15話

 少し遡り、世界に異変が起きた頃。


 デイタとアリスは異なる世界枝せかいしにいた。


 そこで大樹に起きた異変を肌に感じている。根本から上部に向けて、不気味な白が侵食している。枝葉が枯れ、樹皮は剥がれ落ち。悠然とした大樹が急速に朽ちゆく様は、未だかつて経験したことのない災禍の波紋として二人に伝わる。


 ラムやヒヅキのいる世界枝と繋がる大樹に現れた凶兆。こちらの世界枝で大規模な異常は起こっていない。ならば、向こうの世界枝で何かが起きているということ。


「行ってくるわ」


 デイタの決断は早い。一切の迷いなく、危険が待ち受けているであろう世界枝へ飛び込もうとする。


「待って!」


 デイタの右腕を、アリスが掴んだ。いつもより強めに力が籠められる。


「私も行く」


 譲れない意志を感じさせる声。


「危ないから止めた方がいいと思うけど、なんで?」


 ここで待っていて欲しいが、何がアリスにそう言わせるのか。危険なんてことは、アリスだって百も承知の筈。


「二手に分かれた方がいいでしょ?」


 ラムとヒヅキ。安否が気になるのは二人だ。


「まあ」


 それは分かっている。だがそれでアリスまで危険に身を置くなら意味がない。駆け付けたい相手が二人から三人に増えるだけ。


「それに、『力になるよ』って約束した」


 雪化粧した展望台。火点し頃の誓い。


 初対面だった二人が心を曝け出せたのは、互いの人柄によるところだけではない。きっと近しいものを感じ取ったから。


「ラムちゃんはね、気持ちとか、ずっと抑え込んできたんだと思う」


 素直な気持ちを告げるだけで、涙していた。


「でも、話してくれたの」


 そんな彼女が少しだけでも心を見せてくれたなら、じっとしてなんかいられない。


 心を塞ぎ、蹲っているラム。


「きっと手を差し伸べられたって、立ち上がるのも辛くて。『頑張れ』って背中を押されるのも、痛いんだと思うから」


 励ましの言葉も、応援の言葉も。沈んでしまっている人には響かないから。


「誰かが傍にいないとダメなんだよ。疲れちゃった時、抑え込むのが限界になっちゃった時、いつでも頼っていいんだって、わかるように……呟いた声だって、聞き逃しちゃわないように」


 声の届く距離で、気が向いたら呼んでねと。


「だから、私も行かなきゃ……!」


 より強固になった決意が声に乗る。


 双頭二尾の獣、デュオンがアリスの思いを汲み、隣に並ぶ。そしてデイタに吠えた。「俺に任せろ」とでも言わんばかり。瞳に宿った信念は真っ直ぐにデイタを見つめる。


『デイタが守れない時、デュオンがアリスを守る』


 約束は忘れていない、と主張するようだった。


 その眼差しを受けたデイタは表情を緩める。


「そっか」


 アリスに答え、デュオンの頭にポンッと手を置く。


「頼むね。アリスのことも、あいつのことも」


 安全なところにいてくれと頼んでもアリスとデュオンの心は揺らがない。デイタにできるのは信頼して任せること。そして頼れる相棒にもう一人、気にかけてほしいと願う。


「あいつはさ、いいやつなんだ。辛そうにしてるなら、なんとかしたい」


 返事をしているのか、デュオンが唸る。


 その反応に満足したデイタ。手を離し、少し下がってアリスとデュオンを見る。


「じゃ、あいつのことは任せるよ。俺も女騎士見つけたらそっち向かう」


「うん!」


「「ワッフ!」」

「「シャーッ!」」


 託されたアリスとデュオン。本当は心配しているだろうに、信じてくれた。その期待を胸に秘めて。


 二人と一頭は世界を跨いだ。


 ◇


 膝をつくヒヅキが顔を上げた。


 デイタが、木人の腕を掴んでいる。


「……こんなところに居て良いのですか?」


 木人が問うた。余裕が消え、先刻より若干低い声には警戒心が表れている。


「は?」


 デイタには含意がわからなかった。


「一刻も早くラムさんのもとへ向かうべきでは? こんな女に構う暇が……」


 木人がヒヅキに視線を移す。


 しかし何か言い終えるより先に、デイタが木人の腕を握り潰した。砕けた木片が無機質に転がる。


 俯くデイタの表情は窺えない。


 木人が跳び退き、一旦距離をとる。豹変したデイタの一挙手一投足を見逃すまいと、注意を深めた。ヒヅキを前に余裕の態度を崩さなかった木人が、デイタに対しては全神経を集中させ、緊張を隠せない。


