第2話 サルドバルドの皇帝、倒れる

 ララはいつも通り早朝に起床し、神殿に向かった。


 この時間はいつも静かなのだが、今日は宮廷内がざわついていた。


 3日後に皇帝が隣国エルドランド王国に向けて発つ。その準備の為、宮廷に勤める者達が忙しくバタバタ走りまわっているのだ。


 エルドランド王や王の家族へのお土産の準備、そして皇帝の為に必要な荷物の準備に加え、皇帝不在中の政務の事など、皆やる事をこなすのに必死の様子だった。



 エルドランド王国の王都までは、精霊石を使っても3日はかかる。それだけでも往復6日もかかるため、10日間は皇帝が不在になる。

 その期間、サルドバルドの政務に問題が起きないように準備しておく必要があり、政務官たちは朝早くから慌ただしく動いていた。


 なので、今朝の朝食会も、いつもとは全然違っていた。


 それぞれの大臣は、皇帝に必要な確認を行うために必死で、誰も食事に手を付けている様子はなかった。

 その様子をみてララは、父が食事を摂れていないのではないかと心配になった。


「サンドウィッチとスープを用意して、スープは飲みやすいように少し冷ましてカップに入れてもらえるかしら」


 ララは朝食会の後、メイド達に直接指示を出す。優秀なメイド達は素早く指示に従って動いた。


「お茶は、昨日お茶会で使ったはちみつ茶を用意してくださいね」

 アンナもララの横から追加で指示を出す。


 しばらくして厨房で準備された食事がお盆で運ばれてきた。

「陛下に会いに行きます。先触れをお願い」

 ララはそう言うとサンドウィッチとスープの乗せられたお盆を持つ。そしてアンナがお茶のポットとカップのお盆を持った。



 ~~*~~


「あれ、おチビちゃん、それを陛下に?」

 皇帝の執務室に向かう途中、従兄のジェームスに声をかけられた。


 ジェームスは皇帝の弟アーサー=マルタン公爵の子息だ。

 年齢は21歳で、物腰は柔らかく親切。優しい上に見た目も良く、現在決まった恋人や婚約者がいないという事で、社交界では花婿にしたい候補No.1の男だ。


「おチビちゃん、僕がもつよ」

 ジェームスはララからお盆を取ろうとしたが、ララはお盆を離さなかった。

「アンナの分を……、これは私が運びたいから」

 ララにそう言われ、ジェームスはアンナのお盆を取る。

「ジェームスお兄様ってば、ララはもう15歳よ。いい加減おチビちゃんからは卒業させてください」

 ララがむくれたように言うと、ジェームスは笑う。

「寂しいね、こないだまでは僕に抱っこをねだっていたのに」

 ジェームスがそう言うと、ララが真っ赤になる。

「お、お兄様ったら!」


 皇帝の弟で側近のマルタン公爵は、ララが幼い時からとても優しかった。遊び相手にと、小さな時からよく宮殿にジェームスを連れて来てくれて、最近では何かと親子でララをサポートしてくれる。

