16話

(ああ、こいつもだ……)


 ぼんやりと霞む視界に、男が映る。その背が切り裂かれ、血飛沫が上がる。


 何かに侵食され、次第にラムの判断力が鈍っていく。理性が削られ、自身の心を守るためにとった行動は、反撃だった。


 まるで他人事のように、崩れ落ちる人々を見ていた。


(こいつも)


 増していく攻撃性。腕を振り払い、串刺しにした人間を投げ捨てる。


(こいつも)


 踏み付け、すり潰す。


 人を自殺にまで追い込んだ。そして己の過ちを嘆き、自らも命を絶とうとした。そんな少女の取る行動とは思えない。しかし現実に、ラムは鎌のプテラへと変身し既に多数の人間を殺していた。


 同年代からの無遠慮な悪意。傷つけられる母、その母からの拒絶。男に組み伏せられた恐怖。自らの手で人を殺してしまった罪の意識。人々からの容赦ない罵倒。目の前で殺された父。今更ラムが生き方を変えようとしたところで、救いはない。救われてはいけない人間なのだと理解するには十分だった。


 絶望に落ちていく彼女の心にあった攻撃性の種。理性が奥底にしまい込んでいたそれに、白い何かが寄生した。急速に芽吹いたそれは、心に絡みつき、思考を誘導する。そうして埋もれていたラムの自我を悪感情が染め上げ、堰を切ったように溢れ出して表面化していた。


 虐殺を繰り広げるラムが向かったのは、彼女の通う学校。そこには、ラムを苦しめた人間が数多く集まっている。


 実験動物に向けるような冷酷な視線。ラムの心を騙る嘲弄の視線。悍ましいものを見るような、嫌悪の視線。ゴミでも見ているような、侮蔑の視線。


 ラムの心を蝕んだものたちに、相応の報いを与えんとしていた。


 跳躍し、校舎の屋上を踏みつける。


 その時脳裏に、いつかの赤みがかった空が過る。初めて少年と出会った場所。一緒に焼き肉を食べた、変な時間。ラムの気を知らない少年の笑顔も、二人で先輩に怒られた時間も。思い出ごと壊してしまった気がして、寒さでキュッと締められるように胸が痛んだ。


 しかし天井を崩した足は止まることなく下の階層まで踏み抜いていき、地に到達する。


 巣穴を突かれた虫のように、校舎から人が溢れだした。喚き散らし逃げ惑うものたちの前へ回り込む。凶刃が、一人たりとも逃すことなく命を刈り取っていった。


「あ……」


 校舎から出ようとした少女がへたり込んでいた。つい先程までいつものように会話していた友人たち。彼ら彼女らが無残に切り刻まれていく光景を目の当たりにして、体に力が入らなくなってしまった。


 恐怖に身を震わせ、後退りする。できるだけ音を立てないように。周囲どころかこの街全体が喧騒に包まれている。気づかれることはない。大丈夫。そう自分に言い聞かせる少女。


 しかし、不意にラムと少女の目が合う。


『見た目変えれんなんてすっごいね~。ほんとはブスだったりして』


 そう言ってラムを見下し、嘲笑った少女。


 少女はラムに背を向け、足を縺れさせながら立ち上がる。しかし走り出そうとして、体が前に倒れてしまう。皮膚の内側に熱した鉄を当てられているような、焼けるような激痛に振り返る。足が、無くなっていた。


「いやあああああああ!」


 常に他者を見下すことで上の立場に居続けていた。プライドの高い少女は、普段決して周囲に情けない姿を見せることはしない。そうやって生きてきた。


 ラムが見下ろす。


 体裁など構わず、喚き散らし地を這う少女。影が覆うと、恐る恐る振り返ってラムを見上げた。涙と鼻水、唾液でぐちゃぐちゃになった、引き攣った顔。


 その姿を見て、嘲笑った。


『人を傷つけるのって、こうすればいいんだよね?』


 少女から教えられたことだ。向けられた悪意を再現し、どれだけ残酷なことか思い知らせる。


 そうして、絶望に染まりゆく少女を踏み潰した。


 その後、ラムは校舎に居たものたちを皆殺しにした。


 次なる目的地へ向かう。道中、目的地からヘリが飛び立つのを目にし、内心で舌打ちする。だがそのヘリが光線に撃墜されるのを目にし、それを為した骸骨のプテラに気づく。周りなど見えていなかったため、今更な気づき。