「ボロボロになるまで、一人で戦ったんじゃねーの」


 デイタが呟き、倒れる四人の軍人を見回した。刻まれた鋭い切り傷を見て、ヒヅキと敵対していたのだろうと悟る。


 駆けつけた時、満身創痍な姿に衝撃を受けた。普段見ているのが、デイタをどこまでも追い回す気勢のある姿ばかりだったから。


「たぶんあいつんとこに行くためだ」


 何のために戦ったのか。なんとなくだけれど察しはつく。


 ヒヅキの姿が、記憶の中の恩人と重なる。自身の立場を捨ててまでデイタとアリス守ってくれた、気高き騎士の姿と。


「こんな女だ?」


 誰かの為に命を張る。自分が傷つくのも顧みずに立ち向かっていく。


 口で言うのは簡単だが、実際に自分の命が危険に晒された時、実行出来るものは僅かだろう。


 それが出来てしまう人だから。


 こうして傷だらけで倒れている。


「女騎士は!」


 木人の言葉が気に入らなかった。何も知らない癖に、理解しようともしない癖に、志を持って戦う彼女を見下す態度が。


「ヒヅキ先輩は!」


 なら、伝えるしかない。木人の言葉を上書きするように声を張り上げる。


 それが揺るぎない事実だと、認めさせるために。


「最っ高に良い女だっ……!」


 緊迫する空間を、デイタの声が劈いた。


 静寂が訪れる。木人とヒヅキは暫しの間、言葉が出なかった。


 何を言っているんだこいつは、と。後にも先にも、ヒヅキと木人が考えを同じくしたのはこの時だけだろう。


「お、おい……」


 ヒヅキはデイタの背をまともに見れない。売り言葉に買い言葉。デイタに限って他意などないと、理解してはいる。それでも、こうもストレートな言葉を浴びせられては反応に困る。年齢の割に大人びて見えるがヒヅキとてまだ十五歳の少女。真面目故、適当に聞き流すこともできず、然りとて受け止め方もわからない。


「若いっていいですねえ」


 木人が苦笑する。警戒すべき最大の危険因子。それが口を開けば馬鹿な子ども。打倒すべき存在が、目指す先がこれでは気が抜けてしまう。


 そして、言うだけ言ったデイタが攻勢に出る。木人目掛けて駆け出した。


 迎え撃たんと構えた木人は、


「やはり、修復できませんね。戦闘サンプルくらいにはなれれば良いのですが……」


 砕かれた腕を見て零す。本来なら幾ら砕かれようと元に戻る。先天的な力で木人の体を破壊できるのは、各世界枝に一柱とプテラの上級個体。それから、目の前の少年くらいのものだ。


 やむを得ず、もう片方の腕を翳す。すると腕が無数に裂けた。それらはやがて一本一本が元の腕と同程度の太さとなる。伸縮自在の無数の腕は杭のように先端を尖らせ、それぞれが独立した思考を持つかのように蠢きデイタに襲い掛かる。


 対して、駆けるデイタからは黒い渦が立ち昇り、腕が竜のようなものへと変貌を遂げた。


 木人の杭は危険な性質を持つ。並みの人間なら掠っただけで致命傷を負う。


 しかし竜の腕がぶつかる度、木人の腕は砕けていく。


「っ……」


 その破壊が腕を伝い、胴体へ到達する前に切り離す。


 このままでは押し負けると判断。数本の杭を後方へ伸ばし、鎌首を擡げるようにデイタへ向けた。先端に光が発生し、収束して球状になっていく。そして光球から、光の筋が放たれた。


 デイタは腕を交差させ、全ての光線をその身に受けた。高熱のエネルギーが弾け、爆心地にいるデイタの姿が光に包まれる。


「デイタっ!?」


 ヒヅキが悲鳴を上げる。木人の放った光線に見覚えがあったから。それは骸骨のような姿をした新種のプテラが地上へ放っていた攻撃。コンクリートすらも溶解していた。とてもではないが、人間が受けていい攻撃じゃない。


