[2] 駆除
屋内へと足を踏み入れる。土足で構わない、ゾンビが出現した以上どのみち洗浄が必要なのだから。
ぷんと腐った匂いが鼻をついた。その奥にかすかなバニラの香り。ゾンビがいることはどうやら確からしい。理由は知らないが経験上ゾンビがそういう匂いを放つことはわかっている。
さすまた持ってる僕が前を歩き、後ろはバット持ってるタカハシさんに任せる。ゾンビが狙って不意打ちを仕掛けることはほとんど考えられない。けれども偶然にそういう形になることはありうる。
なんてことのない一般家屋。発見したのは1階だという話だったから、2階はあるがそちらにのぼった可能性は低い。
ゾンビの身体能力は一般に6がけと呼ばれる。もととなった人間から6割程度まで落ちているということだ。
だいたい半分になってると考えればいいのだけれど、あんまり油断しすぎると痛い目にあうから少し大目に見積もっておけ、そんな注意も込められているのかもしれない。
階段だってのぼれなくもない。いやもとがご老人でそこから6がけなら、のぼれなくてもおかしくはないか。 とにかくのぼれる力があってもゾンビが階段をのぼることは少ない。彼らは基本的に進みやすい道を進む。他に道がないか、あるいは獲物を認識しているか、そんな場合にだけ障害を乗り越えてくる。
1対1の接近戦となれば間違いなく人間側が有利である。死にかけのじいさんからさらに弱ったやつを相手に負けることはまずあり得ない。
ただし政府発行のガイドラインではゾンビ1体に対して必ず2人以上であたることを推奨している。
まあもしもの事故を考えれば当然の対応だろう。僕らだって基本的にその推奨を守ってやっている。たまに忙しすぎて人手が足りなくて単独出動することはあるけど。
ゾンビ駆除でまず重要なのは向こうがこちらを発見する前に、こちらが向こうを発見することだ。それによって十分な距離と余裕をもって対処することができる。
最大限の注意を払いつつ探索する。扉の類を開ける時がもっとも緊張する瞬間だ。開けてすぐのところにゾンビがいることが考えられる。
嗅覚と聴覚とをフルに活用する。
人間の嗅覚では方向と距離を察知することは難しい。それでも集中していれば非常に接近した時はだいたいわかる。鼻のきくことは案外ゾンビ駆除に不可欠な資質かもしれない。
あるいは警察犬みたいにゾンビ駆除犬みたいなのがいたら便利だろう。そんなものが実用化されたという話は聞いたことがないが。どこかでだれかが訓練してる最中かもしれない。
大型犬ならそのまま喉にくらいついて駆除することもできる。そうなったらこっちの仕事はおしまいだ。
それは困るのであんまり優秀なゾンビ駆除犬の登場はもうちょっと待って欲しい。具体的には僕がこの仕事をやめるまで。
聴覚の方も忘れてはいけない。といってもゾンビはいつもあの特徴的な、肺の隅から絞り出してくるような、うめき声をだしているわけではない。
大事なのは彼らが動くことによって生じる物音の方だ。ゾンビは忍ばない。敵が迫っていることなんてまるで気にせずに、がさごそと物音をたてる。
――いる! ふすまの向こう、何かが動き回っている気配がした。声は聞こえないがゾンビである可能性が高い。
振り返ってタカハシさんに目で合図を送った。僕はさすまたをふすまに構えた。
3、2、1……タカハシさんが勢いよくふまを開く。一段と濃い腐臭があふれ出す。大当たり! ゾンビは和室の真ん中で大きく口を開いて虚空を眺めている。
くすんだ緑に変色した肌。腐った肉の剥がれ落ちて骨の露出した部分もある。間違えようがない。誰がどうもてもゾンビだ。
突進、さすまたでもって肩から胸にかけて斜めにゾンビを押さえつける。力負けすることはない。
壁にぶつけた衝撃でゾンビは肺から空気をもらしてうめき声をあげる。がっしりとらえた。僕の仕事は終わり。相方の名前を叫んだ。
呼ばれるまでもなくタカハシさんはすでに動いている。金属バットをふりかぶって、身動きの取れないゾンビの頭へと、思いっきり振り下ろした。
その見た目通りにゾンビの肉体は脆い。
ぐちゃりと音を立ててあっけなく潰れる。壁には変色した血と脳の入り混じった、汚らしい花が咲いた。
マスクの奥で大きく息を吐きだす。駆除完了。
この仕事も慣れてきたとは言えそれなりの緊張は残っている。低くはあるものの常に命の危険があるのだからそれで当然なのかもしれない。というかある程度は気を張っとくべきだ。
息を整えつつタカハシさんと互いの姿を確認する。多少の汚れはあるが外傷はなし。ゾンビ感染の恐れはない。大きくうなずきあってそれぞれの無事を伝えあう。
1階をざっと見まわしてから外に出る。すっかり日が暮れていた。今日も一日、がんばったのだという実感。早いところ事務所に帰ってシャワー浴びて、とっとと帰宅して晩酌としゃれこみたい。
依頼主のおばさんがこちらに気づいて顔をしかめた。ゾンビの血と肉片にまみれて、腐臭も放っているのだ、その反応も仕方のない。
清掃業者もすでに到着していたので距離をとったまま会釈を交わす。おなじみのスズキくんのところだった。
「1階和室」とだけ大声で伝えたら、両腕を使って大きな丸を返してくれた。あそこなら後のことは全部まかせてしまって問題ないだろう。
使い古したバスタオルでざっと体を拭く。荷台に装備一式を放り投げたら軽トラックに乗り込んだ。おつかれさま。
沈む夕日を背に現場を後にした。
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