 更に六足歩行の巨大な牙を持つプテラも見つける。


 ラムの体が巨大なノイズに包まれた。膨大なエネルギーが発生し、気流が乱れ稲妻が落ちる。渦巻く吹雪がラムの姿を覆い隠した。


 暫くして、ホワイトアウトした世界を光の筋が照らした。吹雪を割った光線が破壊の限りを尽くす。


 僅かに視界の利くようになった銀世界。


 そこに新たに現れたのは、手足から鎌を生やし、体中からは牙のような棘が生えた、骸骨のプテラ。異形のプテラを掛け合わせて生まれた怪物。


 圧倒的なプレッシャーを放つ怪物は高度を上げ、四つ腕に光球を発生させた。それを胸の前でぶつけ合わせて一つの巨大な光球を練り上げる。


(あいつらも、殺さないと)


 その過剰なエネルギーを解き放つ。狙う先は国会議事堂。ラムに発信機と命を奪う装置を埋め込み、人を欺くよう指示を出してきたものたち。忌むべきものの集うこの国の中枢。


 利用するだけ利用して逆らった瞬間に社会的な制裁を下した、非道なる人間たちへの反撃。


 爆発が巻き起こり、突風が吹き荒れる。たった一度の攻撃で一帯が焦土と化した。


 ラムが国会議事堂のあった地点の上空へ行き、生き残りがいないか確かめる。


「ラムちゃん!」


 しかし聞こえてきたのは、ここにいる筈のない少女の声。


(アリス、ちゃん……?)


 双頭二尾の獣、デュオンに乗ったアリスが声を張り上げて呼びかける。


「なんか、おっきくなったね!」


 どうやってラムを知覚しているのかは定かではないが、アリスには異形の怪物がラムであると分かっているようだ。悍ましい姿へと変身したラムに対して、友達にするように、気さくに話しかけた。


(なんで……?)


 わからない。アリスがこんなところまで来た理由も。こんな姿で人を殺して回っているラムに平気で話しかけてくることも。


「またお話しようよ!」


 どこまでも純粋なアリス。彼女を可愛らしいと、素敵な人だと思えば思うほど、ラムの心が乱れた。


「私ね、もっとラムちゃんのこと知りたい!」


 アリスとデイタが楽しそうに笑っている光景を思い出す。信頼も、それを築き上げてきた特別な時間があることも、容易に想像できてしまう。そしてそれは、アリスを知るにつれて強固なものだと思い知らされる。


(私だって、あいつの心の中に、少しくらい……)


 ラムの底に燻っていた醜い感情が、寄生した白い何かによって肥大化していく。


 表裏一体の感情。好意すらも反転し、嫌悪となってラムを突き動かす。


『……アリス』


 異形の怪物から、ラムの声が響く。


「なに?」


『私は、知りたくない』


「えー、じゃあわたしのこと知ろうとしなくてもいいから教えて!」


(そういうとこが、好きなんだって)

『消えて』


「やだ!」


 ラムが光線を放つ。


 対してデュオンは灼熱と極寒のエネルギーを吐き出した。それらが螺旋を描いて混ざり合い、暴風を巻き上げながら光線を迎え撃つ。


 強大な力が衝突した。


 大気が振動し、衝撃の余波は果てなく広がっていく。人や建造物を吹き飛ばし、通常種のプテラまでもが倒れていった。


「大胆なとこもあるんだね!」


『黙って』


 ラムは地上へ急降下し、腕を振るう。


 跳び上がって逃れたデュオン。そこを狙う、タイミングをずらした三連撃。三方向から凶刃が迫る。デュオンの尾から生えた蛇が巨大化し、犬と二匹の蛇が鎌に咬みついた。


 拮抗する力が鬩ぎ合う。


 最中に繰り出したラムの蹴り。それをデュオンが避けたことで距離が開いた。


 ラムが自身の鎌を切り落とす。蛇に咬まれた二本の鎌が雪に落ち、毒に侵されて溶けていった。一方で傷口は内側から隆起して、再び鎌の形を成していく。


 こうして戦闘を続けている間にも、ラムの悪感情が、破壊衝動が膨れ上がっていく。


 水族館でデイタがラムの手を握ってきたときのことを思い出す。今ならあの手が何を掴もうとしていたのかわかる。


『……ずるい』


 猛毒の脅威を味わったラム。蛇の牙を嫌って、距離をとって戦うかに思われたが、一層激しくアリスに襲い掛かった。


『見ないで。これが私だから』


「見てないよ。見えないもん」


 アリスが目元を覆う布に触れる。


 鎌が、光線が。牙が、炎が、冷気が、毒が。入り乱れて竜虎相搏つ死闘が繰り広げられる。攻撃が行われる度に地形が変えられ、環境さえも変わってしまいそうなほどの熾烈な戦い。