 だが光が散り、立ち込めた煙の中に少年の輪郭が浮かび上がる。


「だあーっ、痛ってえな……!」


 姿を現したデイタ。竜化させた腕は比較的軽傷だったが、腹部や脚は皮膚が焼け爛れ、傷口からは小さく煙が上がっていた。どう見ても「痛い」で済ませていい怪我じゃない。


「お優しいのですね」


 木人がチラリ、とデイタの後ろに座り込むヒヅキを見た。もしデイタが避けていたなら、光線を受けていたのはヒヅキだ。


 何故デイタが攻撃を避けなかったのか。察したヒヅキの胸が痛む。


「『侯爵級マーケス』の熱線を受けてもその程度の外傷とは、末恐ろしい……」


 耐えたデイタに対し、熱線を放った木人の腕は反動で焼失していた。それ程高密度の熱の塊をぶつけられて立っている少年。木人から見ても、理不尽な存在だった。


「肉体の束縛を乗り越えた程度では、及びませんか……」


 殴り、振り払い、穿つ。無数の杭による乱撃を掻い潜り、瞬く間に迫ったデイタ。その腕が木人の顔面を掴み、握り潰した。頭部が崩れたのと連動して、全身が砕け木片が飛び散る。


 その光景を見て唖然とするヒヅキ。デイタが戦う姿は一度だけ見たことがある。とてつもない力を秘めていると分かってはいたが、再び目にすると認識の甘さに気づく。


 グルフォスと名乗った木人は、人間とは違う次元の化け物だった。どれだけ修練を積んだとしても、戦う土俵にすら立てない。それを身をもって体感したヒヅキだからこそ、デイタの異常性がわかる。


 ほんの僅かな期間でヒヅキの常識は書き換わっていく。最前線で戦っていると勘違いしていた。世の中には知らぬところで戦うものがいて、自分が如何に取るに足らない存在なのか痛感する。


 デイタは未だ言葉を失うヒヅキに歩み寄り、しゃがんだ。人間の状態へと戻した手を差し出す。


「っ!」


 ヒヅキが息をのみ、少し後退る。


 一瞬、怖いと思ってしまった。しかし憎たらしい笑顔を見て、力を抜く。約半年間の付き合いで、デイタが無闇矢鱈に力を振るわないことを知っている。力を行使しない範囲での迷惑行為は止まないが、決して理性なき怪物ではない。だというのに、助けてくれた後輩を怖がってしまった。心苦しさが胸を埋め、至らぬ己を恥じた。


「ほい」


 デイタは、なかなか手を取らない様子に首を傾げ、掴むよう促す。


「刀を、拾ってくれないか」


 目を合わせないまま告げる。


 デイタはヒヅキの視線を追って機械刀を見つけると、地面に突き立った刀を引っこ抜く。それを逆手に持って手渡した。


「すまないな……」


 機械刀を杖代わりに、なんとか自力で立ち上がる。力の入らぬ体に鞭打って、小刻みに震えながらも時間をかけて。


 そうしてやっとの思いで立ち上がった。


「私は大丈夫だ、道中プテラも多い。足手まといになる訳にもいくまい」


 デイタのことだ、ラムのもとへ行こうと考えている筈。ヒヅキは自力でこの局面を乗り越えてみせると、安心させるように微笑んでみせた。街中にはプテラが溢れている。


 付近には寄って来なかったが、おそらく木人が近づかせないように何らかの対策を講じていたのだろう。


 足止めを食っている間に、ラムはプテラたちの只中へと行ってしまった。追いかけるなら、プテラとの連戦は避けられない。まさかデイタに人ひとり抱えて敵陣を突破してくれとは言えなかった。


「いいから」


 しかしヒヅキの気遣いも決意も空しく、デイタは問答無用でヒヅキを担ぐ。


 デイタに触れられた瞬間、ヒヅキの中で「最っ高に良い女だ」という言葉が何度も反響していた。途端に気恥ずかしくなり、頬が染まる。生意気な後輩を異性として認識してしまった自分のなんと節操の無いことか、と戒める。それでも心の中の乱れは収まらない。


「き、聞いていたのか!?」


「聞きたくなーい」


 デイタがヒヅキを抱えたまま走り出し、襲い来るプテラを片腕で降しながら進んでいく。


 ヒヅキがため息を吐き、


(強引すぎだ、ばか……)


 その強引さに呆れる。


 けれどそれこそが、ヒヅキに足りなかったもの。


(相手の気持ちを理解している気になって、一歩距離を取って。そうやって器用に立ち回っているつもりで。結局、誰のためにもなってない)


 ラムに異変が起きて漸くそれに気づけたというのに、デイタの強引さに呆れているようでは、まだ変われていないということ。ヒヅキが理想の自分になれる日は遠い。


(ラムに必要なのは……貴様だ。デイタ)


 揺れる肩の上で、ヒヅキは穏やかに目を閉じる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る