第2話 命の恩人

  私と師の出会いは、特別なものだった。


 私が小学五年生になって間もない春のこと、学校の帰りにふと車道の方に目がいった。そこには、段ボール箱があった。よく見るミカンの箱くらいの大きさで、道路の真ん中にぽつんと置かれていた。トラックの積み荷が落ちたのかと思うのと同時に、どうせ空箱だろうと思った。しかし、夕方には車どおりが多い道路のため、何となく端の方に寄せておいた方がいいかな、と考えた。私は左右を確認して、段ボールを拾いに行った。そこで、耳を疑う音を聞くことになる。みぃ、みぃ、と、明らかに動物の鳴き声がしたのだ。まさかと思って段ボール箱を覗き込むと、そこには目も開いていない仔猫が二匹入っていた。


「ひどい。誰がこんなこと」


 動物を捨てるなんて、今では考えられない。それも赤ちゃんを捨てるなんて、無責任にもほどがある。その上車道の真ん中に置くなんて、人間のやることではない。私は警察に届けることにして、段ボールを持ち上げた。その瞬間、車のクラクションが鳴り響いた。顔を上げると、私の目の前にトラックが迫っていた。思わず段ボールに覆いかぶさり、目を強くつぶった。しかし、何も起きなかった。恐る恐る目を開けてみると、トラックがその場で静止している。周りを見渡すと、口を大きくあけた通行人も、電線から飛び立ったばかりのカラスも、みんなそのままで動かなかった。まるで世界が、時を止めてしまったかのようだった。


「何、これ?」


 私が辺りを確認していると、一人の男性が近づいてきた。その男性は背が高く整った顔をした、いわゆるイケメンだったが、厳しい表情で私を見つめながら近づいてきたので、私は段ボールを抱えたまま逃げようとした。しかし、男性に腕をつかまれ、あえなく私は男性に捕まってしまった。


「怪我はない?」


 男性は目を細めて、爽やかな声でそう言った。そして私から段ボール箱を受け取ると、私と一緒に歩道に避難した。その瞬間、トラックが私の横を猛スピードで通り過ぎ、風にあおられて髪がなびいた。歩行者も何事もなかったように歩いているし、カラスも飛び去った。私は一体今何が起こったのか理解できず、混乱していた。


「僕は西尾。君は?」

「わ、私は、朝烏美空です」


 他人に個人情報をもらしてはいけないと、家族にも学校の先生にも教えられていたのに、私はあまりの非現実的な出来事に遭遇し、それを忘れて名乗っていた。


「君、なんで僕の魔法の中で動けたの?」

「え? まほう、ですか?」


 私の頭の中で、漢字に変換できない単語があった。あまりにも現実離れした単語だったからだ。私がぼうっとしている間にも、西尾はあごに手を当てて私の顔を見つめている。


「先祖返りか」


 西尾はそうぼそりとつぶやいた。後で知ることになるのだが、魔法は遺伝性のものらしい。現代の魔法使いは、差別や偏見から逃れるために、自分のことを周りに秘密にしている。西尾もその一人で、時間と空間に関する魔法を使うことが出来た。つまり西尾は、魔法を使って私を事故から助けてくれた命の恩人ということになる。先ほどのまるで世界が止まったかのような世界は、西尾の魔法によって、本当に時間が止まっていたのだ。もしも先ほどの経験がなかったら、魔法使いが現実にいて、魔法が今でも使えるという話は、信じられなかっただろう。しかし、実際に西尾の魔法があったから、私は今もこうして生きているのだ。そして、西尾の魔法が止めた世界では、普通の人間も静止してしまう。静止している時の記憶はなく、魔法が解けたら日常に戻る。しかし私は、西尾の魔法のかかった世界で動いてしゃべることが出来た。西尾はこのことから、私に魔法の素質があると見込んだようだ。先祖返りというのは、私の家系に自分のことを隠した魔法使いが紛れ込んでいたという仮説らしい。


 私はハッとして、西尾に頭を下げていた。


「ありがとうございました」

「いや、それよりもこの後、時間があるかな?」

「ありますけど?」

「君、僕の弟子にならない?」


 また、私の頭の中が混乱した。弟子というのは、誰かに知識かを教えてもらったり、技術を伝えてもらったりする人のことだろう。この場合、師は西尾ということになり、私が魔法使いの弟子となる。そうなれば、私はこれから魔法について学び、魔法の技術を習うことになる。つまり、私が魔法使いになるということだ。この可能性に気付き、私は驚いたが、西尾は話を続けていた。


「君には素質があるよ。僕の時空系の魔法は便利だよ。損はさせないからさ。もちろん、君以外に弟子は取らない予定だから安心して。僕は美空だけのものだし、美空も僕だけのものだよ」


 平凡な私にとって、素質や便利、損はない、という言葉はとても魅力的だった。しかし、その後に続く言葉は変態そのものだ。しかし、私が何かを言う前に、西尾が片目をつぶって見せた。


「猫ちゃんたちを届けたら、僕の探偵事務所に案内してあげるよ」


 こうして私に有無を言わさず、西尾は警察署に猫を届けた。そして私を連れたままシャッター街と化した商店街を抜けて、古びた扉の前にやって来た。探偵事務所という言葉に、心をまったくくすぐられなかったと言えば、嘘になる。何だか秘密基地みたいで、その外観にもワクワクしていた。


 西尾が扉を掛けると、そこにはテレビドラマに出て来そうな空間が広がっていた。アンティーク家具や分厚いカーテン。ディスクトップ型のパソコンや固定電話。予定を書くためのホワイトボード。それら全てが私にとっては新鮮で、ドラマの中に迷い込んだように感じられた。


「気にいってくれたようだね、僕の美空。明日からここで二人だけのレッスンだ」


 そう言いながら、西尾は片方の膝をついて、私の手の甲にキスをした。私は寒気を感じて、手の甲をスカートでぬぐった。そして目の前にいる西尾が、やはりロリコンの変態だと確信した。この時はさすがに弟子になるのを拒否しようとしたが、命の恩人と言われれば逆らえず、しかもこの部屋を普段は自由に使っていいと言われたので、私はそのまま西尾の弟子になった。


 家には上杉君に勉強を教えてもらうと嘘をついたが、廉には本当の事を言った。すると廉は私のことが心配だからと言って、魔法探偵事務所に一緒に行くようになった。西尾はそんな廉に向かって、男のガキは嫌いだと言い、そこから二人の仲はこじれた。


 そんな中でも、西尾は意外なことにちゃんと魔法のことを教えてくれた。魔法と能力の違いや、魔女狩りの歴史、今の日本での魔法使いのありかたまで、丁寧に説明してくれて、分からないところはいつでも質問させてくれたし、怒られたことは今のところない。魔法の実践については、まだ私の力が弱く、知識も足りていないため、試したことはない。私は知れば知るほど魔法の知識にのめり込み、自分が自身と同じように魔法で他人を助ける姿を想像して楽しんでいた。


 こうして私の命の恩人だった西尾は、私の魔法の師となった。


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