西尾魔法探偵事務所‐魔法使いの弟子‐
夷也荊
第1話 金魚の世話
夏真っ盛りの昼下がり。冷房の設定温度は二十八度で、外との気温差は約二度。しかし体感では外とあまり変わらない。ドライ機能を使っていないし、サーキュレーターもない。この不快極まりない部屋の状況は、ひとえに家主の怠惰のせいだ。ここは西尾魔法探偵事務所。ここで探偵をしている家主は、自称魔法使いの三十路の男性だ。仕事をせずにギャンブルや趣味に走り、いつも水道代や光熱費は収入ぎりぎりだ。世にいう火の車である。
それでも今日はまだましな方だ。何故なら先週の神社のお祭りで買って来た金魚の水槽があるからだ。本当は金魚すくいだったので、自分の手ですくった金魚が良かったが、不器用な私は早々にポイの紙の部分を金魚の尾で弾かれて、破れてしまった。それを見ていた金魚屋のおじさんが、オマケと言って、水の入った袋に赤い金魚を三尾入れてくれた。後で知ったことだが、ポイには裏と表があり、水に一度全体を沈めてから、金魚の頭からすくいに行くとよくすくえるらしい。
「そんなコツがあるなら、先に言ってよ。ねぇ?」
私は金魚鉢で泳ぐ三尾の赤い金魚に語りかけるが、もちろん金魚からは返事はなく、狭い鉢の中を思い思いの方向に泳いでいるだけだ。この金魚鉢は仮の水槽だ。本当の水槽は今、私のクラスメイトが風呂場で洗っている。水を循環させるフィルターや空気のポンプなど、細かい部品があり、それらを丁寧に洗わないと水が汚れて金魚が死んでしまうらしい。遠くで水槽を洗う音がして、その音と金魚の優雅に泳ぐ姿だけでも癒される。しかし家主に金魚の世話を押しつけられたことを思い出すと、暑さが戻って来る。そもそも、祭に行くなら金魚を持って帰って来てくれと頼んだのは、家主の方だ。何故かと問えば、いつもの調子で、依頼人の女性が好きそうだからと返って来る。家主であり、私の師匠である男性は、女性にめっぽう弱かった。こんな胡散臭い探偵所に来る女性がいることも驚きだが、依頼人がいなければ私もクラスメイトもこうしてはいられないのだから、家主の言うことを聞くしかない。
風呂場の水の音が止んだ。学校の水槽よりも小さい正方形の水槽を抱えて、クラスメイトが戻って来る。水が入っているため、男子と言えど重たそうだ。水槽の水面がちゃぷちゃぷと音を立てて揺れていた。私はフェイクレザーのソファーから立ち上がり、クラスメイトに駆け寄った。
「私も手伝うよ」
「おう。じゃあ、そっち持って。ゆっくりな」
「分かった」
私とクラスメイトの
「いつもありがとう」
「
私は上杉君の真っ直ぐな瞳に、照れ笑いを浮かべた。私の名前は
「美空、俺もう帰るよ」
「え? まだいいよ」
「だって、お前の師匠、面倒なんだもん」
「まあ、確かに」
自分の師匠の非を、否定できない弟子ほど惨めなものはない。それよりも、小学生二人に面倒だと言わせる男を師にもった私も辛い。二人でげんなりと肩を落としていると、応接間のドアが一気に開いた。この瞬間私と廉は、遅かったか、と頭を抱えた。
「やあ! 僕の美空! ちゃんと勉強していたかい?」
ここの家主で自称魔法使いの、
「どうして、君がいる? まさか僕の美空に何かしたんじゃないだろうね?」
「もう帰ります。じゃあな、美空。変態に気をつけろよ」
廉も負けじと西尾に言い返し、じろりとにらんだ。三十路男と十歳男児の間で、火花が散った。そして互いにそっぽを向くと、廉はランドセルを背負って部屋を出て行った。その背中を見送ると、西尾は大きな袋を下げたままキッチンへと向かった。今日はパチンコで勝ったのか、それとも好きなメイドカフェのルルちゃんに相手にしてもらえたのか、機嫌がいい方だ。私はソファーの上に倒れ込むようにして座り、大きなため息を吐いた。
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