 互いの体に傷が刻まれていく。


 しかしラムは再生し、傷を消せる。


 結果として、デュオンにのみ傷が増えていった。背に乗せたアリスを庇うため、攻撃を防いだ前足と頭部に傷が集中し、動きが鈍っていく。致命傷は避けているものの、動けなくなるのは時間の問題だった。


「デュオン!? もういいよ! 一回逃げよう!」


 痛みで呻く姿に、アリスは耐え切れない。ラムのことは何としてでも落ち着かせたいが、デュオンの身も大切だ。


 だがデュオンは首を縦に振らない。ラムはデュオンではなくアリスを狙っている。デュオンに囮としての役割も見込めない以上、逃がすことは難しい。背を向けることで、却ってアリスを攻撃から庇えなくなる可能性だってある。


 それに。


『あいつはさ、いいやつなんだ。辛そうにしてるなら、なんとかしたい』


 デイタの思いを、叶えたい。


 あいつとやらのことは知らなかったが、今戦っている怪物がそうなら、辛そうに見えるから。


「そっか、ありがとうね。なら、おねがい!」


 デュオンの咆哮が、強い指向性をもってラムに振動を伝える。


 ラムは四つ腕で体を庇うが鎌は砕け、腕は外側が半分弾け飛んだ。


 好機。生じた隙を逃すまいと、デュオンが猛攻を仕掛ける。


 火炎と冷気を牙と爪に宿し、未だ再生を終えていないラムへ跳びかかる。再生速度を超えるダメージの蓄積。このまま押し切る。


「言いたいことあるんでしょ! こんなにやんちゃしてるんだから!」


 荒れ狂う力の奔流。アリスは必死にデュオンの背へしがみ付き、言い募る。


「わたし、これから傍にいるから! 話せるようになるの待ってるから!」


 デュオンは攻撃の手を緩めず、異形と化したラムの体を駆け上がる。


「ラムちゃん!」


 アリスが必死に呼びかける。


 すると、ラムの体がノイズに包まれた。


 そして。


『それが死ねば、悲しむ顔を見せてくれる?』


 大蛇がアリスに襲い掛かった。覚えのあるその気配はデュオンのものと同じだ。しかし、その蛇から、悲痛に暮れ狂気に染まる感情がアリスに伝わる。自分に向けられる全てが怖くて、振り払わないと心を保てなくなってしまった。ラムの内側で蠢き、溢れ出すドロドロとした暗い感情。


 アリスが慣れ親しんだデュオンとは違う。狂気の大蛇が、ラムの背から生えていた。


 完全な奇襲。虚を突いた大蛇が、アリスに牙を剥いた。


「え……」


 眼前に迫った気配に、アリスが固まる。


 体を割り込ませてアリスをかばったデュオン。その体に牙が食い込んだ。プツッと皮膚を破り、肉を侵食する。


「デュオンッ!?」


 デュオンの尾が大蛇の首に咬みつき、漸く牙から解放される。


 かろうじて地上に逃れたデュオン。しかし、その足取りは覚束ない。即効性の猛毒が身体を巡っていた。


 デュオンと同じ毒であれば耐性が有るため、問題ない筈だった。


 しかし、ラムの形成した大蛇の猛毒は、プテラの体と融合したことで異なる毒へと変質していた。


「大丈夫!? ねえ!」


 問いかけたアリス。その体が、投げ出される。


 そしてアリスがデュオンの背から離れた瞬間、デュオンが四本の鎌に貫かれた。


 その身が打ち捨てられ、アリスの傍に転がる。夥しい量の血が流れていた。アリスが真っ赤な雪に膝をつき、デュオンの体に触れた。呼吸や体温の状態に加えアリスの持つ特殊な知覚能力は、デュオンの存在が希薄になっていくのを感じとっていた。


「ねえやだよ! デュオンが負けちゃうことなんてなかったのに! ずっと傍にいてよ!」


 出会ってから何をするときもずっと一緒だった。魔女と蔑まれ、狙われる日々。苦難の連続も乗り越えてきた。いつだって、デュオンが助けてくれたから。


「お願いだから、死なないで……」


 アリスはデュオンの側から離れようとしない。現実を受け入れたくなかった。再びデュオンが立ち上がったとき、一番近くにいたかった。


『ああ、かわいいね』


 悲嘆に暮れるアリスを見て、歪んだ感情を抱く。アリスが可愛ければ可愛いほど、殺したくなる。繋がれた手を、固く結ばれた信頼を断ち切らなければ。


『死んで』


 そして、ラムの凶刃がアリスの命を刈り取らんと振るわれた。


 無防備な背中に刃が迫る。しかし刃がそれ以上近づくことはなかった。


「ごめん。遅くなった」


 ヒヅキを担いだデイタ。その竜化した手で鎌を掴み、粉々に握り潰した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る