 ララはマルタン公爵とジェームスをとても信頼していた。



「朝食会で陛下が何も口にされてなかったから、僕も気になってたんだ」

 ジェームスは少し真剣な顔付きで言う。

「ジェームスお兄様も気にかけて下さっていたのね、ありがとう」

 ララは嬉しそうに言った。


 二人が皇帝の執務室に入るとウィリアム皇帝は3人の執政官に囲まれるように話し込んでいた。


 だが、ララの姿を見てララの方に寄る。


「ありがとう、わざわざララが運んできてくれたのか」

「ええ、そうよ、お父様。だから残さないでね」

「そうだな」

 そう言うとウィリアムはサンドウィッチを掴み、食べながら執政官の方に戻った。


 一息つくこともなく、執政官の持つ資料を除くように見て、何かを指示している。

 その間にジェームスが自らはちみつ紅茶をカップに注いだ。


「お父様、私たちは戻りますが、ちゃんと食べてくださいね」

 ララが声をかけると、ウィリアム皇帝はララの方を見て微笑み「ああ、ありがとう」と言った。




「お忙しそうですね……」

 廊下を歩き始めた時、アンナが少し心配そうに言った。


「そうね、私が、もう少し何か出来ればよかったのよね」

 ララがため息をついて言う。

「仕方ありませんよ、皇女はまだ15才、まだ政務を手伝うには早い年齢ですもの」


「でも、何か少しぐらいは、お手伝いできると思うんだけど」

 ララがため息交じりに言うと、アンナが少し困ったような表情になる。


「陛下は、ララ様が可愛くてしかたないんですよ。だからララ様が優秀である事も秘密にして……いつまでも可愛いお子様でいて欲しいのですわ」


 それを聞いてララは少し拗ねたような顔になる。それは信頼できる人間にしか見せない顔だ。

「わかっているわ。私もお父様にはずっと甘えていたいもの。でも、こういう時に何も力になれないのは、気持ちが落ち着かないものよ」

 ララがそう言いうと、アンナは優しい笑みを浮かべた。


「ララ様は神殿のお仕事をこなしているじゃないですか、それはララ様にしかできない仕事ですよ、私は、みんな自分の出来ることを確実にやる、それでよいのだとおもいますよ」



 ~~*~~


「ララ皇女様、執事のエバンズさんがいらしています」


 メイドが窓辺で本を読むララに伝えた。


「あら、エバンズが? 通して」

 ララがそう言うとエバンズはすぐにララの前にやって来た。


「ご機嫌よう、ララ皇女様」

 エバンズはそう言いながら美しい所作で丁寧に頭をさげた。


 ララは持っていた本をテーブルに置いてエバンズの顔を見る。

「珍しいわね、どうしたのエバンズ」


「ウィリアム陛下からの伝言をお伝えに参りました。今夜のお食事ですが、陛下はご多忙の為、ご一緒出来ないと……また、ララ皇女様には、本日は自室で食事をするようにとの陛下のお言葉です」

 優しく目を細めながらエバンズが言う。


 エバンズの言葉にララが首をかしげる。

「お父様がそう仰ったの?」

「はい、左様でございます」

「間違いなく、お父様が?」

「はい、間違いございません」


 ララはエバンスの心の内を読もうと、エバンズを見つめたが、すぐに視線を離し立ち上がった。


「わかりました、今日は食事を部屋に運んでください。アンナ達と頂きますので、彼女たちの分も一緒にお願いします」


「承知いたしました、運ばせます」

「ご苦労様、お父様によろしくね」

 ララがそう言うとエバンスは頭を下げた。

「それでは失礼いたします」


 エバンズはすぐにその場を去った。

 ララは笑顔でエバンスを見送る。


 エバンズの後ろ姿が消えるのを待ち、顔から笑みを消すと、ララはくるっとアンナとリタの方を向く。


「何があったか調べなさい」

 ララが一言そう言うと、アンナとリタが黙って頷いた。


 ララの部屋付きの者達は皆、ララに忠実で優秀な人材だ。


 ララの側近の人数は少なく、侍女はアンナ一人、メイドはリタを筆頭に4人しかいない。身元の不確かなものを傍に置きたくなくて、わざと数を抑えているのだ。

 だからララの傍についている側近達は、たとえメイドであっても、待遇も能力も侍女と遜色なかった。


 ララは、エバンズの顔を見て何か普通ではない問題が起こったことを悟った。しかもララには知られたくない問題が起こったのだろう。


 伝言を伝えに来たのがエバンズ以外の人間だったなら、その場で簡単にララに何があったのかを聞き出されていたはずだ。

 それ故、ララであっても隠し通せるエバンズが自らやって来たのだろう。


 何もなければ、陛下の側近のエバンズが自ら来るはずがない。

 それだけ、重要な何かが起こっているということだ。


 でも、大丈夫。


 リタは、宮殿の中では最上位のメイド。

 その上、コミュニケーション能力も高く、それなりのネットワークを持っている。


 リタに任せておけばすぐに状況が分かるだろう。


 ララは不安な気持ちを表に出さないように気を付け、ゆったりとお茶を飲みながらリタが戻るのを待った。



 ~~*~~


 リタ達は、予想よりも早く戻って来た。

 しかも血相を変えてララの部屋に飛び込んで来た。

「ララ皇女様!」


 慌てているリタの様子から、これは予想以上にとんでもないことが起こったようだと、ララは緊張する。


「陛下が……皇帝陛下がお倒れになったそうです!」


 ――!!


 全く予想していなかった言葉にララはガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、次の瞬間には廊下に飛び出て、父の私室に向かって走り出していた。

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