調べた。
奴隷も戦後捕虜も認めていないはずのサルドバルドでは、一般の民を拘束するような行為は認めていない。
たとえ徴兵されて兵士として戦っていた者達でも、責任ある立場にない者であれば家に帰し、それぞれの生活の復興に力を尽くすよう促さなけれならないと決められている。
なのに──
実際には、大勢の一般人が人質の輸送と称して帝都に送られている。
大商人は一体どこからこの人たちを連れて来ているのか?
ミドルバはまず、一般のケール人がどういう経緯で帝都に送られてきているのか、現地で調査をすることにした。
そして調査の結果、商人によって獣人狩りなる行為が行われているという事実を知ることになる。
ミドルバが部下達と、ある小さな村に立ち寄った時、まさに獣人狩りが行われている現場に遭遇した。
商人に雇われた者達が剣や鞭を持って村の家々に押し入り、男も女も家から引きずり出している現場に遭遇したのだ。
驚いたミドルバはその場で責任者を確認した。すると、帝国から公式に人質輸送を請け負っている商団の者だった。
ミドルバは商人になぜここまでやるのか問いただしたところ、ミドルバに咎めらた商人は資源の調達の為と、そう言った。
獣人族は人ではなく資源だと、そう言ってのけたのだ。
ミドルバは商人のこの態度には我慢できなかった。
頭に血が昇ったミドルバは、怒りに任せてこの商人に刀を向け腕を斬り、大怪我を負わせたのだった。
大商人を斬ったミドルバは、大商人から訴えられ、すぐに帝都に戻るよう命令が出された。そして、帝都に戻るとすぐ皇帝から呼び出された。
そう、ミドルバは、実に4ヶ月ぶりに皇帝の顔を見る事になったのだ。
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