第12話 再会

 次の休日、僕は小さな仏壇を選びに行った。なるべく派手過ぎず、彩子さんが好きそうな物を購入する。幸い在庫があったので、すぐ自宅に設置出来た。僕はそこに位牌を置く。他に水とお茶、蝋燭と線香立てを用意すれば、何となく形になった。

 僕は仏壇の下の方にある収納部分に、件の紙袋を入れる。あと、彩子さんのスーツや靴、その他普段着から、カップなどの食器に至るまで――彩子さんが気に入っていた物は全て。


 僕は毎朝毎夕、彩子さんの冥福を祈った。夕食というお供えも欠かさない。

 その他、月命日には彩子さんの実家へ行き、墓参りもした。掃除が済んだ墓にキスして抱きしめるのも毎回だ。彩子さんのご両親は大変喜んで、僕が行く日にはご馳走を用意し、待っていてくれるようになった。




 それから半年ほどだろうか。

 いつもの月命日に、彩子さんのご両親が揃って小箱を渡して来た。

「これは何ですか?」

「いいから開けてみてくださいな」

「……はい」

 小箱の中には、少し蒼みが掛かった宝石が一つ入っている。

「これはな、彩子の遺灰から作ったんだよ」

「え!? どういう事ですか!?」

「世の中は広い。遺灰を宝石にする技術があってね。それで私も母さんも、ぜひ翔くんにと思ってな」

 これは結果的に、分骨と等しい。僕が何も言い出さなかったのに、そんな事を考えてくれていたとは感激だった。しかし――。

「……あ、彩子さんのお骨が二つに分かれてしまって、大丈夫なんでしょうか」

「まぁアイツも墓の下で一ヶ月に一度会うより、位牌で拝んで貰うより、翔くんといつも一緒に居たいだろうよ」

 僕はきらきらした宝石を見つめた。勿体無くて触れることすら出来ない。

「……僕、この宝石を指輪にしたいと思います。僕と彩子さんは同棲していただけだから、エンゲージリングを作っていなかったんです。だから左手の薬指に嵌めて、一生外しません」

「そこまで気負わなくてもいいよ。君はまだ若い。好きな人が出来たら、また骨壷に戻して――」

「いえ、絶対に離しません」

 僕は何度もお礼を言い、金子市に戻った。それからすぐ宝石店に駆け込み、薄い蒼に合うプラチナの指輪をお願いする。


 指輪が出来上がったのは二週間後だった。僕はその場で左手の薬指に嵌め、宝石にキスする。これで僕は、いつも彩子さんと一緒だ。

 僕の指輪は職場でちょっとした話題になった。男が嵌める指輪にしては派手だとか、そんな内容だ。でも僕が微笑むと、大抵は黙ってしまう。

 指輪は両親や空太、久保さん、横島さんにも見せた。事情を話すと大変喜んでくれる。ただ、両親は少しだけ複雑そうだった。早く次の相手を見つけて欲しいのだろう。でも、それは有り得ないので諦めて貰うしかない。




 僕はそれから、両親、結婚した空太と奥さん、その子供二人、同じく結婚した横島さん、相変わらずの久保さん、学生時代や会社で出来た友人たちに囲まれる生活を送った。

 僕自身の恋愛に興味は無い。稀に告白されたり誘われたりする事はあったけれど、全部断った。一生分の愛を彩子さんに捧げたと、生活のあちこちで感じていたからだ。




 彩子さんと共に過ごす月日は、どんどん流れて行く。

 僕はその中で、両親を立て続けに見送った。親が死ぬのは悲しいけれど原因は老衰だったし、ならばこれも順番というやつだ。喪主は僕が務めたが、思ったよりも良い葬儀を行えたと思う。

 去来する季節に思いを馳せているだけで、時間というやつは刻々と過ぎて行く。それを痛感したのは『定年』だ。僕は大した出世もせず、しかし大学卒業からずっと同じ会社で勤め上げた。

 それを期に、長年住んでいた彩子さんとの住まいから引っ越す。老朽化が進んでの取り壊し、というのだから駄々を捏ねても仕方ない。ちょうど実家が空いていたので少しリフォームして使う。すると空太は再び実家が出来たと喜び、奥さんや子供、果ては孫まで連れて遊びに来てくれる。そんな時、空太は仏壇への線香を忘れない。僕は心の中で「ありがとう」と呟いていた。




 そこから二十年ほど経ったある日。

 僕は彩子さんの夢を見た。彩子さんは三十代くらいの姿で、相変わらずの様子だ。そして一言、僕に伝える。

「翔、そろそろ迎えに行くぞ!」

 そこで夢は途切れた。

 僕は直感的に死期を悟る。

 なので、もうすっかりお爺ちゃんの空太と、空太の長男を呼び、幾つかのお願いをした。

「僕は盛大な葬儀を望まない。その代わり、仏壇に入っている彩子さんの遺品と一緒に僕を焼いてくれないか? そして、僕の遺灰でこの指輪と同じものを作って欲しいんだ」

 僕は左手の薬指を空太に見せる。そこには、ずっと嵌めているので少し汚れてしまった指輪が存在していた。

「……兄さんは、自分の遺灰から作った指輪をどうしたいの?」

「彩子さんの骨壷に入れてくれるかな? そして、僕の骨壷には今僕が嵌めている指輪を入れて欲しい」

「兄さんは亡くなっても佐野さんと一緒に居るつもりなんだね」

「うん、もちろん。あと僕が持っている彩子さんの位牌も、僕の骨壷行きだね。逆に僕の位牌は彩子さんの骨壷に――」

「解ったよ兄さん。必ずそうするから……その代わり、一日でも長生きしてね」

 空太とその息子が頷くので、僕は本当に安心した。空太は請け負ったらきちんと約束を守ってくれる自慢の弟だ。その息子もしっかり父の血を受け継いでいる。


 僕はその三日後、静かに息を引き取った。特に病気もなく、ただの老衰だから、気づかれたのは亡くなってから二日後だ。僕は空太に託した深い思いのせいか魂が残り、ちょうどいいのでその後を見守る事に決める。


 空太は僕との約束通り、盛大な式はせず、遺灰を業者に渡してくれた。ただ、宝石になるまで数ヶ月掛かるというのは大誤算だ。僕はひたすら指輪が出来上がるのを待つしかないと思ったが、魂のせいか時間の感覚が狂い、意外にもあっという間に仕上がって来た。


 空太は本当によく出来た弟だ。指輪も位牌も僕が望んだ通りにしてくれる。

 僕の望みは完璧に叶った。だから空太の夢の中に入り、感謝を伝える。

 その時、僕の魂がマーブル模様に溶け始めた。彩子さんと同じだ。現世から消えるのだろう。


 気づけば僕は、暗い暗い、空とも道とも言えない空間を飛んでいた。その先に、一点の光が見える。そこを目指して飛ぶと、光は段々大きくなり、最後には『佐野探偵事務所』の看板が見えて来た。僕は喜び勇んで事務所の扉を叩く。鍵は開いていて、中には熱いたこ焼きに難儀している彩子さんが居た。年の頃は夢で見たのと同じ三十代くらい。僕はその姿に感激し、言葉も発せず――しかしフーフーしてたこ焼きを冷ます。そこで彩子さんが僕に気づいた。

「おっ、翔! 久しぶりだな~、お疲れさん!」

「本当にお久しぶりです。逢いたかった……!」

「えーと……翔は寿命で死んだんだよね。その割に今は若い……二十代前半に見えるぞ」

「へへ、彩子さんも若いから、よぼよぼのお爺ちゃんじゃなくて良かったです」

「そりゃそうだ! お、冷めたな」

 僕が冷ましたたこ焼きを、彩子さんはぱくっと食べて満足げだ。

「どうだ翔、あっちの世界は最期まで楽しかったか?」

「そうですね……楽しかったけど、何でもない日々が貴重で得がたいものだと数十年かけて知った感じかな」

「なるほど、深いね~」

「何でもない日々って、彩子さんと暮らしていた時の事ですよ?」

「そうだったか……ふむ」

 僕は顎に指先を付けている彩子さんを見て、堪らなくなり密着した。懐かしい仕草を見て手も足も止まらない。

「あの……本当に久々なんですけど、今すぐ抱きしめていいですか?」

「う、うん……私は別に構わないけど……?」

「はい、では……!」

 照れるように目を逸らした彩子さんを、ぎゅっと抱きしめる。その身体はいつかのように細くもなく、健康さが感じられた。

「亡くなった方が元気になるなんて、面白いですね」

「いい焼肉屋とラーメン屋に通ってるよ。もしかしたら、ちょっと太ったかも」

「へぇ……ここにはお店とかもあるんですか。今度僕も連れて行ってください」

「いいぞ! 食事は二人で食べた方が美味しいからね!」

 彩子さんがニヤッと笑う。その笑顔、本当に彩子さんは変わっていない。

 笑顔のまま「他に聞きたい事は無い?」と彩子さんが言うので、僕はちょっとした疑問を伝えた。

「今の彩子さんの住まいはどうなってるんですか? まさかこの事務所で寝起きを?」

「あー……私に用意されてたのは、以前住んでたアパートだよ。でも翔が来たから、マンションに引越し出来るかもねぇ」

 彩子さんがそう言いながら、軽く口づけしてくる。その唇は、柔らかくて温かい。思わず舌を入れたら怒られた。

「そういうのは積もる話が終わってから!」

「彩子さんには話したい事が沢山あり過ぎるんですよ。いつ終わる事やら……でも終わらせないと、何も出来ない……」

「ここでは時間が無限だ。ゆっくり聞いてやるよ」

「はい!」

 僕は彩子さんの手を握りつつ、長い長い昔話を始める。だが、こっちの世界に来たばかりのせいか我ながら口下手で、話の組み立ては滅茶苦茶だし、唐突過ぎる部分もあるし――数十年という時間が長過ぎて、大事な単語が出て来なかったり大変だ。でも彩子さんは優しく頷きながら、僕の肩に寄り添ってくれた。

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二人の時間が無限になるまで けろけろ @suwakichi

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